山崎のウイスキー工場で格別の山崎18年、白州18年を味わう贅沢。満喫しておじいちゃんと別れる
最初の一杯は、予定通り山崎12年を1,000円で。
「まずは基本からやな」とおじいちゃんが言いながら、グラスをくるくると回す。
広子は横で、香りの立ち方を見ながらにこっと笑う。
「最初は軽めからですよ。いきなり18年いったら、舌がびっくりしますからね」
グラスを鼻に近づけると、甘くてやわらかい樽香。ひとくち含むと、丸い。優しい。
「うん、これや。これが山崎やな。やっぱうまい」
「店で飲んだら、これもっとしますよね」
「そや。絶対こっちの方が安い。博子と来て正解や」
その流れで、博子が静かに切り出す。
「せっかく来たんですから、次いきましょうか。山崎18年と、白州18年。飲み比べ」
おじいちゃん、目がきらり。
「ええやないか。どうせやったら上までいこう」
でも博子は、ちゃんと見ている。
「ちなみに、ここ“テイスティング3杯まで”って書いてましたよ。今で1杯。
あと2杯で今日は終わりですからね」
「ちゃんと見とるやんけ」
「当然です。今日は酒盛り大会ちゃいますから。満足して帰る日です」
そう言いながら、山崎18年をオーダー。
グラスに注がれた琥珀色は、さっきよりも濃く、深い。
香りをかいだ瞬間、おじいちゃんが小さく唸る。
「おお……甘いな。重たいな。これはええ」
ひとくち。
「……やっぱり違う。厚みがある。これは店で飲んだら高いで」
博子も少し口に含む。
ストレートのアルコールが喉を通るけれど、その奥に、レーズンや黒糖のような甘み。
「うん、やっぱ18年は別格ですね」
そして最後の一杯。白州18年。
グラスを鼻に近づけた瞬間、空気が変わる。
「……森やな」
おじいちゃんの第一声。
「フルーティ。爽やかや。山崎より軽い」
飲んだ瞬間、すっと抜ける。
でも余韻は長い。
「これ、うまいな……」
「フルーティなのは白州ですね。山崎は重厚、白州は爽やか」
「18年でこんなん、なかなか飲まれへんで」
ふたりで顔を見合わせて笑う。
「店で飲んだら、何倍払わなあかんねんって話や。それをこの値段で、
博子と飲める。ここがもう店や」
「そんな大声で言わんでくださいよ。静かに楽しみましょう」
でもおじいちゃんの顔は、もう満足そのもの。
「いや、ほんまうまいで」
結局1時間半。ゆっくり、ゆっくり飲みながら、
グラスを置いては香りをかぎ、また一口。
急がない時間。
「さて、お土産どうします?」
ショップへ向かう。
棚には山崎、白州、響。
「山崎18もええけどな……」
「今日の好みは?」
「白州やな。あの爽やかさがええ」
博子はうなずく。
「じゃあ今日は白州18年にしましょう。今日の記念に」
「博子考えとるやんけ」
「当たり前です。今日の余韻は今日の味で持って帰るんですよ」
箱入りの白州18年を手に取るおじいちゃん。
値段を見て一瞬だけ眉を動かすが、すぐに笑う。
「ええ。これはええ買い物や」
レジで支払いを済ませ、袋を受け取る。
「いやいやいや……やっぱりうまいで」
まだ余韻に浸っている。
「家でゆっくり飲みますか?」
「いや、今日は眺めるだけや。もったいない」
白州18年の箱を丁寧に包んでもらって、紙袋に入れてもらう。
「いやあ、ええ買い物やなあ」
おじいちゃんは満足げに袋を眺めている。
博子はその様子を見ながら、すぐに次の段取りを考える。
「じゃあ帰り、タクシー呼びましょう」
「いやいや、わしゃ歩けるで。ちょっと風に当たりたいんや。
山崎の空気、ええやないか」
たしかに空気はいい。川も近いし、木も多い。でも博子は首を振る。
「帰るまでが遠足ですからね。今日はテイスティング3杯飲みましたし。
しかも18年、ストレートで」
「それぐらい大丈夫や」
「大丈夫かどうかは私が決めます」
すっとタクシーを手配する。
車に乗り込んでから、窓の外を指差す。
「ほら、あそこ。あの道をまっすぐ行って曲がるんですよ。
あれ歩いたら15分ぐらいかかりますからね」
「そんなか?」
「しかも今、白州18年持ってるんですよ? 貴重品ですよ? 落としたらどうするんですか」
おじいちゃんが笑う。
「ほんまおかんやな、博子は」
「誰かがちゃんとしとかないと。今日は満足して帰る日です」
タクシーは静かに山崎駅へ向かう。
車内で、おじいちゃんが紙袋を大事そうに抱えながらぽつり。
「山崎18も良かったけど、やっぱ白州やな。あの爽やかさ」
「今日の舌は白州でしたね」
「博子と飲んだからや」
「それは違います。ちゃんと香りが良かったからです」
でも、嬉しそうなのは隠せない。
山崎駅から電車で大阪へ。
窓に映る夕方の景色。少しだけほろ酔いの余韻。
「今日、ほんま楽しかったわ」
「3杯ルール守ったからですね」
「守らせられたんや」
大阪駅に着く頃には、酔いも少し落ち着いている。
改札前で立ち止まる。
おじいちゃんが懐から封筒を出す。
「これ、今日のお代や」
博子は一瞬、目を細める。
「いやいや、そんな……」
「ほんまはな、10ぐらい包もう思ってたんや」
「10って」
「でも博子のことやから、包みすぎんな言うやろ。せやから今日は5万や」
封筒を差し出す。
「仕事も休んでくれたしな。テイスティングも案内してくれて、ちゃんと止めてくれて。
わし一人やったら多分、もうちょい飲んどる」
博子は少しだけ間を置いてから、受け取る。
「別におじいちゃんにお金ありきで行ってるわけじゃないですからね」
「わかっとる」
「でも、くれるものはもらっときます」
おじいちゃんが大きく笑う。
「そこが博子らしいな」
「明日また同伴で会うんでしょ?」
「せや。今日の反省会や。飯食って、ちょっと飲んで、それでええやろ」
「じゃあ今日はこれで十分です」
少しだけ真顔になって言う。
「でもほんまに、私、誰とでもこういうことしてるわけちゃいますからね」
「それもわかっとる」
「最初に連れてきたかったんです。ウイスキー工場」
おじいちゃんは、満足そうにうなずく。
「わしが最初やろ?」
「そうですよ」
少し誇らしげな顔。
「今日の白州18年は、しばらく飾っとくわ。博子と行った記念や」
「ちゃんとゆっくり飲んでくださいよ」
「次、家で開けるときはまた博子呼ぶわ」
「それは別料金です」
「商売人やなあ」
「だから一緒に山崎も行けるんですよ」
ふたりで笑う。
夕方の大阪駅、人の流れの中で少しだけ静かな空気。
「ほな、また明日な」
「飲みすぎないでくださいね」
「今日は博子に管理されたから大丈夫や」
手を振る。紙袋の中の白州18年。
封筒の重み。でも何より、ちゃんと満足して終われた一日。
テイスティング三杯。タクシーで安全に帰還。
大阪駅で五万円。そして、明日また会う約束。
ヒロコは封筒をバッグにしまいながら、心の中で思う。
——コツコツやな。
贅沢は、ちゃんと段取りして、ちゃんと止めて、ちゃんと続ける。
それが一番長く、うまく回る。
今日も、悪くない一日だった。




