博子と幹事社長との同伴。奇をてらわず札束で殴らず出汁と落ち着きのど真ん中勝負
暖簾をくぐると、すぐに「いらっしゃい」と声が飛んできた。
カウンターだけの小さな店。席と厨房の距離が近い。
常連さんらしき人が軽くこちらを見て、また盃に戻る。
「ええな、この距離感」
幹事社長が小さく言う。
「なんか、親密やな。アットホームというか」
博子は笑う。
「そんな感じですよね。横にぴったり座るような距離の近さもありますけど、
それより、このほっこりした空気を味わってもらいたくて」
「いや、それはドンピシャで当たりやで」
幹事社長は即答する。
席につくと、注文はほとんど言わなくても通る。
博子が事前に軽くお願いしておいた流れで、料理がさくさく出てくる。
まずは茄子の煮びたし。つやっとした紫に、透き通った出汁。
箸を入れると、じゅわっと染みる。
「うわ、これや」
社長が一口で目を細める。
続いて里芋の転がしを揚げたもの。外は薄くカリッと、中はほくほく。
「これ、なんやろな。派手ちゃうのに止まらん」
「そうなんです。目立たないけど沁みるんですよ」
だし巻き卵。揚げ出し豆腐。どれも奇をてらわない。
最後に大将が声をかける。
「今日はブリの釜焼き、ええの入ったで」
皮目が香ばしく、脂がじんわり。
「ど真ん中やな」
社長が笑う。
「最近な、高い店行こう行こう言う人多いんよ?焼き肉か寿司ばっかりや。ちょっと
変えよう思ったら創作和食で、横文字のわけわからんメニュー出てくる」
博子は瓶ビールをゆっくり注ぐ。
「ここは、味と出汁で勝負してくれますもんね」
「それや。ど真ん中や」
社長はうなずく。
「東京やと、値段の殴り合いみたいになるやろ。立地もあるし、
家賃もあるし、しゃあない部分もあるんやろけど」
博子は静かに続ける。
「大阪もそうですけど、東京以外のところって、こういう店、結構あると思いますよ」
「うん」
「ときどき、こういうところで遊ぶのもいいですよね」
幹事社長はビールを飲み干す。
「ええわ。ほんまええ」
料理が進むにつれ、話題も柔らかくなる。
最近の仕事の話。うまくいってる案件。
思ったより手こずっている案件。
「なあ、正直言うてええか?」
「どうぞ」
「人が育たへん」
ぽつりと漏らす。
博子は急かさない。
「若い子な、悪ないんやけどな。覚悟が足らんというか」
「期待してるから、余計しんどいんですよね」
「そうやな」
社長は箸を置く。
「博子ちゃんはな、なんでそんなに落ち着いてられるんや」
「落ち着いてますか?」
「落ち着いてる。焦ってへん」
博子は少し考える。
「焦っても仕方ないことが多いからですかね」
社長が笑う。
「それ、経営者の言葉やぞ」
「いやいや」
ビールをまた注ぐ。
「でも、社長もちゃんと見てはるから、疲れるんやと思いますよ」
「見んかったら楽やのにな」
「見てるから、今ここにいらっしゃるんでしょう?」
社長は何も言わず、ブリをもう一口。
「なあ、博子ちゃん」
「はい」
「こういう時間が一番贅沢かもしれんな」
「高いワインより?」
「そや」
二人で笑う。
店内は静かに流れていく。誰も急がない。
誰も競わない。社長は瓶ビールを博子に注ぎ返す。
「ありがとな、今日」
「こちらこそです」
「最近な、仕事の不満、あんまり言えへんのや」
「ここでは言ってください」
「聞いてくれるだけでええ」
「聞きますよ」
社長はまた少し吐き出す。
組織の愚痴。取引先の癖。数字の重圧。
博子は相槌を打ち、目を見て、時々笑う。
二時間はあっという間やった。
「満足や」
社長が立ち上がる。
「今日はこれで十分や」
博子は少しだけ安堵する。
派手じゃない。でも、確実に沁みた。
暖簾を出ると、夜風が柔らかい。
「博子ちゃん、ええ店やった」
「ありがとうございます」
「また来よな」
「ぜひ」
同伴は静かに終わる。
派手な演出も、札束もない。けれど、社長の足取りは軽い。
“ど真ん中で勝負する”。
それがちゃんと届いた夜やった。




