大阪ガスビル食堂でおじいちゃんと店外デート。歴史ある建物にびびる。おじいちゃんの博識が光る
水曜日。おじいちゃんに誘われて、大阪ガスビルの食堂へ向かうことになった。
外から見ると、正直ちょっと古びた建物やな、という印象やった。
淀屋橋の通り沿いは、どこもかしこも歴史のありそうな建物ばかりで、
ガラス張りの新しいビルとは空気が違う。博子は思う。
――私なんか、ここ来るの場違いちゃうんかな。
淀屋橋って、なんか「ちゃんとした大人」が歩く街や。スーツ姿の人、
落ち着いたマダム、銀行や法律事務所の看板。北新地ともまた違う緊張感がある。
もちろん博子は、重要文化財が多いから外観を派手に変えられない、
とか、そんな事情は知らない。ただ、キンキラキンにできない理由が“空気”
として伝わってくるだけや。エントランスをくぐると、思ったより中は明るくて、
きれいだった。古さはあるけど、手入れされてる感じ。広いロビーには、
昔の写真や歴史を説明するパネルが並んでいて、なんやここ、ちょっとした
資料館みたいやな、と思う。そのロビーの一角で、おじいちゃんが待っていた。
「おお、来たか」いつもより少しだけ、背筋が伸びているように見える。
博子が周りをきょろきょろ見ていると、おじいちゃんは笑って言った。
「こういうとこも、たまにはええやろ」「え、でも私、浮いてません?」
「気にせんでええ。ここはな、飯食う場所や。肩書きも年齢も関係ない」
そう言われても、ロビーにはマダムが多い。落ち着いた服装で、静かに会話してる人たち。
ちょっと場違い感は否めなくて、博子は内心、少しだけビビっていた。
席に案内されて、メニューを見る。名物はカレー。
「今日はこれやな」と、おじいちゃんは即決する。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
カレーとサラダ――のはずが、その前に小皿が出てくる。セロリ。
「……え、セロリ?」博子が首を傾げると、おじいちゃんが少し得意げに説明を始めた。
「これな、ガスビル食堂の名物や。最初にセロリ食べるんや」
「なんでですか?」「初代の料理長がな、洋食を日本人に根付かせるには、
まずセロリを食わせなあかんって言うたらしい」そんな話、初めて聞いた。
しかもそのセロリ、ただの付け合わせじゃない。
「昔はな、この建物の中で育ててたんや。今もその名残で、最初に出てくる」
へえ……と、思わず声が出る。ヒロコはセロリを一口かじる。
癖はあるけど、思ったより爽やかで、悪くない。
「おじいちゃん、詳しいですね」「まあな。この辺、仕事柄よう来とったから」
そう言いながら、周りを一瞥する。マダムたちはビールを飲んでいたり、
会社の食事会らしきグループもいる。なるほど。ここは“社用族”の街の食堂なんや。
博子はふと気づく。自分は初めて来た場所のはずやのに、なぜか空気が分かる気がする。
――ああ、そうか。博之が、生前ここに来たことがあったんや。
記憶としては曖昧でも、体のどこかに残っている感覚。「落ち着いた洋食屋」
「大人の昼ごはん」。そんなイメージが、すっと腑に落ちる。
カレーは、素直に美味しかった。派手さはないけど、丁寧で、ちゃんとしている味。
「やっぱり、こだわってはるんですね」「せや。こういうとこは、変に流行らんからええ」
博子は、ますますこのおじいちゃんが素敵に思えてきた。
派手に見せびらかすタイプじゃないけど、ちゃんと知ってて、ちゃんと選ぶ人。
「おじいちゃん、ますます素敵ですね」そう言うと、おじいちゃんは少し
照れたように視線を逸らす。「何言うてんねん」食事を終えて、ロビーを出るころには、
最初の居心地の悪さは消えていた。むしろ、この場所を知れたことが嬉しい。
「また晩にな、仕事終わりにふらっと行くわ」「はい。店前でちゃんと待ってますね」
そう約束して別れる。帰り道、博子は思う。このカレー、誰かを連れてまた来たくなるな、
と。でも――(これは、おじいちゃんの場所やな)
勝手に誰かを誘うのは、やめておこう。
そう思えるのも、なんだか大人になった気がして、少し誇らしかった。




