第4話:フェーズ1 モード1、無意識のトランスと沈黙の魔法
……やってみます、なんて勢いで宣言したものの。
いざAIの真っ白な入力欄を前にすると、僕の頭の中も真っ白になってしまった。
僕には「続きが読みたい」という消費者としての強烈な渇望はあるけれど、「これが書きたい!」という創作者としての確固たるビジョンなんて何もないのだ。
どうせ、よくある「魔王を倒して世界を救う」みたいなテンプレを出力させてお茶を濁すしかないだろう。
僕は手元のブラウザ画面から、共有してもらったPDFマニュアルへと視線を移す。
マニュアルの指示通り、まずは『モード1:アイデア・インキュベーター(一問一答の壁打ち)』というプロンプトをコピーし、AIのチャット欄に流し込んだ。
半分諦めていた僕の画面に、AIから最初の一文が返ってきた。
『今、読者にどんな感情を味わわせたいですか?(例:スカッとしたい、泣きたい、ゾクゾクしたい)』
「……感情?」
「最初から、世界観やあらすじを聞いてくるわけじゃないんだよ」
隣で結衣先輩が、面白そうに身を乗り出してきた。
良い匂いが少しだけ鼻先を掠める。
僕はキーボードの上で指を浮かせたまま、少し考え込んだ。
読者に、どんな感情を味わわせたいか。
スカッとする無双モノ? いや、それは僕の趣味じゃない。
背筋がゾクゾクするようなサスペンス? それもなんだか違う。
――ぽたり、と。
胸の奥で、冷たい水滴が落ちるような感覚があった。
「……切なくて」
無意識のうちに、口が動いていた。
カタカタ、と指がキーを叩く。
『切なくて、ですが温かい涙を流せる物語を描きたいです。』
ターンッ。
エンターキーを押した数秒後、画面に次の問いが現れる。
『素敵ですね。あなたが今まで流した温かい涙の中で、最も印象に残っているのは誰を想って流した涙ですか?』
「っ……」
息が止まりそうになった。
なんだ、この質問は。
機械が、僕のパーソナルな領域に土足で踏み込んでくる。
普通なら「AIなんかに教えるかよ」とブラウザを閉じてしまうところだ。
でも、朝の静寂に響く結衣先輩のタイピング音と、僕の回答を決して急かさず、ただ静かに待っているカーソルの点滅が……ひどく心地よかった。
まるで、深い深い海の底へ潜っていくような感覚。
『大好きだった祖父です』
画面越しのインタビュアーは、一切の否定をしない。
僕が吐き出す拙い言葉をすべて肯定し、優しく相槌を打ちながら、『では、そのお祖父様はどんな世界にいたら素敵だと思いますか?』『どんな魔法が残されていたら嬉しいですか?』と、別の切り口を次々と提示してくる。
気がつけば、僕は完全にトランス状態に陥っていた。
『言葉を発しない故人の幻影を映す魔法です』
『お葬式の時、僕は棺桶を見ても泣けませんでした』
『でも、神父が祈り言を発した時、嗚咽を漏らしました。もう、言葉を交わせないのだと実感したからです』
自分でも驚くほどの熱量だった。
まるで僕自身が主人公になったような感覚で、目の前に情景が広がっていく。
墓参りの時の生前の祖父の悲しげな横顔。
写真の裏の付箋。
指先が熱い。
キーを叩く音が、僕の心拍数と完全にリンクしている。
『死は重いものでなければなりません。だから、主人公は魔法を安易には使わない』
ターンッ!
最後の言葉を打ち込み、力強くエンターキーを弾いた直後。
僕はハッと我に返り、マウスから手を離した。
ぜえ、はあ、と浅い呼吸を繰り返す。
やばい。何やってんだ、僕。
顔から火が出るほど恥ずかしい。
いくらなんでも、自分の生々しい死生観やプライベートな記憶を、ただの言語モデルに長文でお気持ち表明してしまうなんて。
「……颯太くん」
隣から、声がした。
恐る恐る視線を向けると、結衣先輩がモニターを真っ直ぐに見つめていた。
その瞳は、からかっているわけでも、呆れているわけでもなかった。
「すごく、いい熱量だね。……君の中に、こんなに綺麗で切ない世界が眠っていたなんて、知らなかったよ」
優しく微笑む結衣先輩の言葉に、胸の奥がギュッと締め付けられる。
画面の中では、僕が散らかした痛切な記憶の欠片たちが、AIの手によって一つの美しいファンタジー設定の「種」として見事に整理されていた。
「さあ、種は芽吹いた。次はこれに……」
結衣先輩がPDFマニュアルのページをスクロールする。
「劇薬を混ぜていくよ」
次に進んだマニュアルの項目名を見て、僕はピタッと息を呑んだ。
『敵対存在と残酷な正論の設計』




