ライカンスロープその2
秋水の恐怖と脅威に満ちた言葉……。
「狼女と言えば、ディアブルーンでも僕のレベルじゃ、まだ勝てないクラスのモンスターじゃないか!」
それを言い終わらせない内に、ティケが自分の髪を留めていたピンの1本を引き抜くと、青色LED光のような残像の尾を曳いた。それに目を奪われていると、身長を超す長さの杖へと一瞬で変化したのだ。
「うわ!?」
よく見ると先端に打撃用の錘が付いている。そこには魔法の力を最大限に引き出すという、7色に光る逆角錐の竜涎石が宝石のごとく放射状の枠にはめ込まれていた。これは、たしかディアブルーンにおける魔法使いティケの武器、“ドラゴンメイス”だ。
毛むくじゃらの化物は牙の間から長い舌を引っ込めると、荒いヤスリをかけたようなザラザラの声をティケに向かって発した。
「裏切り者め! ようやく見つけ出したぞ! 人間界に紛れ込んでいたか……」
狼女が、秋水の方にも殺気を放った時、彼は文字通り蛇に睨まれた蛙となり、ついには自転車を転倒させてしまった。
「お前も、この醜い姿を見たからには生きて帰れると思うな!」
その殺害宣告を聞いた瞬間、ドラゴンメイスを構えたティケが明らかにブチ切れた。
「あなた! ……この私を、“ディアブルーン最強の魔法使い”だと知った上での狼藉か?」
「ハハハ! それはあちらの世界での話。ここでは制限だらけの雁字搦めで、魔法の力など発揮できぬわ!」
「なら、試してみる?」
ティケは自分の倍以上もある漆黒のライカンスロープと対峙しても顔色ひとつ変えず、一歩も引かなかった。何か聞き取れない呪文を口にした瞬間から、ドラゴンメイス末端の竜涎石が鈍い赤色の光を放ち始める。
狼女は全身を覆う針金のような剛毛を逆立てた。
「満月の夜の狼一族に適う相手などいない! つまり月光の元では無敵! 貴様は八つ裂きにして頭蓋骨の中身まで啜ってやる!」
押し潰されるような殺意に満ちた眼光と緊張感の中、秋水は自分の目を疑った。
自宅の方向から、誰かが躓きながら接近してくる。
――あれはもしや……母さん! 朝見かけた服のままで……!
「秋水! 秋水なの!?」
「母さん! ……今、来ちゃダメだ! 早く逃げて!」
息子の危機的状況に無我夢中となった母は、まるで化物の存在が目に入らないかのよう。
ティケは初めて焦りの色を見せた。敵の向こう側では守り切れないと判断したためだ。狼女も急な邪魔が入った事に気付き、背筋を凍らせるような歯ぎしりをした。
「チッ! 結界を張って人払いしたはずが……まずはあいつから……グがッ!?」
化物を中心に火柱が次々と6本ほど立ち上り回旋を起こすと炎の竜巻となり、あっと言う間に上半身を包み込んだ。急激な燃焼にシャッター街周辺はオレンジ色に照らされ、つむじ風も発生し、赤外線は離れていても熱さを感じさせるほどになった。
ティケによるドラゴンメイスより放つ、先手必勝の火炎魔法が敵にヒットしたのだ。
秋水の母は、燃え盛る狼女が放つ耳を塞ぎたくなるような苦悶の咆哮を物ともせず、脇をすり抜けて秋水の元へと駆け寄ろうとする。
「きゃあああ!」
不運にも火炎地獄の熱さと窒息状態にもがく化物の豪腕の一振りが、鋼の爪が、中学生然とした彼女の背中を無惨にも引き裂いた。
「母さん! 何て無茶な事を!」
「ああ、秋水! 無事なの? 怪我はない?」
「馬鹿ァ! 怪我したのは、母さんの方じゃないか!」
秋水は血まみれとなってアスファルトに転がる、小さくなってしまった母親に覆い被さった。
「誰か! 救急車~! 何でもいいから来てくれ~!」
取り乱して座り込んだ彼は、スマホを操作する事もままならない状態である。
悲痛な声が耳に届いたティケは、秋水の母を守り切れなかった事を悔やんだが、今は狼女との戦いに手一杯で、唇を噛み締めるしかなかったのだ。




