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本箱の味方  作者: 髙橋 翔太
才能の塊の行方を追って
11/21

内藤さんの小さな秘密



場面転換し、今度は甲子園の少し前のグラウンドで練習をしていた。

『運動部』と言う響きにはまだ慣れていない僕の感情は、何だか岡崎くんとしっかり同化しているような気がした。


校舎から体育館にまでの入り組んだような渡り廊下の脇で、僕と内藤さんは一緒に素振りをしている。



「あいつのワガママに付き合ってやって大変な事になったな。」

「でも何だかやっと皆さんの… やっと『本箱の味方』の一員になれた気がしてます。」


「そうか。」



真夏の暑い日ざしの下で、重しを巻いたバットは両手にズシリと重く絡みつく、

内藤さんは素振りの手を止めずに僕に何かを決心したかの様に話を切り出した。


「…俺は実は昔、物書きだったんだ。」

「小説家だったんですか?」


僕の驚く声に反応したように、見回りをしていた顧問の先生の吉岡さんが近付いて来た。



「そうそう。しかもあの『スレイプニルの谷』の作者なのよ。」


「えっ~! 『スレイプニルの谷』の?」


僕がこんなにも驚いた理由は『スレイプニルの谷』は一昔前に話題になった3部作の冒険活劇小説だった。

それこそ軽い社会現象を起こした作品だし、今も学級文庫には必ずあると言っても過言ではないファンタジー小説だ。



「執筆が終わって編集者と協議を繰り返していくうちに俺の作りたい、書きたい作品と大きく分離していくのがわかった。冷蔵庫から取り出したドレッシングみたいに目に見えるほど分離していた。これもまたドレッシングのように振っても振っても、また気が付いたときには、目に見えるほどに分離しているんだ。」



内藤さんのバットが勢いを増して、風を切るようにビュンビュンと声を出している。

少し変わっていく空気を察するように吉岡さんが割って入るように話を始めた。



「俺も小説家を目指してたんだ。でも現実の壁は厚く、そして冷たかった。作品を書く事も発表する事も出来なかった俺には… 先生のこの感じは嫌味に見える時もあるわけよ。」



吉岡さんは渡り廊下の柵の部分に両肘を乗っけながら、外側のこっちを見て話をしている。

こんな話にすっかり素振りを辞めてしまった僕とは違い、内藤さんは吉岡さんもと目を合わさず、黙々と素振りを続けている。



「それでこの推敲に行こうと誘ったんですか?」

「…それだけが理由じゃないけどな。マットも何だか馴染んでないみたいだったし。」




「秘密結社」に似つかわしくない何だか優しい時間に乗っかるように話を聞いていた。

そして嫌な気分ではない少しの沈黙が僕らの中を流れていく。

僕はそんな刹那にこんな現実離れした世界に足を踏み込んでからの事を回想していた。

そして僕は難しい答えがわかったかのように内藤さんを指差して、



「あ~! だからあの時に、本名を言う事をあんなに怒ったんですね? 「スレイプニルの谷」の作者だと、わからないようにするために。」


「あぁ… でもペンネームで書いていたからバレないと思ってたんだけどな。そんなことを考える前の初版本は本名で書いててな。初めはこの組織もコードネームなんかなくて。それでこいつにバレちまったんで、コードネームを付ける様にムーにお願いして作ってもらったって訳なんだ。」


「俺は初版で買ったから『鈴原 夏海』なんてダサい名前の1巻目じゃなくて、しっかり本名の『石原 裕斗』作の物を本棚に飾ってあるからな!」

「わざわざ言うか?」



内藤さんはムッとしていたが、僕は少し感心したように、


「でもよく本名なんて覚えてたましたね!」


と言うと吉岡さんは少し遠くの方を見ながら、


「あれは結構な名作だからね。」


吉岡さんと内藤さんは本当に変な関係のいいコンビだと思う。

お互いを攻撃し合いながらも、尊重しあういい関係の二人だなぁ~。

なんてことを思いながらも僕も素振りをしていた事をようやく思い出してまた元の様に素振りを始めた。

吉岡さんは突然に顧問の先生に戻り、


「さぁさぁ… 甲子園まであと少しだ。ここが踏ん張り時だからな!」

「先生。ここから僕らは本気を出しますから見ていてくださいよ~。」






僕は読みかけていた本を開くように瞼を開ける。

気がついたときには僕はバッターボックスに立っていた。

ふと、目をやった掲示板には「9回裏」と表示されていて、僕らは2点負けている。

ジリリと真夏日の熱線が照り返すグラウンドは、すぐそこのピッチャーマウンドに立つエースさえ、

蜃気楼のようにぼやけて見えるほど、思考回路を遮断していく。


相手のピッチャーは汗を拭う時間も僕に与えてくれずに、第1球をキレイにストライクゾーンに放り込んできた。

僕はバットを構え直しピッチャーを睨み返す。


「カッ」


2球目のストレートは振り遅れてファールになる。

たぶん僕の方が「岡崎くん」よりピッチャーの事をよく知っていると思う。

何と言っても、日本の侍の強さって言うのはリサーチ力だからね。


3球目がストライクゾーンを大きく外れてボールになった瞬間に、暑さも感じないくらいに試合に集中している事がわかる。

「せっかく集中していたのに…」と思えば思うほど、ピッチャーの思う壺だろう…


4球目は「ここだ!」とフルスイングしたのに、少し下目でファールチップになってしまった。

ボールは芯のずれたバットに当たり、そのまま斜め上に進路を変えて、審判の頭上を通り過ぎていく。

キャッチャーは直ぐに反応し、後ろに走るが、フェンスに弾かれてキャッチする事は出来なかった。セーフ…


なおも2ストライク1ボール。

完全にペースは向こうに握られてしまったが、睨み合いは続く。


1球目のストレート以外の変化球には上手く合わせていけている。

次のボールは、恐らくストレートだろうと高をくくりバットをいつもより強く握った。



「カキーン」



快音と共にボールは天高く舞い上がっていった。

地面に落ちるまで油断は出来ないものの、走り出したら1塁までは一心不乱に足を運ぶ。

1塁付近で待ち構えているバッティングコーチが2塁まで走って行けと腕をクルクル回しているのが目に入り、僕はその指示に従い2塁まで足を動かす。

右目には僕の打った打球が見る見るうちに外野の手から外野の手に渡り僕の方へ近付いて来るのがわかる。


2塁のベースをしっかりと踏みつけ僕はそこに留まると、遅刻ギリギリでクラスに登場する目立ちたがり屋のように少し遅れてボールが2塁守の手元に届いた。


次にバッターボックスに立つのはエースの内藤さん。

エースは危なげなく、何だか当たり前のようにしっかりとボールを1、2塁間に弾き返した。

僕はしっかりと3塁へ移動し、次の歓声を待つ。


2アウト2塁3塁で逆転のチャンスがやってきた。

そしてキャプテンが打席に立った…



「あっ…」



ついつい声が出て、この空間を一種のデジャヴのように感じたのは、この打席のキャプテンの凡退で僕らの青春の夢は終了するのを僕らは知っているからだ。



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