ライカンスロープその3
一方、火炎攻撃に何とか耐えた化物は、鼻が曲がるような焦げ臭い匂いと煙を撒き散らしながら、なおももがき続けている。驚くべき事に、赤黒く変色した上半身は、早くも超回復の兆しを見せている。
「さすがに不死要素が強いわね。奴のHPを消し去るには……。秋水! 何でもいいから銀製品を持ってないかしら?」
「何を言ってるんだティケ! 僕が銀製品なんて持っているはずがないだろう!」
「ライカンスロープを倒すには、銀の弾丸が一番なのよ」
秋水の腕の中で母親の体温は、心なしかどんどん低下してきているようだ。傷は思いの外深く、出血は止まらず、彼は母親の上着と地面を大量の血液が赤く染め上げてゆくのをただ、どうしようもなく見守るだけであった。
「……秋水、……これを……」
母は薄れてゆく意識の中、秋水に何かを手渡した。
「母さん! しっかり!」
秋水が握り締めた手をゆっくり開くと、中には小さなリングが収まっていた。
「これは、私の結婚指輪よ。あなたの父さんから貰った物なの。大切な物だけど……秋水、使って……」
幼顔の母から銀の指輪を受け取った。消え入るような声で。確かな意識によって。
「ティケ!」
「秋水!」
掲げた秋水の手からシルバーリングが光を帯びてゆっくりと舞い上がった。
「蒼き炎をして、その名を知らしめんとする。我は天地の狭間にて数多の精霊の祝福を受けし者なり。再び封ぜられし扉を開く刻、今ここに来たれり。我と共に目覚めよ、我と共に征くべし。闇より来たる者、灰塵に帰し、あるべき姿を取り戻せ!」
ティケは何やら聞いた事もない言語で、魔法の呪文を詠唱し始めた。
すると空中でリングが水銀のように溶解したかと思うと、極少の弾丸に再形成されたのだ。
「極大魔法! 自己鍛造弾!」
月光に淡く照らされた街に響き渡る、澄んだ声。
魔法使いが右手に持つドラゴンメイスを邪悪なる獣の肉塊に向けて、重さのないバトンのように振り下ろした。
夜の冷たい空気を切り裂く凄まじい衝撃波と、遅れてサンドバッグが弾けるような破裂音。ティケの制服プリーツスカートが、風をはらんだ旗のように舞い踊った。
「ゴアァァァ! 銀の弾丸?! ……ぞんなバガなァァァァァァアアアッ!」
女性だったライカンスロープはヒグマ並みの体格を誇っていたが、乳房から30センチほど下辺りにマンホール大の風穴がぽっかりと開いた。
「信じられん! ごの私が、い、一度も……攻撃できずにィィィッ!?」
大木が倒れるように、背骨を失った化物は仰向けに崩れて太い手足をばたつかせた。そのまま固まると狼女の体は、光の粒子に包まれて拡散を始めたのだ。よく見るとゲームの名残なのか、無数のポリゴン片として纏まってバラけていく。
最後にアスファルト上にガランと何か重い物が落下するのを秋水は目撃する。
呼吸ひとつ乱れていないティケがゆっくりと歩み寄り、拾い上げたそれは、一振りの剣だった。
柄の部分に見事な装飾が施された両刃の剣は、ディアブルーンのモンスターが現実世界にストラクチャーを顕現するための依代として利用していた物だ。よく見ると刀身に銀の弾がかすめた跡が確認できた。
「ああ、母さん!」
「秋水、よく聞いて……」
ティケが急いで2人の元へ駆け寄った時、母親は出血多量で危険な状態にあった。
「秋水、あなた、無事なのね……良かった」
「無理に喋らない方がいいよ!」
少女となった母の、血の気が失せた小さな唇から言葉が紡ぎ出された。
「秋水……あなたを、ずっと愛してるわ」
気恥ずかしくて、こんな歯が浮くような台詞が日常で飛び出す事なんか絶対にない。
ない、はずなのに両目を閉じかけた母親の口から、確かにそれを聞いた。
――これは非常にヤバい状況だ。つまりそういう有り得ないシチュエーションなのだ。
秋水は涙に霞んだ目を瞼で覆い、両手で母親をグッと抱き締めた。
心配そうに屈んで見ていたティケは、意を決して立ち上がった。
「秋水! これを使うのよ!」
ティケがどこからか取り出したのは、緑色の水晶柱だ。これは学校でミミックを倒したときにゲットしたアイテムに間違いなかった。




