月曜日の終わり付近。黒服に呼ばれ、時給の話と出勤日数の話をされる
黒服さんに呼ばれたのは、閉店前の少し落ち着いた時間やった。
フロアのざわつきが一段落して、バックヤードに流れる空気が、
仕事の話をする時のそれに変わるタイミング。博子はだいたい、この呼ばれ方の
意味がわかるようになってきていた。「まあ座り」短い一言。怒られるわけでも、
詰められるわけでもない。けれど、“評価”の話が来る前触れやということは、もう理解できる。
黒服さんは帳面を閉じてから、博子の方を見た。「まずな、率直に言うわ」
博子は背筋を伸ばす。こういう時に、変に気負わず聞けるようになった自分にも、
少しだけ成長を感じていた。「今の動き、正直かなりええ」
一拍置いてから、続く。「指名も取れてるし、場内もちゃんと拾ってる。
フリーの回し方も雑じゃない。数字も、それなりに結果出てる」
そこまでは、嬉しい評価だった。でも、次の言葉が本題や。
「せやけどな」黒服さんは少しだけ声を落とす。「時給を、3500から4000に上げるには……
ちょっとペースが早い」博子は、静かに頷いた。ショックはない。
正直、自分でも“まだ一段足りない”という感覚はあった。
「実績は上がってきてる。けど、これは“瞬間”か“流れ”か、もうちょい見たい」
その言い方に、変な冷たさはなかった。むしろ、ちゃんと見てくれているから
こその判断やと伝わってくる。「ただな」黒服さんは、そこで表情を少し緩めた。
「出勤日数に関しては、増やしても大丈夫やと思ってる」博子は思わず目を上げる。
「今の博子やったら、フリーもええ感じで回せてるし、お客さんの“間”もちゃんと見れてる」
そして、釘を刺すように続ける。「一番あかんのはな、出勤増えた途端に、仕事が
雑になることや」この言葉は、重かった。博子自身、そこを一番警戒していた。
「雑にならんレベルでの出勤。無理せん範囲でや。それが条件や」
「はい」短く、でもはっきり答える。「で、曜日やけど」黒服さんは少し身を乗り出す。
「火曜と木曜、どっちがええ?」博子は、少し考えてから話し出した。
「不動産系の人とか、水曜休みの方が多いんで……火曜日の晩の方が、
来てくれる可能性が高いかなって思います」黒服さんは、黙って聞いている。
「あと、正直に言うと……」ヒロコは一瞬言葉を選んだ。
「土曜日が、やっぱりしんどくて。あの疲れ、月曜日まで引っ張ってしまうんです」
これは弱音でも、甘えでもない。“自己管理”としての判断や。
「なので、火曜日を増やして、木曜日はあえて空けておきたいです」
「日・木休みか」「はい。その分、火・水・金・土で、
指名のお客さんのご飯とか、時間の割り振りを丁寧にやっていきたいです」
黒服さんは、少し考えてから頷いた。「そのやり方、悪ないな」
そして、こう続けた。「じわじわでええ。今は、“積み上げてる途中”や」
「来月ぐらいまで、このペースをちゃんと継続できてたら」一拍。
「その時に、3500から4000の話、改めてしよ」博子は、胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
約束でも、保証でもない。でも、“道筋”を示してもらえた感覚。
「ありがとうございます」そう言いながらも、心の中では、別の感情も動いていた。
――この先、ちゃんとお客さん来てくれるかな。
――火曜日、埋まらへんかったらどうしよう。
――指名、被ったら回せるやろか。不安は、正直、山ほどある。
でも。潰されるほどじゃない。「無理せんと、
気ぃ抜くとこは抜いてやります」
そう言ったヒロコの声は、前より少しだけ落ち着いていた。
評価も、不安も、全部抱えたまま進む。それが今の自分の立ち位置。
一気に跳ねなくていい。でも、止まらない。
博子はそう心に決めて、バックヤードを出て、
またフロアの灯りの中へ戻っていった。




