火曜日。ゆっくり休み、夕方から不動産会社社長と同伴とんかつ。穏やかなはじまり
火曜日の昼頃まで、博子はほとんど何もせずに過ごした。
目覚ましもかけず、起きてはゴロゴロして、また少し眠る。
スマホを触って、天井を見て、背伸びして、また横になる。――今日はこれでええ。
無理に動かない。出勤日を増やしたからこそ、こういう「何もしない時間」を
ちゃんと挟まないと、夜までもたないことを、ヒロコはもう体で覚えていた。
昼前、ようやく起き上がって、軽く水を飲む。そのタイミングで、スマホが震えた。
不動産会社の社長からのメッセージだった。
「久しぶりやし、今日行こか。晩ご飯は適当に決めといて」
博子は、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。――よし、一件は確定。
この「一件ある」という事実だけで、気持ちは全然違う。ゼロとイチの差は、
想像以上に大きい。さて、晩ご飯をどうするか。頭の中で、これまで連れて行った店を
一つずつ思い返す。前は福島で、日本酒と和食。あれはあれで良かったし、
社長も覚えてくれていた。だから、今回はかぶらせない。
焼肉は重い。寿司はありきたり。イタリアンは少し気張りすぎ。
そう考えていくと、自然と一つに絞られた。――とんかつ。
派手じゃない。でも、外れない。油の匂いは、人を安心させる。
ヒロコの中では、「落ち着いて話したい同伴」の時の選択肢として、
とんかつ屋はかなり信頼度が高かった。
すぐに候補の店に連絡し、時間も6時半に設定する。店前待ち合わせ。
無理のない流れだ。その後、ワンルームマンションの営業のお兄さんからも
連絡が入った。「今日行けたら行くわー」軽い感じ。深追いしない。
――まあ、そんなもんやな。一件約束ができただけで、
博子の中には、はっきりとした安堵が広がっていた。
午後は、淡々と過ごす。YouTubeを一本回して、編集して、アップする。
再生回数は派手じゃないけど、数字は確実に積み上がっている。
FP3級のテキストも開く。今日は無理に詰め込まない。確認問題を少しだけ。
ゴールデンウィークのことも、頭の片隅で考える。大型連休になれば、
店のシフトは減るかもしれない。その分、時間ができる。
――そのタイミングで、FP3級、パソコン試験受けるのもありやな。
まだ「決定」ではない。でも、選択肢として持っておくだけでいい。
夕方になり、身支度を整える。鏡の前で、深呼吸。
今日は無理に盛り上げなくていい。穏やかに、普通に、ちゃんと話す。
6時半少し前、店の前で待つ。ほどなくして、不動産会社の社長が現れた。
「お、久しぶりやな」「お久しぶりです」軽い挨拶を交わして、店に入る。
扉を開けた瞬間、揚げ油とフライヤーの匂いが一気に鼻に広がる。
――ああ、今日もええ匂いや。博子は、自然と気持ちが落ち着くのを感じた。
社長も、店内を見回して言う。「めっちゃええ匂いやん。こういう店、落ち着くわ」
「ですよね。今日のチョイス、間違ってないと思います」
「ありがとうな。こういうの選んでくれるの、ほんま助かるわ」
席に着き、注文を済ませる。特上でもなく、安すぎるわけでもない。
ちょうどいいライン。揚げ物が出てくるまでの間、
仕事の話、最近の市況、それから少しだけプライベートの話。
特別なことは何もない。でも、空気は穏やかで、無理がない。
――これでええ。博子はそう思いながら、
テーブルの向こうで話す社長の顔を見ていた。
今日の同伴は、派手じゃない。でも、ちゃんと積み上がる。
そんな夜の始まりだった。




