アンジェリーナとジョリーの冒険
「わたしの自由な人生も、後わずか~!」
避暑地の林を散歩する美しい令嬢が、やや蓮っ葉に独り言ちた。
彼女は伯爵家の令嬢アンジェリーナ。
両親は既に亡く、年の離れた兄が爵位を継いでいる。
伯爵一家が兄妹二人だけになった時、質の悪い親戚の夫婦が後見人となることを名乗り出てきた。
幼い妹をかかえ、当時まだ学生だった兄は承諾した。
当主として矢面に立つには、兄はまだ若すぎたのだ。
しかし、表向きは素直で従順に見せかけていた兄だが、実はかなり腹黒い。
人に見えないところではいろいろと完全にアウトであった。
その表裏の使い分けが絶妙で、更に先祖の血のどこかから商才まで拾ってきた。
老練な家宰と、優秀なメイド長の協力のもと、後見人夫婦を泳がせつつ、うまいこと利用した。
経済面を掌握しようとした彼らに帳簿も渡したが、実はまったくの偽物。
伯爵家の本当の帳簿は、善なる(?)裏帳簿として隠された。
貴族学園をスキップで卒業した兄は、不要となった後見人夫婦を始末することに決めた。
彼が唯一の宝物と公言してはばからない妹のアンジェリーナを、金で売るような縁談を持って来たからだ。
巧妙に作り上げられた新たな裏帳簿を証拠に、極悪非道な搾取者と判定された親戚夫婦。
俺たちは、そこまで悪いことしてたっけ、と首を捻る間もなく鉱山送りになった。
兄の愛は重たい。
金貨の袋で殴るように。
この兄に大事に守られてきた自分は、婚姻において彼の命令を聞かざるを得ない。
アンジェリーナは何となくそう思っていた。
というわけで、来年の夏に淑女学校の卒業を控えた彼女の自由は、あと一年。
もっとも、その間に見合いを薦められれば前倒しだ。
「兄様の眼鏡にかなって、見合いまで組まれたらもう、本決まりなんだろうけど」
そういう身の上のアンジェリーナであるから当然、護衛がついて回る。
王都では、見るからに護衛と分かる厳つい男が二人くっついてくるが、ここは王領の避暑地。
国一番治安がいいと言われる場所なので、侍女姿の女性の護衛が一人だけだ。
あの兄のことだから、見えない影のような護衛を寄越している可能性もある。
アンジェリーナは気配など察せないから探さないけれど。
とりあえず、目に見えているものとしては侍女の他に愛犬が一匹。
名前はジョリー。
白くてモフモフで、聞き分けの良い子なのだが、問題は大きさである。
立ち上がれば大人の男性の身長に届くほど大きいので、たいていの人に怖がられてしまう。
王都では外出すらままならない。
ジョリーは、まだ子犬の頃、樽に入って川を流れていたところを、アンジェリーナに救われた。
もちろん、実際に救ってくれたのは護衛だ。
しかし、賢いジョリーは空気を読み、ボスが誰か正しく判断した。
アンジェリーナに付き従い、何かあれば前に出て守ろうとする。
その姿は、アンジェリーナを溺愛し、病気でもうつされたらどうするんだと小鳥さえ飼わせてくれなかった兄の態度を軟化させた。
万一、夜間に屋敷に侵入者があったとしても、アンジェリーナの側にジョリーがいれば安心とばかり、同室を許可した。
稼ぐわりに財布の紐は固い兄が、ジョリーの餌代は惜しみなく出してくれる。
更には、成長して外での散歩が難しくなった時、屋敷の近所にあった空き家を買い取り、広い運動場を作ってくれた。
訊いてみたことは無いが、アンジェリーナは密かに疑っている。
兄は、ただの犬好きなのではないかと。
ジョリーのほうは当たり前のように厚意を受け取り、あの若い男は貢ぐのが好きなんだと判断し、やはり本当のボスはアンジェリーナだと確信した。
……かどうかはわからないが、ジョリーのアンジェリーナ第一主義は揺るがない。
そんなこんなで、ふだん住んでいる王都では、ジョリーと気ままな散歩が出来なかった。
だから避暑地では毎日散歩する。
とはいえ、ここでも人目はある。
犬が嫌いな人もいるだろうし、リードはしっかり持ち、ジョリーには申し訳ないが口輪をつけてもらうことにしていた。
ストレスを心配するアンジェリーナだったが、当のジョリーはあまり気にしない風だ。
いざとなれば、噛みつくより体重をかけて飛びつく攻撃の方に自信があるせいかもしれない。
それを察した護衛侍女が、口輪にスタッズを付けそうになったので、可愛くないからと却下したのはつい一昨日のこと。
侍女は非常に残念そうだった。
アンジェリーナは毎日、あちこちを歩き回ったが、避暑地は書き入れ時。
王都の大通りほどではないにしろ、どこへ行っても人がいて、しまいにはうんざりしてしまった。
「人混みがお嫌でしたら、山の麓の方に行ってみたらいかがでしょう」
基本無口な護衛侍女が助言してくれた。
「そうね。ありがとう。ジョリーも喜びそうだわ」
楽しい予感がするのか、白い尻尾がフワフワ揺れた。
それを見たアンジェリーナも、なんだか冒険に出るようなウキウキした気分になる。
山の麓には牧場があった。
「牛だわ」
牧場独特の臭いがするが、ジョリーの面倒を見るアンジェリーナはあまり気にしない。
ジョリーもクンクンとご機嫌に鼻をひくつかせていた。
アンジェリーナは金持ち貴族のお嬢様にもかかわらず、ジョリーを洗ったり、毛を梳いたり、一通りの面倒を見ている。
それは拾った日からずっとだ。
あの日、川で拾った子犬を家に連れ帰ると、メイド長にきつく言われてしまった。
「お嬢様、私は犬が苦手です。
もしも、お飼いになるのでしたら、ご自分で面倒を見てください。
家に入れるのなら、その前に洗ってください」
そう言って、ブラシと犬用シャンプーを渡された。
ブラシはともかく、なぜ犬用シャンプーがあったのか不思議だった。
子犬を洗い終える頃、メイド長がタオルを持ってきてくれた。
「子犬の食事は、こちらで出しておきますので、お嬢様はご自分を洗ってください」
アンジェリーナは子犬のブルブル攻撃のせいで、酷いことになっていた。
油断した時に限って、犬というのは毛皮の脱水のために全身を震わせる。
「犬の名前は決めましたか?」
「ジョリーにするわ」
「いい名前です。おいで、ジョリー。
ご飯をあげますよ」
ジョリーは尻尾を振って、メイド長について行く。
犬が苦手な人にはとても見えない。
そっと後をついて行って覗き見していると、メイド長がご飯の入った皿を持ってジョリーに命じた。
「お座り! ジョリー。お座り。……良い子、よし、お食べ」
いや、慣れてるじゃん。
「メイド長!」
「まあ、お嬢様、覗き見ははしたないですよ」
「ごめんなさい、ってそうじゃなくて」
「なんでしょうか?」
「本当に犬が嫌いなの?」
「私は嫌いとは言っておりません。苦手と申し上げました」
「どう違うの?」
「……犬は好きです。好きすぎて、かまっていると仕事にならないのです」
あ、そういう。
「それに、お嬢様に犬の世話を覚えていただければ、ジョリーは旅行にもついて行けますよ」
本当だ! まったくその通り!
「メイド長、犬のお世話を教えて下さい。
よろしくお願いします」
「承知いたしました」
メイド長はいつものように真顔だったが、目がとても優しいな、とアンジェリーナは思った。
たまたま、その時、商談で家に居なかった兄にも、メイド長が情操教育に役立つと口添えしてくれた。
兄はメイド長を信用していたので、とりあえず納得いくまで拾い犬を観察。
結果、ジョリーはアンジェリーナの愛犬に収まったのだ。
そして、その後はメキメキと番犬としての腕を上げ、今に至る。
「こんにちは」
そんなことを思い出しながら、ぼんやり牛を見ていると声を掛けられた。
振り向くとツナギ姿の王子様がいた。
いや、ツナギ姿でも美形ってどんだけ!
「こ、こんにちは」
「見学ですか?」
「あ、ごめんなさい。散歩していたら、ここに着いたんです。
犬まで連れて来てしまって……」
「大丈夫ですよ。この子は牛を見て騒がないし、賢い犬だ」
褒められたことがわかったのか、ジョリーは彼の前でお座りし、撫でてもらってご満悦。
青年の後ろから黒っぽい犬が出てきて、ジョリーとフンフン匂いを嗅ぎ合っている。
「うちの番犬も警戒していないし、口輪を外してあげたら?」
「ありがとうございます」
お言葉に甘えることにする。
「街の方から歩いて来たなら、お腹空いてない?」
「え?」
「今から、おやつの時間なんだけど、良かったら一緒にどうかな」
「……是非」
気付けば、今にもグーっと鳴りだしそうなくらい、お腹が空いていた。
「美味しい、この牛乳」
「良かった。ここの牧場は品質を優先して、あまり牛を増やさないようにしてるんだ」
「ジャムを掛けただけのクリームチーズも、王都のケーキ屋に負けない味だわ」
「それは嬉しいな。甘いものは好き?」
「……はい」
ふいに訊かれて、王子様のような美青年の顔を直視してしまった。
やっぱり美形だ。しかも好みのタイプ……
やだー、顔赤くなってないかしら、などとアタフタするアンジェリーナだが、ちょっと落ち着こう、と自分に言い聞かせる。
彼はモテそうだから、よくある反応だと思うだろう。
うん、きっとそう。
美形を見た時の初心な少女が起こす、ありがちな化学反応。
それでオーケー。
気付けば、彼は俯いていた。
「あの、どうかしました?」
「い、いや、何でも……」
肩が震えている。
「具合でも?」
「ごめん、君の百面相がツボに入った」
ヒーヒー笑い出す美青年。
ちょっと珍しい。
「笑い上戸ですか?」
「言われたことないけど、そうかも。本当にゴメン」
「いえ、美形の笑い上戸なんて珍しいものを見られて良かったです」
とうとう爆発した笑いは、しばらく収まることがなかった。
「真面目な話」
「何だい?」
何とか落ち着いた美形に、訊きたいことがあった。
「このクリームチーズ、どこで買えますか?」
「ああ、これね。今のところ、ここでしか買えない。
輸送すると時間が経つにつれ、風味が落ちるからね。
せっかくの味が変わってしまうんだ」
「そうなんですね」
それでは、ここにいる間しか食べられそうもない。
「更に、評判がいいので、王立ホテルが夏の間、買い占めてしまってる。
だから、作ってる僕でさえ、半端に残ったのをオヤツにするだけなんだ」
「ホテル……チーズケーキやオードブルになってるんですね」
「うん、いろいろな使い方をされてるみたいだ」
「もったいないかも。シンプルに食べるのが一番おいしそう」
「同感だ。でも、高く買ってくれるところに売らないと、牧場が続かないから」
それもそうだ。
兄を見ていればわかる。商売は厳しい。
アウトな兄でさえ、時々苦労している。
この、兄よりも心が綺麗そうな美青年なら、もっと苦労しているかもしれない。
「避暑に来てるんだろう?
また、時間があったらお出でよ。
おやつ分なら、食べさせられるから」
「ありがとうございます」
そう言えばジョリーは、と見渡せば、牛舎の壁の側で牧場の番犬と昼寝をしていた。
ジョリーが寛げる場所なら、散歩コースにいいかもしれない。
同席を遠慮した護衛侍女が戻ってきて、その日は帰ることにした。
「そのバスケットは?」
来るときには持っていなかった荷物を見て、アンジェリーナは侍女に訊ねる。
「直売しているものを買いました」
なるほど、クリームチーズは売り切れだけど、他の物を売っているらしい。
「ここの牧場は配達をしないので、もし散歩途中で寄ることがあれば何でもいいから買って来いとシェフに言われておりまして」
ジョリーがいるので、アンジェリーナたちの滞在先は広い貸し別荘だ。
専属のシェフとメイドを兄が付けてくれた。
翌日のこと。
昨日の今日で押しかけては、クリームチーズ狙いの意地汚い女の子と思われそうで、アンジェリーナはせめて一日空けようと思っていたのだ。
誓って本当に。
だが、ジョリーは行く気満々。
どんどん牧場の方へアンジェリーナを引っ張っていき、今は黒い番犬とじゃれ合っていた。
「済みません、連日押しかけて」
「構わないよ。うちの番犬も喜んでる」
すっかり仲良しの白い犬と黒い犬は、猛スピードで走り回る。
アンジェリーナの今日の服はパンツスタイルで動きやすい。
ちょっとでもクリームチーズのお礼をしたいので、何か手伝えないかと申し出た。
でも、ジョリー一匹でも、それなりに世話が大変なのだ。
いきなり、牛のお世話を手伝えるはずもなく……
「うーん、君にしてもらっても大丈夫そうな仕事といえば……」
彼はアンジェリーナを、加工場の一隅にある直売スペースへ連れて行った。
「そんなに売るものもないんだけど」
瓶入り牛乳と、日持ちのする硬いチーズ。
店番してもらえれば、その分、手間が減って助かると言われ陣取った。
お客様はちらほらと来る。
「クリームチーズは無いのね」
王立ホテルの客らしい。
ホテルが買い占めているのは知らないようだ。
「申し訳ありません。予約で売り切れてしまうんです」
「まあ、それは残念だわ」
わざわざ牧場を訪れるのは美食家で、お金も地位もありそうな人ばかり。
権力を振りかざして、何とかしろと命令するような人が来たらどうしようと思ったが、幸いにも来なかった。
とにかく、何度か頭を下げるうちに、その日は終わる。
販売員の経験がないアンジェリーナが店番をやれたのは、客層が上品だったことも大きい。
しかし、もう一つ理由があった。
商家で働いた経験があるという護衛侍女が手伝いながら、いろいろ教えてくれたのだ。
三日ほどすると、アンジェリーナも売り子に慣れた。
ただ、売る方はともかく、お客さんの質問には答えられない。
仕方なく、客を待たせてツナギ王子を探して教えてもらうのだが、中には知っていれば簡単に答えられるものもあった。
「あの、酪農に関する本があれば、貸してもらうことは出来ますか?」
ツナギ王子は喜んで、数冊の本を貸してくれた。
「あんまり無理しなくても、遠慮なく僕を呼んでいいから」
「はい。ありがとうございます」
そうして少し勉強するうちに、ちょっとしたことを思いつく。
「せっかく、この牧場を目指して来てくださるお客様をもてなしたらどうでしょう?」
「もてなす?」
「クリームチーズをお求めの方が多いので、たいていがっかりして帰られます。
ちょっと一休みできるようにすれば、がっかりも減るのでは?」
「がっかりを減らす?」
大っぴらに宣伝をするわけにもいかないのでしていないにも関わらず、来てくれるお客さんがいる。
そういう気遣いも、ありかもしれない。
「どうすればいいと思う?」
「カフェオレとジャムを入れたヨーグルトを用意してみたら?」
「牛乳とヨーグルトなら、確かに何とかなるな」
「美味しいジャムもありますし」
ジャムは近場の森や野原で野生のベリーを摘んで作る。
そこからは、アンジェリーナはとても忙しくなった。
用意してもらった丸太の椅子に合わせてクッションを作ったり、イートイン用のカウンターを整えたり。
ジャム用のベリーを摘みに行ったり。
ここでも護衛侍女が大活躍した。
子供の頃は田舎の村で育ったという彼女は、ベリーもハーブも目利きが出来てジャムづくりも上手いのだ。
カフェオレとヨーグルトは、お客さん達に好評だった。
フレッシュな乳製品を求めてきた人達は喜んでくれる。
おもてなしの側面が強いので価格を抑えていたら、たいていのお客さんがこう言う。
「そんな小銭は財布に入っていないから」
チップ込みだ、と渡された貨幣は請求額の十倍だ。
中には、毎日通ってくれる強者もいた。
そうなると、なぜか護衛侍女が燃えた。
彼女は飽きがこないよう、ハーブでジャムの風味を変えるという小細工をしてみせる。
「ふっ、一日として同じ味のジャムを出さないとは……
ここには、どんな手練れのジャムづくりが居るんだ?」
来年も来る、と言って避暑地を後にしたのは他国から来た有名パティシエだったらしい。
敢えて、ジャムの製法は訊いて来なかった。
自分の舌を元に、彼なりの味を研究するのだろう。
「そんな大仰なものではありませんけどね。
貧乏な家に嫁いで、横暴な旦那の食事を毎日作らされれば、自然と悪知恵も生まれるってだけのことなのに」
護衛侍女、なんとバツイチも発覚した。
「貴女って、ほんとうに多才よね」
思わずアンジェリーナも唸る。
「恐れ入ります」
「兄は、充分に給料を出している?」
「ええ、それは頂いておりますので、ご心配なく」
いい笑顔だ。嘘じゃなさそう。
「実はね、王立ホテルから、ヨーグルトも納入して欲しいって話が来て」
しばらく後のおやつ時間、ツナギ王子が言い出した。
「まあ」
ホテルのお客さんから伝わったのだろう。
「だけど、これ以上は対応が難しい」
質を落とさないためには、乳牛の世話に十分手を掛けたい。
生産量を増やすには大きな設備投資も必要だ。
アンジェリーナは一晩考えてから提案した。
「わたしを雇いませんか?」
「君はまだ学生じゃなかったっけ?」
「学生と言っても淑女学校ですし、卒業資格が要るわけでもないですから」
仲良しの友人には、しっかりと手紙を書かねばならないが、特に学校に戻りたいような事は何も無い。
「それに、わたしを雇えば、もれなく兄が付いて来ますわ」
「お兄さん?」
怪訝そうなツナギ王子は、一週間後にアンジェリーナの自信の理由を知ることになる。
「素晴らしいポテンシャルですよ!
上質な乳製品、しかも王立ホテルが買い占めてるという事実。
ホテルを利用するのは主に舌の肥えた富裕層や高位貴族。
使える知名度が既にある」
「お兄様、一番大事なのは、質を落とさずお金を儲けることですわ」
「任せておけ!」
「ところで、相談料は無料ですわよね?」
「金など余っている。貧乏農場から取ろうなんてみみっちいことは言わん」
「すみません、貧乏農場だなんて……」
「いや、本当のことだから」
「いいですね。現状の正確な把握は大事です。
そうでなければ、私のアドバイスも無駄になってしまう」
親戚夫婦を隠れ蓑に、いろいろ経営を実地でやってみた兄は、今では経営コンサルタントで稼いでいた。
「しかし、ここはいいところですね。
私も会社経営は、全て人手に渡したので過ごしやすい場所に拠点を移そうかと考えているんです」
「そうですね。
王領で治安がいいですし、避暑地とはいえ冬もそれほど厳しくはありません。
のんびり暮らすには、お薦めですよ」
「貴方は、のんびり暮らしていないようですが」
「それは、お互い様で」
「確かに」
はっはっは、と笑い合うツナギ王子と兄に、アンジェリーナは怪訝顔だ。
「あの、二人はお知り合いですか?」
「ああそうか、言ってなかったな。
王立学園時代の同級生だ」
しかも、スキップ仲間で同い年だという。
「まあ、ツナギ王子は優秀なのですね」
「ツナギ王子?」
怪訝顔の兄と吹き出す王子。
「まあ、王子というのは遠からずだが」
「え?」
「こちらの方は子爵位とはいえ、前王弟殿下のお血筋だ」
「王位継承権なんて無いけどね」
「王領の片隅で牧場を経営する子爵様……考えてみれば、訳ありっぽいですね」
「……訳あり」
ツナギ王子はまた笑う。
「王立ホテルに、質のいい乳製品を優先して出すことで、土地を安く借りてるんだ。
それで、なんとかやっている」
「王族に連なるのに、ご苦労されていらっしゃる……」
「好きでやってるから」
「しかし、私が関わったからには儲けさせますよ。
牧場は品質優先で、現状をなるべくキープするとして、信用できる大手の商会と提携しましょう。
ここの名前を使って、美味しい量産品を研究し、販売するんです」
「そんなにうまく行くかな?」
「開発に煮詰まってる商会にあてがあります。
名前を使うことが嫌なら、他の手を考えますが」
「どうしたって、うちの製品は王領から出せないんだ。
それさえ守れれば、後は君に任せる」
「お任せあれ」
その夜は、牧場を離れられないツナギ王子のために、別荘からシェフにケータリングを頼んだ。
空いた場所に即席の竈を作り、作りたてのご馳走が振舞われる。
呼ばれた牧場の手伝いたちも大喜びだった。
そんな楽しい雰囲気の中、兄が爆弾を落とす。
「……というわけで、お前の嫁ぎ先としても問題なしだ」
「と、嫁ぎ先!?」
「なんだ? 学校を中退して牧場で働きたいというのは、好きな男のもとから離れたくないということだろう?」
「え、それ本当?」
ツナギ王子に問われて万事休す。
そりゃそうだ。
興味もない男子のお手伝いを申し出るほど、アンジェリーナはお人好しじゃない。
クリームチーズだけで、せっせと働くほど、可愛い女の子でもない。
「……本当です。貴方が好きです。
一目惚れだったけど、会うたびどんどん好きです」
もうバレた。この際、思ったまま言う。
「牛飼いだけど、いいの?」
「ツナギ着てても素敵だから大丈夫」
「貧乏だけど、いいの?」
「そこは、兄がなんとかします。
兄は金儲けが得意なんですから、頼ればいいんです」
「なるほど」
「金の問題は任されるし、コンサル料でしっかり稼がせてもらいます。
それはともかく、貴方はどうなんですか?」
兄が訊いてくれる。
さすがにアンジェリーナには言い出せなかったので助かった。
「僕も、好きでもない女の子を大事な牧場に呼ばないよ」
そう言えば、初めて会った日に『またお出で』って言ってくれたっけ。
「僕も一目惚れ。アンジェリーナ、好きです。
お嫁に来てください」
「はい。嬉しい!」
アンジェリーナはツナギ王子の胸に飛び込む。
行儀よくおこぼれにあずかっていた白い犬と黒い犬はすっかり満腹で、目出度い気配を祝うように元気よく駆け出して行った。