有馬温泉到着までの1時間の会話回想
ー有馬温泉到着までの1時間の会話回想ー
窓の外に流れる景色を眺めながら、私は先生に笑って言う。
「さて、1時間。何しゃべります?」
「1時間って、意外と長いですよね。」
「ですよね。だから今日はちゃんとテーマ決めましょ。」
「テーマ?」
「最近のこともそうですけど、引き出しの話。こうやって有馬まで
来るってなったら、何を楽しみたいかとか、どんな話をしたいかとか。
それから――先々の話も含めて。」
先生が少しだけ目を細める。
「先々って?」
「これからの二人の関係も含めて、ですよ。」
冗談めかして言ったつもりだったけど、先生はちゃんと受け止めた。
「……それ、ちゃんと話していいやつですか?」
「今日は温泉旅行で羽伸ばすから多少は無礼講で(笑)。」
「でもなんやかんや覚えてられそうで怖い(笑)。」
先生は笑う。
「ほんま、博子さんは整理整頓が好きですね。」
「交通整理しないと渋滞起きるんで。」
バスは淀川を越え、少しずつ緑が増えていく。
私は改めて聞く。
「先生の仕事の話、ちゃんと聞いたことなかったですよね。」
「仕事の話?」
「どこまで大きくなりたいとか。どういう仕事の仕方をしたいとか。
弁護士として、最終的にどうなりたいんですか?」
先生は少し意外そうな顔をした。
「そんな話、今までしましたっけ。」
「してないです。婚活が嫌だとか、女性が受け身だとか、そういう愚痴は
いっぱい聞きましたけど。」
「それは……すいません。」
「今日はそっちじゃなくて、先生の“野望”聞きたいです。」
窓の外を見ながら、先生は少し考える。
「野望ね……。」
少し沈黙が流れる。
エンジン音と、タイヤがアスファルトを踏む低い振動。
「正直に言うと、今の事務所でそこそこ安定してます。
食うには困らんし、紹介も来るし。でも、なんか物足りないんですよ。」
「物足りない?」
「もっと、自分の名前で勝負したいなって思う時がある。」
「独立?」
「完全独立まではまだ怖い。でも、特化型でやってみたいとか、
企業法務をもう少し広げたいとか。」
「へぇ。」
「でもね、婚活で会う女性にそんな話しても、『年収は?』『安定は?』『将来設計は?』
そこしか聞かれないんですよ。」
先生が苦笑する。
「肩書きと条件だけ見られて、“この人が何をしたいか”を聞かれたこと、
今月ほとんどないな。」
私は静かに頷く。
「やっぱり、肩書きだけやったなって?」
「そう。“弁護士”っていうラベルに話しかけられてる感じ。」
「それ、しんどいですね。」
「しんどいですよ。」
少しだけ、先生の声が柔らかくなる。
「博子さんは、そこ聞いてくれるんですね。」
「私は肩書きより、物語の方が面白いですから。」
「物語?」
「弁護士先生が、どういう戦い方したいのか。どこまで行きたいのか。
それ聞いた方が、次にどんな遊びを提案するかも決めやすいです。」
「遊びと仕事、繋がるんですか?」
「繋がりますよ。先生が“攻めたい人”なら、体験型。“守りたい人”なら、落ち着く時間。
“広げたい人”なら、人が集まる場所。」
先生は笑う。
「やっぱ博子さん、分析屋ですね。」
「サービス業ですから。」
バスは山道に入り、カーブを曲がるたびに景色が揺れる。
「で、先生。どこまで行きたいんですか?」
「……本音言っていいですか?」
「今日は全部本音で。」
「5年後、自分の名前で看板出したい。」
「いいですね。」
「でも怖い。失敗したらどうしようって。」
「それ、婚活と一緒ですね。」
「なんでや。」
「失敗したらどうしようって怖いから、無難な人選ぶ。
でも無難すぎてつまらんって言う。」
先生は声を出して笑う。
「それ、刺さりますわ。」
「でしょ。」
少し真面目な顔で、私は続ける。
「先生が本気で何か広げたいなら、その過程を一緒に面白がってくれる人と
いないと、多分また不満出ますよ。」
「博子さんみたいな?」
「私は別料金です。」
「そこやなぁ。」
また二人で笑う。
窓の外には、有馬の山が近づいてくる。
「こうやって仕事の話をちゃんと聞いてくれる女性、
ほんま今月いなかったです。」
「またぼやく。」
「事実です。」
「じゃあ今日はぼやき禁止。未来の話だけ。」
「了解です。」
先生が少しだけ姿勢を正す。
「じゃあ、独立に向けて何が足りないか、会議しますか。」
「いいですね。まずは先生の“強み”から洗い出しましょう。」
バスは緩やかに減速し始める。
「有馬、近いですね。」
「もうすぐですね。」
私は小さく笑う。
「景色も見ながら、未来の話もして。ええ修学旅行やないですか。」
先生が、隣でぽつりと言う。
「ほんまやな。こういう時間が欲しかった。」
窓の外、山の緑が揺れる。
有馬温泉まで、あと少し。
今日はただのデートじゃない。
仕事でも、遊びでもない。
“これから”を少しだけ具体的にする、
静かな1時間の会議だった。




