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東京イキリ社長。博子の値引き代わりの調べもの。実際会社の中身が変わり始めているのが面白い

東京のイキリ社長は、土日が終わって月曜日、会社に出勤した。

朝、オフィスに入った瞬間から、自分でも少し機嫌がいいのが分かる。

別にニヤニヤしてるわけではないけど、肩の感じが違う。足取りも軽い。

週末の余韻がまだ残ってるのやろうなと思いながら、席に着く。

それを見て、近くにいた部下が声をかける。

「社長、なんか心なしか機嫌良さそうですね。」

社長はパソコンを立ち上げながら、少しだけ笑う。

「そうか。ちょっと土日にリフレッシュできたからな。」

「珍しいですね。」

「まあな。」

そこでふっと、伏見の酒蔵だの、嵐山の川下りだの、祇園のランチだの、

あの三人の女の子たちの顔が一瞬で頭の中をよぎる。

――やっぱり、土日めちゃめちゃ楽しかったしな。

しかも、刺さる。ただ飲んで終わるんやなくて、ちゃんと残る。

そんなことを思い出しながら、社長は一つ、週末に博子に言われたことを思い出した。

「あ、そうや。」

手を止めて、近くの部下を呼ぶ。

「ちょっとええか。」

「はい。」

「奨学金返済の肩代わりの話と、就労不能の話。あのへん、うちって今どんな感じなんや。」

部下は一瞬、何の話やという顔をした。この社長がそういうことに興味を持つのは、たしかに珍しい。

「社長がそんなことに興味持つなんて珍しいですね。」

「いや、ちょっとね。知り合いに頼まれたさ。」

そこは、少しだけごまかした。博子に頼まれた、とはなんとなく言いにくい。

けど、言ってること自体は別におかしくない。むしろ、会社として考えてもいい話や。

「で、うちって今、従業員千人ぐらいやろ。」

「そうですね。ざっくりそのぐらいです。」

「離職率ってどんなもんなん。」

部下は、少し考えながら答える。

「うちは結構安定してますわ。まあ、世間でよく言う三年三割の中では、

うちは二割五分ぐらいですかね。世間よりはちょっといいっす。」

「ふーん。」

「ただ、最近は新卒集めるのが結構厳しくなってきてるんで、奨学金返済の肩代わりは、

結構効くと思いますよ。」

社長はその言葉に、すぐ反応する。

「やっぱりそうか。じゃあ、それやるとやらんとで、どれぐらい変わるかの見積もり、

出してみてくれ。」

「見積もり、ですか。」

「うん。で、就労不能の方はどうや。」

部下は、少しだけ表情を曇らせた。

「最近、メンタルはね、結構多いんですわ。うちも勝手に辞めていくやつもおったんですけど、

最近は休職して、取り扱いに困ってる人も増えてます。」

「なるほどな。」

「だから、そういう保険を会社で入れるとなったら、うちがなんぼ持たなあかんか、とか。

その辺もまた調べて出します。」

「頼むわ。」

社長はそこで少し考えてから、ついでみたいに言う。

「あと仮眠室とか。俺のポケットマネーぐらいでできそうなことがあれば、またなんか教えてくれよ。」

部下が、思わず笑う。

「今日の社長、どうしたんですか。」

「いやいや、ほんまにちょっと頼まれただけやから。」

それ以上は言わない。

でも、自分で言っていても、たしかに普段と違う。

前やったら、“そんなもん、気合いで何とかせえ”で切ってたかもしれん。

でも今は、なんかそこにコストをかける意味が見え始めてる。

あの、博子の「そこ、結構大きいと思うんですけどね」の言い方が、まだ耳に残っていた。

その日はそのまま、普通に仕事をした。案件を見て、数字を見て、打ち合わせを回して。

でも、頭の片隅にはずっと、あの話がある。奨学金、就労不能、仮眠室。

そして、そういうことを“遊びの途中”みたいな顔でポンポン投げてきた博子のことも。

火曜日。昼前ぐらいに、昨日の部下が資料を持ってやってきた。

「社長、昨日の件、ざっくり出しました。」

「お、はやいな。」

「言われたんで。」

社長は資料を受け取る。部下はそのまま説明を始めた。

「まず、奨学金返済に関しては、最近やっぱりトレンドで、やってるところ結構増えてます。

だいたい、月一万五千円かける十二ヶ月かける十年で、百八十万ぐらい。その辺が、結構多いです。」

「百八十か。」

「で、それやることで、やっぱり離職率は下がるっすね。あと、採用の時の刺さり方が違う。

やる・やらんで、一人あたり、採用のしやすさと離職リスク込みで見たら、

ざっくり三百万ぐらい違うと思っていいです。」

社長が顔を上げる。

「三百万。」

「はい。うち、だいたい毎年二、三十は採るじゃないですか。そのうちの何人かが辞める辞めへんって

いう話になるだけで、数千万単位で採用コストと育成コストが変わってきます。」

社長は、その数字を見ながら小さく息を吐いた。

「……やっぱりそうか。」

部下が、そこで少し目を細める。

「やっぱり、ってことは誰か他に言われたんですか。」

社長は、すぐにごまかす。

「いやいやいや、そんなわけじゃないけども。」

けど、心の中では、やっぱり博子の顔が浮かんでいる。

あいつ、あの場で適当に投げてるようで、ちゃんと刺さる球投げてくるんやな、と改めて思う。

「じゃあ、もうそれ、即やろう。」

部下が一瞬固まる。

「え?」

「来年からでもいい。社内でアンケート取って、該当するやつがおったら、もう全部つけたるわ。」

「マジですか。」

「マジや。」

部下が、ちょっと面食らった顔になる。そんな即断即決を、この手の福利厚生でやる

タイプではなかったからや。

「で、就労不能はどうやった。」

部下も気を取り直して、次の資料を出す。

「就労不能は、最近やっぱり一パーぐらい。毎年十人ぐらいは、メンタル系で休んだり

辞めたりしてて、累積で見るとかなりの数になります。オープンワークとかにも書かれるリスクあるし、ややこしいです。」

「なるほどな。」

「だから、すでに厳しいやつ全部を救うのは無理かもしれないですけど、

“これから気を使ってます”っていう形を作るだけでも、かなり違うと思います。」

社長はそこで腕を組んだ。

「そうやな。今いるやつ全部何とかするのは無理でも、これからの見せ方としては

作っといた方がええな。」

「そう思います。」

部下は、少し笑いながら言った。

「社長、そういうのって“気合いで直せ”って言うタイプじゃなかったですか。」

社長は、そこで自分でも少し笑う。

「いや、頼まれていただけやけと。」

「頼まれて、でこんな変わります?」

「この保険?そんなん、案件一つの利益の半分にもならんわ。

それぐらいで、辞めるやつ減って、採用もしやすくなるなら、やったるわ。」

口に出してから、自分でも少し不思議やった。

普段の自分と違うな、というのはちゃんと分かっている。

でも、悪い違いではない。むしろ、こういう風に考える方が、経営者としては自然なんかもしれん。

そう思えたのは、たぶん博子に言われたからや。

あいつに“それ、結構大きいですよ”とあの調子で言われると、なぜか一回ちゃんと考えてみる気になる。

「……まあ、これも博子ちゃんの頼みやしな。」

小さくそう呟くと、部下は「何ですか?」と聞き返したけど、社長は「なんでもない」とだけ言って、

資料をもう一度見直した。遊びの延長線上で始まった話やった。

でも、ちゃんと会社の中身に変わり始めている。

そこがなんだか、妙に面白かった。

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