突然来た弁護士先生からの連絡。婚活疲れたから愚痴聞いてほしいと
土曜日の夜。店に入って間もない頃、スマホが震えた。
弁護士先生からの着信。ひろ子は一瞬だけ画面を見つめてから、静かに出る。
「お疲れさまです。どうされました?」声を落とすと、向こうはため息混じりに笑った。
「いやな……今日、お見合いしてきてん。正直、もう疲れたわ。ちょっと愚痴ってええか」
その一言で、今日この夜の流れが決まった気がした。
―――――
店に来た先生は、いつもより少しネクタイが緩んでいた。
席につくなり、黒霧島を頼んで、グラスを手に取る。
「もうな、愚痴が止まらん」
そう前置きして、話は一気に溢れ出した。
相手は条件としては“完璧”だったらしい。
学歴もそこそこ、家柄も悪くない。第一声から、
「先生って弁護士なんですよね?」
「年収って、だいたいどれくらいですか?」
そんな質問が続いた。「まあ、それはええねん。わかってて来てるわけやし」
先生はそう言いながら、グラスを傾ける。「でもな、次に出てくるのが、
“専業主婦希望です”“家計は全部私に任せてください”
“お小遣い制でも大丈夫ですよね?”やで」博子は、あえてすぐには相槌を打たなかった。
先生が言葉を探しているのが、よくわかったから。「なんかさ、条件だけ見て、
“この人なら私の理想の生活を運んでくれる”って思われてる感じがしてな。
苦労してきた過程とか、今も続いてるしんどさとか、そういうもんが全部
すっ飛ばされてる気がして、途中から急に嫌な気分になってきてん」
そこで、博子が静かに口を開く。
「……それ、ときめかない人に言われたら、余計しんどいですよね」
先生が顔を上げた。少し驚いたような、それでいて救われたような目。
「そうやねん。正直、同じこと言われても、“好きな人”とか、
“尊敬できる人”やったら、まだ受け取り方も違うんやと思うわ」
博子は小さく頷いた。「条件だけで来てる人って、
“これから一緒に作る生活”より、“もう出来上がった箱”を見てる感じしますもんね」
先生は苦笑する。「ほんまそれ。俺は箱ちゃうねんけどなって思いながら、
愛想笑いして帰ってきたわ」少し間が空いたあと、先生が冗談めかして言った。
「まあ、博子に言われるなら、“お小遣い制でもええですよ”って言われても、
まだ笑って聞けるけどな」博子は、すぐに切り返した。
「えー、それ言うなら、私も先生を馬車馬のように働かせるかもしれませんよ?」
先生が吹き出す。「それはそれでブラックやな」「でしょう?
だから条件だけで決めると、どっちも幸せになれないんですよ」
先生はグラスを置き、少し真面目な顔になる。
「婚活ってさ、“減点方式”になりがちやねん。年齢、収入、仕事、家事、価値観。
チェック項目ばっかり増えて、“この人とおったら楽かも”
っていう一番大事なとこが、最後に回される」
「疲れますよね」ひろ子はそう言って、ゆっくり水を注いだ。
「毎回、“この人は味方か、利用者か”みたいな目で見られるの、正直しんどいです」
先生は深く息を吐いた。「今日な、途中で思ってん。これ、恋愛ちゃうなって。
契約交渉やなって」「弁護士さんらしい例えですね」博子は笑う。「笑えんけどな」
そう言いながらも、先生の表情は少し緩んでいた。
「でも、今日こうやって愚痴れてよかったわ。さっきまで、“俺がおかしいんかな”
って思ってたけど、ひろ子に話して、ああ、これ嫌やと思ってええんやって思えた」
「もちろんです」博子は即答した。「嫌なもんは、嫌でいいんですよ。
肩書きのお付き合いなら、なおさら」先生は小さく笑って、グラスを掲げる。
「今日はありがとう。正直、誰かに聞いてもらえるだけで、だいぶ救われたわ」
「愚痴聞き、得意ですから」ひろ子も軽くグラスを合わせる。
この夜は、売り上げの話も、将来の約束も、一切しなかった。
ただ、“条件で測られない時間”を一緒に過ごしただけ。
それが、先生にとっても、博子にとっても、思った以上に価値のある夜になったことを、
二人とも、なんとなくわかっていた。




