メンヘラオジサン博之。死んだはずが北新地キャバ嬢博子になる。
保険会社に勤める四十二歳の男は、人生に疲れ切っていた。病気、闘病、努力、資格、配信。やれることは全部やったつもりだったが、何一つ報われなかった。気づけば職も信用も失い、人生は静かに幕を閉じた――はずだった。
次に目を開けた瞬間、見慣れない天井と、重たい体があった。大阪・北新地。トップキャバクラの片隅で、ランキング下位に沈む二十歳の女の子。その彼女が、積み重なったストレスから倒れた夜。意識を取り戻した“中身”は、なぜか四十二歳のおじさんだった。
終わったはずの人生が、別の地獄で再開する。
大阪・北新地。意識高い系の店がひしめくこの街で、「エンペラー」は別格と
呼ばれるグループだった。採用基準は厳しく、面接に通るだけでも一つの勲章になる。
博子、二十歳。
商業高校を卒業してすぐ、彼女はその門を叩いた。
地元で埋もれる気はなかった。自分の容姿にはそれなりの自信があり、物腰も柔らかい。
笑顔も作れる。ちゃんとやれば、ここで一旗揚げられる。そう信じて面接に臨み、
結果は合格だった。
初出勤の日、煌びやかなフロアに立った瞬間、胸が高鳴った。
ここが自分の成り上がる場所だ。そう思った。だが現実は、思っていたより
ずっと厳しかった。この店は初めての場所だった。段取りも分からない。
ヘルプの立ち回りも掴めない。先輩の動きを見ようにも、スピードも空気も違いすぎる。
気づけば、邪魔にならない位置で立ち尽くす時間が増えていた。
フリーで席につくことはあっても、会話は盛り上がらない。
お客の反応は悪くないはずなのに、次につながらない。本指名に返せない。
何が悪いのか分からないまま、時間だけが過ぎていった。
ランキングは下位に張り付いたまま。結果がすべての世界で、
結果が出ない人間は「使えない」と判断される。
期待されない視線が、日を追うごとに増えていった。
「次、どうする?」スタッフの何気ない一言が、胸に刺さった。
次、という言葉の裏に、退店の文字が見え隠れしていた。せっかくここまで来たのに。
ここで上に行けなければ、どこに行っても同じじゃないのか。
成り上がるために選んだ場所で、うまくいかない。指名が取れない焦り。
結果を出せない自分への苛立ち。それらが積み重なり、心と体を少しずつ削っていった。
ある夜、仕事を終えて店を出た瞬間、足元がぐらりと揺れた。息がうまく吸えない。
視界が暗くなる。もう限界だった。「私、ここではもうやっていけないの?」
その言葉を心の中で繰り返しながら、博子は倒れ込んだ。
――次に目を開けたとき、景色は変わっていなかった。
同じ体。同じ場所。同じ博子のまま。だが、
頭の奥に流れ込んでくる感覚が、明らかに違っていた。
42歳。保険会社に勤め、病気と闘い、資格を取り、配信も続け、執筆をし、
それでも報われなかった男。人生に絶望し、同じ時期に命を終えたはずの
メンヘラオジサン、博之。
二つの人生が、そこで入れ替わっていた。若さも夢も持て余して倒れた
20歳のヒロコと、諦め尽くした42歳の博之。
体は同じでも、世界の見え方はまるで違う。
ここが、メンヘラオジサン・博之が、博子として生き直す物語の入り口だった。




