【短編版】オオカミ狩りノ赤ずきん
むかしむかし、あるところに"赤ずきん"と呼ばれる少女たちがいました。
彼女たちは赤ずきんと呼ばれていますが、赤い頭巾を被っているわけではなく、白いローブに身を包んでいました。
決まって満月の日に現れる"赤ずきん"ですが、彼女たちがどこに住んでいるのか、なぜ満月の日に現れるのかは誰も知りませんでした。
しかし、満月の日、少女たちを見た人は必ず言うのです。
――「赤ずきんがいた」と。
▶︎▷▶︎
「マッチはいかがですか」
一人の少女がか細い声で道ゆく人に声をかける。しかし、誰も少女の声に耳を傾けない。
ここ"ルルハンス"は寒い日が続いている。今日もこんこんと雪が降っており、街路の端には少し汚れた雪が積まれていた。
そんな寒空の下、マッチを売る少女の格好はその環境に耐えるにはあまりにも見窄らしく、隠したいところがギリギリ隠れているようなボロボロなシャツ一枚に短いスカート、そして、唯一寒さが凌げそうな赤い頭巾を深く被る。
少女の名前はスオル・フレイデルセン。今年で十三になるが、十三の少女にしてはかなり背が低かった。
「あの、マッチはどうでしょうか?」
「要らないよ。今どきマッチなんて誰も使わんさ」
スオルが道ゆく老人に声をかけるも、老人は首を横に振ってはそそくさとその場から立ち去っていった。
「そうだよね……マッチを使うよりライターを使った方がいいもの」
彼女は決して裕福ではない家庭で生まれた。だがそれでも人並みの幸せがそこにはあった。優しい父と母に育てられ、寒い時期にはケーキだって食べられたし、こんな布切れを着ることなんてなかった。
――それが崩れ去ったのは彼女が十になった頃のことだ。
「いってくるよ、スオル」
「明日の朝には帰ってくるからいい子で寝ているのよ」
満月の夜。父と母はスオルを置いて出かけていった。何でも仕事に空きが出てしまったらしく、急遽代わりが必要になったのだという。
「うん。私、早起きして二人のご飯作っておくね!」
スオルが元気良くそう言うと、父と母は互いに目を合わせ、そして、二人とも満面の笑みを見せた。
「火は使わないようにな」
「トースターでパチンってするだけだよ!」
「じゃあ楽しみにしてるよ」
父はそう言うとスオルの頭を優しく撫でて、母はスオルのおでこにキスをして、二人仲良く出ていった。
その二人の後ろ姿を見届けると、スオルはニッと口角を上げた。
しっかりと施錠をして部屋に戻ると、棚の中から本を取り出しては寝床まで持っていく。
「お父さんとお母さんがいないから、今日はいっぱい本が読めるぞー」
その本は父が読んでいた小説であり、「難しい字が多いからきっと読めないよ」と言われていたものだった。
だが、もう十になるのだ。スオルだってそれなりに文字は覚えているつもりだし、このくらいささっと読んでやるとページを捲り出した。
「――――」
どれだけ時間が経った頃だろうか。とっくにいつも寝ている時間は過ぎており、スオルはコクコクと船を漕いでは小説に目を移し、また気を失うのを繰り返していた。
「ウォーーーーン」
狼の遠吠えが耳に届く。そう言えば今日は満月だったと脳裏をよぎる頃には、スオルの意識は遠く……遠く……
「ああ!」
スオルは日が昇っていることに気づいては慌てて飛び起きた。焦ったのも束の間、スオルは辺りを見回すと、どうやら父と母は帰ってきていないようでスオルはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。まだ……」
「まだ帰ってきてないから朝ごはんが間に合う」と、寝床から立って時計を見る。
だが、時計は11時を過ぎており、もう朝というよりは昼になっていた。
「あれ? 朝には帰るって言ってたのに」
スオルは首を傾げたが、仕事が長引いているだけだと自身を納得させる。普段も遅いときだってあるし、そもそもイレギュラーのために呼び出されたのだから、何かあったっておかしくない。
――だが、時が過ぎれども、両親は帰って来なかった。
七日ほど経って、ようやく玄関の扉が開いた。
その頃には家にあった食糧が尽きていた。火は使わないという父との約束を守り、肉や魚には手を付けず、ありものだけ食べていたため、スオルは空腹のまま座り込んでいた。
開いた扉に反応するも、そこには長身の男が立っており、期待した人物ではないことに気づいてスオルは顔を俯かせた。
「君のお父さんとお母さんは君を置いて逃げ出したらしい」
長身の男のその言葉を聞いてスオルは目を見開き、その場に立ち上がった。
「そんなわけない! お父さんとお母さんが私を置いてどっかにいくはずなんて――」
だが、酷い立ちくらみと空腹によってスオルはその場に倒れ込んだ。
「……連れて行け」
そう男の声がかすかに鼓膜を揺らし、次にスオルが起きた時には、また知らない男の家にいた。
いや、顔は見たことあるが、父に忘れるようにと言われていた人物だ。
「やっと起きたのかお前」
男はそう言うと、ソファから立ち上がり、テーブルの上に置いてあったパンを持ってスオルに向かって投げつけてきた。
「痛っ……」
勢いよく投げられたパンはスオルの腕に当たって床を転がった。それを見て男は舌打ちをする。
「ちゃんと取れよ。それを食ったら働いてもらうぞ」
「……働く?」
「あぁ、そうだよ! 兄貴が逃げたせいで俺が借金する羽目になったんだよ! だからテメェにはその分働いてもらわないと割に合わねぇ!」
男は怒号を飛ばして、スオルを威圧する。
そう、この男は父の弟であるイガルド。温厚な父とは違い、狂暴な性格であり、安定して職にもつかない、だらしない男だ。
何度か父のところに来てはお金をせがんでいた姿をスオルは見ており、喋ったことすらないが、スオルはイガルドのことが大嫌いであった。
「違う! お父さんは逃げたりなんてしてない! すぐに迎えにくるもん」
「ああ、そうかい。じゃあ早く起きて働け!」
――そうして三年の月日が経った。
スオルの持つ木のカゴにはたくさんのマッチの箱が入っていた。カゴはたくさんのマッチを持つために自身で作ったのだが、ヤスリなどは当然ないため、木の持ち手がガサガサしており、スオルの細い腕を傷つけていた。
格好からもわかる通り、イガルドのスオルの扱いは酷いものだった。朝から晩まで働かせては食事は最低限の物しか与えられず、衣服も連れて来られた時のモノを使いまわしている。加えて、酒癖が悪いイガルドは、寝ているスオルを叩き起こしては蹴る殴るなどの暴行をすることがあり、綺麗な装飾がされていたはずのその服はただの劣化だけでなく、見るも無惨な状態へと変わり果てていた。
「なんで……私は生きているんだろう」
たまにそう口にしてしまうのも仕方がなかった。三年も音沙汰ない父と母。その帰りだけを待って、スオルは生きているのだ。
瞳から溢れ出る涙を細い腕で拭き取ると、スオルは街を歩き出そうとする。
まだ涙で濡れた視界のまま歩き出したのが悪かったのか、スオルは向かいから来ていた人影に気づかず、ぶつかってその場に倒れ込んだ。
「ご、ごめんなさい」
咄嗟に謝罪をすると、スッと手が差し出された。
「私の方こそごめんなさい。大丈夫?」
優しく、柔らかい声音。久しく忘れていた優しさにスオルは驚きながらも、差し出された手を握ると、グイッと引っ張られて起き上がらされた。
相対した人物はスオルよりも少し歳が離れた女の子であり、おそらく十五か十六と言ったところだろう。
白いローブのフードを取って女の子はニコッと笑う。茶色の髪に青色の綺麗な瞳。素肌はローブでほとんど隠れているが、学園に通う制服のようなモノを着ているようだった。
「貴方……そんな格好で寒くないの?」
女の子はスオルを見てそう言うと「ちょっと待ってて」とスオルに背を向けてガサゴソと何かを探し始めた。
「あの――」
「これ、着なさい!」
スオルが声をかけようとすると、女の子が振り返り、一体どこから取り出したのか、セーターとズボンを差し出された。
「……え」
「こんな雪の中。死んじゃうわよ。良いからコレを着て」
女の子に言われるがままにスオルは服を着せられる。痩せ細ったスオルにはブカブカではあったが、先ほどよりもずっと暖かいのは確かだった。
スオルはセーターに顔を埋め、赤い頭巾を深く被ると女の子にお辞儀をする。
「あ……ありがとうございます」
「いいのよ。それより、今日は満月よ。暗くなる前に帰りなさい」
「えっと……」
「いいから。早く帰りなさいよね」
スオルが言い淀んでいる間に女の子はその背を翻して去ってしまった。
満月だから何なのか、スオルは不思議であったが、地面に落ちているマッチを拾い上げてはカゴに入れ直した。
「よし、これで頑張れる」
そう言ってスオルはマッチ売りを再開した。
――残念ながらマッチは一箱も売れることなく、街路には人の姿すらほとんどなくなっていた。辺りはもう暗くなっていて、路地に面した家の窓には明かりが灯っている。加えて、どこの家から流れてきたのか、路地には夕ご飯のいい匂いが漂っており、スオルのお腹がグゥと音を鳴らした。
だが、スオルは帰れない。今日はこのマッチを全て売り捌かなければ家に帰ってくるなと言われているためだ。もし、このまま帰ったものならイガルドに殴られ、蹴られることになるだろう。
スオルは白い息を吐くと、街路のベンチに腰をかけた。昼間降っていた雪は今は落ち着いており、空には大きな満月が輝いていた。
「……すごい」
あまりに綺麗な月に思わず声を漏らした。天高く輝くそれにスオルは手を伸ばした。もちろん、届かないことはわかっている。だが、掴んでしまえそうなほど、大きく美しいそれに手を伸ばさずにはいられなかった。
「ちょっと!」
すると、突然声がかかってスオルは声のする方へと顔を向けた。
「……貴方は」
それは昼間にセーターをくれた女の子だ。女の子はスオルの元へと駆け寄ると、白い息を切らし、焦った表情を浮かべる。
「帰りなさいって言ったじゃない」
「……これを売らないと帰れなくて」
スオルは目線を落として自身の横に置いた木のカゴに目を向ける。すると、女の子はハァとため息をついて腕を組むと口を開いた。
「それ、いくらよ」
「え、銅貨二枚です」
「何個あるの?」
「えっと、箱には四十本は――」
「違うわよ。そのカゴに何個入ってるの?」
「え……たぶん、百個ほどですが……」
「じゃあこれで足りるわね」
女の子はそう言って、懐から出したコインをピンと指で弾いて、スオルが広げた手のひらの上に落とした。
「――! これ、白金貨ですよ!? 多すぎます!」
ルルハンスでの通貨は銅貨、銀貨、金貨、白金貨と高くなる。銀貨は銅貨の百枚分。金貨は銀貨の百枚分。そして、白金貨は金貨の百枚分である。
つまり、白金貨は銅貨の百万枚分。マッチ箱百個に対してあまりに過剰の支払いだ。
スオルは慌てて女の子に返そうとするが、彼女は首を横に振った。
「いいのよ。貰っておきなさい」
「でも、こんなに貰えません!」
「いいから、私には必要ないもの」
「お金が必要ないなんてこと……」
「いいから!」
女の子の突然の大声にスオルはびっくりすると、昼間よりもずっと深くお辞儀をした。
「……ありがとうございます」
「早く、帰りなさい」
女の子の言葉にスオルはまたお辞儀をすると、その場から立ち去った。
「……ただいま帰りました」
スオルは恐る恐る玄関の扉を開けて、帰宅したことを告げる。すると、コツンと何かがドアに当たり、スオルは目線を落とした。
そこには見たことのないハイヒールが転がっており、来客があったことにスオルは気づいた。
それは向こうも同様であり、スオルの帰宅に気付くと、イガルドとその隣にいた女性がスオルをキッと睨み付けた。
「誰よ! この子。アンタ子供いたの?!」
「ち、ちげぇよ! これは兄貴の子供で」
「兄貴って、アンタの兄貴死んだって言ってなかった? てことは引き取ったってこと?! 信じられない。私は無理よ他人の子供なんて!」
女性はそう言うと、ベッドから出て、脱ぎ捨ててあった服を着始めた。
「お、おい待てよ。まさか帰るなんて言わないよな?」
「帰るどころか、もう私たちは終わりよ」
「は?」
「さよなら」
「ちょ、待って。待ってくれよ!」
イガルドは女性を引き止めようとベッドから降りるが、床に転がっていた空き缶を踏み付けてその場にひっくり返った。
その状態に女性は目もくれず、玄関にいるスオルの横に立つと、「ふん」と鼻を鳴らして外に出ていった。
「……クソが」
「イガルドさん。鼻から血が……」
「うるせぇ!」
「きゃ!」
鼻から血を流したイガルドを心配して、近づいたスオルをイガルドは躊躇なく殴りつけた。
「何で帰ってきやがった! 今日はマッチ箱売り切るまで帰ってくんなって言っただろうが!」
「……全部売ってきたんです! だから――」
「んなわけあるかよ!」
「っあ!」
イガルドはスオルに有無も言わさないまま、今度は腹部を強く蹴り付けた。
ゴホゴホと咳込むスオルを見下ろして痰を吐きつける。そして、イガルドはソファにどかっと体を預けると、ローテーブルに置いてあった箱からタバコを取り出して火をつけた。
「出て行け! もう一生! 俺に顔を見せるな!」
「う……っ!」
スオルは玄関を飛び出した。蹴られた腹部がひどく痛む。もしかしたら骨が折れているかもしれない。でも、あの家から離れたい一心でスオルは街路を駆ける。
そうしてどれだけ走ったかはわからないが、流石に疲れたスオルは足を止めて、路地の壁に手をついた。
切らした息を何とか落ち着かせようと、ゆっくりと深呼吸する――
すると、スオルの目の前にハイヒールがあることに気づいた。真っ赤に輝くハイヒール。それは先ほど見たハイヒールと全く同じもので、片方だけが道の真ん中で街灯に照らされていた。
スオルは恐る恐るそのハイヒールを拾おうと近づいて手を伸ばす――
……グチャ
ふと聞き覚えのない音がして、スオルはゆっくりとそちらの方へと視線を向ける。
「――――」
街灯が切れかかっているのか、裏路地はチラチラと明かりが瞬いており、スオルはその暗がりをジッと見つめる。
……ジュル ……キュ ……グチャ
音は静かに、だけど確かに聞こえる。まるで水を含んだ何かを手で掬って食らうかのような。生々しい音が。
「――――っ」
チラチラと瞬いていた街灯が一瞬その明かり取り戻し、その音の正体が露わになるとスオルの喉の奥がヒュっと音を鳴らした。
――白と灰色が混じった毛に身を包み、後ろに伸びるふわふわの尻尾。その四つ足で立つ姿は雪国で見かける狼と何ら遜色はない。ただし、首がキリンのように長く伸び、顔がまるで人間であることを除いてだが。
その異形の獣の口元には赤い血がベッタリとついており、伸ばした舌にはグジュグジュに潰れた何かが纏わりついている。
人間だ。人間を食べているのだ。そして、その人間は先ほどの金髪の女性に間違いなく、地面には血と共に金色の髪の毛が散らばっていた。
スオルはそれに気付くと、思わず吐き気が込み上げてきて、赤と黄色が入り混じった液体を吐き出した。朝から何も食べていないからおそらく血と胃液だ。
嘔吐の音に気付き、その長い首がクルッと回ってスオルを見ると、獣はニヤっと微笑みを浮かべた。
「――――!」
あまりに気色の悪いその笑みにスオルは全身を凍らせた。
……怖い
獣は動けないでいるスオルを嘲笑うかのように、顔をゆらゆらと揺らしてゆっくりと近づいてくる。
……来ないで
スオルは震える手足を何とか動かして、逃げようとするが、雪で滑ってその場から動くことができない。
そして、獣がその首を伸ばし、スオルを喰らおうと大きな口を開く――
「換装・光線銃」
スオルに獣が襲いかかる直前――光線が獣に直撃し、その長い首から真っ二つに割った。
スオルの目の前に獣の首が落ちると、ビチビチと小さく動いた後、砂煙のようになって消えていった。
「――――」
「なんでここにいるのよ!」
スオルの下に降り立ったのはあの白いローブの女の子だ。だが、真っ白だったはずのそのローブには、赤い血が付着して柄ができてしまっていた。
「……今のは」
スオルは震える声を振り絞って、今しがたの異形の獣のことを問う。
女の子はハァとため息をつくと、獣に喰われた女性の亡骸に手を向けた。
「「デリート」」
電子音が混じったようなその声と共に、女性の亡骸が先ほどの獣と同じように砂煙のように消えていった。
「あれは"大神"。満月の日に現れる亜獣。私はあの大神を滅ぼすため世界を旅してる」
女の子は先ほどのスオルの問いに答えると、まだ地面に座り込んでいるスオルの手を握って起き上がらせた。
「……オオ……カミ?」
「奴らは決まって満月の日に現れては人々を喰らう。その生息場所も出自もわかっていない。死ぬと今みたいに消えてなくなっちゃうから生態も全くわからない」
「人を喰らう正体不明の化け物ってことですか?」
「ええ。そうよ」
白いフードの女の子は小さく頷くと、スオルの肩に手を置いた。
「早く屋内に逃げ込みなさい。奴らは酷く臆病で屋内にいる人間を襲ったりしない。ただし、窓や扉を開けていてはダメ。絶対に密室にしなさい」
「オオォーーーン」
スオルへの説明が終わるのとほぼ同時、遠吠えが聞こえて女の子はその声の方へと顔を向けた。
「……あっちね。とにかく早く逃げなさい」
そう言うとあっという間に姿を消した。
一人残されたスオルはグッと拳を握る。あの家には戻りたくないが、スオルの戻る場所はあそこしかない。
そこでスオルはポケットにしまってあった白金貨のことを思い出す。さっきのイガルドは女性に振られた憤りから、話を一切聞こうとしなかったが、これを差し出せば機嫌を戻してくれるかもしれない。金に目がない奴のことだ。きっと数日は機嫌が良いだろう。
そしたら、今度こそ逃げれば良い。とりあえず今晩を越せる場所があればいいだけなのだ。
スオルはイガルドに頼らないといけない自分に悔しさを覚えるが、そうして自分に言い訳をして納得させると、来た道を勢いよく戻った。
道中では大神に出くわすことなく、家に戻ってくることができた。おそらくあの女の子が奴らを葬ってくれているおかげだろう。
スオルは玄関の前に立ち、ドアノブに手を触れた。
「――――」
ドアノブに手をかけた瞬間、背筋に寒気を覚え、スオルはゆっくりとドアを開いた。
……グチャ
「――っ!」
真っ暗な部屋の中。そこには力無く倒れたイガルドと、それをゆっくりと味わっている大神がいた。
見れば、窓が開いていて、イガルドの手元には火が消えたタバコが転がっていた。おそらく煙を外に出すため窓を開けていたのだろう。
……ベチャ
玄関で立ち止まっていたスオルの下にイガルドの頭が転がり、見開かれたままのイガルドの目と目が合うと、思わずスオルは悲鳴をあげてしまう。
「あ……」
スオルに気づいた大神は先ほどの大神と同じように首をゆっくりと回し、顔をこちらへと向けた。だが、その顔は先ほどの大神とは違っており、女性のものだった。
「嫌……」
スオルは首を横に振る。
「来ないで……」
大神はケケケと小さく喉を鳴らして大きく口を開いたかと思えば、あっという間にスオルの目の前にその口が近づく。
人間の顔であるのは間違いないが、開かれた口は鋭い歯が喉の奥までずっと続いており、一度噛まれただけでぐちゃぐちゃに潰されてしまうだろう。
迫り来る大神にスオルは諦めたようにだらんと全身を脱力させた。
「……ごめんなさい。お父さん、お母さん」
二人の帰りを迎えられない自分の情けなさに涙を流し、両親に謝る。そして死を受け入れて手を広げたとき、ふと、スオルの脳裏に言葉がよぎった。
『あれは"大神"。満月の日に現れる亜獣。私はあの大神を滅ぼすため世界を旅してる』
ローブの女の子は確かにそう言った。そうだ。三年前のあの日も同じ満月の日だった。
原因不明の両親の失踪――それがこの化け物のせいならば全て合点がいく。
諦めていたはずのスオルの瞳に一筋の火が灯った。
「……お前らのせいか」
スオルは怒りを露わにする。長身の男に両親を蔑まれたときよりも、イガルドに父を馬鹿にされ、自身を傷つけられた時よりもずっと憎い感情がスオルの心を包み込んだ。
「全部、殺してやる」
スオルの決意が炎へと変化し、口を開いた大神の前に壁を作り上げて防いだ。
「ぁあたあ!?」
言語になっていない言葉を発して、後退った大神の顔面に、次には炎の槍が貫いた。
「ぅひぁひあああ゙あ゙あ゙」
聞いたこともない断末魔をあげた大神をスオルは冷ややかな瞳で見つめ、そして、願うように言葉を口にする。
「ちゃんと苦しんでから……逝って」
スオルが手のひらをゆっくり上げると、地面から炎の棘が現れて、大神を串刺しにしていく。
「ぇひあああ゙……」
そうして、貫かれた傷と共に徐々に炎に焼かれ、最後まで奇妙な悲鳴をあげたまま、大神は消えていった。
「――――」
――何も無くなったそこをスオルはただ呆然と見つめ、小さく息を吐いた。
そして、自身の足元にあったイガルドの頭を持ちあげ、ぐちゃぐちゃになった体の近くに置いて手を合わせた。
大嫌いだった。
こうなった今も大嫌いで、大神に襲われてせいせいしたという気持ちが大きい。だが、それでも三年間生きてこれたのはきっとイガルドのおかげなのだ。
いや、おかげというと感謝の気持ちがこもってしまう気がするからこれはただの情けだ。
最後の最後に自身の優しさが出てしまっただけなのだ。それはきっと父がイガルドにしたことと同じで、親子の性ということだろう。
「……さよなら」
スオルはイガルドの亡骸に炎を放つと、立ち上がって外に出る。炎はイガルドだけでなく、手元にあったタバコを燃やし、カーペットに引火し、家全体を燃やし始めた。
その赤く燃えていく家を背に向けたままスオルが歩いていると、ローブの女の子が腕を組んで壁に体を預けた状態でスオルを待っていた。
その白かったはずのローブは赤く染まっていて、大神が消えたとしてもその返り血は消えないことを物語っていた。
「どこに行くの?」
「……わかりません」
「そしたら、私と一緒に来なさい」
女の子の提案にスオルは小さく頷いて同意を示すと、女の子は近づいてきて手を差し出した。
「私はクレア・ウルフペロー。貴方は?」
「スオル・フレイデルセンです」
「そう、スオル。歓迎するわ」
「――――」
握手を交わした後、スオルは被っていた赤い頭巾がなんだか煩わしく感じて、頭からそれを脱いだ。
この赤い頭巾はイガルドが世間体を気にしてスオルの顔を隠すために与えたものである。最初で最後のイガルドからのプレゼントとも言えなくないが、その目的を考えるとプレゼントと表現するのはきっと違うだろう。
赤い頭巾には一部汚れた箇所があり、それが大神が食い荒らして飛び散ったイガルドの血であることに気づくと、スオルは何も言わずに炎を発して頭巾を跡形も無く消し炭にする。
その過程を見届けてから、クレアは腕を大きく広げて言った。
「"赤ずきん"にようこそ」
▶︎▷▶︎
むかしむかし、あるところに"赤ずきん"と呼ばれる少女たちがいました。
「地点C殲滅完了――別部隊を援護します」
彼女たちは赤ずきんと呼ばれていますが、赤い頭巾を被っているわけではなく、白いローブに身を包んでいました。
「――逃げ遅れた少女を発見。救助に向かいます」
決まって満月の日に現れる"赤ずきん"ですが、彼女たちがどこに住んでいるのか、なぜ満月の日に現れるのかは誰も知りませんでした――
「……嫌だ! こないで!」
倒れた少女が大神に向かって必死にあたりのものを投げつけて抵抗する。
だが、大神は一切怯むことなく、ただ嘲笑うように少女を眺めてはキュルキュルと喉を鳴らした。
「いやぁぁぁぁあ!!」
少女の悲鳴と共に大神が少女を喰らおうと大きな口を開けた瞬間――炎が大神を包み込み、あっという間に砂煙へと変えた。
「大丈夫?」
突然現れたローブの女の子。その姿を見て、青いドレスに身を包んだ少女は、頭に巻いたウサ耳のリボンを傾けて、降りてきた少女に問う。
「……貴方は?」
「私はスオル・フレイデルセン――」
「――――」
――真っ白なはずのローブが赤い血でベッタリと染まり、フードを深く被った彼女たちをそう表現するしかなかったのです。
「赤ずきんよ」
お読みいただきありがとうございます!
反応が良ければ連載化も考えています。是非ブックマークと下の☆☆☆☆☆から評価をお願いします!