荒い社長帰宅後明日の有馬小旅行も考慮して仕事早上がり。黒服とのやりとり。
荒い社長がタクシーに乗って手を振りながら帰っていくのを見送った瞬間、
博子はふっと肩の力を抜いた。
(はあ……)
思っていたよりも、今日は穏やかだった。
少し前までの荒い社長なら、もっと強く当たってきただろう。
嫉妬も、独占欲も、露骨だった。けれど今日は違った。
きっと、いろんな店を回って、いろんな女の子と話して、
その上で“博子の引き出しのの良さ”に気づいたのだろう。
無理に詰めるでもなく、比べて下げるでもなく、
ちゃんと見た上で戻ってきている。
(丸くなったな……)
それは歳のせいではない。選んで来ている顔だった。
だからこそ、博子は思う。
(私もしっかりせなあかんな。)
引き出しを求めて来ている。刺激を求めて来ている。
比較して、それでもここを選んでいる。
それに応えられなければ、すぐに飽きられる。
人気が出たというより、
“目が肥えた人たちが来ている”だけだ。
店内に戻ると、少しだけ空気が落ち着いている。
フリーも回ったし、指名も回した。
(明日、有馬やしな。)
弁護士先生との有馬温泉。
足湯と観光、半日デート。
体力も気力も使う。
「今日はもう、あと1時間で締めます。」
黒服さんにそう伝えると、黒服さんはニヤッと笑った。
「ええやん。有馬やろ?」
「はい。」
「荒い社長もだいぶ大人しなってきたしな。」
「そうですね。」
黒服さんはカウンターに肘をつきながら続ける。
「早めにアラート出して休むのはええことや。」
「アラート?」
「潰れる前に休むってことや。」
博子は少し笑う。
「自己管理、できてますかね。」
「できとる。」
黒服さんははっきり言った。
「この状態でじっとやっといてくれたらな。」
「……?」
「また時給上げるかもしれん。」
博子は目を丸くする。
「ほんまですか。」
「出勤も、予約出勤だけで埋めるとかやな。」
「そんなことできます?」
「客を大事にしてくれたら、こっちも悪いようにはせん。」
その言葉は、静かに重かった。
博子は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「調子乗るなよ。」
「乗ってません。」
「でも止まるなよ。」
「はい。」
その一言が、妙に胸に残った。
1時間後、博子はきちんと締めて店を出た。
無理にフリーを追わない。延ばさない。
明日に備える。夜風が少し冷たい。
家に帰り、ドアを閉めた瞬間、どっと力が抜けた。
(はあ……)
ベッドに倒れ込む。
荒い社長の言葉、
おじいちゃんの張り切ったメール、
会計士の先生の沼り具合、
弁護士先生の有馬への食いつき。
全部が頭の中でぐるぐる回る。
(明日、どういう流れで話そうかな。)
有馬のバス。
足湯。
炭酸せんべい。
ただ観光するだけでは足りない。
弁護士先生は“体験”を求めている。
感情の揺れ。
時間の味わい。
そして、博子の引き出し。
(ウイスキー工場見学の話も絡めるか。)
有馬で軽くテイスティングの話題を振って、
山崎の工場に自然に繋げる。
婚活休会の話は深追いしない。
あくまで軽く。逃げ場を作りながら。
(ガチ恋にはまだ早い、は忘れずに。)
境界線は守る。でも冷たくはしない。
天井を見つめながら、博子は深く息を吐く。
今日も無事に終わった。
潰れなかった。
荒れなかった。
ちゃんと整えた。
(ジワジワや。)
焦らない。壊さない。積み上げる。
明日の有馬は、新しい引き出しになるかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、
博子は静かに眠りに落ちていった。




