【3-15】崩壊と底
真っ黒な雲に空は覆われ、地面が絶え間なく揺れ続ける中。俺達は学園を後にし、スターチスが居ると思われる夕暮れの領域を目指していた。
ただえさえ荒れていた地は、地震によって割れ、車体が大きく揺れては跳ねる。
そんな中、隣で運転していたノルドは、前方から迫ってくる砂埃を見て「何あれ」と言葉を溢す。俺もそれをじっと見続けていると、砂埃の中で何が起きているのかが徐々に分かってきた。
「崩れている……?」
それも広範囲で尚且つ今現在も崩れ続けている。
それがどういう事か、俺とノルドでそれぞれ理解すると、ノルドは慌てて車を停める。
「何? 何があったの?」
背後から朱雀様が顔を出すと、ノルドは焦った表情で「分からない」と叫んだ。
「分からないけど崩れてる! このまま進めば俺達も崩落に巻き込まれる……!」
「崩落⁉︎」
ノルドの言葉に朱雀様が驚きの声を上げれば、ノルドはハンドルを大きく回し、来た道を戻る。
戻るにしても、この崩壊が続く以上はどこに逃げても巻き込まれるかもしれない。せめてこの崩壊をどうにか止められたら良いのだが。
窓を開け背後を確認すると、俺の背後の席に座っていたスズ先生が深刻げに呟いた。
「先程、スコルピが下手をすれば領域一つ吹っ飛ぶと言っていたが……まさか」
「いや、それは流石にないと思う。いくらあのアンポンタンでも、そんな事を起こす前に済ませるだろうし」
そう先生に対し朱雀様は返すも、朱雀様にとってもこんな状況は初めてらしく、眉間に皺を寄せたまま黙り込んでしまう。
しばし車内が無言に包まれた後、ふと朱雀様が口を開いた。
「そういえば、さっきからなんか違和感を感じるんだよね」
「違和感?」
「そう。何というか。言葉にするのは難しいんだけど、さっきまでと空気が変わったというか」
何か大事なものが無くなったというか。
朱雀様がそう言って、目を見開いていく。
その大事なものが一体何なのか。気になった俺は、尋ねようと窓から朱雀様の方へ顔を向きなおした時、感じた事のない巨大な力の気配に正面を向く。
車は急停車し、僅かに回った後。顔を上げ、その力の正体を見れば、そこに立っていたのは虚ろな表情を浮かべた白髪の男だった。
貫頭着を身に付け、裸足のまま、その長い白い髪を揺らし、静かにこちらを見つめてくる。
(なんだ、こいつ……)
ただ見ているだけ。近くにいるだけ。それだけなのに、どうしてこんなに自分は怯えているのだろう。
息が速まり、見つめ返す事しかできないでいると、背後から朱雀様の震えた声が聞こえてきた。
「何で、ここに……こいつがいるんだよ……」
「っ、す、朱雀様……?」
朱雀様に対し、シルヴィアが小さな声で訊ねる。俺も何とか朱雀様を向けば、あの男について訊ねた。
「あれは、一体、何なんだ……? 何者なんだ」
「あいつは……テンペスタだよ」
「テンペスタだと⁉︎」
朱雀様の答えに、スズ先生から驚愕の声が上がる。
テンペスタというと、確か元々夕暮れの領域の守り神だったはず。そして同時に白狼の民……母さん達の祖先とも。
そんな神がどうしてここに?
そう俺は疑問に思っていると、それとは別に隣からノルドの口からとんでもない事が飛び出してきた。
「テンペスタは、四百年前に亡くなった筈じゃ……⁉︎」
「四百年前に……? おい、それはどういう……」
亡くなった? という事は死んでいるのか?
唖然とした後、ノルドに話を聞こうとすれば、正面から強い風が吹き荒れる。
同時に崩壊も迫ってきていて、ノルドが震えながらも車を動かそうとハンドルを握った時、頭の中に声が聞こえてきた。
『たすけてくれ』
「っ⁉︎」
感情も無く淡々とした男の声。それがあのテンペスタと呼ばれた男のものだと分かると、再び視線をそちらに向けてしまう。
その瞬間。自分の元に影が落ちると、テンペスタの顔が目前に迫っていて。俺は恐怖と衝撃のあまり言葉を失った。
※※※
ハッとした時。俺は、真っ白な世界に倒れていた。
起きてすぐは頭がぼんやりとしていて、自分の身に起きた事を思い出せなかったが、辺りからあの男の声が聞こえた後、車内での出来事を思い出し立ち上がる。
不思議とあの恐怖感は無くなっていて、妙に落ち着いていたのもあり、俺は上に向かって声を上げる。
「おい! 何をした! ここはどこなんだよ‼︎」
すると、それに対してか男の声が小さめに聞こえた。
『……』
「……何だって?」
『……り……る』
「……」
声がよく聞こえない。
微妙な雰囲気になった後、自分の腕にある青いリストバンドが目に入った事で、そのバンドを外す。
元の姿に戻った事で、制限されていた聴力が上がると、ようやっと男の言葉が耳に入った。
『しばらく、お前の身体を借りる』
「借りる? 俺の身体を?」
『何度もそう言っている』
どこか呆れた声で言われると、俺はムッとした後「それは困る」と返した。
「申し訳ないが、今そうしている暇はないんだ。返してくれ」
『それは、崩壊が近づいているからか』
「ああ。それに知り合いが夕暮れの領域に待っている筈なんだ。だから」
『知り合い……か』
間を置いた後、テンペスタは静かに「心配するな」と言う。心配するなと言われても困るものは困るのである。
返してくれそうにない様子に唸ってしまうと、テンペスタはボソボソと話し始めた。
『お前は魔鏡領域の守り神の匂いもする。あの少女は黒髪の魔術師と恋仲ではなかったのか』
「少女って母さんの事か。……ああ、そうだよ。訳あってな」
『そうか。残念だ』
「……」
残念、か。
悪気なく呟かれたであろうその言葉がやけに痛かった。しかしそれはそれとして、自分だって父親である魔鏡の守り神に対して、良くない感情を抱いているのは確かだ。
母さんはどうしてあの男に着いて行ったのか。そうせざるを得ない事情があったのか。
今更ながらまた色々と考えてしまうと、それを指摘する様にテンペスタは言った。
『お前は、自分の出生に関して何かしがらみがあるようだな』
「しがらみ……か。そうだな」
あいつと同じ青い右目を憎らしげに押さえながら、「あるよ」と肯定する。
どうせここには自分とテンペスタしかいない。意外にもこういう話は、見知った仲よりも見知らぬ人の方が話しやすい気がした。
くしゃりと銀色の前髪を掻き掴み、俺は抱いていた感情を少しずつ吐露した。
「間違っている存在ではない。そうじゃない。なんて言われた事もあったが……様子を見て嫌でも分かってしまうんだ」
俺がいるのは、母さんが幸せにならなかったからだ。
母さんの犠牲で俺は生まれてしまった。
だから、もう。壊して欲しかった。間違いなら今すぐにでも正して欲しかった。
気が付けば自己否定を続けていた。そして右目を潰さん限りに手を押し付けていた。
すると、いつの間にか目の前にテンペスタが立っていて。俺の目前まで近寄れば、右目を押さえる手に向けて手を伸ばす。
「なるほど。要するにお前から父親の部分を失くして欲しいんだな」
「っ」
酷く優しい声が聞こえる。と、脳天に響く様な激痛が走った。
痛みのあまり、声を上げて右目を押さえながら膝を着けば、足元が黒くなっていくのが見えた。
目からくる痛みにより、頭痛と共に強い吐き気も誘う。そんな状況の最中、テンペスタはしゃがみ込み俺の顎を掴み持ち上げた。
「可哀想にな。こんなに痛い思いをしないと、お前の望みは叶わないようだ」
「っ……ぅ」
「けど、安心しろ。私はお前の味方だ。だから、その望み叶えてやる」
そう囁かれ、後頭部を撫でられる。
それに甘えてしまったらいけない気がしたが、痛みと共に苦しみから楽になりたかった俺はテンペスタに寄りかかる。
その時、テンペスタの方から感じたのは強い負の感情だった。痛み。苦しみ。絶望。そしてどうしようも出来ない怒り。
それが俺の中で通じ合うものがあるのか、じわじわと芯から侵食されるのを感じながら、俺は意識をゆっくりと手放していく。
「おやすみ、フェンリル」
まるで子をあやす様にテンペスタは呟くと、俺の意識はそこで深い記憶の底に落とされて行った。




