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栞――。それは本を読むのに欠かせないもので、誰しも一度は使ったことがあると思う。
それが、ある時、《《消えた》》。図書室から忽然と消えたのだ。
――学校七不思議にはならない。都市伝説にもならない。だって、誰も気づかないのだから。
でも気づいてしまった、一人の女の子がいた。
その子は霊感があって、あやかしが視えて――だから、私たちに相談しに来たのかもしれない。
***
私の京への呼び名は『楪葉さん』で、それは時が経っても変わらない。京の私への呼び名は『君』か『叶』。君と呼ばれるとしっくり来ない。叶と呼ばれると少し嬉しくなる。でもそれは彼には内緒。だから、表面上は不機嫌の《《ふり》》。
そんな私たちも一緒に暮らし始めてから二週間が経とうとしている。
「いい加減、『京さん』って呼んでくれねーかなー?」
「嫌です。呼びたい時に勝手に呼ぶので、黙っていてください。黙ってたら、あなたイケメンなんですから」
「…………」
こいつ、ずっと黙ってるつもりだ。一生口を開かないまである。
「…………」
「喋ってください」
「……あ」
京は私に対して恋愛感情があるのか分からない。でもそんな気がする。気になってますみたいな態度、取られるもん。
「叶さん……叶ちゃん…………叶」
「キモいです」
「ぐはっ!」
『キモい』とか『嫌い』とか言うと、京はすごい精神的ダメージ喰らっているように思える。当たり前なのに、からかっていて楽しい。
「そうだ、叶。もう行く時間じゃないか?」
今日は学校がある。しかも雨。体育とかいうちょっと不思議な現象が起こる(京のせいで)授業が中止になるのは嬉しいけれど。でもなんか、嫌な予感がする。
「今日は学校行きたくないです。厄介事に巻き込まれるような、そんな予感がします」
「奇遇だな。俺もだ」
「じゃあ、なんで行かなきゃいけないんですか」
「それが君の使命だ」
「使命って……」
呆れる。窓の外を見る。これからもっと強まりそうだ。嫌だけど、使命か……。
カバンを背負い、髪を手ぐしで梳き、眼鏡をかける。
階段をダッシュで駆け降りると自然と彼もついてきた。
「――大丈夫だ。安心しろ。俺も協力する」
差し出された手を取った。もう既に厄介事に巻き込まれていく音はしていた。
***
――時は経ち、放課後。
京に手を引かれ、ある場所に連れていかれようとしている。
「図書室からなにか感じるな……」
「だから行きたくないんです!」
私は頭をふるふる、と振る。
でももう図書室の目の前。逃げられなかった。
図書室に入ると思ったほどそれほど強い妖力は感じられなかった。下級妖怪がちらほら浮いているだけ。彼らは特に悪さはしない。
でも《《異変》》を感じた。ここは私の知っている図書室じゃない。何かに支配されているかのような一室。けれど、元凶は姿を現さない。だから、強い妖力は感じられない。
――図書室は閑散としていた。
勉強している生徒はまあまあいるけど、《《本を読んでいる生徒は誰一人いない》》。
図書室なだけに違和感を凄く感じる。
「昨今の人間は本は読まないのか?」
「そういうわけじゃないと思います……私も偶にですけど読みますよ」
「じゃあ、読んでみるといい」
「えっ――」
――本を開いて最初に気づいた。《《栞が無い》》。カウンターに置いてあるはずの、持ち出し自由の栞も忽然と無くなっている。他の本も同様かを確かめる為に他の本も開いたがやはり栞は無かった。
紙だけでなく、紐状の栞までも消えていた。
いつから異変は起きていたのだろう。
そして、誰が何の為に……?
「栞が……無い…………」
「そうだな」
飄々《ひょうひょう》と佇む京。何かを知っていそうだが、無関係を主張するような態度だ。
私は悪戯心と軽い冗談で言った。
「はっ……! さては楪葉さんの仕業なんですね。なんて迷惑なことを……」
「何でそんな思考回路になるんだよ。俺はやってない」
「へへ。良かったです」
「へ――?」
「――楪葉さんが悪いあやかしじゃなくて」
京は照れ笑いする。その笑顔が図書室の張り詰めた空気を解していった。
栞が無きゃそりゃ、誰も本を読もうとしないよね。説得力のあり過ぎる理由だった。速読で一気読み出来るなら分かるが、学生という身分は勉強や部活で忙しい。そして、近年浸透している読書離れが更に拍車をかけていた。
本件の犯人は悪いあやかしだ。しかも中〜上級。階級は京の表情を見て、薄々予想出来た。彼はかなり面倒そうな、重大事件に巻き込まれてしまったといった、険しい表情をしていた。
「叶には怪我させたくないんだがな」
「な、なに言っているんですか。私は怪我しませんよ?」
「ホントかなぁ」
「あの、あなた、本当は分かっているんですよね? 教えて下さい。誰が何の為に栞を盗んだのか」
「それはもう少し事情を知る必要がある。予想はついているが、確定していない情報を君に教えたくはない」
「そうですか。て、あの子――」
――そこには通学路で見かけた女の子が椅子に座っていた。「ない、ない」とボソボソ呟いていた女の子。じっと私たちを見つめていた。さっきから妙に視線を感じると思ったら。
まるで私たちを待っていたかのようにじっとこちらを見ていた。
茶髪のツインテールに黒い眼鏡をかけている。小柄で可愛らしい。その子は私の後輩だと分かった。高校一年だという証拠の緑色のネクタイをつけていたから。ちなみに高校二年のネクタイは青色だ。だから私は青色のネクタイをつけている。
私たちが近づくと、女の子はビクッと肩を跳ねさせ、視線を逸らした。
待っていたはずなのに、天邪鬼な子だ。
「俺は悪いあやかしじゃないぜ?」
図書室にいるのに誰にも視えていないからっておちゃらけてスキップをかます京。ホント、大人なのに恥ずかしい。このあやかしは恥をどこに置いてきてしまったのか。
「「……」」
ほんの少しの静寂。
一寸遅れて、女の子が勇気を振り絞る。
「あ、あのっ……!」
女の子が言葉を放つ。
「あなた《《たち》》に相談したいことがあります」
え――。いま、この子、あなたたちって言ったよね?
京の先の自意識過剰発言はあながち間違っていなかったのだろうか。
「――あの、図書室の栞が消えたんです。その件について一緒に調べてくれませんか?」
「知ってます。分かりました」
「その、栞が消えたことに気づけるのは、あやかしが視える者だけなんです。だから、《《あなたも》》」
はっ……とする。これじゃあ手のひらに転がされてるじゃん。この子って策士なのか? 私があやかしが視える、ということを聞き出す為に……。
この子に嘘は吐けないな、と思った。だって全部、見透かされてるもん。きっと私と違って頭が良いのだろう。
「ということは、楪葉京さんのことも視えているんですね」
「はい」
「ねえ、楪葉さんのさっきのスキップも視られてたって」
「うおおおおー」
今度はくるくる、とその場で回り始める。恥ずかしいから回ってるのか、愉しいから回ってるのか、分からない。
「良い大人なのに恥ずかしい」
「ホントですね」
「こいつ、変質者なので気にしないで下さい」
「気にしちゃいますよ」
私は京の腹にグーパンチする。
「いてててて」
「でも、上級妖怪の妖狐に憑かれているなんて幸せ者ですね」
「だってさ、叶。俺に憑かれて幸せだろ?」
「全然」
「私のパートナーは数年前にいなくなってしまったので……なので私、独り身です」
つまり、女の子は誰にも憑かれていないことになる。私は女の子のほうが羨ましいと思う。騒がしくて、面倒な奴にストーカーされてなくて。あやかし全員がストーカーというわけでは無いが、京は完全にストーカーだ。
「パートナー……?」
「はい」
「楪葉さんはパートナーじゃないですよ。根っからのストーカーです」
「いや、俺はパート――」
「どっちでもいいです」
「「良くない!!」」
私はストーカーだと主張し、京はパートナーだと主張する。パートナーというワードが出てきたことに私は驚いたが、京は嬉しそう。京的には良かったのかもしれない。
「――それで、話を戻しますが、ひとりで抱えこむのは限界を迎えました」
「栞のこと?」
女の子は頷く。
「あ、私、藤白音々《ねね》といいます」
「はい。私は桜戸叶です。よろしくお願いします」
「俺は妖狐――じゃなくて、叶のパートナーの楪葉京だ。よろしく頼む」
「だから! パートナーじゃないって言ってるでしょう! 何でそのままで良かったのに訂正してしまったのですか」
「仲良くて、いいですね」
ふふ、と音々が笑う。
そして彼女はこほん、と咳払いしたのち――。
「――私、見てしまったんです」
「見たって何を……?」
「《《同級生が悪いあやかしと話している》》のを」
音々の話によると、放課後に同級生の女の子が悪いあやかしと図書室の隅で話しているのを目撃したらしい。
あやかしの肌は雪のように白く、唇は裂けているんじゃないかと思わせるほど横長だったとのこと。長い前髪と顔を覆うサイドヘアのせいで顔はよく見えなかったという。けれど、それが意図的なものかは充分察しがつくはずだ。見えない顔もどこまでも続く闇のように音々は感じたらしい。
素顔を知るのは同級生の女の子だけ。そう、《《取り憑かれて》》しまった女の子。恐らく女の子には悪いあやかしも普通の女性のように見えたのでは、と京は予想する。だって、あやかしの姿じゃマトモに取引なんて出来ないだろうから。
話している内容については終始ボソボソとしか聞こえなかったらしい。でも、はっきり聞こえた数少ないワードは「七夕」、「短冊」、「命」、「作戦」、そして「栞」。最後のほうは悪いあやかしの嘲笑だけが聞こえていたという。
女の子が怯えていたりはしていなかったらしい。それは一安心だが。けど、取り憑かれているとしたら安心は出来ない。
「――今の話から推理するに、恐らく切り裂き女だろうな」
「何ですか、それ?」
「なんでも切り裂くのが好きなあやかしで人の皮膚を切り裂いて人の血を飲むこともある。大切なモノ――札束や写真など――をよく切り裂く。その切り裂いたモノが大切であればあるほど、切り裂き女は喜ぶ。悪戯が好きな餓鬼なんだ。階級は上級だが、上の下だ」
「そ、そしたら、そこまで恐れる必要は無いんですね……」
「……いや、俺は怖い」
「え――? 怖い? あ、ひょっとしてあやかしの世界での階級のトップの座が奪われるのが……とかですか?」
「違う。叶が怪我をするのが、だ」
私の頬はみるみる紅潮する。音々の前ではそういう照れること、言わないでほしい。京にとっては本気なのかもしれないが。
でも嬉しくなってしまう。こんなにも誰かに大切にされたのなんて、初めてで。京がいるから心強いとも思えてしまう。なんていうんだろう。絆、なのかな。
「今回は《《栞》》が被害に遭ったのかもしれないが、人の皮膚を切り裂きすぎて出血多量で命を落とすケースもあるんだぞ。まあ、叶は俺がいるから生涯安泰だが」
「音々ちゃんは?」
「知らん」
「楪葉さんってこういう所、あるんですよ。ごめんね」
「い、いえ……」
「大丈夫! 音々ちゃんが怪我したら、私が手当てしてあげるから」
「怪我する前提なんだな。ひでえ」
「楪葉さんよりは酷くありません。だよね? 音々ちゃん?」
「……」
音々は黙ってしまった。無言、恐らく、首肯。
余談を話すと私は基本年上に対しては敬語だが、同い年や年下に対してはタメ口だ。だから、音々相手だとタメ口になる。
「――その同級生の女の子は、いまどうしてるんだ?」
「それが……二学期明けからずっと学校に来てなくて……」
いわゆる、不登校ってやつだ。
その女の子が切り裂き女に匿われているのか、消息不明になっているのか、家で悪夢ばかり見て寝たきりになっているのか、までは分からない。けれど、その子が学校に来れないほどの苦しみを味わっているのだけは分かる。
「……それは心配だな」
私も京に続き、頷く。
「桜戸先輩!」
「名前で呼んでも大丈夫だよ」
「で、では叶先輩!」
「なに?」
「その悪いあやかしと喋っていた女子生徒、咲倉っていうんです。私とは顔見知りです。叶先輩はご存知ですか?」
「ごめん。下級生の名前までは把握してなくて……だから知らない」
「そうですか」
「ああ、こいつ人には興味なくて、俺にしか興味ないから。当然っちゃ当然だな」
「なんてこと言うんですか! たまたま知らなかっただけです」
それに京に対して興味あるわけないし、京にしか興味ないというのも彼の嘘。ツッコみたかったが、ツッコめなかった。
「藤白のことも知らなかっただろ?」
「うっ……」
「まあまあ。大丈夫ですよ。私も咲倉も叶先輩のこと、知らなかったのですから。お互いさまです」
にっ、と音々がはにかむ。
沈みかけの夕陽が彼女の顔を照らす。
この流れだともう遅い時間だし、音々と一緒に帰る、というのが定石だが。
「これからどうする? 100%図書室に栞が無いのは明確だが」
「そうですね。栞を街中で探すのも気が遠くなりそうですしね」
「多分、切り裂き女の居場所を特定しないと何も始まらないかと」
「よし! それじゃあ、今からその咲倉って奴の家に突撃するか!」
「はああぁぁあ!?」
「あ、あの、私これから塾あるので……失礼します」
「ちょっ、音々ちゃん、待って!」
こうして、咲倉の家に行く、という奇行もとい住居侵入は免れた。はぁ、よかった。
きっと楪葉さんのことだから、壁をすり抜けて侵入するだろうし。京が礼儀正しく、インターホンを押す姿なんて、想像出来ない。
「残念だったな、咲倉さんの家行けなくて。て、なんで君はそんな不審者を見るような目をしてるんだよ。俺、壁すり抜けたりしねーよ?」
「私、何も言っていませんが? でもその発想はあるんですね……」
怪訝な眼差しで京を見る。
「…………」
切り裂き女は一体、何処にいるのだろう……?
咲倉の家には多分いない。家族がいるだろうし、悪いあやかしは長い間、同じ場所に留まるということはしない。
廃墟とか病院とか森の中とか?
前述で《《同じ場所に留まるということはしない》》といったが、廃墟と森の中は別だ。人目につかなければ留まる場合もある。でも家のような場所には留まらない。病院にいるなら、恐らく転々としている。
こういう時、透視能力を持つあやかしでもいれば――。
「楪葉さんはどこにいると思いますか?」
「切り裂き女か? 切り裂き女なら……うーん。分からないな。でもあいつなら、分かるかもな」
「あいつって?」
「☓☓☓☓。――あやかしを探知できるあやかしだ」
やっぱり、いたんだ。あやかしを探してくれる者。
でも、そのあやかしと接触するのはもう少しだけ先の話。
今はそんなことより――
「楪葉さん、疲れました。ロールケーキが食べたいです、いちごの」
「もう和菓子屋の娘という肩書きは捨てたんだな」
「何ですか!? その肩書き。ロールケーキ食べても私は変わらず和菓子屋の娘ですよ?」
「俺は認めん。ロールケーキ食べるなら、和菓子を捨てろ。俺は和菓子一択だ」
「めんどくさっ。もう! 楪葉さんなんか嫌いだぁー! わーん。ロールケーキ奢ってくれたっていいのにっ!」
私は洋菓子も和菓子もどちらも好きだ。何故、ロールケーキ食べると和菓子を捨てて、和菓子屋の娘ですらなくなるのか、意味が分からない。
でも京はロールケーキ屋の店のドアを開けて、手で私をエスコートしている。
「叶、お疲れ様」
「京さん……ありがと」
私は京に身を預ける。彼の着物の袖をくいっと握る。そして、頭をすりすり。
すると――。
ぽん。
頭に何かが乗っかった。柔らかい――手だ。温かくて、柔らかくて、乱雑だけど優しくて。
イケメンあやかしからの頭ぽんぽんを受ける私。案外悪くない。
心地よさに浸っていると……。
「入らないのか?」
催促されて、我に返る。
「あ! いま行きます!」
――10分後。
私はロールケーキを食べて寝ていたらしい。もう夜が近い。京の膝で爆睡する。
でも彼のひとことにより、起きる。
「――さっき、名前を呼ばれて嬉しかったぞ」
「……!」
気づかれてたんだ……。そりゃ、気づくか。
私たちは甘い空気に包まれて、すっかり切り裂き女のことを忘れていた。
それでいいのかもしれない。
第一章はこのエピソードで完結となります。
二章以降も長い話が続くのでよろしくお願いします。




