東京メイン社長の動き。博子の相談内容を会議で詰めながら先週同様お茶会で話を聞く
月曜日。東京メイン社長は、先週に引き続き、やけに足取りが軽かった。
会社のエントランスを抜けてフロアに入った瞬間、部下の一人が顔を覗き込むみたいにして言う。
「社長、今日も機嫌いいですね。」
社長は一瞬きょとんとしてから、鼻で笑った。
「そうか?……まあ、そうかもな。」
自分でも理由は分かってる。土日。博子と遊んで、変な力が抜けた。
“気づき”ってやつは、後からじわじわ効いてくる。
月曜の朝にそれが出るのが、自分でも面白い。
「最近さ、壁に当たってたんや。俺。」
部下は曖昧に頷く。
「まあ……はい。」
「でもな、対処の仕方が、ちょっと分かってきた気がするわ。」
言いながら社長は、ふと時計を見る。午前の段取りをざっと頭でなぞってから、軽いノリで言った。
「今日、三時くらいからさ。お菓子会、またやるか。」
え?という空気が一瞬走って、すぐに明るいざわつきに変わる。
社長は一万円札を一枚取り出して、近い席の部下にポンと渡した。
「ケーキでも、なんでもええ。適当に見繕っといて。」
部下は受け取りながら、笑いを堪えた顔で言う。
「社長、それ、完全に先週の続きですよね。」
「うるさい。続きや。」
周りの机から、小さな笑い声が漏れる。たった一万円で、空気が少し柔らかくなる。
社長はそれを見て、内心ちょっと満足した。
──で、ここからが本題やった。
社長は席に戻るふりをして、近くの数人を呼ぶ。
人事寄りのことに詳しいやつ、総務寄りのやつ、現場の声を拾えるやつ。
いつもなら会議を開く。でも今日は“会議っぽくしない”のが狙いや。
「なあ、ちょっと聞きたいことがある。」
部下が姿勢を正す。社長は、あくまで雑談のテンションで投げた。
「最近の離職率、どうなってる?」
「……はい。直近の四半期は、前年より少し上です。」
「メンタルで休んでるやつの割合は?」
少し間が空く。答える側も、言葉を選ぶ。
「診断書ベースで見ると、増加傾向です。特に若手。」
社長は頷いた。“若手”という単語が、頭の中で引っかかる。
「で、奨学金。うちで借りてるやつ、どれくらいおる?」
「正確には集計必要ですが、感覚だと新卒〜若手の一定数は借りてます。」
「よし。集計してくれ。ざっくりでええから。」
社長は続ける。
「奨学金返済の肩代わり制度とか、最近よく聞くやろ。うちで導入するとしたら、
何がハードルになる?」
部下が言う。
「制度設計と公平性ですかね。対象範囲とか、金額、条件。あと、
採用への効果とコストのバランスです。」
「なるほど。」
社長はそこで、もう一つぶっ込む。
「メンタルの話で言うとさ。就労不能の保険。
団体で入れるやつ。うち、どうなん?」
部下が少し苦笑する。
「その手は、福利厚生の選択肢としてはあります。ただ、保険料負担を会社がどこまで持つか、
本人負担にするか、あと補償内容の線引きが難しいです。」
社長は腕を組んで、ぽつりと言った。
「うち、従業員何人やったっけ。」
「ざっくり三百です。」
「三百か。」
社長は一度、頷いた。この規模なら、“できない話”ではない。
でも、やり方次第で反発も出る。そこは分かってる。
「よし。じゃあ、資料集めてくれ。」
社長は紙に書くようなテンションで、口で指示を切る。
「離職率。メンタルの休職率。奨学金の実態。奨学金支援制度の他社事例。
就労不能の団体保険の相場感。うちの規模でやるなら、ざっくりどんな金額になるか。」
部下がメモを取りながら頷く。
「分かりました。いつまでに?」
「今週中に一次。細かいのは来週でいい。三時のお菓子会の時、途中経過でもええから持ってきて。」
「お菓子会でやるんですか、それ。」
「お菓子会でやる。会議室の空気でやったら、また固なるから。」
部下が笑って、周りも少し笑う。社長は、わざと真面目な顔を崩さない。
──昼過ぎ。決裁関係の仕事を回しながら、社長は時計を見る。三時が近づくと、
フロアの空気が少し浮き足立つ。紙袋がいくつも運ばれてきて、ケーキの箱が机に並び始めた。
「社長、選びました。人気のとこです。」
「よし。」
社長はコーヒーを手に取って、軽く言った。
「じゃあ、今日は“会社に何があったら助かるか”を聞く。堅い答えじゃなくていい。思ったこと言え。」
部下たちがケーキを取りながら、ざっくり話し始める。会議室では出ない声が、意外と出てくる。
「仮眠室、あると助かるっすね。」
「休む場所があるだけで、午後の集中変わる。」
「社長、それ本気で作るんですか?」
社長は笑う。
「本気かどうかは、聞いてから決める。」
別の部下が言う。
「奨学金は、正直刺さると思います。新卒の子、返済で手取り感覚がきついって言ってます。」
「うち、家賃補助よりそっちの方が効く層もいますよね。」
「就労不能の保険は、あったら安心ですけど……会社が全部負担だと、ちょっと反発出そう。」
「でも半分会社、半分本人みたいな形なら、納得感あるかも。」
社長は、ケーキを一口食べながら聞いてる。怒らない。遮らない。
言葉が出やすい空気を、あえて作っている。
ふと、社長が聞く。
「逆にさ。会社に“これだけはやめてくれ”ってある?」
一瞬、空気が止まる。でも今日は、止まっても大丈夫な場や。誰かが小さく言った。
「会議、増やすのは……やめてほしいです。」
笑いが起きる。社長も笑う。
「分かった。会議は増やさん。減らす方向で考える。」
もう一人が言う。
「社長、こういう時間、定期でやってくれたら嬉しいです。」
社長は頷いた。
「それ、今日の結論にしよか。制度の話は詰める。でも、その前に“話せる余白”は残す。」
ケーキの甘さと、コーヒーの苦さ。その間で、社長は部下の顔を一人ずつ見た。
“ここが足りてなかったんやな”
そう思った瞬間、胸の奥で、土日の鴨川の風景がよぎった。
社長は軽く息を吐いて、次の指示を出す。
「じゃあ資料、頼む。奨学金と就労不能、真面目に検討する。
ただし、数字だけじゃなくて“現場の感情”もセットでな。」
部下が頷いて、紙袋のケーキをもう一つ取った。
「社長、今日ほんまどうしたんですか。……でも、ありがたいです。」
社長は笑って、コーヒーを持ち上げた。
「どうもしとらん。ただ、ちょっとやり方変えてみようと思っただけや。」
三時の光が、フロアの窓に差し込む。
ケーキの箱が少しずつ軽くなっていく。
社長はその光景を見ながら、静かに思った。
——この“余白”を、会社の仕組みにできたら強い。




