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あの後、ずっと話し込んでしまい夜も遅くなり、結局ジュリーは心配して私を屋敷まで送ってくれた。別れ際、ちょっと子供っぽいかなと思いながらも、ばいばいと手を振った私に、小さく手を振り返してくれた姿が目に焼き付いて離れない。
「お父様、すっかり遅くなってごめんなさい」
「いいや、アンリに仕事をたくさんやらせてしまった私の方こそ謝らないといけないな。ありがとう、助かったよ。ところでアンリはすっかり、ジュリアーニ君になついたね」
「ええ、私の話もきちんと聞いてくれて、彼は面倒見の良い方ですね」
「そうなんだよ。本当は良い奴なのに、なかなかみんなそれに気が付かないでね。職場でも怖がられているから、心配なんだ」
お父様は今の部署の長官で、ジュリーが副官。ゆくゆくはジュリーに次の長官の位が回って来る。そうなったときの事をお父様は心配しているのだろう。
「そうだ、アンリ。良いことを思いついたぞ。頼まれてくれないか?」
「なんでしょう」
面倒事の予感がする。
「たまにでいいから、王宮まで来てジュリアーニ君と話してくれないか。アンリと話している姿を見たら、ジュリアーニ君が悪い奴じゃないって気がつくだろうから」
「それぐらいでしたら」
「あと、ついでに仕事手伝って。宰相様に掛け合って給料出してもらうから」
「そっちが本命ですか?ジュリーと話して云々は建前ですよね」
「どうして分かったんだ?最近人手が足りないからアンリに手伝ってもらいたいと思ってたことが」
「伊達にお父様の娘をやってませんから」
「そうか、そうか」
そう言うとお父様は嬉しそうに笑った。
「でも、お給料出るならやりますよ。今まではただ働きでお父様の手伝いをさせられていたんですもの」
そうして私は王宮で文官たちに混じって、仕事をするようになった。家に居るだけでは分からないことがたくさん学べ、私は広がった新しい世界を楽しんでいた。とは言っても、私の人見知りのせいなのかジュリー以外とは、まだ必要最低限の会話しか交わせていないが。
ちなみにジュリーの方は私と話している姿を同僚に見られてから、普段はクールで厳しいけど実は女性や子供には優しいキャラとして定着したようだ。同僚と楽しそうに談笑する姿も見かけるようになった。私を利用して、ジュリーのイメージアップというお父様の目論見は的中したようだ。
そうこうしているうちに私も18歳になった。
「アンリ、君の結婚の事なんだけど……」
お父様の書斎で仕事を手伝っていると、声を掛けられた。ついにこの話が来たか。周りもどんどん婚約して結婚しているし、もうそういうことがあっておかしくない年なのだけど。お父様にお前は色気がないから、心配だとか言われるのだろうか。それとも、縁談を見つけて来てくれたのだろうか。相手があまり変な人でないと良いけれど。
「はい、なんでしょう」
「私が幼い頃から娘に英才教育を施した話が部下たちに広まってるんだけどね。職場に来て仕事も手伝ってくれるしアンリの優秀さが周知されているんだ。流石だね」
「はい?」
結婚の話では無かったのか。
「私は職場では親馬鹿と陰で言われているのだが、それはさておき。私の育てた娘をぜひ嫁にと部下たちが言っててね。ぜひ君と一緒に仕事をしたいと」
「そうですか」
聞き間違いじゃなければ、それは嫁じゃなくて秘書としてほしいってことですよね。
「求婚者のリストがあるから、もし気になる人がいたら教えてくれ。私の部下はみんな良いやつばかりだから、誰を選んでも外れはないぞ」
私はお父様から渡されたリストに目を通す。名前と簡単なプロフィールが書いてある。お父様の部下だけでなく、他の部署の文官の名前や挙げ句の果に宰相様の息子の名前もあるのは気のせいだろうか。30人ばかりの名があがっている。
「随分多いですね」
「なんたってうちの愛娘だからな。大人気だ。今すぐでなくてもいい、少し考えてみてくれ」
「でも、私がお父様の職場に行っても皆さん、全然私に声を掛けて下さいませんよ」
こっちとしてはもう少し、みんなと仲良くなりたいと思っているんだけど。ジュリー以外の人とはほとんど話していないから。
「ジュリアーニ君がシスコンを拗らせた兄のように、君のことをガードしているからだろうね」
「そうだったんですか」
うん、ジュリーね。そういえばお父様からもらったリストに、いくら目を凝らしてもジュリーの名前はない。どうせ結婚するなら気心がしれたジュリーなら良いなっていう考えがちらっと浮かんだが、すぐに頭を振って打ち消す。貴族の結婚なんて基本的には政略結婚。それをこんなに、選択肢を与えてくれるお父様には感謝しないと。
「あの、お父様?」
リストの一番下にある名前に目が止まった。
「なんだい?」
「ここにお父様の名前もあるんですけど……」
「ああ、私を選んでくれてもいいよ?」
「えっと……」
お父様がついにおかしくなったのか。お父様は愛妻家で、妻、要するに私達姉弟のお母様を大切にしていると有名なのに。
「ああ、誤解しないでくれ。私がいくら親馬鹿でも娘と結婚するとは言わないよ。そのリストの人が気に入らないなら私を選んでくれればいい。そうしたら、アンリの就職先は我が家になるだけだから」
「いま、はっきり就職先って言いましたね」
「結婚も就職も似たようなものだろう?」
「間違ってはいませんね……」
「ああ、そういえばアンリ、知ってるかい?」
お父様が誤魔化して話を変えようとする。やっぱりお父様も私を優秀な秘書にと、文官たちに売り込んでいたんだろう。
「何をですか?」
「ジュリアーニ君の縁談が纏まりそうなんだってね」
「そうなんですか」
全くもってそんな話は知らない。寝耳に水だ。この前ジュリーに会ったときもそんな事を言ってなかったのに。
「彼ももう27歳だからね。兄にはもう子供もいるのにと、彼の父がずっと独身であるのを心配してたんだ。でも、公爵家のご令嬢が相手らしいから申し分ない話だよね」
「全く知らなかったです」
私は彼と仲が良いと思ってたのに、それは私の一方的な思い込みだったのだろうか。婚約なんて重要な話教えてくれてもいいのに。とは言っても、私は彼の恋人ではない。友人だ。教える義理はないと言われればそれまでだ。彼を束縛する権利なんてないのだから。
「あれ、ジュリアーニ君、アンリに話して無かったのか。仲がいいから、てっきりもう聞いているものだと思ったのに。彼も恥ずかしがり屋なんだね」
そうやって話すお父様の言葉も全然耳に入ってこない。それ以降仕事にも手が付かなかった。それほどまで、ジュリーの結婚がショックだった。彼だっていい歳した男性なのだから、そういう話があってもおかしくないのに。お父様の前で何事も無かったように振る舞えた私を褒めてほしい。
その後自室に戻って一人になると思わず涙を流してしまった。こんなにも彼の事が好きだったなんて。やっと自覚した。このままいつまでも友人でいられたらそれで十分なんて、甘いことを考えていた過去の自分が馬鹿らしくなる。ただの友達なんて不十分、自分が第一であってほしい、恋は人を欲張りにしてしまう。