勝敗の行方
ヒーロー視点の回想話ラストです。
家に戻ると、すぐに父から伯爵位を継ぐよう告げられた。
「お前のわがままに何年も付き合ってやったのだ。これからは貴族としてしっかり務めろ。まずは結婚相手を探す」
「長きにわたり、寛大な処置をありがとうございます。これからは伯爵の名に恥じぬよう、誠心誠意努めてまいります」
「お前がふらふらしている間に、釣り合うご令嬢の嫁ぎ先は次々に決まっていった。残っているのは数人だけだ。もはや選り好みしている状況ではない。絶対に決めろ」
「……はい、父上」
仕事の合間に顔合わせに赴いたが、結果は散々だった。
震え、泣き、果ては卒倒する令嬢まで現れ、誰一人としてまともに言葉を交わせなかった。これでは結婚相手など到底望めない。
「この際、平民でもいい。懇意にしている女はいないのか? 養子にでもすればどうにかなる」
そう問われ、思い浮かんだのはクリスの顔。だがクリスは……女ではない。
「申し訳ございません。それといった相手は……」
「わかった、引き続きこちらで探す。だがその顔をどうにかしろ。目が合っただけで逃げられては話にならん」
「……善処します」
そう答えるしかなかった。
それから幾日か経った夜遅く、酒に酔った父が上機嫌で俺の部屋を訪ねてきた。
「ついに結婚相手が決まったぞ!ヴァレンティーナ男爵家の長女、クラリス嬢だ。お前より四つ下だ」
「釣り合う女性はもういなかったのでは? それに、決まったとはどういう――」
「向こうも訳ありということだ。すでにいくらか金を払っておいた。断られることはまずないだろう……まさかお前、今さら嫌だなどと言うまいな」
「勿論、心得ております」
少し調べてみたところ、クラリスは“魔性の女”と呼ばれているようだ。隙あらば男を誑かすため、外出を禁じられ屋敷に閉じ込められているという。
父から「逃げられては面倒だ、顔合わせはやめておけ」と告げられ、俺は二つ返事で了承した。
今は仕事に集中したいし、どうせ結婚すれば嫌でも顔を合わせるのだ。
慣れない伯爵としての仕事に追われ、気づけばクラリスが屋敷に来る日となっていた。
愛などないことを暗に伝えた方がいい。何事も、最初が肝心だ。――そう考え、俺は帰らなかった。
もっとも、明日は結婚式のために出向かなければならないのだが。
そして迎えた翌日。
教会に入ると、神父と、豪華なドレスを身にまとった女性が一人いた。
あの女性が“魔性の女”と呼ばれているクラリスだろう。
後ろ姿だけだと、普通の女性に見える。いや、女性にしては幾分か背が高いか……?
何か男を虜にする術でもあるのかもしれない。気を引き締めねば。
参列者がいない式は、淡々と進んでいった。
神父に促され、誓いのキスのときが来る。
――本当にする必要はない。振りだけでいい。
ヴェールを上げ、顔を近づけた瞬間、強烈な香水の匂いが鼻を刺した。
思わず顔をしかめたが、そんなことで中断するわけにはいかない。
悪女の面を拝んでやろうと一瞥すると、クラリスが驚いたように目を見開いていた。
その瞳に吸い込まれるように、気づけば――唇を重ねていた。
(……なにをやっているんだ、俺は!?)
式を終え、自室に戻った俺は必死に心を落ち着けようとした。
キスはしない、振りだけすればいい。そう思っていたはずなのに。
これが魔性の女と呼ばれている所以なのか。
あの女、ただの悪女ではない。やはり何か怪しげな術を使えるのではないか……。
そんな女が、先ほど自分の妻となったのだ。そして本来ならこれから初夜となる。
だが俺にその気はなかった。父は俺の子を望んでいるが、俺には弟ルシアンがいるのだ。是が非でも子を作る必要はない。
それを伝えるために、俺は夜、クラリスの待つ部屋へと向かった。
「俺だ。入るぞ」
「……はい」
ナイトドレスを纏ったクラリスがそこにいた。白い肌に薄布が映え、金色の髪が艶めいていた。
今度は、悪女の思うままにはならない――そう心に言い聞かせながら彼女に近づいた。
愛することはないと釘を刺す。それだけのはずだった。
「いいか。俺がお前と結婚したのは――」
だが、彼女は顔を背けたままこちらを見ようとしない。
「人が話しているのに、その態度は何だ」
苛立ちのあまり、つい声が荒くなる。
その時だった。クラリスの口元が、かすかに弧を描いたのを俺は見逃さなかった。
笑った――?
戦場で敵兵を震えあがらせるほどの怒気を浴びせても、全く意に介していない。
それどころかこの悪女、俺を馬鹿にしているのか。
「……舐めるなよ」
顎を掴み、強制的に顔を上げさせる。至近距離で覗き込んでくるその瞳は、無性に俺の心をかき乱す。
その時、ふわりと甘い香りが鼻を撫でた。
抗えない衝動が走り、気づけば彼女をベッドに押し倒していた。
「くっ……これが悪女の術なのか……騙されるな……」
あろうことか、目の前にいるのがクリスに見えたのだ。
やや釣り上がった目、血色のいい頬の色、艶やかな唇、シルクのように輝く金の髪。
どれもクリスとは似ても似つかない。
それなのに、瞳が、香りが、クリスを呼び起こす。
俺は固く目をつぶった。目の前にいるのはクラリスであって、クリスではない。必死に己に言い聞かせる。
この悪女は心の奥底にいる想い人の姿を見せて、俺をその気にさせる魂胆なのだ。
(落ち着け……相手の出方がわかった以上、思い通りになど――)
「だ、だん……」
固いはずの決意は、クラリスによっていとも簡単に崩されてしまう。
クリスに『団長』と呼ばれた気がして、俺はつい目を開けてしまった。
(……よく見ろ!目の前にいるのはクリスじゃないだろう!)
「旦那様……」
潤んだ瞳で上目遣いで見つめてくるその姿に、心が激しく揺さぶられる。
「服は……脱がさないでください……」
その瞬間、まるで頭を強く殴られたかのような衝撃が俺を襲った。
そして――
翌朝。
俺は屋敷の庭で、目の下に隈を作りながらも、一心不乱に木剣を振り続けていた。
これ以上、悪女に負けるわけにはいかない。とにかく鍛錬あるのみ。そう信じて。
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