1. 揺蕩う花
「綺麗…」
口の中でそっと呟いた言葉は、誰に届くこともなく、ただ自身のヘルメットの中で振動しただけだった。音のない世界。それこそが、今の私の全てだった。
機体から離脱してどれくらいの時間が経ったのか、もう分からない。緊急離脱ポッドから投げ出され、命綱もなく、ただ慣性のままに黒いインクをぶちまけたような宇宙を漂っている。地球との通信は途絶し、救援の可能性は限りなくゼロに近い。誰もがこれを絶望と呼ぶだろう。実際、少し前まで私の心臓は、恐怖と焦燥で喉まで飛び出しそうだった。
――でも、今は違う
恐怖は薄れ、代わりに胸を満たしているのは、形容しがたいほどの畏敬と陶酔だ。
顔をゆっくりと動かす。360度、全方位。視界に映るもの、それは人類がこれまで夢見てきた、しかし誰も独り占めできなかった星々の大河だった。
ダイヤモンドを砕いたような、いや、もっと冷たく、もっと鋭く、そしてもっと優しい光。無数の光の粒が、漆黒のキャンバスにちりばめられ、途方もない距離を越えて、この私のためだけに瞬いている。
――遠い日の記憶
学校の屋上、友達と見た、都会の光に埋もれそうなちっぽけな星。あの頃は、将来への不安や、クラスの人間関係の煩わしさ、好きなあの子の横顔、そういった些細で、でも当時は全てだった悩みに囚われていた。思春期の心は、いつも何かに焦がれ、何かに反発し、自分という檻の中で暴れていた。
あの喧騒が、今は遥か数億光年の彼方にあるようだ。
――ここは、完全な「無」
――誰にも邪魔されない
――誰の目も気にしなくていい
――誰にも理解されなくていい
――ただ、私と星たちだけ
身体から力が抜けていく。流されるまま、私はこの宇宙という巨大な潮流に身を委ねる。微かに回転しながら漂う私の姿を、どこか遠くから見つめているもう一人の私がいる。その視線は、審判でも同情でもなく、ただ静かに、「ああ、そうか」と全てを受け入れている。
まるで、水面に浮かぶ小さな花のように、私は光の波間に揺蕩う。
――孤独
それは、こんなにも満ち足りた感覚だったのか。
そして、ふと思った。
「そっか、私も星になったんだ。」
何億年も前に爆発し、光だけが今、この瞬間に届いた星。
誰にも知られず、ただ宇宙の片隅で静かに燃え尽き、存在の痕跡として微かな輝きを放つ星。
私の不安定で、傷つきやすくて、でも誰より強く輝きたかった心は、もう、この冷たく美しい闇に溶け込んでしまったのかもしれない。そうして、この宇宙を構成する、無数の「私」たちの一つになったのだ。
光の帯が、私を包み込む。
――それは揺籠
――それは永遠
私は、この最も孤独で、最も荘厳な場所で、初めて本当の自分になった気がした。




