荒い社長から同伴のお誘い。色々理由付けてやんわり断る。
グラスの氷が、ゆっくり溶けていく音が聞こえる。
荒い社長は、さっきまでよりもずっと落ち着いた表情で、こちらを見ていた。
「正直な」そう前置きしてから、社長は言った。
「博子と話してて、めっちゃ楽しかったわ。次は、どういう話をしたいかなって、
ちょっと考えてもうて」少し照れくさそうに笑う。
「できたら、次は俺の都合に合わせてもらえへんかなって思うねんけど……」
その瞬間、博子の中で小さくスイッチが入る。(ここやな)
距離を一気に縮めようとする言葉。悪気がないのはわかる。
でも、ここで曖昧に笑って流したら、あとがしんどくなる。
博子は、すぐには答えず、いったんグラスを置いた。
「……正直に言いますね」社長の目を見る。「それは、ちょっと
簡単には難しいです」社長は一瞬、驚いたような顔をしたが、
口を挟まずに聞いている。「他にもお客さんがいるので、
“社長の都合で全部合わせる”っていうのは、私のやり方ではないんです」
声のトーンは柔らかく、でも曖昧にはしない。「それに……」少しだけ間を置く。
「札束で殴るみたいな飲み方は、正直、私はあんまり好きじゃないです」
社長の眉が、ほんの少し動く。「そんな飲み方して、先々残るのって、
多分お金だけやと思うんです」言い切ったあと、すぐにフォローを入れる。
「もちろん、今日みたいにボトル入れてもらえるのは嬉しいですよ。
それは本音です」「でも、私が作りたい時間って、
“お金かけたから楽しい”じゃなくて、“一緒にいて落ち着く”とか、
“なんかまた話したくなる”っていう方で」社長は腕を組んで、静かに聞いている。
「だから、同伴もですね」博子は少し笑う。「一人五千円くらいの店でも、
ちゃんとテーマがあって、親父さんがこだわってやってるようなとこ選んだりするんです」
「高くなくても、ちゃんと楽しい時間って作れると思ってて」
社長は、ふっと息を吐いた。「……なるほどな」博子は続ける。
「なので、あんまり詰めすぎずに、同伴もゆっくりやらせてもらえませんか」
「気長に待ってもらえたら、その方が私は安心して会えます」一瞬、空気が止まる。
断った。でも、拒絶ではない。
社長は、しばらく考えるように黙り込み、やがて笑った。「はっきり言うなあ」
「でも、嫌な言い方ちゃうな」グラスを持ち上げる。
「確かに、急に詰めすぎると、おもろくなくなる時もあるわ」
博子は、ほっと胸をなで下ろす。「代わりにですね」話題を切り替える。
「夜の遅い時間やったら、まだ空いてる日もあります」
「そういう時間に来てもらって、ゆっくり話しながら距離詰めて、
同伴の日はまた改めて決めましょ」社長は、納得したようにうなずく。
「来週とかは?」ヒロコは首を横に振る。「今週末、実はちょっと大きい飲みが入ってて」
「東京からのお客さんとか、接待関係も重なってて、正直、今すぐ同伴を
決めるのは難しいんです」少し申し訳なさそうに笑う。「人気出てきたんやな」
社長が冗談っぽく言う。「さっきの話聞いてたら、そら人気出るわな」ヒロコは、苦笑いする。
「たまたまですよ」「でも、わかった」社長は大きくうなずいた。
「待つわ。俺が気に入る女やねんから、他も放っとかんのは当然や」
「とりあえず、定期的に飲みに来て、また話聞かせてくれ」
「ボトルも、今度来た時にはあるもんでええ」「無理せんでええからな」
そう言って立ち上がる。「また遊ぼうや」博子は、深く頭を下げる。
「ありがとうございます。ゆっくりで、お願いします」
社長が店を出ていく背中を見送りながら、博子は小さく息を吐いた。
(……うまくいった、かな)詰めすぎず、逃げすぎず。距離を守るって、やっぱり難しい。
でも、今日はちゃんと自分のペースを守れた気がした。
ネオンが瞬く夜の中で、博子は次の一杯を、ゆっくりと口に運んだ。




