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ピョンヤンカントリークラブ

作者: 北 新一

 独裁者が死んだ。朝からテレビのニュースは、その男の死を伝えるニュースで持ちきりだった。特集番組も多く組まれ、様々な識者が彼について語っていた。

 その多くは特に目新しいものはない。日頃のニュースで聞いている内容と左程代わり映えしないものだった。ミサイル問題、核問題、食糧問題、そして拉致問題と、語られる内容は、いつもと同じだった。

 しかし、その中で一人の政治ジャーナリストの発言が私の興味を引いた。

「私はゴルフジャーナリストでもあるのですが、その立場で言わせてもらいますと、彼の死で世界のゴルフ界は、偉大なゴルファーを失ったことになります。非公式ですが、彼が達成したラウンド記録は、未だ、誰にも塗り替えられてはいません。まあ、これからも、永遠に塗り替えられることはないでしょう。タイガー・ウッズでも、石川遼君でも無理でしょう」

 勿論、大いなる皮肉を込めて語っているのだろうが、言葉の節々に、何か冗談でない、ある種の真剣さが伺える。彼も、あの独裁者とゴルフを通じた何か特別な関係を持っているのだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。

 いや、私以上に、あの独裁者とゴルフに関して、深い関わりを持った人間はいないはずだ。30年以上に及ぶ私のゴルフ人生の中で、あの出来事は一体何だったのだろうか。彼の訃報に接し、改めて思い返さずにはいられなかった。


 私に北朝鮮行きの話が持ち上がったのは、今から、20年ほど前、ちょうど核開発が国際問題として浮上していた頃のことだった。勿論、私は、そんな国際問題には関心はなかった。北朝鮮という国に対しても、何ら特別な興味もなかった。

 韓国には、仕事や旅行で何度か行ったことはある。友人もいる。主に仕事上の取引相手やゴルフ仲間だ。

しかし、彼らと北朝鮮のことについて何か話したという記憶はない。ただ一度だけ、ツアーで南北朝鮮の軍事境界線上にある、板門店という場所には行ったことがある。非常に緊張したことを憶えている。ツアー終了後、どっと疲れが出て、正直、二度と行きたいとは思わなかった。

 だから、私の北朝鮮に対する印象は、怖いというものでしかなかった。しかし、水産物卸商という私の仕事の関係上、その時、どうしても北朝鮮に行く必要があった。

 結局、核問題は、アメリカの元大統領という人の訪朝で、一気に沈静化した。日本の元総理の奥方も、随分と活躍されたようだ。しかし、その後、主席とかいう北朝鮮のトップが死去し、国中が喪に服すという事態になり、どうなることかと思ったが、私の北朝鮮行きの話は特に問題なく進んだ。

 商談がまとまれば、私は億単位の商いをする予定だった。今もそうだが、その頃も、北朝鮮は、慢性的な食糧不足に悩まされていた。外貨も不足していた。私の会社との取引で得た外貨で、数千トンの穀物が買えるはずだ。その食料で、数万の人々の腹を満たすことが出来る。人間、金を稼いで食って行かねばならない。体制が違うからと言っても、その事実に変わりはないのだろう。

 厄介で雑多な問題も何とかクリアーし、私は北京経由で、ピョンヤン近郊の順安国際空港に無事到着することが出来た。

 ピョンヤンの空は抜けるように青かった。少し、ひんやりとした秋の風は、何とも心地よかった。板門店ツアーのとき、南から見た恐ろしげな北朝鮮のイメージとは随分違う。私の緊張感も、いくらか緩やいだ。


 「西山先生ですね」

空港のロビーで、30代半ばと思しき男性が声をかけてきた。私は先生と呼ばれたことに少々戸惑いを感じたが、型通りの挨拶を返した。

 「西山博です。白頭貿易の方ですね。今回は、たいへんお世話になります」

 「はい、朝鮮白頭貿易のキムと申します。私が今回、先生のお世話をいたします。何でもお申し付けください。よろしくお願いします」

 キムは丁寧な日本語で自己紹介をした。彼の案内で空港のロビーを出ると、正面に日本製の四輪駆動車が止まっていた。ドライバーは二十代の女性だった。彼女は待っている間、車にもたれて本を読んでいた。私達が近づくと、慌てて本を仕舞い、軽くお辞儀をした。そして、後ろのドアを開けてくれた。長身でスレンダーな知的美人だ。まだ学生の雰囲気が残っている。私が車に乗り込んだのを確認して、彼女は後部ドアを閉めた。キムも助手席に乗り込んだ。

 車は少し古かったが、乗り心地はまずまずだった。窓を全開にし、外の空気を思いっきり車内に入れると、何とも言えない清々しい気分になった。

空港から出て、車は広い道路を快適に走った。他にあまり車はなかった。周囲は田園地帯のようで、美しい風景が広がっている。しかし人影はなかった。

車は、そのままピョンヤン市内のホテルに向かうのかと思ったが、順安国際空港から25キロしか離れていないピョンヤン市街には、なかなか到着しなかった。

 私は少し不安になり、キムに、ホテルまで後どのくらいかかるのか尋ねた。

「西山先生、心配なさらないでください。ホテルには、後で無事にお送りいたします。しかし、その前に、先生に是非行っていただきたい場所があるのです。今、そこに向かっているところです」

 キムは私の不安を見透かすかのような口ぶりで言った。

「いや、別に心配はしていないよ。ただ、そんな話、エージェントもしていなかったし、てっきりこのまま市内のホテルに向かうのかと思っただけだよ」

 私は自分の不安感を彼に悟られたことに、少しいらだちを覚え、いつもより傲慢な物の言い方をした。しかし、キムは私のそのような反応を無視するかのように言葉を続けた。

 「実は、先生に会っていただきたい人がいるのです。これは先生にも損になる話ではないと思いますよ。エージェントに事前に言うと、何かと厄介なことになるので、先生がこちらに来られるまで内緒にしていました。どうか、お気を悪くなさらないでください」

 「いや、別に、そんなに気分を害したわけではないよ」

 私はキムの意外な低姿勢に少し気分をよくした。彼は私の言葉に、ほっとした様子だ。先方にも、いろいろと事情があるのだろうと、私は好意的に解釈することにした。

 車は、どうやらピョンヤン市街をかすめて通過したようだ。太陽の方向から見て、ピョンヤンの南西に向かっている。

 高速道路のような片側三車線の広い道路を車は快調に走った。やがて大きな道路を出て、普通の田舎道に入った。しばらく行くと湖が視界に入ってきた。美しい湖だ。

 湖岸の道路から少し森の中の道を進むと、突然視界が開け、立派な建物が現れた。いったい何の建物かと私は訝った。まるで迎賓館ではないか。私は一介の水産物卸商に過ぎない。こんな場所に案内される覚えはない。不安感が、また心の中をよぎった。

 「西山先生、到着しました。ここは共和国では、特別な人しか訪れません。外国人でも特に選ばれた人しか来られない場所です。先生は、その選ばれた一人なのだと思います」

 キムは私の不安感をまた察知したのか、前にも増して丁寧な柔らかい口調で話しかけてきた。共和国というのは、北朝鮮のことを言うらしい。朝鮮民主主義人民共和国の下三文字を取ったのだろう。

 「キムさん、いったいここはどこなのです。ここは何の施設なのですか。普通のホテルじゃないことは確かなようですが」

 私は、もはや自分の不安を隠す気も失せ、キムに矢継ぎ早に質問を投げかけた。

 「ここは、ゴルフ場です。ピョンヤンカントリークラブにようこそ」

 「ゴルフ場!」

 私は思わず叫んだ。

 何でゴルフ場になんか連れて来られたのだ。そもそも北朝鮮にゴルフ場なんかあったのか。ゴルフをする人間なんているのか。私は、頭の中を整理するのにしばらく時間を要した。そんな私の混乱をよそに、キムは助手席から外に出て、後部ドアを開け、私に車から降りるよう促した。

 混乱した頭を抱えながら、私は車を降りた。そして促されるままに、その立派過ぎる建物の石段を登った。周囲には、キムと私以外に誰も人はいない。車は、私が降りると、すぐに走り出した。遠くに車を運転する彼女の後姿が見えたが、すぐに視界から消えた。


 クラブハウスは、外見は大層立派だったが、中はたいしたことはなかった。バブル期に多く立てられた日本のゴルフ場のクラブハウスと同じような作りだった。照明は暗く、何やら不気味な感じさえした。キムのエスコートで、ロビーを奥のほうに進むと、数人の人影が見えた。近づいて行くと、キムは急に後ずさりをして、私の陰に隠れるような位置に立った。

「親愛なる委員長トンム、西山先生をお連れしました。西山先生のゴルフの腕前は、アマチュアとしては、日本でトップクラスです。数多くの大会で優勝なさっており、過去、アジア競技大会にも日本代表として参加され、メダルを獲得なさっておられます」

 突然、キムが私の紹介を委員長トンムと呼ばれた男に始めた。キムの態度、周囲の人の雰囲気から、その男は相当地位のある人物だろうということは推察される。私も心なしか緊張し始めた。

 「西山先生、突然このような場所にお連れして、さぞ驚かれたことでしょう。失礼の段は、どうかご容赦ください。我国は何事も秘密裏に事を進めないと上手く行かないのです。残念なことですが」

 委員長トンムと呼ばれた男は、少し訛りはあるものの、流暢な日本語で話しかけて来た。そして、やおら握手を求めてきた。私は、緊張度を高めながらも、その握手に応じた。

 彼らは私のことを事前に詳しく調べていたようだ。この国に入国する以上は、ある程度は覚悟していたが、私のゴルフ歴まで、これほど詳細に把握していたことには驚かされた。まあ、しかし、ゴルフの腕をこれほどまでに褒められるとは。ゴルファーとしては、そんなに悪い気はしなかった。

 「もうお気づきのことと思いますが、西山先生には、このゴルフ場で、委員長トンムと一緒にプレーしていただきたいのです。お疲れだということは重々承知しておりますが、是非とも、お願いいたします」

 キムの言い方は、有無を言わさぬ迫力があった。お願いというより、命令と感じられた。私としては、長旅で少々疲れてはいたものの、好きなゴルフの突然の誘いに別に悪い気はしなかった。私は二つ返事で快諾した。見たところ、お相手は、この国では、かなりの地位のあるお偉さんだ。その人物とゴルフを通じて知己を得るのも悪いことではない。商売上も有利に違いない。ゴルファーとしての欲求と商売人としての打算が頭の中を素早く走った。

 ただ、その委員長トンムという男の名前は最後までわからなかった。キムも敢えて言おうとせず、私も聞こうとは思わなかった。私も彼を委員長トンムと呼ぶことにした。それで特に何の支障もなかった。

 「さっそくで、申し訳ないのですが、準備をお願いします。ロッカー室はこちらです。ゴルフウェアー、シューズを既に用意してあります」

 彼らの用意周到さに、いささか驚かされたが、まあ、今までの経緯を見るに、それくらいのことは彼らにとって、簡単なことなのだろうと思いながら、キムの後をついてロッカー室に向かった。

 ロッカー室は相変わらず薄暗かったが、広々として使い勝手はよかった。ロッカーの中には、私のために用意されたゴルフウェアーやゴルフシューズが置かれていた。それらは日本のM社製だった。服も靴も私のサイズにぴったりだったが、もはや驚くことはなかった。私はそれらに素早く着替えた。日本から持ってきた荷物は、車の中に置いて来たので、貴重品以外の荷物は何も持っていなかった。パスポートや財布は、肌身離さず持っているセカンドバッグの中だった。

 ゴルフの用意を整えると、キムの案内でロッカールームを出た。薄暗いクラブハウスから外に出ると初秋の太陽が眩しかった。


 クラブハウス前のスタートホールは、広々としていて、私達以外に人影はなかった。

 キムとカートに近づくと、そこには先ほど握手を交わした委員長トンムと呼ばれた男が、私と同じ日本のM社製のゴルフウェアーに身を包み、後部座席に座って待っていた。カートには既にゴルフバッグが二つ積み込まれていた。どうやらゴルフをするのは、その男と私だけのようだ。

 「西山先生と委員長トンムとで、これからラウンドしていただきます。私たちも、お供いたしますが、ラウンド中のお世話は、ベテランキャディトンムがいたします」

 キムは少し離れた場所から説明を始めた。キムの話し方から、この国では、名前や役職の後に必ず『トンム』という人称を付けるのだということがわかった。私には、『先生』という敬称を付けていることから、外国人には、『トンム』という人称は付けないようだ。 

 「ここは、北朝鮮では唯一の本格的ゴルフ場です。7600ヤード、18ホール、パー72。堂々たるチャンピオンコースです。西山先生達、日本のトッププレヤーの方々にも、きっと、ご満足いただけると思います」

 キムの説明を聞いて、私のゴルファーとしての本能が目覚め始めた。初めて訪れた国で、しかも未知のゴルフ場で、見知らぬ高官とプレーが出来る。考えてみたら、これほどエキサイティングなことがあろうか。私は高まる胸の鼓動を感じずにはいられなかった。

 はやる気持ちを抑え、準備体操もろくにせず、私は、カートの後部座席に乗り込んだ。

委員長トンムと呼ばれた男は、既にカートに乗っている。カートを運転している女性は、よく見ると空港に出迎えてくれた女性ドライバーだった。私は、何故か無性に嬉しくなった。しかし、その心境を悟られまいと、わざと表情を固くした。前の助手席には、もう一人の女性が座っていた。こちらの女性もたいへん美しい人だ。

 カートの周辺には、ボディーガード然とした男達が数人見受けられた。彼らは小走りでカートの動きに合わせて移動していた。キムは、もう一台のカートに乗り、後ろからついて来ていた。


 スタートホールから、1分足らず走ったら、1番ホールのティーグラウンドが現れた。

 実際、1番ホールかどうか、今となっては定かではない。最初のホールだから1番ホールだろうと勝手に判断しているだけなのだ。

 というのも、このゴルフ場には、ホールナンバーの表示も距離の表示もなかった。国家機密なのだろうか。私は頭の中で、そんな冗談を思いついた。

 我々の乗ったカートがティーグウランドに横付けされた。キムのカートも後ろに止まった。周辺にいたボディーガードは視界から消えている。きっと、周辺に潜んでいるのだろう。

 「最初のオナーは、西山先生にお願いします」

 委員長トンムの声は、よく聞くと、少し甲高いが、その分、聞き取りやすかった。

 「このホールは、コースが右にやや曲がっています。ドッグレッグと言うのでしょうか。距離は380ヤードです」

 カートを運転していた若い女性が、日本語で説明してくれた。彼女の日本語は少したどたどしかったが、聞き取るには十分だった。どうやら、彼女が私の担当のキャディーのようだ。

 「あなたはキャディーもなさるのですか。いや驚いたな」

 若くて美しい知的な女性が、キャディーをしてくれると知って、急に心が躍った。しかし、彼女は名前を言わなかった。私も聞いてはいけないのかと思い、最後まで聞かなかった。

 私のために用意されたクラブは、やはり、日本のM社製のセットだった。使ったことはなかったが、振ってみた感触は悪くない。使い勝手の悪いアメリカ製のゴルフクラブでなくてよかったと、内心ほっとした。

 私は、ウォーミングアップ代わりに軽く素振りを繰り返し、打席に立った。風は右からの微風。コンディションは問題なかった。ボールは、やはりM社製だった。ウェアーからシューズ、ゴルフクラブにボールと、全てM社製で固めた格好だ。日本のアマチュアゴルファーで、一社の製品で全てを揃えるという人は珍しい。委員長トンムは、相当、M社製がお気に入りのようだ。それとも、他に何か事情でもあるのだろうか。私は、それ以上余計なことを考えるのをやめた。今はゴルフに集中する時だ。

 深呼吸をゆっくりとし、はやる心を抑えながら、力を抜き、柔らかくショットを放った。ボールは、ほぼ真っ直ぐに飛び、フェアウェイをキープした。250ヤードくらいは飛んだだろうか。

 「グッショ!」

 委員長トンムとキムは拍手までしてくれた。結構、アメリカナイズされているのだなあと変に感心させられた。

 委員長が、続いて、ティーグランドに上がった。ティアップは、委員長担当のもう一人のキャディーがした。日本では、ありえない光景だが、東南アジアのゴルフ場で何度かプレーしたことがあるので、こういう光景には別に違和感はなかった。ボールは、やはりM社製。委員長が握っているクラブも、無論M社製だった。

 彼は、素振りを何度かして打席に立った。少しぎこちなかったが、フォームやスタンスは悪くない。ゴルフ暦は、そう長くはなさそうだったが、基礎からしっかりと習ったという感じだ。

 ワッフルを数回繰り返し、ゆっくりとテークバックした。バックスイングはやや浅め。コックも使っていない。しかし、トップでゆったりと溜めをとり、滑らかにクラブを走らせた。ボールは、真っ直ぐな弾道を描き、かなりの距離を稼いだが、私より飛距離は少なかった。

 「ナイスショット!」

 思わず、私は日本流のリアクションをしてしまった。委員長はまんざらでもない顔をしていたが、キムやキャディー達は何故か無言だった。

 「西山先生、ゴルフは、厄介なスポーツです。がむしゃらに打てば飛ぶというものではない。自分の精神と反比例してボールは飛ぶ。本当に厄介な代物です」

委員長は、何か悟ったような口ぶりで語りかけてきた。私は、彼の言葉にひどく共感して思わず言葉を返してしまった。

 「おっしゃるとおりです。私は我欲との戦いだと日頃、若いゴルファー達に言っています。如何に自分の欲望をコントロールするか、これがゴルファーにとっての一番の課題だと思います」

この国の高官を前に、偉そうなことを言ってしまったと、後悔したが言葉は出てしまった後だった。委員長の反応が気になった。

 「先生、その通りです。我欲との戦いか、いい言葉を教えていただきました。これから座右の銘にします」

 委員長の謙虚すぎる言葉に、内心ほっとさせられたが、一体この男は何者なのかと、改めて疑問が湧き上がって来た。私の経験上、途上国の高官というのは、傲慢で自信過剰な人間が多い。彼は私が今まで会ったどのアジアの新興国の経営者や役人よりも謙虚だった。

 セカンドショットは委員長が先だ。7番アイアンを握っていた。距離は140ヤード。40歳代アマチュアシングルプレーヤーの標準的な選択だろう。ティーショットと同じようにゆったりとしたスイング、テークバックも浅め。トップの溜めも十分。ボールは、綺麗な放物線を描いてグリーンに向かって行った。おそらくグリーンにオンしたと思われるが、私の視界からは消えていた。

 「素晴らしいですね。余分な力が一切入っていない。理想的なスイングです」

私は、別にお世辞ではなくて、心からそう思って、声をかけた。

 「西山先生の『我欲を捨てる』という教えを早速実践させていただきました。早くも結果が出たようです」

 委員長は、少し照れたような様子で言葉を返した。

 彼のボールより10ヤード程先に飛んだ私のボールの場所に、私のキャディー、即ち、さっき空港からゴルフ場まで車を運転してくれた美しい女性が立っていた。私も7番アイアンを使うことにした。が、私の第二打は少し力が入り、ダフってしまった。ボールはグリーン手前のラフに落ちた。

 私と委員長は、カートに乗らず、歩いてグリーンに向かった。グリーンの見える位置に来ると、私は、奇妙なことに気付いた。ボールがない。委員長トンムのボールがグリーン上にないのだ。私のボールは、グリーン手前30ヤードのラフに捕まっているのだが。

 「委員長トンムのボールが見えませんね」

私は、少し気兼ねしながら言った。彼のボールが、グリーンをオーバーしたのだと思ったからだ。しかし、彼は、私の問いに答えず、落ち着いた表情で、グリーンを見ながら歩いていた。

とりあえず、私は、自分のボールの場所に行くため、彼から離れた。アプローチウエッジ選択し、ボールをピンそばに着けることに成功した。

彼の方を見ると、ボールを探す素振りなど微塵もなく相変わらずグリーンエッジに悠然と立っていた。まあ、ボールの行方はキャディーにお任せなのだろうと、勝手に想像しながらグリーンに上がった。

 「おかしいですね。確かにボールはグリーンにナイスオンしたのですがね」

私の戸惑いを無視するかのように委員長はつぶやいた。

 「いや、失礼ですが、西山先生は、案外、推理力が弱いですね。グリーンにオンしたのを見た。そしてグリーン上にボールがない。この現実から導き出される結論は一つしかないと思うのですが」

 「え!」

 私は思わず叫んでしまった。まさかカップインしたのか。ファーストホールからカップインイーグルとは。それもミドルホールで。にわかには信じられなかった。

 「どうやら、そのようですね」

 委員長は、少し笑いながら、自信たっぷりにつぶやいた。

 私は狐につままれたような感覚に陥った。いきなり2アンダーとは。とんでもない人物とゴルフをしているのではないか、そんなことを思い始めた。

 委員長のキャディーがピンを抜き、ホールから一つのボールを取り出した。ティーグランドで確認した紛れもない委員長のボールだった。

 「おめでとうございます」

 賞賛の声をかけずにはいられなかった。

 私は一人でパットをしなければならなかった。そして、1メートル程のパターを外してしまい、ボギーを叩いてしまった。1番ホールから3打差を付けられてしまった。普段のゴルフではあり得ない展開だ。悔しさが持ち上がってきた。が、表には出さないように努めた。


 2番目のホールは、ショートホールだった。

 「180ヤード、パースリー、少し打ち上げです。右手前と、左、そして左奥にバンカーがありますので気をつけてください」

 彼女のキャディーとしての資質は、日本の一流ゴルフクラブのキャディーと比べて遜色はない。私の所属している日本随一の名門ゴルフクラブのキャディーとしても十分通用する。

 今度は、委員長トンムがオナーだ。彼は悠然とティーグラウンド上に立った。選択したクラブは4番アイアン。前と同じようにゆっくりとテークバックをとり、ためも十分にとった。軽快な打音とともに、ボールは高く上がり、グリーンに吸い込まれていった。打ち上げホールなので、グリーン上のボールの位置ははっきりしなかったが、オンしたのは確かだ。

 続いて私がショットを放った。私は9番ウッドを選んで、スリークォーターのスイングをした。まずまずのショットで、ボールはワンオンしたようだ。

 「西山先生。実は、私は今日が初ラウンドなのですよ。勿論、ゴルフの練習はかなり以前からしていますが」

 委員長トンムが意外なことを言い出した。私は嘘だと思ったが、それは口には出せなかった。

 「初ラウンドとは信じられませんね。相当、練習を積み重ねられたのでしょうね。失礼ですが、こちらにもドライビングレンジというような所があるのでしょうか」

 「いや、残念ながら我国には、まだ、そのような場所はありません。ゴルフ人口がそう多くはありませんのでね。まあ、早い話が、私の家に練習場があるのですよ」

 「すごいですね。うらやましい限りです。私の家にも簡単なアプローチが出来る庭はありますが、練習場と呼べる代物じゃあありません。日本で自宅に練習場を持っている人なんて滅多にいませんよ」

 「いえいえ、ドライビングレンジではありません。家の地下に、練習場があるのですよ。スクリーンに向かって打つと、距離と方向を教えてくれる。いろんなゴルフ場を仮想的にラウンドも出来る。そういう装置が家にあるのですよ」

 彼が、シュミレーションゴルフのことを言っているのだと、すぐにわかった。日本でも家にシュミレーションゴルフの機械を持っている人は稀だ。やはり、彼は、この国では相当な特権階級の人間に違いない。

 「西山先生のホームコースのTカントリークラブやKカントリークラブも入っています。なかなかいいコースですね。これまで、そうですねえ、どちらも、20回以上はラウンドしたでしょうか。先生は、あそこで、何度もクラブチャンピオンになっておられますね。私も、いつかは、本物のTカントリークラブやKカントリークラブでプレーをして見たいものです」

 彼は、私のホームコースのことまで調べ上げていた。しかし、私は、そのようなことでは、もう驚かなくなっていた。

 それにしても、シュミレーションゴルフ相手に、ここまで上達できるものなのか。彼と話せば話すほど、不思議の世界に引きずり込まれて行く。

 私は、このホールもカートに乗らずに歩くことにした。委員長トンムも並んで歩いた。

緩やかな傾斜を登っていくと、グリーンが視界に現れた。私は、ここでも不思議な光景に出くわした。

私のボールは、ピン右2メートルの所にオンしているのだが、委員長のボールが見当たらない。グリーンからこぼれたのだろうと思った。それにしても、いくら探しても委員長トンムのボールは見つからない。おかしいと思いながら、さっきのホールのことを思い出した。私は一つの可能性を想定せずにはいられなかった。

 「まさか。いくらなんでも、それはないだろう」

 心の中で、そう思いながらグリーンに登った。

 委員長は、悠然と落ち着いた足取りで、グリーンに登って来た。ボールを捜す気配はまったくない。委員長のキャディーの方を見たが、やはりボールを捜している様子はない。そして、彼女は、ごく自然に、カップに近づき、やおらピンを抜き、カップからボールをピックアップした。まるで、いつもの動作をするかのようだった。

 私は、呆気にとられ、しばらく、その場を動けなかった。

 「西山先生、すいませんが、早くパターをお願いします」

 委員長トンムが、例の甲高い声で、私にプレー進行を促してきた。私は、その声で、ようやく我に返ることが出来た。そして、2メートル弱のパターを外してしまい、結局パーで、そのホールを終えた。

 「いやー、ゴルフは楽しいですね、西山先生。仮想のゴルフも楽しいと思っていましたが、現実のゴルフの方が百倍楽しい。先生には申し訳ないが、既に5打差を付けてしまった。日本のトップアマに5打差だ。いやー、ゴルフがこれほど楽しいスポーツだとは思いませんでした」

 委員長トンムは、上機嫌で語りかけて来た。しかし、私は上の空だった。まるで白昼夢を見ているようだった。これまで、トップクラスのプロゴルファー達と、何度も競技会で互角にプレーをして来た。アメリカのプロとも対戦したことがある。しかし、こんな経験は初めてだ。

 私の混乱振りを無視するかのように、一行は次のホールに向かった。


 3番目はミドルホールだった。左に90度曲がったドッグレッグ。フェアウェイ左ぎりぎりを狙えば、二打目は楽にグリーンを狙えそうだ。

 私は、気を取り直し、日本のトップアマゴルファーとしてのプライドを蘇らせた。そして、今度は、委員長のボールから目を離すまいと固く決意した。彼のプレーを疑っていたわけではなかったが、こう立て続けに、ミラクルプレーが続いたら誰だって変に思うだろう。ましてや、周囲には、大勢のボディーガードが潜んでいるに違いないのだから、小細工は可能だろう。

 過去に、アジアの途上国の高官とプレーをしたときも、散々、卵を産まれた経験がある。しかし、さすがにホールインワンはなかった。ホールインワンを捏造するのは、かなり悪質な行為だ。もし、そのような行為が判明したら、私は直ちにプレーを中断するつもりだった。

 私のそんな思惑をよそに、委員長は悠然とティーショットを放った。彼の打球は、まっすぐに飛んだ。飛距離は、1ホール目と同じくらい。私のティーショットも同じくらい飛んだだろうか。

 このホールは、カートに乗ることにした。委員長もカートに乗った。

 「どうも、西山先生の自尊心を少なからず傷つけてしまったようですね。トップアマがゴルフ初心者に、最初から負けているのですから、苛立ちは理解できます。謝りたいところですが、これは勝負ですからね。どうか、その点は、ご理解いただきたい」

 委員長トンムは、私が、彼のゴルフを疑っていることには気付いていない様子だった。彼に負けているので、それで苛立っているのだと思っているようだ。案外、単純な男なのだと思った。

 私は、相手が誰だろうと、結果をそのまま受け入れる。ゴルフ歴が浅かろうが、相手が初心者であろうが、プロであろうが、負けは負け、勝ちは勝ちだ。委員長が、実力で私に勝ったのなら、私は素直に負けを認め彼の勝利を賞賛するだろう。しかし、相手がアンフェアーな行為をしてきた時には、誰であろうと許さない。たとえ相手が、政府の高官であろうと、どれだけ地位のある人でも、はっきりと抗議の意思を示す。これが私のゴルファーとしてのポリシーだ。

 当たり前といえば当たり前の話だが、これが出来ないゴルファーが実に多い。

委員長と私のボールは、近くに止まっていた。互いに第二打をグリーンにオンさせ、共にワンパットでボールを沈めて、共にバーディーを取った。

 3ホール目にして、初めて普通のゴルフをしたような気分だった。

 そして、委員長のゴルフの腕は、かなりなものだと、改めて思い知らされた。彼が沈めたロングパットは、5メートル以上はあっただろうか。それを易々と沈めてしまった。そのロングパットを決めた後も、別に興奮する様子もなく、淡々としていた。彼が、並の人間ではないと、私は気付き始めた。疑いを持ったことは、私の間違いだったのだろうか。私の気持ちは複雑に揺らいだ。

 とにかく、やっとバーディーが取れた。私は、ようやく平常心を取り戻すことが出来た。


 「このホールもミドルホールで、右に90度曲がっています。距離は短めの308ヤード。右に見える湖面すれすれに打てば、260ヤードでグリーンに届きます。西山先生には可能だと思います」

 キャディーの女性のこの言葉がとても嬉しかった。彼女は非常に頭がいい。ゴルファーの心理をよく心得ている。日本に呼んで、私が出場する次のトーナメントで、帯同キャディーをお願いしたいと思ったくらいだ。

 私は彼女の勧めに従って、ショートカットにチャレンジすることにした。委員長は無難な正攻法を選択した。何せ、彼はゴルフ初ラウンドだ。当たり前といえば当たり前の選択だ。

 委員長のボールは、フェアウェイ左ぎりぎりをキープした。一般的に言って理想的なポジションだ。私のチャレンジングなショットは、九部どおり成功した。ワンオンは逃したものの、グリーンエッジに落ちた。上手くすればパターでイーグルを狙える。1ホール目のリベンジが果たせる。心の奥で、そんな思いが湧き上がって来た。

 委員長の二打目、60ヤードのアプローチショットは、予想通りグリーンを捉えた。ピン3メートル以内に乗っただろうか。これまでの経緯からして、十分にバーディーが狙えるポジションだ。

 私はパターを選択した。カラーからピンまで、8メートルはあっただろうか。過去に、このようなパターは何度も成功させている。自信を持って、第二打を放った。ボールはフックラインを滑るように走った。私の勝ちパターンだった。

 「行ける。委員長に一矢報いた」

 心の中で、そうつぶやいた。が、しかし、ホールに吸い込まれるように転がっていった私のボールは、突然、ホール手前、30センチの位置で急に右に反れた。まるで磁石に吸い付けられるように右に反れた。悔しさは百倍だった。しかし、その思いは心の奥にしまいこんだ。

 私は50センチのパットをお先で沈めた。バーディーは取ったが、悔恨のパターだった。委員長は、私の予想に違わず、ワンパットでバーディーを決めた。見事なパターだった。

 「ナイスバーディーです」

 私は、委員長に一矢報いることが出来なかった悔しさも忘れ、心から賞賛の声をかけた。

そもそも、ラウンド経験がない初心者であっても、ドライビングレンジなどで練習を積み重ねてきたゴルファーは、それなりのプレーはする。特にドライバーは、プロ並みのショットをする人がいる。所謂、練習場シングルと言われる人達だ。しかし、アプローチショットやパターでは、経験の差が歴然と出て来る。彼のアプローチショットやパターを見ている限り、とても初心者とは思えなかった。

 しかし、まだ、4ホールしか終わっていない。ビギナーズラックという言葉もある。まあ、彼のプレーをビギナーズラックというには相当な違和感はあったが。


 「次のホールは初めてのロングホールです。630ヤード、最初は左に、次は右に、そして、また左にと、コースがスネーク状に曲がっています。右のカート道を狙って打つと、第二打目が楽になります」

 相変わらず、彼女は明朗簡潔なアドバイスをしてくれる。次こそは、なんとか委員長を上回るスコアーを出したいと思った。しかし、このような考え方は、ゴルファーとしては、してはいけないことだ。邪念以外の何物でもない。そして、大抵、ろくな結果を生まない。

 案の定、私は強引にパーオンを狙い、それに失敗した。4打目も、ピンを大きくはずし、ボギーを叩いてしまった。

 委員長は相変わらず、ステディなゴルフを続け、このホールもワンパットを決め、またバーディーを取った。

 ラウンド初心者に、こうまで完膚なきまでに叩きのめされたのでは、さすがに日本のトップアマとしての面目は丸つぶれだ。脳裏に、私を叱咤する師匠や先輩、Tカントリークラブの仲間達の姿が浮かんだ。このままでは日本に帰れない、ふとそんな考えが頭をよぎった。しかし、こういう考えは、ゴルファーにとっては、邪念以外の何者でもない。あるがままに、それがゴルフなのだから。

 

 6ホール目は、やや右ドッグレッグのミドルホール。距離はあまりない。しかし油断は禁物だ。私は、このラウンドで初めて、ティーショットでドライバーを持たなかった。得意の5番ウッドを選んだ。

 委員長は、私のその行為に興味を持った。

 「西山先生。ショートホール以外でティーショットにドライバーを選択しないということがあるのでしょうか。私には考えられません。私にゴルフを指導しくれた方も、そんなことを言ったことがなかった。ティーショットは遠くに飛ばすことが至上命題ではありませんか。わざわざ飛ばないクラブを選ぶなんて、私の一般的常識からいっても考えられません」

 委員長は、まるで不思議な光景を見るかのような表情で私に語りかけてきた。私は、返答に困りながらも、丁寧に答えることにした。考えて見たら、彼は今回、ゴルフ初ラウンドだったのだ。

 「ティーショットといえども、ただ、遠くに飛ばすことだけがいいというわけではありません。このホールのように、グリーン周りにバンカーがあったり、ラフが深かったりする場合は、わざと飛距離を押さえ、次に打ちやすい場所に落とす、と言う考え方も大事なのです」

 彼は、私の説明に対し、まだ納得していなかった。誰が彼にゴルフを指導したのか知らないが、かなり偏った指導をしているのは間違いなかった。もっとも、このようなゴルフ観は、韓国のアマチュアゴルファーに多く見受けられる。日本でも昔は、そのようなゴルファーが多かった。韓国のゴルフ練習場に行くと、ドライバーしか練習しない人が多かったのを覚えている。私の韓国の知人もドライバーの練習がほとんどだと言っていた。委員長トンムは、韓国からレッスンプロを呼んだのだろうか。ならば、その考えは改めてもらわなければならない。私は妙な使命感を覚えた。今思えば、余計なことだったのかも知れない。

 しかし、委員長は納得していない様子だったが、私のアドバイスに従い、ドライバーを持たなかった。3番ウッドと思しきフェアウェイウッドを握り、ティーショットを放った。そして、ボールは、私の第一打と同じように、理想的なポジションを確保した。彼は聴く耳を持っている。他のアジア諸国の高官や富豪達とは明らかに違う。私は何故か嬉しくなった。

 第二打は互いにピンそばを確保し、共にバーディーを取った。

「西山先生と、出会わなかったら、こういうことも知らずにいたでしょうね。あのコーチは、早々に首にしなければなりません。いや、首と言っても、本当に首を切るわけではありませんよ。日本で、普通に使われている意味の通り、解雇するということですから」

 委員長トンムは、ブラックジョークのつもりなのだろうか、それとも、真面目に言っているのだろうか。恐ろしげな話をさらりと言ってのけた。

 「いやあ、解雇は、厳しいんじゃないですか。私も、あまり気分がいいものではありません。指導方法は、人それぞれですからね。私の考えも、その一つに過ぎませんし」

 私は、そのコーチのことが無性に気にかかり、委員長トンムの翻意を促した。

 「そうですね。ここは、アジアンゲームゴルフ競技のメダリストである、西本先生の顔を立てて、前言は撤回することにします」

 私は、その言葉に、ほっとした。

「先生は、あのアジアンゲームで、金山哲珠こと、キム・チョルス選手とラウンドなさったでしょう」

 私は、委員長トンムの口から出た意外な名前に驚いた。そして、改めて、彼らの情報収集能力の高さに感心させられた。

 「金山さんをご存知でしたか」

 私は、努めて冷静に聞き返した。彼は、平然とした表情を崩さない。

 「勿論知っていますよ。何せ、彼は、我国代表でしたからね。悲しいかな、我国は、まだゴルフ後進国です。アジアンゲームに送り出せるほどの人材は揃っていない。だから、在日同胞のゴルファーに、その任を担ってもらうしかないのです。幸い、我在日同胞には、一流のゴルファーが大勢いる。キン・チョルス選手、おっと、金山選手でしたね、彼は、その中でも、ぴか一のゴルファーでした」

 彼の口から出た、意外な、そして懐かしゴルファーの名前。このような見知らぬ異国の地で、初対面の人物から、金山哲珠の名前を聞くことになろうとは。私は、急に、嬉しい気持ちになった。

 「金山さんとは、二十年来のゴルフ仲間でした。所属していたゴルフクラブは違いましたが、各種のアマチュアゴルフ大会で、ご一緒してきました。よきライバルでした。アジア競技大会会場で、彼を見たときは驚きました。日本代表メンバーに彼は入っていませんでしたから、何故、彼が、この場にいるのかと訝りました。しかし、彼から事情を聴いて、事の真相を理解しました。彼とは、よきライバル、よき仲間と思っていた自分が恥ずかしかった。私は、彼のことを何も知らなかった。在日朝鮮人のことを何一つ理解していなかった。そんな自分が情けないと思いました」

 私は、あの時の自分の抱いた気持ちを率直に話した。そして金山哲珠、彼は今どうしているのか、そんな思いが胸をよぎった。アジア競技大会以来、彼の消息は途絶えていた。その後、日本各地で行われた競技会に、姿を現すこともなかった。

 「いい話をお聞きしました。先生のような良心的な日本人には、頭が下がります。本日、先生をお招きして本当に良かった」

 委員長トンムが、しんみりと語った。彼は、金山哲珠のその後の行方を知っているのだろうか。聞いてみたい気持ちが沸き起こってきたが、それは控えた。過去に、つい調子に乗って、余計なことを口にして、大変な目にあったことがあるからだ。独裁国家では、油断は禁物だ。


 その後、委員長トンムとのプレーは続いた。彼のプレーは見事だった。特に、アプローチショットは素晴らしかった。『脚を怪我した蝶が地上に降り立つかのような』と表現されたボビー・ジョーンズのアプローチショットを髣髴させる。

 私は、段々と、彼のプレーに魅了されていった。日本のトップアマとしてのプライドなど、どこかに吹っ飛んでいた。彼が政府の高官だと言うことも、いつの間にか忘れていた。また、彼のプレーに疑惑の目を向けたことを後悔した。

 私も彼に触発されたのか、その後、ファインプレーが続出した。そして、18ホールを回り終えた時、これまでの最高のスコアーをマークしていたことに気付いた。

 ラウンドを終えた時、既に日は西に傾いていた。ピョンヤンカントリークラブの最終ホールから見る初秋の夕焼けは、今まで見たことのない美しい光景だった。私は、身も心も何かに満たされたような心境になっていた。

 「西山先生のお陰で、私の初ラウンドは、たいへん素晴らしいものになりました。感謝申し上げます。先生は、私が見込んだ通りのお方でした。もし、私のゴルフの専属コーチと、初ラウンドをしたら、このような結果は出なかったでしょう。先生は、プレーヤーとしても一流だが、コーチとしても、超一流だ」

 委員長トンムの過分な感謝の言葉に、私はただただ頷くだけだった。私も、彼のお陰で、生涯忘れられない一日を過ごすことができたのだから。


 「西山先生は、歴史の証人になったのかも知れませんよ」

 ゴルフ場からホテルに向かう車の中で、キムは、私に意味深長なことを言い始めた。

 「今日のゴルフラウンドは、歴史に残るビッグイベントになると思います。何せ、委員長トンムの初ラウンドなのですから。先生は、その歴史的出来事に立ち会ったわけなのですよ。すごいことですよ。先生は、この事実を日本に帰ったら大いに語るべきです。歴史の証人として語る義務があると思います」

 まだ、プレーの余韻が覚めやらぬ車の中で、キムが興奮気味に、押し付けがましく言い出した。正直、私は興ざめした。久し振りにエキサイトな、目の覚めるような素晴らしいラウンドをした後で、キムの言葉は非常に下卑た感じがした。そもそも、名前も知らない初対面のゴルファーの腕をどのように喧伝しろというのか。

 「実は、私が北朝鮮に渡航したことは、あまり人には言いたくないのですよ。まして、こちらでゴルフをしたなんてことは、日本では、とても言えませんよ」

 私は、やや怒った感じで、ぶっきらぼうに答えた。キムは、私の物言いに不満げな様子だったが、それ以上は言わなかった。

 委員長トンムの計らいか、その後の私の北朝鮮での商談は、とんとん拍子に進み、大きな成果を収めた。ビジネスマンとしては喜ぶべきことなのだが、私は複雑な感情を抱きながら日本に戻った。


 日本に戻った私は、相変わらず忙しい日々を過ごしていた。仕事とゴルフの両立は、日本では至難の業だ。その後、委員長トンムやキムからも、何の連絡もなかった。いつしか、私は、ピョンヤンカントリークラブでの出来事を忘れかけていた。

 そんな中、私が、いつものように、商談の電話をしていたら、R通信社日本支局長と名乗る英国人男性が訪ねて来た。その男は、英語なまりながら流暢な日本語を話す。

 「単刀直入に伺いますが、西山さんは、北朝鮮に行かれましたね。そして、そこで、ゴルフをなさいましたね」

 正に、単刀直入に、彼は聞いて来た。私が、返答に窮していると、更に畳み掛けるように質問を繰り出した。

 「あなたは、誰とゴルフをしたかをご存じないようですね。あなたとラウンドした人物は誰だと思いますか」

 「まあ、北朝鮮の貿易関係を仕切っている高官でしょうね。委員長とか周りが言っていたから、貿易何やら委員会のトップか何かでしょう」

 私は、正直に思っていたことを言った。

 「やはり、ご存じなかったのですね。あなたが、ピョンヤンでゴルフをしたお相手は北朝鮮の最高指導者なのですよ」

 相当地位のある人物だとは察していたが、相手が最高指導者と聞いて、私はさすがに驚いた。しかし、考えてみたら、さもありなんとも思えた。

 彼は、ゴルフ場での出来事を細かく質問して来たが、私は、それにあまり答えたくなかったので適当にお茶を濁した。

 「あなたは、あちらで、この話を日本で大いに喧伝するようにと言われたのではないですか」

 小さく頷きながら、この男もキムと同じくらい私のことを調べ上げているのだなあと感心した。

 「だったら、ここで適当に話した方がいいと思いますよ。彼らは、あなたの体験を大いに語ってほしいのです。その方が今後のあなたの仕事の上でも役にたつのではと思いますよ」

 確かに、この英国人の言っていることは、的を射ていると思った。彼は、そのような人間には見えなかったが、一般的に、独裁者は自慢話を好むわけだ。私が語らなかったら、委員長トンムは、へそを曲げるだろうか。今後の仕事にも差し障るかも知れない。

 それに、彼のプレーは、お世辞抜きで素晴らしかった。嘘を語るのは躊躇われるが、本当のことを言うのだから別に構わないだろうと思った。私は、自分の目撃したことを記憶の範囲で、そのまま英国人記者に話した。

 彼は、私の話に大いに満足してくれたようだ。そして、彼もゴルフが大好きだった。私が日本屈指の名門ゴルフ場の複数コースのメンバーだと知って、更に目を輝かせた。また、ボビー・ジョーンズの話に、ひとしお花が咲いた。しかし、私が委員長トンムをボビー・ジョーンズに、なぞらえたことには、多少の不快感を示した。独裁者を偉大な球聖に喩えられるのは不愉快なのであろう。

 しかし、古いフィルムで見たボビー・ジョーンズのアプローチショット、即ち、『足を怪我した蝶が、グリーンに舞い降りるかのような』プレー。私は確かにそれを目撃したのだ。

 後日のゴルフの約束をして、彼は上機嫌で帰って行った。

それから、また、しばらくして、今度は、アメリカにいる友人から電話があった。何でも、ニューヨークタイムズ紙に奇妙な記事が載っていると言うのだ。

 北朝鮮の最高指導者が、ゴルフ初ラウンドで、ホールインワンを連発し、とてつもないスコアーでプレーしたという記事がニューヨークタイムズに掲載されていると。

 そして、そのラウンドの相手というのが、日本人の水産関係企業の経営者で、日本のトップクラスのアマチュアゴルファーだと。実名は載っていなかったが、その人物がプレーに同伴し、現場を目撃したと証言していると言うのだ。

 それで、ひょっとして、そのラウンド相手というのが、私ではないかと、彼は疑ったということだった。

私は返答に窮し、肯定とも否定ともとれない答えをしておいた。

 彼は、それ以上、突っ込んで聞いては来なかった。ことがことだけに、それ以上は聞くに聞けなかったのだろう。また、所詮はエイプリルフールまがいの冗談記事、それほどの関心もなかったのかも知れない。

後で、その記事を取り寄せて読んでみると、私が英国人記者に語った内容が、大きく誇張されて書かれていた。また、あり得ないようなプレー内容が、多く、付け加えられていた。誰が、このような話をしたのだろうか。私は、少し、いら立ちを覚えた。同時に、非常に、残念な気持ちになった。

 

 『初ラウンドで11のホールインワン。全てのホールで最低でバーディー、スコアーは38アンダーの34を達成、世界記録を樹立する。』


 私は、稀代のペテン師の証言人にされてしまったのだろうか。まんまと、独裁者の自慢話のネタに使われてしまったのだろうか。

 しかし、今も記憶に残る彼のロングパットは、紛れもない本物だった。見事なアプローチショットも、目の前で、確かに、この目で見た。 

 それに、R通信社の英国人男性にも語った、球聖ボビー・ジョーンズを髣髴させる、『足を怪我した蝶が地上に舞い降りるかのような』委員長トンムのあのショットの数々。今でも、目を閉じると、あの時の光景が浮かんでくる。

 だから、あのような、誰にでも嘘とわかる与太話がアメリカの一流紙に載ったのが残念で仕方がない。アメリカの記者が、悪意で、あのような記事を書いたのだろうか。キムが、おべんちゃらで、あることないこと、しゃべったのだろうか。

 それ以降、私は、このことに関しては、一切、口を噤むことにした。幸い、その後、これがマスコミの話題に上ることもなかった。

 その後、公安関係筋からも簡単な聴取があったが、それも、たいしたことではなかった。通り一遍のことを聞かれただけだった。ただ、その担当官も相当ゴルフが好きなようで、誰も知らないゴルフ場で、そのような人物とプレーをした私を羨ましがった。機会があったら、いつか、そのゴルフ場でプレーしましょう、などと冗談混じりの会話を交わし、彼は帰って行った。

 R通信社の記者といい、この公安関係者といい、皆、実社会での立場は様々だ。属する国も組織も違う。しかし、ゴルファーとしての関心事は、ほとんど変わらないのだろう。私が委員長トンムと呼んだあの独裁者も同じなのだ。

 ゴルファーというのは、本当に面白い人種である。

 素晴らしいゴルフ場があるなら地の果てまでも行きたい。

 目の覚めるショットをするプレーヤーがいれば、勝負を挑みたい。

 アプローチの上手なゴルファーがいたなら、間近で見てみたい。

 パターの名人がいれば、行って、その技を盗みたい。

 そんな酔狂で熱い連中ばかりだ。


 キムや北朝鮮関係者からは、その後、連絡はなかった。

 しばらくすると、核問題やミサイル問題やらで、彼の国に経済制裁とやらがかかり、私の会社も自然と北朝鮮貿易から遠ざかって行った。もう、私は二度と、あの国の土を踏むことはないだろうと思った。

 ただ、空港に私を迎えに来てくれ、また、ゴルフ場で私のラウンドを影に日向に、献身的にサポートしてくれた、あの知的で美しい女性には、もう一度会いたいとは思う。

 しかし、それも、永遠に、叶うことはないだろう。 了

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