絵を描くということ(エッセイ?)
今回は個人の記録用です。なのでサラッと流して頂けるとありがたく思います。
物心ついた頃には、二つ上の姉と一緒に絵を描いて遊んでいた。
まだ100円均一ショップなどなく、ウチはそんなに裕福でも無かった。なので絵を描くと言っても、過ぎた月のカレンダー裏だとか、新聞の折り込み広告の裏だとか、そんなもんである。
園児の頃、紙製のきせかえ遊びが流行った。これも姉と二人、手作りした。女の子の全身の絵を描いて、別の紙にいろんな服やかつらなどを描いて、色を塗ってハサミで切り抜く。
小学生低学年の頃は、姉が考案したのかどうかは分からないが、顔のパーツの一覧表を作った。顔の輪郭の絵を5種類かいて、その下に髪型の違う絵を5種類、次は目と眉毛、その次は口……といった具合だ。今のゲームのキャラ設定みたいなものだ。これを仲の良い友人などに、輪郭は1番、髪型は3番、目は4番、などと選んでもらう。それをキャラとして描くのだ。
小学校高学年頃から、マンガとも呼べないようなものを描いた。好きなマンガの好きなキャラクターの絵も随分描いた。顔と体のバランス、いろんなポーズ、背景も真似して描いた。
中学生のときは絵の上手い子を集めて、何故かリレー合作マンガを描いた。それも何故か私が作った話で。最後のシーンに辿り着くまでに卒業を迎えてしまった。そのノートは何処へ行ったのか……。
中三のときに、話を作ることの楽しさを知った。それから高校では絵を描いたり、文章を書いたり……。こんな感じ。
若い頃、バレエをやっている人に教わった言葉がある。それは、『レッスンを1日休めば自分が分かる。2日休めば先生に分かる。3日休めばお客さんに分かる』という言葉だ。
これはピアノやギターなどの楽器や、芸事である日本舞踊などもそうであろう。
私は、絵もそうだと思う。
昨今は、デジタルイラストが主流になりつつあるのかもしれないけど、紙に鉛筆を持って絵を描いたことのない人は、あんまりいないと思う。
頭の中で想像した景色やキャラクター。それを思った通りに描き出すのは、なかなか理想通りにはいかない。
ほんの1本の線でさえ、脳内の画像に近づけなかったりする。そうすると、何度も消ゴムで消して、また描いて、といったことを繰り返す。
このとき、紙の材質が良いものであればいいが、画用紙だと紙が負ける。削れてしまうのだ。後から色を塗ろうとしているときなど最悪だ。
このため理想の1本の線を描くために、鉛筆の質にこだわり、筆圧に細心の注意を払う。
手が汚れているなど大間違い。白い紙はすぐに汚れる。なので手汗、手垢などにも注意する。
こんな感じで、何度も何度も絵を描いて、やっと納得できる絵が描けるようになるのだ。
決して、あの事件を忘れてはならない。私は私の心に命じようと思う。
あの場にいたクリエーターの皆さんは、きっと、何度も何度も何度も何度も絵を描いて、やっと夢を叶えたのだ。
亡くなられた方たちも。大火傷を負ってしまった方たちも。
どれほどの努力であったことか。
今のこの思いを、そっと心にしまい続けていく。