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私の顔を見てユーラック様はにっこりと微笑んで声を掛けてくれた。が、彼の顔を見れば分かる。社交用の微笑みだ。
「お久しぶり、アンリ。小さかったアンリが見違えるようにキレイになったね」
「お世辞は結構です。こんなに適当な格好をしている私に言わないで下さい。相手を間違えてますよ」
自分で言っていて悲しくなる。しかし、私の容姿が並なのはもう分かっている。そんな私が着飾ってすらないのだから、どんなに酷いかは想像に難くない。
「そうか、残念。せっかくお世辞の言い方を覚えたのにね」
あまり残念そうでない様子でユーラック様は言う。
「では、用件は済みましたので帰りますね。失礼いたします、ユーラック様」
私はそそくさと礼をして帰ろうとする。記憶の中にあった優しいユーラック様はどこに行ってしまったのだろう。やはり思い出は思い出のままの方が美しかった。
「待って。もう少し僕と話していかない?あと、僕のことはジュリーだって言ったよね。昔はジュリーって呼んでくれたのに」
「以前は子供だったため身分を弁えず、大変失礼いたしました。それではお父様が待っておりますので」
そう言って次こそ帰ろうとする。
「ルーアン伯爵ならお休み中でしょう。そのまま、ゆっくりさせてあげなよ。ちょっと僕に付き合ってくれてもいいよね。きっと僕の仕事は部下たちが片付けてくれるから」
そう言ってユーラック様は逃げられないよう私の手をとって、そのままどこかに向かおうとする。
「ちょっと!」
「いいから、いいから」
助けを求めて辺りを見回すが、その部屋にいる人たちはユーラック様が部屋を出ていくことに少しホッとしているようだった。どうやら誰も助けてくれそうも無いので、仕方なくユーラック様に連れて行かれるままにする。
ユーラック様が私を連れて行ったのは、近くの小部屋だった。棚からティーセットを取り出すと、手づから紅茶を淹れてくれた。
「紅茶、飲みますよね?」
「はい、ありがとうございます。いただきます」
椅子を引いて私を座らせると、自分はその正面に座った。
「さっきはお見苦しいところをお見せしました。どうも、仕事のこととなると口が悪くなるようで」
「いえ、別に」
「アンリ、ごめんね。こんなところに連れてきてしまって」
さっきまで強引だったユーラック様が突然下手に出た。一体何を企んでいるのやら。
「はい?」
「いや、さっき怒ったことで、僕の部下が僕を恐れているようでね。このまま僕があの部屋にいても、彼は仕事に集中できないでしょう。アンリを部屋から出る口実に使ってしまったんだよ」
「そうですか。でしたら、私を送ると言って外に出ればよかったのでは?」
「たしかに。淑女が来たらちゃんと送ってあげないといけなかったな。すっかり忘れていたよ」
何というか、不器用なところは相変わらずだった様である。
「あぁ、僕と話したくなかったら、帰ってもいいよ。引き止めてごめんね」
「話したくない訳ではないですから、構いませんよ」
「本当に?良かった」
私の言葉に彼は嬉しそうに微笑む。今度の微笑みは微かなものだが、昔の彼のように心からの微笑みだった。
「アンリに久しぶりに会えてよかったよ」
「連絡を一切くれなかったのに?」
つい、言い返してしまった。
「そういえば、ご無沙汰してしまったね。ルーアン伯爵からアンリの話をいつも聞いているから、僕はアンリのことよく知っているけどね。何度か手紙は書きかけたんだけど、うまく纏まらなくて……」
「はい?」
「アンリの事が嫌いだから連絡しなかったとかじゃないんだよ。その、僕からの連絡が迷惑だったら困ると思って」
「はあ……」
ユーラック様と会うのはこれで二回目だから、彼の人となりは全然分かっていないが、一つ断言できる。こいつ、間違いなく変わっている。侯爵家の息子なんだから、もっと自分に自信を持っていいのに。なぜ私に、遠慮しているのだろう。そして、なぜ必死に言い訳しているのだろう。見ているとおかしくて、何だか笑いが口元に浮かんでくる。
「で、嫌じゃなかったら僕のことジュリーって呼んでほしい。せっかくの僕の友達なんだから」
「嫌じゃなかったらって、ねぇ……。ジュリー?これでいいのでしょう。でも、これは私達二人のときだけね。流石に人前でこの呼び方は問題があるわ」
「ありがとう!」
彼の方がずっと年上のはずなのに、どこか子供っぽいところがあって、何だか可愛らしくも見えてくる。
「でも、私でなくても貴方のことジュリーって呼んでくれる友人がいるでしょう?」
「お恥ずかしい話なんだけど、対等な友人がいなくてね。みんな侯爵令息と友人になりたいみたいなんだ。僕自身じゃなくてね。それになんだかみんなに怖がられている気がする」
「貴族の社会なんてそんなものでしょうに」
身も蓋もない話だが、実際そういうものである。私も伯爵令嬢と友達になりたい人が周りに溢れているから。みんながジュリーを怖がっているのではという話は否定できないので、スルーしておく。
「分かっている。だから、そうじゃない友人が貴重なんだ。一人くらい対等な友人がいたっていいでしよう?」
「まあ、悪くないですね」
「アンリの了承が得られて嬉しいよ。ところでルーアン伯爵の体調はいかが?」
「お父様?ただの風邪ですから、ご心配なく。二、三日休めば元通り元気になりますわ。どちらかというと、そのせいで仕事を全部肩代わりした私を心配してほしいです」
「そうか、もう二、三日は猶予がありそうだな。これは内緒にしてほしいのだけど、ルーアン伯爵に頼まれた今日までの仕事まだ終わってないんだ。アンリにはお疲れ様としか言えないけれど」
「そんなこと私に、言ってしまっていいの?お父様に告げ口してしまうかもしれませんよ」
「だから、内緒って言ったんだ。アンリのことは信用してるから大丈夫」
何が大丈夫なのやら。信用しているとか言われて、照れ隠しに思わず毒を吐いてしまう。
「そんなに簡単に人を信用すると、いつか騙されますよ」
「心配してくれるの?嬉しいよ。でも、僕ももう24歳だからね。そろそろ世間というものに慣れてきたよ」
「そう、ジュリーは24歳だったものね。私より随分大人ですものね」
初めてあった時から大人だったジュリー。私が失礼な事を言っても笑って受け止めてくれる。こうして気さくに話してくれるけど、9歳という年の差は大きい。私が成長しても、彼もその分大人になる。いくら頑張っても年の差は縮まらない。
「アンリも嫌でもすぐに大人になるさ。大人ってのも大変だよ。そうそう、ちょっと愚痴を聞いてくれない?」
「良いですけど」
「この前ね、仕事の重要な書類を作ってたんだ。で、やっと完成して関係各所から許可のサインも貰って、あとはルーアン伯爵のサインがあれば完成だった。ルーアン伯爵にその書類を渡そうと思ったんだけどもう帰ってしまったあとでね。仕方ないからルーアン伯爵の机の上に置いておいたんだ」
「うん、それで?」
「ルーアン伯爵の席は窓際にあるんだけどね、その日は運悪くそこの窓の鍵が壊れていたんだ。それで、その日の夜は土砂降りでね。窓の鍵が壊れてたものだから強い風が吹いた拍子に窓が開いて、そこから雨が吹き込んだというわけだ。翌日、ルーアン伯爵の机の上には、びしょ濡れで文字は滲んで読めない書類の残骸が残されてたんだよ。窓が壊れてるなんて誰が思う?」
「あら、そんなことがあったの?」
「ルーアン伯爵にはこっぴどく叱られたよ。期限には間に合わないし、書類は一から作り直しだしね」
「お父様の机にあった他の書類は無事だったの?」
「ああ、珍しくルーアン伯爵の机が綺麗だと思ったら、万が一を考えて雨に濡れないよう別の所に避難させてたらしい。その状況から察しろと言うことだったんだよ」
お父様から聞いた優秀な彼のイメージとかけ離れた失敗談を聞き思わず笑ってしまう。
「こんな僕が部下の失敗を怒る資格なんて無いと思うんだけどね。どうもやる気の無い人には優しくなれなくて」
「ジュリーの失敗は仕方が無いでしょう?」
「そう、慰めてくれるのね」
ジュリーの話が楽しくて時間が経つのも忘れてしまった。3年ぶりに会ったとは思えない気安さで、つい話し込んでしまった。