ギラ新教の活動(2)
強盗犯のリーダーは、手足の縄をナイフで切ったイツキの顔を、怪訝そうにギラリと見上げる。
イツキは用済みになったナイフを、牢の格子から外の通路にポイと投げ捨てた。
フィリップがやって来てナイフを拾うと、チラリとイツキに視線を向けたが、何事も無かったかのように隊長たちが座っている場所へと下がって行った。
「何を考えていやがる?俺の体を自由にして只で済むと思っているのか?」
リーダーの男はゆっくりと立ち上がりながら、用心深くイツキの出方を窺う。
「只で済む?もしも僕が殺されたら、あなたは間違いなく殺人犯……それに此処は牢の中です。別にあなたが逃げ出せる訳でもないし、フッ……それに……あなたが生きていられるかどうかも、分からないでしょう?」
イツキはフッと鼻で笑って、余裕の態度で男を視る。
どす黒いオーラが全身を包み、男の周りには悲しそうな霊が薄紫色の光となって、いくつか漂っているのが視えた。
イツキはレガート国の特産品作りで寝不足になった時から、何故か亡くなった人の霊が、薄紫色の光として視えるようになった。
時にそれらは、イツキが訊ねると心の中に話し掛けてきたりした。
「それじゃぁ、お前は何をしに来た?俺に殺られてもいいのか?どうせ強盗犯として処刑されるんだ!だったらもう1人、お前を加えたって罪は変わらない」
リーダーの男は身構え、イツキを捻り殺してやろうと脅しながら、殺人者の顔つきに変わっていく。
横分けしたグレーの長い前髪が右目を覆い、見えているグレーの左目は濁っていて、ニヤリとほくそ笑んだ口は醜く歪んだ。
顔だけでなく身体も痩せぎみで、一見すると強そうにも見えないが、出会った時から只者ではない、悪人独特の残虐さが体から滲み出ていた。
仮にも強盗殺人者たちのリーダーである。イツキは決して油断してはならないと覚悟して、男の方に1歩踏み出しながら答えた。
「何をしにって、さっき僕は聴いたよね?【ギラ新教】の誰の命令で動いていたのか、これからどうする予定だったのかと」
「生意気なガキだ。俺はお前に殺されることもないし、話すことも決してない!」
男は獲物を狙う獣のように、ペロリと舌で上唇を舐め、今にも噛み付きそうな風体で、姿勢を低くした。
その時、一つの薄紫色の光がイツキの耳元までやって来て、イツキにメッセージを送ってきた。
《どうか夫に……アボルドに伝えてください。どうして私をヤードンに売ったのかと》、そう言って光は消えた。力を使い果たしたのだろう。
神の使いである神父の側に寄るだけでも、死者の霊は消滅しそうになる……ましてやイツキはリース(聖人)である。本来なら近付くことさえ出来ないのだ。きっと余程の念があって、イツキの側に来たのだろう。
「ヤードン。お前が妻を売った相手の名だ。汚されて自殺した妻が私に告げてきた。・・・何故私を売ったのか聴いてくれと、アボルドよ」
イツキの声は別人のように低く、表情も急に大人っぽくなっている。
今にも飛び掛かろうとしていた男は、まさかの知人の名と妻の話しをイツキから聞いて、ピタリと動きを止めた。そして、何故俺の名を知っているんだ?と驚いてイツキを見る。
『ヤードンに売った?違う、女房は勝手に死んだんだ』そんなことがあるわけない。
「黙れ!この偽神父め!いい加減なことを言うと、本当に殺すぞ!」
男は我慢できないと思ったのか、イツキ目掛けて突進してきた。痩せてはいるが身長180センチはありそうだ。イツキの胸ぐらを掴もうとして手を伸ばす。
しかし、伸ばした手をイツキに取られて、気付けばドーン!と地面に叩き付けられていた。大きな音が地下空間に響き、牢の中に溜まっていた砂埃が舞い上がる。
男は思い出した。そういえばレガートの森で、同じように投げられたと……
思い出しはしたが、何故、どうして自分が投げられたのかが分からない……
「アボルド!お前の母は血の涙を流しながら私に伝えてきた。可愛い孫のリュインを売ったのはヤードンだと」
また1つ、淡い薄紫色の光が消えていった。
イツキは残る1つの小さな光に目をやり、悲しそうに頷いた。
「うるさい!どんな魔術を使ったのか知らんが、息子のリュインはババアが何処かへ里子に出したんだ!勝手なことをしたから俺は・・・」
男はイツキの言葉など信じようとしない。むしろ忘れたい過去をほじくり出されて頭にきた。都合の悪いことは何も聞きたくないようである。
アボルドは立ち上がると、今度は足で攻撃を仕掛けてきた。
イツキの足をすくって転ばせ、馬乗りになって思い切り殴りつけようと、男は間合いを詰めてくる。
イツキは足の攻撃を避けようと、少しずつ後ろへ下がっていく。そして壁際まで到達しそうになった時、アボルドは勝負に出た。
もう後ろがないイツキが、壁に背中を付けたその時、アボルドはニヤリと笑い、足で力いっぱい腹を蹴りつけた。
「グキッ」と妙な音がして、男の足は壁にぶち当たっていた。軟らかいイツキの体に食い込む筈だった足先は、固い壁に叩き付けられていた。
「グギャーッ!」と叫びながら、男は激痛が走った自分の足を確認しようと、しゃがもうとする。イツキは男の視線が自分から離れたその時、男の顔面に思い切り蹴りを放った。当然男は吹っ飛び、地面に転がった。
一瞬何が起こったのか分からず、目の前が真っ白になる。そして痛みを感じて「グワー!」と叫び、男の顔から鼻血がたらりと流れた。
「妻はギラ新教の手下ヤードンとお前に殺され、息子のリュインはギラ新教の手下に売られて・・・酷い暴力を受けて死んでしまった。リュインは僕に泣きながら言う。お父さん・・・どうして大好きなお婆ちゃんを殺したの?どうして、子どもを拐ったりするのと」
また1つ、小さな光が消えた。
イツキはポロポロと涙を零しながら、子どもの声で男に問う。その声は恐らく死んでしまったリュインの声なのだろ……イツキの声は7歳くらいの男の子の声に替わっていた。
呆然とする男に向かって、イツキは【銀色のオーラ】を放つ。両手をギュッと握り締めて、涙を零しながら。
「お前は自分の借金の形に妻を差出し、妻は……汚され……自殺した。そして、お前の素行悪さと、孫の……先行きを心配する……母を……母を殺した。そして我が子を……悪人の手に委ねた。リュインは……無惨な姿で死んでいった」
銀色のオーラを身に纏ったイツキは、暗い闇の底に、深い悲しみの井戸の中に、落ちていくような気がした。
『神はこの男の死を許されるだろうか?何も償わず反省せず・・・ただ楽に死ぬことを望まれるだろうか?』
「く、く、苦しい……このガキめ……な、何をした……」
急に息が出来なくなった男は、地面に倒れたまま、胸を掻きむしるように苦しみ出した。苦しみの中でもイツキを睨み付ける。
イツキは男の苦しむ様子を、無表情なまま見下す。瞳は闇の色になり、体から放つ冷気が強くなってゆく。
どこかぼんやりとしたまま、男の苦しむ様を眺めながら、イツキは迷っていた。
迷っている間の数秒で、男は本当に事切れそうになっていく・・・
男は薄れゆく意識の中でも、イツキの黒い、闇のように深く黒い瞳から、視線を逸らすことが出来なかった。
目を瞑ることも出来ず、息も出来ず、ただ『俺は死ぬんだ』と理解した。
その途端、男の頭の中に、これまで行った殺人や人拐い、強姦や強盗・・・そして母親殺しの場面が、走馬灯のように駆け巡っていく。
『ああぁ、俺は、人ではなかった……』男の見た自分の姿は、醜い獣の姿をしていた。
「イツキ様!」
フィリップの掛けた声に反応し、イツキは現実世界に意識を戻した。
そして、男の死の間際で【銀色のオーラ】を止めた。
イツキは視線をフィリップに向けると、うっすらと微笑み、パタリと倒れた。
神の子イツキは、絶望的な悲しみの霊を、無意識の内に浄化していた。
そして同時に、無力な自分が悲しくなった。悲しみの心のまま、イツキは気を失った。
フィリップは慌てて牢の鍵を開け、イツキを抱き抱えて牢から出ると、国境警備隊隊長を伴って、地下室の階段を駆け上がるようにして、イツキを警備隊隊長の執務室に運び込んだ。
「すみません、これからイツキ様をルナ正教会に運びます。馬車をお願いします!」
一旦イツキを寝かせたが、フィリップはイツキをこの場に置くよりも、神聖な教会に連れて行く方がいいような気がして、隊長に馬車の手配を頼んだ。
隊長は直ぐに了承し、警備隊の馬車の準備を始めた。
残されたカルート軍の隊長は、急ぎ牢の鍵を掛け中の罪人の様子を覗いた。
かろうじて息をしている様子の極悪人は、天井を見ながら涙を流していた。
それが後悔の涙なのか、反省の涙なのか……はたまた悔し涙なのかは、隊長には判らなかった。
警備隊の建物の中で待っていた、ヤマギ、ハモンド、レクスは、変わり果てたイツキの姿を見て、懸命に声を掛ける。
「「「イツキ様!しっかりしてください!」」」
「どうして、何故?フィリップ神父、どうしてイツキ様は?」
ハモンドの悲痛な叫びに、「とにかくイツキ様をルナ正教会にお連れする」と言って、フィリップは準備の整った馬車へとイツキを抱き抱えて走る。
大型の馬車だったので全員が乗り込み、馬車で10分の所に在る教会へと急いだ。
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