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清掃会社社長ともめた後の博子。あとワンセットだけやって嫌なことを塗り替えてから帰る

清掃会社の社長が帰っていったあと、店の空気が少しだけ軽くなった。

軽くなった、というより、張り詰めてた糸が一本切れた感じやった。

ヒロコはバックヤード寄りのところで、水をひと口飲んでから、ようやく息を吐いた。

怒りというほどではない。けど、疲れはどっと来ていた。

ああいう種類のやり取りは、体力より先に神経を削る。

そこへ、さきちゃんとアルカちゃんが、少し時間を見て寄ってきた。

二人とも、全部は聞いてへんやろうけど、流れは見ていた顔やった。

「博子ちゃん。」

先に声をかけたのはアルカちゃんやった。

柔らかい声やけど、目はちゃんとこっちを見てる。

「……あの切れ方は、切っていいでしょ。」

博子は苦笑いした。

たぶん、今いちばん欲しかった言葉やった。

サキちゃんも横で頷く。

「うん。あれは無理やわ。“外遊びできへんかったら価値ない”みたいな切り方やったもん。

あれをこっちが飲み込んでたら、たぶん次もっとしんどくなる。」

博子は壁にもたれるみたいにして、肩を少し落とした。

「……ありがとう。」

アルカちゃんが、ちょっとだけ顔を近づける。

「無理しないで。明日、大丈夫?」

その一言で、逆に博子の中のスイッチが戻る。

そうや。落ち込んでる暇はない。

明日は明日で、ちゃんと勝負がある。

博子は水のグラスを置いて、ゆっくり頷いた。

「大丈夫。ここから立て直す。」

さきちゃんが眉を上げる。

「ほんまに? 今日はもう上がった方がよくない?」

博子は首を振った。

「いや。ここで引いたらあかん。」

その言葉は、自分に言い聞かせるためでもあった。

「さっきの流れで今日終わったら、たぶん尾を引く。“あの客に削られて終わった日”になる。

それは嫌や。」

アルカちゃんが、小さく「わかる」と言う。

夜の仕事って、最後の印象で、その日全体の手触りが決まってまうところがある。

博子は続ける。

「あと1セットだけ、いる。そこで自分が不安定やと思ったら帰る。

でも、ちゃんと一回“普通の接客”に戻してから終わりたい。」

さきちゃんが笑った。

「ほんま職人やな。」

「職人ちゃう。意地や。」

博子も笑う。

その笑いで、やっと気持ちがひとつ前に進んだ。

「明日は大勝負やし。」

その言葉に、二人とも表情を引き締める。

東京の社長たち。段取り。座組。

今日は気持ちよく帰らなあかん日や。

今日の不機嫌を明日に持ち越すわけにはいかへん。

アルカちゃんが言う。

「じゃあ今日は“整える”で行こ。攻めるんじゃなくて、整える。」

博子はその言葉を繰り返した。

「整える。うん、それやな。」

さきちゃんが少しだけ冗談っぽく言う。

「ほな、最後の1セットで変なの引いたら、すぐ黒服呼びや。

今日はもう無理して一人で抱えんといて。」

「わかった。」

「ほんで、明日はちゃんと勝とう。」

その言い方が、なんか妙に効いた。勝つ。

そうや、今日のこれは“負け”ではない。整理や。

不要なもんを切って、残すもんを残しただけや。

だったら、次に進まなあかん。

博子は、ドレスの裾を一回だけ整えて、鏡の方を見た。

顔は少し疲れてる。でも、まだ戻せる。目も死んでへん。

「よし。」

小さく言うと、二人が同時に頷いた。

「いける?」

「いける。」

「ほんまに?」

「いけるって。」

今度はちゃんと笑えた。

さっきまで残ってた、あの嫌な熱が少しずつ抜けていく。

博子は二人の顔を見て思う。

一人で立て直すんやなくて、こうやって少し声をかけてもらえるだけで、人はこんなに戻れるんやなと。

「ありがとう。今日、あと1セットだけやる。ほんで、明日に備えて帰る。」

アルカちゃんが肩をぽんと叩く。

「それでええ。」

さきちゃんも、にっと笑う。

「整えて、寝て、明日刺したらええ。

博子はその言葉を胸の中で一回転がしてから、卓の方へ歩き出した。

ここで崩れたまま終わらない。ここで引きずらない。

今日の最後は、ちゃんと自分で選ぶ。

明日は大勝負や。だから今夜は、立て直して終わる。

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