19 地上組の先読み
雨が降り始めた頃、エドガーは屋敷の自分の部屋にいたのだが、マイリアから電話が掛かってきて、格納庫まで呼び出された。
「なんなんだよ、まったく」
緊急事態とか言っていたが……何が起こったと言うのか。
車は走る、そして……
「あれ?」
川を渡る橋の手前で、急に道を逸れた。
「どうした? こっちの道じゃないだろ?」
運転手は車を止めない。むしろ、速度を上げる。
「おい、聞こえてるのか? 車を止めろ!」
エドガーが窓を開けて叫ぶと、運転手は車を止めた。そして言う。
「この道でも合っています。少し遠回りになりますが、指示通りの場所にちゃんと着きますから心配いりません」
「指示通り? どういう意味だ?」
エドガー以外の誰かから指示を受けているのか?
運転手は、平然と答える。
「今日はこの道を通るようにとお嬢様からの言いつけです」
「マイリアが?」
「今見ましたが、いつも通る橋は既に封鎖済みでした。たぶん他の橋も」
「なんだと?」
「ならば、こちらの道を使うしかありません」
「……何を考えてんだ?」
わからないまま車は走りだす。そして適当な所で止まった。
エドガーには何がなんだか理解できない。
「おい、ここは何もないだろ! いったいどういうつもりで……」
それを無視して運転手は土砂降りの雨の中、車を飛び降りる。そして川の方に走って行ったかと思うと、ロープの端を掴んで引っ張ってきた。
それを車の後部に引っ掛ける。そして運転席に戻ってきた。
「もう少しお待ちを」
「おい? 何をやってんだ?」
車は前に動く。ロープが引っ張られる。
川から何かを引き上げているのかとエドガーは思ったのだが、違った。
どうやらこの地点には、向こう岸までロープが張ってあるらしい。誰かが事前に仕掛けて隠しておいたようだ。
誰が? ……この運転手が?
運転手は言う。
「ここから向こう岸までいけます。メイガース家の格納庫は、東側に百メートルほど行った所にあります」
「は?」
どうやら、このロープだけで向こう岸まで行けと、そう言っているらしい。この雨の中を?
「……命綱と手袋とコートを用意しています、どうぞ」
「ちょっと待て。これ本当にマイリアの指示か? なんでこんな物を用意してあるんだ?」
「私にも良くわからないんですけどね。一昨日、お嬢様の指示で全て用意しました」
「……最近どこかに出かけてると思ったら、何考えてんだあいつ?」
「お嬢様なら、今は格納庫の方にいるはずですか」
知りたければ来いと言うのか。
「ああもう! わかったよ、行けばいいんだろ、行けば! ……なあ。これの正しいつけ方、おまえ知ってるか?」
「おまかせください。昨日何度も練習させられましたので」
何から何まで。計画通りのようだ。
エドガーでも恐怖を感じる事がある。
例えば初めて魔獣と戦った時には恐怖を感じた。
だが、それを上書きするような出来事を生身で体験する事になるとは、予想していなかった。
どうにか格納庫までたどり着いた時には、コートの外も中もびしょびしょで、体の芯まで冷え切っていた。
そんなエドガーをマイリアは平然と出迎える。
紅茶のカップを片手にだ。
自分で飲むのかと思ったら、エドガーのために用意していたらしい。
「ほら、これで体を温めてください」
「……」
受け取って飲む。熱い液体が体に染み渡るようだ。
「もう、お兄様、遅いですよ。心配しちゃったじゃないですか」
「……おい、マイリア。おまえには昔から言いたい事がいっぱいあったんだがな……。兄にこんな事をさせるようなやつだとは思っていなかったぞ!」
マイリアは悪びれもなく言う。
「まさか雨が降るとは思わなくて……」
「しかも、あの運転手、俺が渡りきったのと同時にロープを切り捨てやがったぞ」
「あ、それたぶん捕まっちゃったんだと思います」
「何?」
「……私は絶対にそのロープを維持するように言いましたよ。万が一の時は、私が脱出路に使う事になってたんですから。ほら」
エドガーが使ったのとおなじ、命綱の装備を見せる。
「は? 何考えてんだおまえ」
「この方法じゃなかったら、絶対に無理だと思ったから。この方法を取った。それだけの事ですよ」
可愛く微笑む。
「だからお許しを」
「……」
できれば許したくなかった、というか許してはいけないような気がした。
だが、追求した所で事態が変わるわけでもない。
「で? 何のつもりなんだ?」
「基地に侵入者が入った、という話らしいです。それで、警戒レベルが最大まで上がってるんですよ」
「へぇ? その侵入者、たぶんエドガーって名前だよ」
エドガーがここまで来るルートは、侵入以外の何物でもない。
「違います。私がお兄様に電話した時点で、その命令はもう出ていました」
「なんだそれ?」
「えーと。簡単に言いますと……軍の偉い人、というかたぶんローダス司令なんですけど、その人が変な気を起こしまして。反乱、というんでしょうか? そんな感じなんです」
「反乱? なんでローダスが反乱を起こすんだよ」
ローダスは基地司令であり、この基地にいる全員に命令を下す権限がある。それを行使すればない。
よほどおかしな命令を出さない限りは全員が従うだろう。
「その、よほどおかしな命令を出すから、従わないかもしれない奴の動きを封じているって事か?」
「そうなんです」
「同じ基地の軍人を制圧しろだなんて、そっちの方がよほどおかしな命令だと思うけどな」
「私もそう思います。たぶん、活発に動いているのは側近だけで、他の兵士に対しては、普通の命令に偽装しているのではないかと。それが侵入者の話、って事です」
マイリアには自明の事らしいが、エドガーには全く理解できない。
「で? 今はどうなってるんだ?」
「全然わかりません。誰がどんな命令を受けて動いているのか不明すぎて。下手に出歩かない方がいいと思います」
「そうか……。じゃあ俺なんか呼ぶなよ! っていうか、おまえがローダスにお願いするだけで、おまえは普通に帰れたんじゃないの?」
「いいえ。お兄様には、出撃してもらいたいんです」
「何でだよ!」
確かに、アーカードを動かせるかどうかは重要だろう。だから、エドガーを格納庫にまで呼び出す必要があった。話は通る。
「だって、ここに籠城していても、悪い人の思い通りになってしまうだけですよ」
「……そうかもしれないが」
「お兄様が打って出れば、状況が変わる可能性があります。ちゃんとやってください」
マイリアは必死に言う。
だが、ここを放置して別の場所に行くと言うのは、すごく良くないように思えるのだが。
「おまえはどうするんだ? クイッゴや他の整備員は?」
「私達は隣の倉庫の方に隠れています。あそこなら、籠城戦を前提とした作りだから、よほどの事がない限りは安全だと思うんです」
「本当に大丈夫か?」
「当分の間は大丈夫でしょう。でも……敵が人質作戦を思いついて、それに全力を賭けようなんてバカな事を考える前に終わらせてくださいね」
「……ああ」
不確定なタイムリミットを設定されてしまった。
「だけど、俺が出撃して、どこで何をすればいいんだ?」
エドガーが聞くとマイリアは答える。
「思うんだけど、選抜戦略士って、こういう時のためにいるんじゃないんですか?」
「なるほど。まずガーフと合流すればいいのか。で、そのガーフは今どこに?」
「さあ?」
「えええ……」
最後の最後でそれかよ。
◇
「よっ、と」
エアダクトの終端にあった換気扇を破壊して、ガーフは屋外への脱出に成功した。
見える範囲に警備の人間がいない事を確認、
地面までは、二、三メートルはあった。下は固そうな石。
「……」
ガーフは、うつ伏せ状態から仰向け状態になる。そして、体を少しずつダクトの外に引張り出した。
片足ずつ抜こうとして、そこで落ちた。ぐるりと一回転して尻から落ちる。
「ぐっ……!」
ガーフは濡れた地面に叩きつけられ悲鳴を上げる。
全身が痛かった。それでも頭を打たず、骨も折れずにすんだだけ、幸運かもしれない。
「にげなきゃ……」
殺される。理由は良くわからないが、ローダスに見つかれば殺されると考えていいだろう。どうしてそんな事をするのか、見当もつかないが。
よろよろと立ち上がる。
天気は雷雨だった。
一瞬で全身が水びたしになる。
まさか本当に、穴の開いた傘も穴の開いたコートもなく、外に放り出される事になるとは思っていなかったが。
「どこかで雨宿りを……」
思ったが、それはダメだ。快適な場所とは、誰かがいる場所でもある。敵か味方か不明だが。自分を探しに来る敵は遅かれ早かれ顔を出すだろう。
「どこに行けばいいの……」
確実なのは、メイガース家の施設だろう。
敵に占拠されていない限り、そこは味方でいてくれるはずだ。
そしてアーカード。レイルヘッドがあれば反撃のチャンスをつかめる。
「エドガーがいれば、の話だけど」
いや、気付いて来ているかもしれないし、そうでなくても、電話で呼び出せばいい。
ガーフは灯りを避けて、巡回兵が近くにいる時は石のように動かず、時間を掛けてこそこそと移動する。
一時間ほどかけて、どうにか、町の北と南を繋ぐ橋までやってきた。
これで、道のりの半分を通り過ぎたところか。
だが、そこから先が難しかった。
「……封鎖されてる」
橋の周囲に兵士が何人かいる。サーチライトがあちこちに光を投げかけ、怪しい者がいないか探している。
そして道路を塞ぐようにおかれたいくつものコンテナ。
生身の人間では通れないし、自動車での強行突破も不可能。
これは、中にいる自分を逃がさないための措置か。それとも、エドガーが中に入って来れないようにするための措置か。
そういえば、一昨日、マイリアから妙な事を聞かれた。もし軍の内部で反乱が起こった場合どうなるのか、という事を。
その時は何を言っているのかわからなかったが、地図をつきつけながらしつこく聞いてくるので、思いついた事は全部答えてやった。
町と軍事基地を繋ぐ橋の制圧もその一つだ。自分が反乱を起こす側だったら、むしろ最初にやる。選抜戦略士など関係ない、セオリー通りの対応だ。
「……」
だが、誰がどんな理由で反乱を起こしたというのか。なぜマイリアはそれを予見していたのか。裏がどうなっているのか、まるで読めない。
「……おかしい。どうなってるの?」
ただ一つ言える事。それは、エドガーがアーカードに乗り込める可能性が減ったという事だ。ここがこうなっているなら、他の橋も封鎖されているに違いない。
「どうしよう……」
ガーフは途方に暮れる。
ともあれ、メイガース家の格納庫へ行くという目的を変更する理由はない。このまま雨に当たり続けているよりはマシだ。
だがたどり着けるだろうか? 体温が下がって限界に近い。全身がガタガタ震えている。
なのに、目の前の道にはサーチライトの光が行き交い、見張りの人間がうようよしている。一歩出ていくだけで即座に発見されてしまうだろう。
「別の……」
どこか別の場所に隠れようかと思ったその時、何か大きな物が近づいてくる音が聞こえた。
レイルヘッドだった。
もう、逃げようなどとは思わなかった。
レイルヘッドには対人センサーが標準装備されている。
それはうっかり人を踏み潰さないための安全装置なのだが、もちろん、このような状況で索敵に使う事もできる。
隠れていても、ムダなのだ。
それに、これ以上雨の中を逃げ回るだけの気力はなかった。
ガーフは四通りの嘘を思いついた、が、すぐに全てを放棄した。
そのレイルヘッドがアーカードだったからだ。
アーカードはガーフに投光機の光を向ける。
『おまえ、こんな所で何やってるんだ?』
エドガーの声が外部スピーカーから響いた。




