植物園の温室コーナーで星の王子様に出てくる木とか見ながらだらだら歩く。表情柔らかくなる社長
温室の扉をくぐった瞬間、空気が変わった。外の乾いた空気とは違う、
少し湿った、ゆったりした空気が身体にまとわりつく。
ガラスの天井から柔らかい光が落ちてきて、葉っぱの影が床に揺れている。
社長は思わず言った。
「うわ、急に南国やな。」
博子は笑いながら肩をすくめた。
「でしょ。温室って、入った瞬間に“空気変わる感”あるんですよ。」
二人はゆっくり通路を歩く。背の高い葉っぱや、見たことのない形の植物が並んでいて、
ぽたぽたと水の音が聞こえる。社長はあたりを見回しながら、
少し肩の力が抜けたような顔をしていた。
「なんか、会社の空気と真逆やな。」
「真逆ですね。」
博子は軽く笑った。
「だから、こういうとこ来るだけでちょっと落ち着くんですよ。何も考えなくても、
ぼーっと歩くだけでいいし。」
社長は葉っぱを見上げながら言う。
「確かに。さっきまで頭の中ぐるぐるしてたのが、ちょっと止まるわ。」
少し歩くと、大きな木の展示の前に出た。幹の太い木の写真や説明が置いてある。
博子が指さす。
「ほら、これ。」
社長が近づいて見る。
「バオバブって書いてあるな。」
「そうそう。それ。」
博子は軽く言った。
「なんか、絵本に出てくる木らしいんですよ。星の王子さまとか。」
社長が笑う。
「急に文学やな。」
「いや、私もそんな詳しく知らないです。なんか“放っといたら大きくなる木”みたいな
感じで出てくるらしいですよ。」
社長は展示を見ながら言う。
「へぇ。」
博子は説明を深くは続けなかった。ちょっと間を置いて、また通路を歩き始める。
「まあでも、正直そんな深い話じゃなくていいと思うんですよ。」
「どういうこと?」
博子は天井を見上げながら言った。
「ただ、“絵本に出てくる木がある”って思うだけで、ちょっと面白くないですか?」
社長が笑う。
「まあ、それはそうやな。」
「ですよね。
別に知識として全部知る必要もないし、“あ、これがそうなんや”くらいで十分。」
二人はゆっくり歩く。温室の奥の方では、葉っぱが揺れて、遠くで子供の声が聞こえる。
ベビーカーを押した親子が通り過ぎていった。
社長がぽつりと言う。
「なんか…ええな、この空気。」
博子は頷いた。
「いいですよね。」
少し沈黙が流れる。
博子が笑って言った。
「社長、さっきから顔変わってますよ。」
「そうか?」
「変わってます。さっき店で飯食ってた時より、だいぶ柔らかい。」
社長は苦笑いする。
「そんな顔してたか。」
「してました。社長って、普段ずっと考えてる顔してるんですよ。」
社長は少しだけ肩を回した。
「まあ…仕事柄な。」
博子は軽く言う。
「でも、こういうとこ来ると、ちょっと止まるじゃないですか。」
「止まるな。」
「ですよね。」
博子は笑った。
「それだけで十分やと思うんですよ。」
社長が聞き返す。
「十分?」
「はい。なんか“すごい気づき”とか、そんな大げさなことじゃなくて、
ただ歩いて、植物見て、ぼーっとして。」
博子は周りを見渡した。
「で、たまに“絵本に出てくる木やん”って思うくらいで。」
社長がまた笑う。
「軽いな。」
「軽いくらいがちょうどいいんですよ。」
博子は少し前を歩きながら言う。
「世の中、重たい話多いじゃないですか。仕事とか、お金とか、将来とか。」
社長は頷く。
「まあ、そうやな。」
「だから、こういう場所くらい、軽くていい。」
温室の出口が見えてきた。外の光が差し込んでいる。
博子は振り返った。
「でも、社長。」
「ん?」
「なんか気持ち落ち着くでしょ?」
社長は少し考えてから、笑った。
「落ち着くわ。」
博子は満足そうに頷いた。
「でしょ。400円でこれなら、十分元取ってると思いません?」
社長が笑いながら言う。
「ほんまやな。」
外の光の方へ歩きながら、社長はもう一度温室を振り返った。
「飯食って、植物園歩いて、絵本の木見て。なんか不思議なコースやけど、悪くないな。」
博子は軽く笑った。
「でしょ。たまにはこういう散歩も、ええもんですよ。」




