サキュバスの誤算
狂ったように荒ぶるワイバーンを前に、ティケは封じ込めのための結界魔法を完成させようとしていた。
手にするドラゴンメイスの先端にはめ込まれた竜涎石は、魔力に呼応するかのように明滅を繰り返し、呪文が詠唱されるごとに、その七色の輝きを増してゆく。
「もらったァーっ!」
若い女の鋭い声が聞こえた時、死角から迫る魔の手がティケのドラゴンメイスに絡み付いてきた。
「――!? いけない! やめて!」
さすがのティケも、多大な集中力が要求される呪文の詠唱中に、何の前触れもなく瞬間移動してきた影には対応が遅れた。
「やったぞ! 魔女から杖を奪ったぞ!」
サキュバスは、この一瞬のチャンスが訪れるまで、己の全身全霊を傾けていた。死に物狂いの一発勝負で、ティケからドラゴンメイスを奪い取ることに成功したのである。
「待って! それがないと、大変な事に!」
「そりゃあ、アンタ、大変になりそうね!」
ドラゴンメイスを両手で握り締めたサキュバスは舌を出すと、甘い香りだけを残して、再びいずこかへと消え去ったのだ。
「…………!」
ティケは一生の不覚を悔やむかのように、その場に立ち尽くし唇を噛み締めた。
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「フフフ……。ティケの奴、ざまあないわ……」
爆発後にバラバラとなった16式機動戦闘車。墓標のように割れた装甲板の前にサキュバスはいた。
「この竜涎石がなければ、魔力を十分に増幅させる事もできないはず」
サキュバスはドラゴンメイスの先に飾られた、七色の光を内包する魔石に思わず見入ってしまう。
「こんな物は……、こうしてやる!」
大きくメイスを頭越しに振りかぶると、尖った装甲板に向けて何度も打ち下ろした。
悲鳴のような高周波音が響くと、早くも竜涎石にヒビが入り、砕ける兆候を見せたのだ。
「ハハッ! 案外脆いわね!」
調子に乗ったサキュバスの腕から重さが消えた。ドラゴンメイスの象徴たる竜涎石が粉微塵に弾け飛んだ瞬間でもある。
「ぎゃッ!」
爆発的に膨張した放電を伴う光にサキュバスは、吸い込まれるように一瞬にして包まれた。
彼女は一体どうなったのであろう。……行き場のなくなった魔力を示す光の束が、不可思議な力でその肉体を蒸発させたのだ。
破裂音の後にばらけて転がっていったのは、夢魔がこの世に顕現するための依代に使っていた真珠のネックレスだった。
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青ざめたカゲマルが、動揺も隠さず秋水の前に現れると、早口で告げた。
「しゅ、秋水殿! 一刻も早くここから脱出するぞ!」
「えぇ!? 何言ってんだ、カゲマル! ティケがワイバーンと戦っている最中じゃないか!」
「馬鹿者! すぐ逃げるんだ!」
「ちょ! いいから説明しろよ!」
「……ドラゴンメイスが、……竜涎石が壊れた。もうダメだ!」
秋水が遠方にいるティケに焦点を合わせる。そこに見えたのは、苦しそうに震えながら膝から崩れてゆく彼女の姿だった。思わず胸が張り裂けそうになる。
「ティケ! しっかりしろおおお!」
「……秋水! ……逃げて…………」
魔法使いの声は消え入るような響きだけを残し、ワイバーンの雄叫びに掻き消されていった。
次の瞬間、動体視力が追い付かず、全ての光景がぼやける。たぶん秋水は戦場から無理矢理カゲマルに担ぎ出されていったのだろう。
「放せよ! カゲマル! ティケが! ティケをこのまま放って行けるか!」
「いいから聞け! 秋水殿! ……ドラゴンメイスは魔法の力を強めるアイテムなんかじゃないんだ」
「ちきしょう! こんな時に何言ってんだ?!」
カゲマルは、なおも暴れる秋水を叱咤しながら続けた。
「ドラゴンメイスの竜涎石は……、彼女の強すぎる魔力を制限するためのリミッターだった」
「だからどういう事なんだよ!」
「制御が効かなくなった強大な魔法は、際限なく暴走する」
「ええっ?!」
「つまり……この街が、いや最悪、西日本は消えてなくなるだろう。全てが魔力に飲まれて消滅してしまうのだ!」




