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一晩泣きはらして、私の気持ちは少し落ち着いた。
ジュリーの婚約はショックだが、このまま落ち込んでいても仕方ない。せっかく公爵家から縁談が来ているんだもの。ジュリーの幸せを考えたらこのまま上手く行ったほうがいい。私が、ジュリーに気持ちを伝えたら、きっと彼は優しいから私を見捨てられない。困ったような顔をして、公爵家との縁談を断ってしまうかもしれない。そんな事をしてほしいわけでは無い。私はせめてジュリーの友人として彼の幸せを祈ろう。そう気持ちがまとまった。
「アンリ、支度はできたかい?もう少ししたら出かけよう」
「少しだけ待ってて下さい。急いで支度します」
お父様が私に声を掛けてきた。そういえば、今日は王宮に行く日だった。ジュリーとは顔を合わせたくないが、気分転換には良いだろう。そう思い、お父様と一緒に王宮へ向かった。
「おはようございます」
今日は少し勇気を出して、談笑する文官たちに声をかけてみる。彼等は私と、年が近くてまだ比較的話しやすいし、そのうちの何人かはお父様の持ってる婚約者候補にあがっていた。私のことは嫌われてないはずだ。
「ああ、おはよう」
「あれ、アンリエットさん、今日は眠そうだね。どうしたの?」
「いえ、遅くまでお父様の仕事を手伝っていたもので」
「そうか、てっきり、ジュリアーニ君の婚約の噂にショックを受けたのかと思ったよ。あいつ、俺にも隠していたからな」
「えっ……」
私の内心を見透かされたのかと、一瞬焦った。
「俺にも言わなかったんだよ」
「もしかして、アンリエットさんにも教えなかったんだ」
「ええ」
「へぇ、酷いな。あれだけアンリエットさんをシスコンを拗らせた兄のように可愛がってたのに」
「なー、てっきり、アンリエットさんも、ジュリアーニさんの婚約に寂しがってるのかと思ったのに」
「そうね、大好きなお兄ちゃんをとられるなんて悲しいわ」
笑って誤魔化す。
「なあ、そんな悲しみにくれている、アンリエットさん。俺に慰めさせてくれないか?」
「おい、何抜け駆けしてるんだよ!俺だって彼女に求婚してるのに」
「そうだ、アンリエットさん!あんな薄情なジュリアーニ君より、僕の方が良いぞ!君を大事にする」
「まあ、みなさん優しいのね。ありがとう」
こうやってみんなと話していると気が紛れる。今まであまり話したことが無かったのが勿体無いくらい、いい人ばかりだった。
「ちょっとアンリを借りていっていいかな」
その時、私達の輪の中にジュリーがやって来た。
「おっ、保護者がやってきたぞ」
「しっ、聞こえるぞ」
「アンリ、ちょっと今時間ある?」
「えっ?……、ごめんなさい、急ぎの仕事を思い出してしまったわ。失礼します」
気持ちが落ち着いたといっても、ジュリーの事が吹っ切れたわけではない。彼と顔を合わせたら気が動転してしまった。私は顔を背けると、そのまま逃げるように急ぎ足でその場を去った。
「あっ、アンリ!待って!」
後ろからジュリーの追いかけてくる気配がするが、追いつかれたくはない。半ば駆け足で廊下を進む。
「アンリ!」
ジュリーの声が聞こえるが、私は足の速さには自信がある。きっとジュリーには追いつけないだろう。
「おっと」
ドンという軽い衝撃とともに、足が止まる。前をきちんと見てなかったようで、向こうからやって来た人にぶつかってしまった。
「あっ、フランシス様。すいません、前方不注意だったようで」
私にぶつかった彼はベルツノガル伯爵家の長男。確か23歳にして、かなりの地位に登りつめ将来を有望視されている人だった。仕事の関係で何回か言葉を交わしたことはある。
「俺は大丈夫。アンリエットちゃんは怪我はない?」
「ええ、大丈夫です」
「ところで、後ろから君を追ってるのって、ジュリアーニ君だよね」
「……はい、そうです」
それ以上は何も説明したくないので、黙っている。
「まあ、いいや。何があったのかは知らないけど、彼と顔を合わせたくないんでしょう。こっちにおいで」
私はフランシス様に連れられて近くにあった小部屋に入った。
部屋の中で見つからないよう息を殺しているうちに、足音は部屋の前を過ぎ、遠ざかって行った。
「ほら、もう行ったようだよ」
「ありがとうございます」
「アンリエットちゃん、大丈夫?辛そうな顔をしているよ。話したくないのなら良いけれど、一人で抱え込むのも大変でしょ?俺で良ければ話を聞くよ」
「気持ちはありがたいですけど、大丈夫ですから」
「そう、まあ、だいたい察しはつくけどね。ジュリアーニ君の婚姻でしょ。アンリエットちゃんはジュリアーニ君が好きだもんね」
「えっ……」
そんなにあからさまな態度をとっていたのか。自分では気付かなったが。
「大丈夫、ジュリアーニ君にはもちろん、誰にも口外しないから。それに俺以外誰も気付いてないよ。君たちの事みんな兄妹のように仲が良いとしか思ってないから」
「そうですか」
「……」
「……」
自分から何も話そうとしない私に、フランシス様が痺れを切らしたように声をあげた。
「ねぇ、話したくないのなら、代わりに俺の話を聞いてくれない?」
「良いですけど」
「ああ、長くなると思うから、そこら辺に適当に座って。なにか飲む?」
「いえ、大丈夫です」
「俺がこの王宮に務める事にしたのは初恋の人に会いたかったからなんだ。彼女と初めて会ったのは6歳のときだった。父上に連れられて王宮に来たんだけど、6歳の子供だからね、大人同士の話も分からずつまんなそうにしてたんだ。それを見かねたそこにいた偉い人が、確か宰相様だったのかな、庭で遊んでおいでって言ってくれたんだ」
「で、お庭で絶世の美女と会ったわけですか?」
「間違ってないけど、随分端的にまとめたね」
「報告書でもなんでも無駄に長いものって嫌われますから」
「ははっ、それもそうだ。でもせっかくだからもう少し詳しく話していい?」
「ええ、どうぞ」
「庭に出たらね、登るのにちょうど良さそうな木があって木登りをしてたんだ。ところが降りる段になって、足を滑らして真っ逆さま。大した高さじゃ無かったけど、落ちたときに打った足が痛くて。大声で泣いてしまったのさ。それを聞きつけて、俺と同い年ぐらいの女の子がやってきたんだ。で、俺を見ると一言『男が怪我したくらいで泣くな!』って言い放ったもんだから、びっくりして涙も止まったよ。驚きのまま固まった俺のところに来て、怪我の様子を調べて『大丈夫、骨は折れてない。歩けるか?』って手を差し伸べてくれたんだ。俺は立とうと思ったんだけど足首を痛めたみたいで立ち上がれなかった。すると、そんな俺を見かねて、抱き上げて連れて行ってくれたのさ。あんな格好いい人がいたら、惚れてしまうでしょ?」
「わあ、王子様みたいですね」
「悪かったな俺が女々しくて」
「で、彼女には会えたんですか?」
「まあな。でも、その時は『こっそり抜け出しているから』って言って彼女は俺を父上のそばまで連れて行くと、名も告げずに去っていってしまったんだ。だから、一体誰だったのか分からなかった。彼女の様子からどこかの武官の娘かと思い、俺も騎士団に入れば会えるのではと思ったんだ。でも、俺はどうやら体を動かすことがからっきしで、入団試験に落ちてしまったんだ。それでとりあえず、文官になったんだ」
「そうだったんですか」
「王宮務めになったからって、王宮には沢山人がいるだろ?彼女にはなかなか会えなかった。再会したのは2年前、と言っても俺が一方的に見つけただけだが、この国の姫の20歳の祝いの日だった」
「あー、わかりました。姫の護衛の女騎士だったのですね」
「違うんだな、姫その人だったんだよ」
「えっ!?見間違いではなくて?」
「いや、あの美しい燃えるような緋色の髪に、知性と勇気をたたえた深緑の瞳。あんな人二人といない」
「そうですか、分かりました」
なかなか姫君にお目にかかることも無いので、噂でしか聞いたことはないが、利発な姫だと言われていた。フランシス様が言うからにはそうなのだろう。
「で、フランシス様はどうしてその話を?」
「いや、アンリエットちゃんと俺は叶わない恋に身を焦がす仲間だなぁと思って。俺は姫の誕生祭の日に決めたんだ。このままずっと、彼女のために忠実なる臣下として心身を捧げようって」
「ええ、とても素敵なお話ですね」
「なんだ、アンリエットちゃんは他人事のように冷たいな。ここからは提案なんだけど、君にもメリットはあると思うよ」
「なんでしょう?」
「俺と結婚しよう?」
「姫に心身を捧げるって言いながら、早速浮気ですか?」
「違う違う、言ってみれば契約結婚だ」
「はい?」
「お互いどうせ叶わない恋なら、ある程度の諦めも必要だろ?もちろんお互いの心は、想い人のところにあってもいい。でも、外面的には夫婦でいようって話だ」
「なるほど」
「もちろん、君のことは一人の人間として大事にするよ?ちょっと考えてみてくれないか?」
「分かりました」