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月の巫女と嵐の獣〜戦乙女の少女は悪鬼と呼ばれた少年に恋をする〜  作者: 朝倉
第二章

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元気そうでなにより

「ちっくしょう。冗談じゃねえぞ!」


 ヴェルネリが唾を飛ばしながら叫ぶ。


 ロキがアストリッドと目を合わせた、その次の瞬間だった。空からけたたましい鳴き声がきこえてきた。猫の鳴き声にしてはあまりに大きく、耳が壊れるかと思ったくらいだ。


「嵐の獣だ!」


 誰かがそう叫んだ。ロキも空を見つめた。青緑色の翼を広げた孔雀が見えた。やべえと。ヴェルネリが一目散に逃げ出した。やや遅れることロキもつづく。見つかった。いまさら逃げても遅い。


 完全に失策だった。

 あの子がそこにいたのに、どうして気づかなかったのだろう。ロキは舌打ちする。嵐の獣(ベルセルクル)はロキをどこまでも追ってくる。しかし、敵はあの孔雀だけではない。もっと厄介なのは――。


「やあ、ロキ。元気そうでなにより」


 ロキはすんでのところで刃を躱した。まったく、なんて人だ。こんな人混みのなかでも構わずファルシオンを振り回すなんて、どうかしている。


 ヴェルネリが叫んでいる。早く来い。なにやってる。そんなに怒鳴ったところで、振り切れるはずもないだろう。相手が悪すぎる。


 ロキは逃げながらもダガーで応戦する。そこらの人間を巻き込んでも致し方ない。だいたい、容赦がないのはこの人の方だし、医者という職業ではなかったのかと、ロキは独りごちる。


 レムは無関係な人間を犠牲にしてもロキを逃さない。確実に仕留める。いや、ちがうな。先生なら殺さない方法だって知っている。もしも捕まったら拷問されるだろうか。俺は、先生がこわい。


「僕はね、君を買い被ってはいないんだよロキ。本気で戦ってごらんよ」


 レムには医術を教わり、同時に剣を教わった。あれは自分の身を守るための剣じゃない。人を殺すための剣だ。

 先生はわかっていたのだろうか。そもそもロキは、幼少から暗殺術をたたきこまれていたことを。


「くそっ」


 レムからは逃げられない。あのとき、三年前に逃げられたのは運が良かっただけだ。いいや、ちがう。たぶん、先生がわざと俺を逃がしたんだ。組織に戻ることを知っていたから。


 ヴェルネリが叫んでいる。


 うるさい。それどころじゃない。こんなダガーではレムの剣を受けられない。いまのロキはレムの剣を避けるのに精一杯だ。それなのに、あれこれ雑念を抱いてしまうのは、ひさしぶりに恩師に会ったせいだろうか。それとも、あの子を見たからか。


「早く来いっ! もう一匹、来ているぞ!」


 もう一匹? 


 ロキは、はっとした。アストリッドが追い掛けてきている。あの子はおそらく太陽の巫女(ベナ・ソアレ)を守るために傍にいた。でも、ロキの姿を見つけたら追わずにはいられなかった。あの子は、そういう子だ。


 ここで捕まるくらいなら死んだ方が良い。ロキはそう思った。だがそれでいいのかと、問う声がする。もうひとりのロキが警告している。()()()()()()()()()()()()


 ロキは懐に隠してあるもうひとつの得物を取り出そうとした。しかし、どこかでわずかな迷いが生じていたのだろう。左肩に激痛が走った。いつのまにか追い込まれていたロキは、レムの剣と石壁に肩を縫い止められていた。


「ぐうっ……」

「悪い大人に悪い武器をもらったんだね、ロキ。ほんと、悪い子になったもんだ」

 

 心臓や肺は外されている。だが、レムは容赦なくファルシオンをロキの肩に食い込ませる。


「先生っ!」


 あの子が近付いてくる。だめだ。こんな姿をアストリッドに見られたくない。

 来るな、と。ロキは念じる。ヴェルネリの声はもうきこえない。薄情なやつだ。とっくに逃げ果せたのだろう。


「さて……、ロキ君。なにか言い残すことは?」


 本当にここで殺してくれるのだろうか。それなら、その方が良い。ロキは微笑んだ。ふたたび、アストリッドの声がきこえた。睨み合っていた師弟が《《それ》》に気が付いたのは、そのときだった。


 突然レムが飛びさがった。レムの剣から解放されたロキは咳き込みながらも後退る。いったい、なにが。痛みで頭がまともに働かない。ロキとレムとのあいだに邪魔が入ったのはたしかだ。それはアストリッドが追いつく前だった。


「来いっ!」


 ヴェルネリが呼んでいる。痛みを堪えてロキは走り出す。そのとき、レムは笑っていたし、アストリッドの腕のなかにはネズミがいた。




       *




「あのチビに感謝しな」


 路地裏に身を潜めたロキは、まだ荒い息を繰り返している。


「もちろん、この俺にもな」


 ヴェルネリが応急処置をしてくれる。手荒だったが、文句のひとつでも零せばもっと痛い目に遭うので、ロキは大人しくしている。


「あんなチビを投げるなんて」

「お前が飼ったネズミなんだ。ペットは飼い主の役に立てて、本望だろうよ」


 ロキは嘆息する。ネズミの存在を完全に失念していたが、あの少女はロキよりも速いスピードで逃げていたらしい。


「ちょっともったいなかったかな? あのガキ、ちゃんと育てればそれなりになるぞ」


 たしかにあの逃げ足の速さは役立つだろう。惜しいことをしたというヴェルネリの声も、まあわかる。

 とはいえ、ロキを助けるためにヴェルネリはあの少女をレムに向かって投げつけた。もともとガリガリの子どもだ。大人に首根っこを掴まれたら抵抗できない。


 たぶん、あの子はネズミを無関係な子どもかなにかだと思っている。

 物みたいに投げられた少女をアストリッドが抱き止めた。そんなところだろうか。


「心配しなさんな。だいたい、あのガキは喋れねえ。こっちのことを漏らす心配もいらねえ」

「ひどいやつだな」

「あ? ひどいのはお前さんだろ、ロキ。なんで言わなかった?」


 ロキはまじろぐ。

 

「ありゃあ、白鬼のレムだ」

「知ってる。俺の先生だったから」

「あん? お前、ふざけてるのか? おまけに、追ってきたのはワルキューレだろうが。なんで先に言わねえ」

「聞かれなかったから」


 ヴェルネリが舌打ちする。正しくは、アストリッドを見つけて、すぐにそれどころじゃなくなった。 


「くそっ。まったく、面倒なことになっちまった。ベナ・ソアレだけでも厄介だってのに、白鬼のレムかよ」

「これから、どうするんだ?」

「逃げるんだよ。……まずはお前さんの怪我が先だ。医者を探す」


 ぶつぶつ言いながら歩き出したヴェルネリにロキもつづく。

 左肩が燃えるように痛い。熱も出てきたらしく、真っ直ぐに歩けない。

 

 ああ、これは代償だ。ロキはそう思った。もっとも、こんなものではないだろう。アストリッドの目は、激しい怒りと悲しみに満ちていた。

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