小籠包を食べてグラングリーンの芝生を見ながら薄めのアイスコーヒーを飲んでのんびりする贅沢。銀座にはない余白
小籠包を食べ終わって、そのままグラングリーンの芝生を見て、ぼーっとして帰りましょうか、
という流れになったところで、博子は歩きながら、さらっともう一個だけ情報を差し込んだ。
「あ、そうや。」
「うん?」
「グランフロントの、もう一つの館があるじゃないですか。」
「あるな。」
「そっちの方には、サントリーが直営で飲食店やってて、そこで山崎とか響とかの
飲み比べもできるんですよ。」
イキリ社長が、その場で足を少し緩める。
「え、そうなんや。」
「そうなんです。」
「大阪駅でそれができるのはええな。」
博子は、そこにちょっとだけ得意げな顔をする。
「でしょう。しかも、ランチ、一番安いの千円でありますから。」
「安っ。」
「結構、人並んでますよ。」
「それ、また教えてくれよ。」
その返しに、博子はすぐに笑った。
「そんなん全部教えたら、あれですよ。」
「何がや。」
「面白くなくなりますよ。」
社長が吹き出す。
「なんやそれ。」
「いや、ほんまに。」
博子は、歩くペースを合わせながら続ける。
「その人の“お品書き”に乗っかっていくと、その時その時の感動はあるけども、
忘れちゃうんですよね。」
「へえ。」
「やっぱ、自分で探した楽しさっていうのも、特に大阪京都はあるんです。」
イキリ社長が、そこで少し考える顔になる。
「なるほど。探検か。」
「そうそうそうそう。」
「なるほどな。」
博子は、その“探検”という言葉がちょっと気に入ったみたいに笑う。
「観光地図見るのもいいですけども。なんかこうやって、足で稼いで、いろいろやるのも
悪くないですよ。」
「足で稼ぐ、な。」
「ですです。」
大阪駅のあたりは、日曜日の午後らしい、ちょっとのんびりしたざわつきがあった。
グランフロントからグラングリーンの方へ抜けていく人の流れも、買い物帰り、デート、
家族連れ、いろんな温度が混ざっている。でも、博子とイキリ社長の間には、もう急いで
何かを消費しようという感じはなかった。
小籠包を食べて、少し満たされて、そこから芝生を見ながらコーヒーでも飲んで帰る。
そのぐらいの軽さが、今日にはちょうどいい。
「しかし、あれやな。
イキリ社長が、歩きながらぼそっと言う。
「大阪駅の真ん中で、山崎とか響の飲み比べができるとか、そういう情報をさらっと出してくる
あたりがずるいわ。」
博子は、そこで少し肩をすくめる。
「ずるいですか。」
「ずるい。だって、“また今度来た時のネタ”が一個増えるやん。」
「それが狙いですよ。」
「やっぱりな。」
二人で笑う。
でも、それは冗談半分で、本音半分やった。
全部一気に見せない。一個見せて、一個残す。
その残し方が、博子はやっぱりうまい。
グラングリーンの方へ入っていくと、視界が少し開ける。
ビルに囲まれてるのに、芝生があるだけで空気が柔らかく見える。
イキリ社長も、そこで少し立ち止まるみたいにして「おお」と声を漏らした。
「ええやん。」
「でしょう。」
「梅田の真ん中でこれあるの、なかなかええな。」
「でしょ。だから言うたじゃないですか。グランフロントで中華食べて、
ここでコーヒー飲んで、ぼーっとして帰るのもありやって。」
「ありやわ。」
博子は、近くのセブンイレブンを指で示す。
「ほな、コーヒー買いますか。」
「うん。」
「夏場やから、アイスコーヒーかな。」
「そうやな。」
二人でセブンイレブンに入って、カップを取って、機械の前に並ぶ。
こういう、なんでもないコンビニの動きが混ざるのも、今日のコースの良さやった。
高級店、高級酒、特別な場所、それだけじゃなくて、最後にコンビニのアイスコーヒーで締める。
その“落とし方”が、東京の社長には意外と効く。
「薄いのにします?」
博子が聞くと、社長が笑う。
「お前、そこまで管理するんか。」
「いや、中華の口、中和していくには、その方がいいかなって。」
「ほんまにおかんやな。」
「だから介護士でもおかんでもないですって。」
そんなふうに言いながら、氷の入ったカップにコーヒーを落としていく。
機械の音がして、黒い液体が静かにたまっていくのを見ているだけでも、なんか少し落ち着く。
イキリ社長は、それを受け取って一口飲み、すぐに頷いた。
「あー、たしかに。」
「でしょう。」
「中華のあとに、これはちょうどええな。」
「でしょうでしょう。」
二人でコーヒーを持ったまま、芝生の見えるところに移動して、なんとなく並んで座る。
人が行き交っているのに、不思議と急かされる感じがない。
ビル風が少し抜けて、夏の熱気の中にも、わずかに涼しさが混ざる。
「こういうのも、ええな。」
社長が、芝生を見ながら言う。
「何がですか。」
「いや、酒飲みに来て、うまいもん食って、最後コンビニのアイスコーヒーでぼーっとするって。」
博子は、そこを聞いて少し笑う。
「なんか、贅沢なんか庶民的なんか、ようわからんでしょ。」
「そこがええねん。」
「そうですか。」
「銀座やったら、こういう終わり方できへんもん。」
その一言は、やっぱり効いていた。
博子は、イキリ社長の横顔をちらっと見ながら、「まあ、それはそうやろな」と思う。
銀座のブランドは、こういう“抜き”をあんまり許さへん。
でも大阪は、それができる。
高いもんも安いもんも、探せばちゃんとあるし、その振れ幅の中で遊び方を組み立てられる。
そこが、東京の人からしたら“奥行き”に見えるんやろう。
「また、扉開きましたね。」
博子が、少しだけいたずらっぽく言う。
社長が、アイスコーヒーを持ったまま笑う。
「お前、その言い方好きやな。」
「好きです。」
「まあ、でも開いたわ。たしかに。」
芝生の向こうを眺めながら、二人はしばらく何も言わずにコーヒーを飲んだ。
小籠包の熱さも、日本酒の余韻も、東京でへこんだ気持ちも、コンビニの薄めの
アイスコーヒーで少しずつ中和されていく。
その“薄め”が、今日の締めにはちょうどよかった。
濃いものばっかり重ねるんやなくて、最後に抜く。
その感覚まで含めて、博子はこのコースを組んでいた。
そして社長も、そのことに気づき始めているみたいやった。




