焼肉ランチの後にヒルトンホテル。遺品整理社長が仕事休んで埋め合わせの意図を組んでお手当くれる
90分のランチは、思っていた以上に濃かった。
焼き肉の煙も、水の流れる音も、もうすっかり遠くなって、会話だけが残る。
仕事の話、従業員の話、博子の客層の話、押し引きの話。
笑いもあれば、真面目な間もあった。
店を出たあと、博子は少し歩きながら言う。
「もうちょっとだけ……ホテルのラウンジでコーヒーでも飲みます?」
社長は一瞬驚いた顔をして、それから笑う。
「実はな、もうちょっと話したいと思ってたんや」
博子は軽く頷く。
向かったのはヒルトンホテル。手前のラウンジは少し混んでいる。だが博子は迷わない。
「奥の高いところ、今なら空いてると思いますよ」
社長が目を丸くする。
「それ、婚活の知識やろ」
「いやいや、ただの下見です」席に通される。
天井が高く、光がやわらかく差し込む。街の喧騒が遠くなる。
「博子ちゃん……そこまで押さえてるのはやばいぞ」
「押さえてるというか、使い分けです」
コーヒーが運ばれる。
社長はカップを持ちながら、ふと真面目な顔になる。
「なあ、博子ちゃんの引き出し……お品書き、ちゃんと聞きたい」
博子は少し考える。
「香水を作る。陶芸体験。ジオラマのカフェ。小旅行。中之島川べりの乗船ツアー。
手品レストラン。いろいろありますけど……」
「多すぎるやろ」
「でも、それは先生方、社長たちのご好みに合わせて、です。
どういう方向で時間を過ごしたいかが一番です」
社長はゆっくり頷く。
「で、今は?」
「今は、ちゃんと前もって予定くれた人順です」
「人気出てきたな」
博子は苦笑する。
「人気だとは思ってません。でも、ちゃんと予定組まないと壊れるぐらい、
今は来てるんです。ありがたいことに、お手当ても払うって言ってくれる方も多いですし」
社長はじっと見つめる。
「無理せん範囲で?」
「半日ぐらいがちょうどいいです。お互いに」
「ほんま商売人やな」
博子はカップを置く。
「壊したくないだけです」
少しの沈黙。社長は封筒を取り出す。
「正直な。今日、仕事休んで来るやろなって思ってた」
博子の目がわずかに揺れる。
「仕事分の金と、ちょっと色つけて入れてる。受け取ってくれ」
差し出された封筒は、重みがあった。
「そんな……申し訳ないです」
「ちゃうよ。俺が払いたいんや」
社長の声は静かだ。
「従業員の視点でもない。ただの教授としてでもない。
博子ちゃんの視線が欲しい。そこに価値感じてるからや」
博子はゆっくり封筒を受け取る。中身は四万円。軽く息を吸う。
「ありがとうございます。こんな私でよければ、また先々も応援していただけたら嬉しいです」
社長は笑う。
「同伴も前もって言えば入れてくれるか?」
「もちろん。ちゃんと予定くれたら、空けます」
「押すで」
「壊さない押し方でお願いします」
二人とも笑う。
ラウンジの時間は、ゆっくり流れる。
焦らない。煽らない。約束だけを残す。
エレベーター前で別れるとき、社長は言った。
「今日の時間、値段以上やった」
博子は軽く頭を下げる。
「そう思ってもらえたら十分です」
外に出ると、午後の光がまぶしい。
封筒の重みは、ただの現金じゃない。
評価。信頼。期待。
博子は思う。
押されることは怖くない。
壊れることが怖い。
だから、前もって。
だから、順番で。
また一段、関係は静かに上がった。




