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清掃会社社長と花見の帰り道。ちゃんと博子を見てくれている人がいる

帰り道も、行きと同じようにサンダーバードに乗ることになった。

京都駅のホームは夕方の人波が少し引き始めていて、

観光客の声もどこか落ち着いている。昼間の哲学の道とは違う、

静かな余韻の時間やった。車内に座ると、社長はさっきまでとは別人みたいに、

ゆったり背もたれに体を預けた。「いやあ……今日はな、

ほんまに長い時間一緒におれてよかったわ」

そう言って、少し照れたように笑う。

「正直な、最近は誰かとおっても、ここまで“時間を忘れる”

ことってあらへんかった」博子は軽くうなずきながら、

窓の外を流れる景色を見る。京都の街がゆっくり後ろに流れていく。

「それは、よかったです」社長は続ける。「博子とおると、変に気張らんでええし、

喋らん時間があっても苦にならへん」

少し間を置いてから、ふっと真面目な顔になる。「ただな……」

博子の方を見る。「最近、出勤も増えてきとるやろ」

博子は一瞬、ドキッとする。「土曜日も出てるし、指名の話も、

いろいろ聞いとる」責める口調ではない。むしろ、心配している声音やった。

「無理はしたらあかんで」その一言が、思ったより重く胸に落ちる。

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」そう答えると、社長は首を横に振った。

「大丈夫って言うやつほど、後からガクッとくるんや」少し笑ってから、真剣な目で続ける。

「今日はな、いろんな気づきもあったやろ。歩いて、喋って、考えて」

博子は小さくうなずく。「せやからな」社長は鞄から封筒を出した。

「これ、足代やから取っとき」博子は慌てて手を振る。

「いえいえ、今日はほんまに楽しかっただけですし、そんな……」

「ちゃうちゃう」社長は即座に遮る。「これはな、おっさんの気持ちや」

博子の手に、そっと封筒を置く。「いろいろ考えて、頑張って、

ちゃんと積み上げようとしてるん、見とったらわかる」少し言葉を選ぶように続ける。

「おっさんからしたらな、正直、これくらいの金額は“はした金”や」博子は思わず苦笑いする。

「でもな」社長は声を落とす。「博子にとっては、ちゃんと意味のある金額や」

博子は黙る。「ちゃんと役に立てて、考えて使うやろ」博子の目を見て言う。

「それがな、おっさんは嬉しいんや」少し照れたように、でもはっきり。

「どうせ使うなら、博子が前に進む方に使ってくれた方がええ」

博子は一瞬、言葉に詰まる。「……ありがとうございます」それだけしか言えなかった。

社長は満足そうにうなずいた。「体だけはな、ほんまに壊すなよ」「はい」

「壊したら、積み上げたもん、全部止まるからな」

サンダーバードは、もうすぐ大阪駅に着く。「またな」「はい」

ホームに降りると、人の流れが一気に現実に引き戻す。社長は一度だけ振り返って、

軽く手を上げた。「今日は、ありがとうな」「こちらこそ」

大阪駅の改札前で、別れる。人混みに紛れていく背中を見送りながら、

ヒロコは胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。派手な約束も、

大きな言葉もない。でも、ちゃんと「見てくれている」人がいる。

その実感だけで、また一歩、前に進める気がした。

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