出会いと旅立ち
筋肉成分が足りないので書きました。
定期更新は期待しないでください。
最も人口の多い鉄の国アイン。そしてその国の中でも、武具の種類に関しては右に出る場所は無いとさえ言われる大都市ミズガルズ。
その町の一角に店を構える標準的な武具屋「鉄の巨人」。
そこは売り子がかわいいと小さな噂になるだけの、何処にでもある武具屋だった。
……しかし同時に、何処をどれだけ探してもそう簡単には見つからない「ある物」を取り扱っている数少ない店でもあった。そんな知る人ぞ知る店に、その「ある物」を求めて男が足を踏み入れた。
からんからん、と。
入店を告げるベルが鳴ったことで客の来訪を知った売り子のベルは、何時ものように笑顔を向けて挨拶をしようとし……
「いらっしゃいま……せ?」
全身をすっぽりと覆うほどに巨大なマントで体を隠した、あんまりといえばあんまりな客の風貌に、思わず疑問の声を上げてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「このような格好で申し訳ないが、客だ。防具を探している」
そこにいるだけで部屋が狭く感じるような巨体。そしてその巨体に恥じぬ、低く響く肉食獣の唸り声のような声。
その声から目の前の客が男である事を理解したベルは、気持ちを切り替えて営業スマイルを貼り付ける。どれだけ意味の分からぬ存在であれ、客は客。そして相手が客であれば、満足して帰ってもらうのが商人であると彼女は思っている。故にどの様な相手であれ第一声は決まっており――
「申し訳ありませんでした! 防具をお探しとおっしゃいましたが、一体どの様な物をご所望でしょうか? 今はグリフォンの羽根を使った風障壁の装飾品やサラマンダーの皮を使った耐熱性の高い軽鎧、そして軽くて丈夫で環境の変化にも強いミスリル製の手甲や胸当てなどがおススメでして……」
かわいらしいと評判の笑顔を振りまきながら、店で自慢の商品を次々と上げていく。だが男は、ベルの言葉を遮るようによく響く声で言葉を発した。
「……ここには全身甲冑が置いてあると聞いた。もし良ければ見せてくれないだろうか?」
……しかし男の言葉を聴いた瞬間、ベルの笑顔が凍りつく。
「……え……? ……あの、全身甲冑……ですか?」
「そうだ」
「え? あの……本当に、お探しの商品は全身甲冑なのですか?」
「そうだ」
「全身甲冑とは……あの、全身に着込んだ金属の鎧の事ですか? 体を守る防具の?」
全身甲冑と言う名の鎧、それは一つのジャンルであった。
まだ三つの国が剣と盾、せいぜいが槍と弓で争いあっていた頃の「人と人」の戦いを想定して作られた、物理的な防御力に優れていた金属の鎧。言ってしまえば鎧と言う名を冠した一つの防具の完成形。
「そうだ」
「重すぎてまともに動けない割には総合的な防御力が低いからまっっったく人気が無い、鋼鉄の棺桶とさえ揶揄されているあれですかッ?!?!」
……しかし、語られたそれは過去の話。
高く積み上げられた城壁すら一撃の下に破壊するドラゴンが、天空をかける小さな空中要塞のごときグリフォンが、鋼鉄さえ打ち抜く多種多様な遠距離手段が。
人の身で受けるには有り余る「破壊力」を持つあらゆる存在が溢れた今の時代では「受けとめる事」に特化した全身甲冑は、ベルが語ったように高価な棺桶以外の何者でもないのが現状であった。
しかもそれに加えて使用者を遠ざけるのは、熱しやすく冷めやすいという特性を持つ金属であるが故に環境の変化に弱い事、体全てを覆うが故にいろいろと不便であるという構造的な欠陥。
しかも、大量の金属を使用しているので値段が高い。
ここまで様々な悪い要素が揃えば、全身甲冑が廃れていくのある意味において当然の結果であった。
「……そうだ」
「…………お、おおお……おおおおお、おじいちゃんッ!! 全身甲冑ッッ!! 全身甲冑を買うって人がぁああッッ!?!?!?」
何度も何度も確認し、どうやら男が本当に全身甲冑を買うつもりであると言う事を確信すると、ベルは凄まじい勢いで店の内側に走っていく。
そして、ベルは一瞬で戻ってきた。……筋骨隆々という言葉がよく似合う体格の、白い髪と髭を蓄えた老人と共に。
そして、二人の表情も対照的であった。
ベルはにこにことした明るい笑顔であり、老人の方はムスっとしていかにも機嫌が悪いですと言った風である。
「……おめぇか? ワシの全身甲冑を欲しい、なんてぬかしやがったのは?」
「そうだ。ここであれば全身甲冑があると聞いたのでな」
「誰に吹き込まれたのかはしらねぇが…………まあ、くだらねぇ小言はいいか。おめぇも男なら、黙って脱げ」
「……なぜだ?」
文句を言いかけたがそれをやめ、唐突に脱げなどと言い出した老人の言葉の意味が分からなかった客の男は当然のように何故と聞き返す。
そのやりとりに慌てたのはベルであり、小さな体全体を使い怒りを露にした。
「ちょっとおじいちゃん! せっかく買ってくれるって人が居るんだから変な事言わないでよ!!」
「ベル、お前は黙ってろ。……いいか? ワシはな、そこらのモヤシにあれを売ってやるつもりは無い。おめぇも男なら、てめぇの筋肉でワシを納得させてみろ」
「そんな意味わかんない理屈、おじいちゃん以外に分かるわけ――」
「いいだろう」
「分かるの?!」
男二人の意味の分からないやり取りを聞き、ベルは困惑の声を上げてしまう。しかしそんなベルの事など完全に無視し、男は全身を覆うマントを脱ぎ去った。
「……ほぅ」
「――――」
マントの下から現れたのは、名工が作り上げた彫像のような肉体であった。
腕は丸太のように太く、皮膚をはちきらんばかりに所々に血管が浮き出ている。大きく張り出した胸筋と腹筋は綺麗に割れており、理想的な逆三角形を作り出している。
下半身はぼろい布のような物を巻いているようだが、その切れ目から覗く足は腕のように太く、逞しい上半身を支える土台としての役割をしっかりと果たしているのが見て取れる。
そんな男の肉体を目にした老人は感嘆の声をもらし、ベルは顔を真っ赤にしながらも目を覆う事はしなかった。
「……どうだ?」
二人の声を聞いて、自らの肉体を見せ付けた男の声はどこか自慢げであった。
「確かに、ただのモヤシじゃねぇみてぇだな。だが、男の筋肉ってのは見せて楽しむもんじゃねぇ。使って何ぼのもんだ」
老人はそう言いカウンターの下をごそごそと漁り、金属で出来た二枚の分厚く丸い何かを同じく金属で出来た棒と共に取り出す。そしてその丸い金属を棒の端に取り付け、簡単な机のように組み立てた。
老人は即席で作られた金属製の机を置き、机を挟んで男と対峙する。
「アームレスリング。当然、知ってるよな?」
「無論だ」
老人は男の答えに満足そうに笑い、机に肘を突き構えを取る。
元々大きな老人の体が一回りも二回りも大きくなっているように感じられる程に、そこから漲る覇気は老いなど感じさせない歴戦の戦士のそれであった。
「おめぇがワシに勝てたら、ワシの持つ全身甲冑『鉄の巨人』はくれてやる」
「……金はいいのか?」
「おめぇも男ならこまけぇ事は気にするんじゃねえ!」
そのやり取りを聞いたベルの意識がはっと我に返る。
「おじいちゃん! それは流石にまずいでしょ!?」
「どうせ貴族のぼんぼんが観賞用に売ってくれなんて抜かすだけだ、何の問題もねぇ」
「問題しかないわよ! 一体幾らで買い取ってくれるって言ってたと思ってるのよ!!」
「いいか、ベル。全身甲冑ってのはな、誰に何と言われようと防具なんだよ。防具ってのはてめぇの命を預ける相棒だ。死線を抜けて傷を負って、生き残れた感謝をしながら手入れをする。だからこそ戦士の魂が宿るのよ。だってぇのにあのモヤシどもときたら、眺めて楽しむなんて抜かしやがる。埃被ってくだけのそれぁ唯の鉄の塊だ。粗大ゴミにもなりゃしねぇ鉄くずなんだよ」
「いや、でもお金が……」
「ベル、お前もワシの孫ならこまけぇ事は気にするな」
「そこは気にしようよ!?」
「……店主よ。俺は今、猛烈に感動しているぞ」
男がそう言って、そこでようやくベルは男の方を向きなおした。
そして、絶句した。
筋骨隆々の殆ど全裸に近い大男が、泣いていたのだ。
「時代遅れと馬鹿にされ、流行らないと笑われて、脳筋と言う名以外に褒められた事のない俺だったが、今ようやく同じ思いを持つ男に出会えた。これほどまでに心躍ったのは初めてだ」
それ褒められてないんじゃぁ、と。
ベルはそう思った。
だがしかし、構えを取った老人に一歩踏み出し、それでも尚涙を流し続けている男に距離を取るように一歩引いてしまう。当然、何かを口に出すなどできる訳が無かった。
「……店主よ。名を教えて欲しい」
男は老人の向かいに立ち、肘を突いて構えを取る。
ベルに背を向けて腰を落とした事で見ることが出来るようになった男の背筋は、首筋からみっちりと肉がつまり膨れ上がっている。この男の肉体は、恐怖すら覚えそうなほど唯ひたすら力強かった。
「クラッドだ。鉄の国アインの戦士王、死なずのクラッドたぁワシの事よ」
「この出会いに感謝を、クラッド。素晴らしい戦士の名を心に刻み、より高き場所への一歩としよう。……俺の名はサヴァン。本物の英雄を目指す者だ」
英雄。
たった一人で災害と呼ばれる存在を打ち倒す、御伽噺の存在だ。
誰もが夢見て憧れて、しかし誰も実物を見た事がない存在。
否。一応英雄と呼ばれる人間は存在する。
しかしそれは「複数」で「狂った」竜を殺した竜殺したちであり、遠距離手段を持たぬ強者をなぶり殺した天才であり、少ない犠牲で強者との戦いを終結させる知恵者なのだ。
本の中に描かれたような英雄は、実際の所は存在しないのだと誰であっても知っている。
だがこの男……サヴァンは本物の英雄を目指すといった。
子どもであれば夢があるで済む話だが、サヴァンの年齢次第では簡単に笑い飛ばせる話ではない。
だがひょっとすると、と。
かつて英雄を夢見た戦士王として、何をやったのだと聞かずにいられなかった。
「本物の英雄ねぇ……ずいぶんでかい口叩きやがるが、一体何をやったんだ?」
「俺の最初の偉業は、死なずの戦士王クラッドを倒した事だ」
「…………はははははは!! おめぇ面白いなぁ、サヴァン」
「よく言われる」
クラッドとサヴァンはそのやり取りを最後に腕を組んだ。
腕を組んだ瞬間クラッドの覇気が膨れ上がり、それに応えるようにサヴァンの威圧感が増す。
その様子は巨大な肉食獣と歴戦の戦士が対峙し、お互いの命に爪を突き立てんと隙を探り合っているかのようである。
まだ始まっていないはずなのに、お互いの腕を支える金属製の机がギシリと軋む音がした。
「ベル。開始の合図はお前がやれ」
「へ? 私?」
「このままじゃ何時まで経ってもはじまんねぇからな」
「ええっと……じゃあ一、ニ、三でいくわよ?」
ベルの確認に、サヴァンとクラッドが頷いた。
「一」
合図と共に、二人が向かい合う。
「二」
激突の瞬間に備え力瘤が膨れ上がり、血管が浮き出る。
「三!」
そして決戦場の檻が上げられると共に、空気が揺れるような音の無い衝撃が走った。
しかしその衝撃とは裏腹に、お互いの腕は僅かも傾いていない。力を込めすぎて顔を真っ赤にし、筋肉の上に浮かぶ血管がその数を増していく。
ぎしぎしと言う何かが壊れそうな嫌な音が聞こえるが、見ているだけのベルではその音が腕から上がっているものなのか机が軋んでいるものなのかの判断すらつかない。
しかし硬直は数秒。
バギィッと言う鈍い音共に、金属製の机が石で造られた床にめり込んだ。
そしてそれと同時に、ほんの少しだけではあるがクラッドの腕が不利に傾いた。
「ぬぅッ……ぉぉぉおおおおッツ!!」
「はぁああッッ!!!」
声だけで怯んでしまいそうな気合の乗った声と共に、クラッドがサヴァンを押し返そうとする。
しかしその気合すら飲み込んで、止めの一撃を叩き付けんとサヴァンが咆えた。
サヴァンの気合に応えるように、床がバギリと音を立ててさらに一段沈み込む。そしてそのままクラッドの腕は上に上がる事無く……机についた。
「くっ……ッッ…………はあぁ……ワシの負け、か」
「俺の勝ちだ。では約束通り全身甲冑は頂こうか」
「応とも。奥にあるからちょっとこっちに来い。……ベル、おまえもだ!」
「私も?! お店はどうするのよ?」
「今のワシは気分がいい! 少しぐらいなら大目に見てやる!」
「……少し早いけど、今日はお店閉めるわね」
「何でもいいからさっさと来い!」
「はいはい、分かりました」
ベルは店を閉めると、気持ちのよい笑い声を上げるクラッドに続きサヴァンと共に店の奥へと進んでいった。
……
…………
「これだ」
店の奥の一部屋。
その中心に重々しい圧迫感と鈍い光沢を放って鎮座しているのは、かつてクラッドが使っていた全身甲冑であった。
大きな物から小さな物まで表面を走る傷が多数見受けられるが、その全ての傷は丁寧に修復されており誰が見ても「傷であった物」程度の認識だろう。
「……素晴らしいな」
「当然よ」
「始めて見たけど……想像してた物よりすごい……貴族が買いに来るのも頷けるわ」
ベルは生まれて始めて祖父の全身甲冑を見たが、普段大口を叩くだけの事はあると素直にそう思えた。
「で、こいつの着方なんだが……ベル、ワシがやるのをよく見とけよ?」
「へ? あ、うん。わかった」
何故私に全身甲冑のつけかたを教えるのか、と。
そんな疑問がベルの心に浮かんだが、どうせ何時ものように何も考えていないだけだろうと結論を出して、一つ一つ手順を学んでいく。
……
「ふぅん……なかなか様になってるじゃねぇか」
鎧を着込んだサヴァンは空を切るような体術を見せ、まるで鎧の重さなど存在しないかのように一般人と同じぐらいの速度で部屋の中を飛び回った。そしてその速度に似合わぬ重厚な音が、一歩動くたびに部屋の中に響き渡る。
そのまま部屋を出、店の出口がある部屋まで共に歩いたがサヴァンの歩く速度は衰える事はなかった。
「すごい……全身鎧を着て普通に動けるなんて……」
呆れたような感心の声をベルは口に出した。
こんな金属の塊を身に纏ってこれだけ動けるのであれば、脱いだ方が強いと百人中九十八人は答えるだろう。脱がないほうが強いと答えるのは、当然のように彼女の祖父とサヴァンだけのはずだ。
「クラッド、改めて感謝する」
「良いってことよ。そんじゃあもう用はねぇだろうし、何処へなりとも行ってきな」
ああ、と。
再度感謝の言葉を告げたサヴァンがクラッドとベルに背を向けて店の外に出ようとし……
「おいベル。お前、なんでこいつに付いていかねぇんだ?」
クラッドの発した意味不明な言葉に、ベルは固まりサヴァンは足を止めた。
そしてベルは、理解できないと言う思いと怒気の乗った声を上げる。
「はぁあ?! ちょっとおじいちゃん、何で私がこいつについていく事になってるの?!」
「何でって……そりゃお前、本気でいってんのか?」
「本気よ!」
「お前の姉ちゃんも兄ちゃんも、弟も妹も……もうみんな巣立っちまってるだろ。一人で旅に出るのがこぇえから、この鎧を買えるぐらい強い人が居たらそいつの鎧を手入れしながら旅に出るんだー、つってただろうが」
しかしクラッドはベルのその反応こそ意味が分からないと言った風に、当然のようにそんな事を口にした。
「…………ぁぁああああッ! そうだった!!」
クラッドの言葉を聞いたベルに訪れたのは、何かを思い出すかのような数瞬の沈黙。
そして沈黙を突き破る絶叫と共に、ベルは地面に崩れ落ちた。
先延ばしにしていた巣立ちが、明確な形を持って実現してしまったのだと理解してしまったが故に。