幼馴染に『先、シャワー浴びてこいよ』と言われた日の話
暑くて溶けそうです。読んでいただきありがとうございます。
ある日の休日。
私はいつも通り、幼馴染である政道くんの家に来ていた。
政道くんとはもう幼稚園の頃からの付き合いで、家が隣ということもあってか別々の高校に進学した今でも家に遊びに行くほど仲が良かった。
というか、海外出張で両親ともほとんど家にいない政道くんの家の家事全般をしているのは私なので、もはや遊びに行くというよりは第二の実家のような感覚だ。
政道くんのお母さんからも『政道をよろしくね』と言われているので、私は毎日政道くんの世話を焼いていた。
仲のいい幼馴染がいて、ちょっとだらしないところを注意して、一緒にご飯を食べたりして、家事のお礼とか言ってたまに一緒に出かけたりして………そんな充実した毎日を私は送っていた。
ただ一つだけ。
こんな毎日にケチをつけようと思うなら。
政道くんはもっと私を女として見てもいいと思うんだよなぁ。
はぁ。このことを考えるとため息が止まらなくなる。
こんなにも政道くんのために尽くしているというのに、どうして振り向いてくれないんだろう?
一緒に出かけたりしてる時も、私が腕に抱きついて身体を密着させてるのに顔色一つも変えないんだよ?
胸だって押し付けてるのにこの前なんか、『ショウちゃん。ちょっと暑いかも、離れてくれる?』って本当に顔を赤くして暑そうにしながら言ってきたんだよ?
私だってもう大人。
政道くんの後ろにいつもついていっていたあの頃とはもう違うのに。
身体だってこんなに成長した。
同じ女子から羨ましがられるくらいの身体してるんだよ?
知ってる? 私は自分の高校では一番モテてるんだよ?
いつ、彼氏ができてもおかしくない状況なんだよ?
彼氏ができたらもう政道くんのお世話なんてできないんだからね。
「はぁ。情けないな私」
こんなことをずっと思い続けるくらいなら、いっそのこと告白してしまえばいいと自分でも思う。
だけど、さっきも言った通り政道くんは私を女として見ていないかもしれない。
それなのに告白して、フラれてしまったら私は絶対に立ち直れないだろう。
その最悪な状況を考えるどうしても一歩、踏み切れない。
本当に情けないな。
私は掃除機をかける手を止めていたことに気付いて、ブンブンと一度頭を振ると再び掃除を始めた。
こんなことを考えていてもなんにもならない。
それよりだったら一途にこうして政道くんの世話を焼いていくしかない。
いつか私に振り向いてくれると信じて。
「……………はぁ」
それでもため息だけは出てしまうのだった。
◇◇◇
その日の夜。
私は夜ご飯で使った食器を洗いながら、目の前のテーブルで勉強をしている政道くんを眺めていた。
時刻はもう午後十時を回っていた。
今日はなぜだか政道くんの帰りが遅かったからだ。
お皿をすべて洗ってしまった頃にお風呂が湧きましたとアナウンスが鳴った。
「政道くん、どうする? 先に入る?」
私がそう聞くと政道くんはノートをパタンッと閉じながら『そうだな……』と呟き、こう言った。
「ショウちゃん」
その声は、今思うといつもの政道くんの声よりも少し震えていたような、それでいて高かったような気がする。
「先、シャワー浴びてこいよ」
「…………え?」
政道くんはそう言うと立ち上がり、足早に自室へと行こうとする。
私は当然、それを止めようとした。
だって、さっきのセリフは…………
政道くんは私の呼びかけで止まると、くるりとこちらを向いた。
「ごめん、言い忘れてた。上がったら俺の部屋に来てくれ」
その言葉を言った政道くんの顔はなんだかいつもより男らしかった。
私が何にも言えずに立ち尽くしていると、ちょっとだけぎこちない感じで踵を返して政道くんは自室へと向かっていった。
政道くんの階段を登っていく背中を見送る。
政道くんの背中が見えなくなった途端。
私はヘタッと膝から崩れ落ちてしまった。
『先、シャワー浴びてこいよ』『上がったら俺の部屋に来てくれ』この二つの言葉で確定してしまった。
今夜は勝負の日。
政道くんは私を誘ってる!?
◇◇◇
ついに、ついにこの時が来てしまった。
俺は自分の部屋だというのに、まるで初めて男の部屋に入った女の子のようにベッドの上に固まっていた。
今は俺の最後の決意をするためにショウちゃんには先に風呂に行ってもらってる。
その時間のせいで余計に緊張しているのだが。
ヤバい。心臓の動悸と汗がマジで止まらない。
後ついでに震えも止まらない。
早く言えばよかったな。
軽くそんな後悔も芽生え始めてきた。
そんな状況の中、俺の手にはギリッと強く握りしめられた一つの小さな箱がある。
それは、今日受け取ってきた指輪だった。
この指輪の購入手続きの時に身分証明書で学生証を出したら、女性店員は驚いた後に微笑んでいたのを思い出す。
しかし、この指輪は今のこの状況を作った元凶と言っても過言ではない。
この指輪について話すには、ちょっとした説明が必要だ。
***
これは約一週間前の出来事。
ショウちゃんが自宅に帰ってから程なくして、久しぶりに母さんから電話がかかってきた。
『もしもし、母さんの可愛い可愛い愚息の政道でーす』
『もう、久しぶりに声を聞けたっていうのに開口一番がそれ?』
『もしもし、母さん久しぶり』
『切り替えはや。政道、元気にしてた?』
『うん。ショウちゃんのおかげで元気ピンピンだよ』
『そっか。聖花ちゃんには頭が上がらないわね』
『ホントだよ』
俺は自分で淹れたコーヒーを持ちながらソファーへと腰掛けた。
熱いコーヒーは疲れた身体によく沁みる。
『それで思ったんだけど、政道。聖花ちゃんにはちゃんとお礼してるの?』
『してるよ。たまに一緒に出かけたりするし』
『ふーん。デートしてるのね。あんたも罪な男に育ったわね〜』
母さんの言葉に軽くむせそうになった。
俺はそんな動揺を見せないように会話を続ける。
『……それで? 今日かけてきた要件はなんだよ』
『あっ、今ちょっと動揺してるでしょ。もう可愛いんだからっ!』
『………切るぞ』
母親とは本当に怖いものだな。
動揺を出したつもりはないのに一瞬でバレた。
『待って、待って、ごめんごめん。それで要件だっけ? 要件がなきゃかけてきちゃダメなの?』
『別に』
『あっ、もしかしてまた照れた?』
『照れてない!』
『もう、素直じゃないんだから。そんなんだと、聖花ちゃんに嫌われちゃうぞ』
『………それは……ないと思う』
『あんたって本当にわかりやすいわね。………いいわ、ちょっとだけアドバイスしてあげる』
『アドバイス?』
『そう。ところであんた聖花ちゃんとはどこまでいったの?』
『ゴフッ!なんだ、いきなり』
突然の斜め上をいく質問に思わずコーヒーを吹き出しかけた。
母さんのやつ、全く何を考えているんだ。
『チューはした?チューまではさすがにいってるわよね?』
『………母さんには関係ないだろ』
『嘘でしょ……ヘタレすぎ』
『もう、うるっさいなぁ。早くアドバイスがあるなら言ってくれよ』
『はぁ。その調子だったら聖花ちゃんも苦労してそうね。いい政道? 耳の穴かっぽじってよく聞きなさい』
俺はこの時にコーヒーを口に含んだことを軽く後悔した。
『聖花ちゃんにプロポーズしなさい』
『ブフー!!』
待て待て待て、今母さんはなんと言った?
聞き間違いじゃなかったら、プ、プロポーズって………
『ゴホッ!ゴホッ!母さん、今プロポーズって』
『そうよ、プロポーズするの。はやく聖花ちゃんを我が家に迎え入れなさい』
俺はどうにかして母さんの言ったことを否定しようとする。
だけど、自分でも否定しようとしている理由がわからなかった。
『俺たちはこの前十八歳になったばっかりだろ?結婚するには早すぎるし、第一養う金だって……』
『あらぁ〜、母さん知ってわよ。あなたが先月出した小説、今結構重版かかってるんでしょ〜』
『な、に? なぜそれを………』
『その影響もあって、過去に出したシリーズもまた重版。え? 知ってる理由? そんなの親だからに決まってるでしょ』
くっ!
外堀りはすべて埋められているのか。
だったら―――
『ショウちゃんの気持ちはどうなんだよ』
そう、これが最も大事で重大なことだ。
気持ちがなければ、そもそも話にならない。
しかし、その懸念は一瞬で払われた。
『あんた、聖花ちゃんのこと好きなんでしょ?』
『……それは……そうだけど。今、大事なのはショウちゃんの方の気持ちであって―――』
『今のを否定しなかったのは褒めてあげるわ。それなら絶対に大丈夫。聖花ちゃんはあんたのこと大好きだから』
『………え? どうしてそんなこと……』
ショウちゃんが俺のことを好き?
俺が知ってるショウちゃんはいつも俺の後ろをついてきて、泣き虫で、意地っ張りで、それでいて俺が守らないといけないと思っていて。
『私達がね、海外に行く前だったかな? 一度聖花ちゃんとお話したのよ。政道をよろしくって。そしたら、聖花ちゃんなんて言ったと思う?』
『……………』
『「大丈夫です! 一生寄り添ってやろうと思ってるんですから!」って言ったのよ?』
『……っ』
俺はこの時になってようやく気付いた。
俺は怖かったのだ。
もし、ショウちゃんがずっと横にいなかったらと考えると怖かった。。
怖くてたまらなかった。
だから、さっきも母さんの言葉を否定しようとしていた。
それを遠ざけるために。
ずっと今の曖昧な関係のまま、ぬるま湯に浸かっていたかった。
それでも、今のままだったら必ず終わりは来てしまう。
俺はそれが怖かったんじゃなかったのか?
『あんたが何にビビってるかは知らないけどさ、早くしなと聖花ちゃん。誰かに取られるかもよ』
『………』
『それじゃあ。仕事が入ってるから切るわよ。男見せなさい、政道』
プツッ。
そう、最後に言って母さんからの電話が切れた。
俺は一度コーヒーを飲み干すとソファーへと全体重を預けて脱力した。
一度目を閉じて深く深呼吸する。
考えるのはこれからのショウちゃんとの関係。
今までは「幼馴染」という関係でずっと過ごしてきた。
しかし、俺たちはもう高校三年生。
もうそろそろ立派な大人いりだ。
だから、もう今までの関係性ではいられない。
ショウちゃんは頭がいい。きっと大学にも進学するだろう。そうしたら、今まで以上に人付き合いが増えたりして、俺と過ごす時間が減るのは間違いない。
そうなった時、ショウちゃんは絶対に俺以外の人間よりも俺一人を優先するだろう。
俺はそうなってほしくない。
俺がショウちゃんのお荷物になって、ショウちゃんの人生の足を引っ張っりたくない。
だけど、俺はショウちゃんと離れたくない。
都合のいいわがままだとはわかっている。十年以上の付き合いである「幼馴染」だからこそ簡単には解決できない問題だともわかっている。
だから母さんが言ったことは俺たちの今の関係性、これからの関係性をそのまま保つことができる最高の案だと思った。
「幼馴染」から「恋人」だと心もとない。これだとショウちゃんが俺から離れていってしまうかもしれない。
醜い自己満足だとわかっている。
それでも俺はショウちゃんのことが好きなんだ。
ショウちゃんに俺の気持ちを伝えよう。
もし断られたらは考えない。
絶対に断られないように誠心誠意、俺のすべての思いをもってしてショウちゃんにプロポーズしよう。
『プロポーズするなら、やっぱり指輪は必要だよな………』
考えること、やることはまだまだ多い。
だけど、ショウちゃんのことを思うとそんなの苦ではない。
『よしっ! やるぞ!』
俺は気合いを入れて頬をバチンと叩いて立ち上がった。
***
これが約一週間前の出来事。
そして、今がそのプロポーズの時なんだけど………
やべえ。マジで緊張する。
もう心臓の音しか聞こえない。
気づけば、指輪の箱を握った手が青白く変色している。
「もしものこと」は考えないと言ったが、あれは嘘だ。
今は成功した時の光景よりも、「もしものこと」の光景のほうが頭に浮かんできてしょうがない。
そのことが俺を更に不安にさせる。
頼む。断らないでくれよショウちゃん。
そう、神頼みを始めたときだった。
部屋のドアが静かにカチャリと開いた。
人の入ってくる気配がする。
俺は一度目をじると、深呼吸した。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
俺たちの今までを信じて、彼女の目を見ながら一言言うだけ。
さっきまでなんだかんだ言っていたが、いざその時が来ると案外冷静になるものだと思った。
さぁ。言うぞ。
俺はクワッと目を見開く。
男を見せろ政道!
「ショウちゃん!―――ふぇ?」
ボスッ。
身体が重力に則ってそのままベッドへと倒れ込む。
否。倒された。
「ショウ……ちゃん? ちょ、その格好は!?」
俺を押し倒したショウちゃんの格好は、タオル一枚だった。そう、タオル一枚だ。
ショウちゃんの成長したあられもない身体が見えそうになっている。
ていうか見えてる!見えてる!
「…………政道くん」
ショウちゃんの熱い吐息が俺の顔にかかってくる。
俺とショウちゃんの視線が交錯する。
「っ!」
お風呂上がりだからか、ほどよく瑞々しくてりんごのように紅潮した頬。
しっとりとしていて、それでいて艶のある綺麗な黒髪。
そして、うるうると俺の目を見てくるどこまでも深い黒い瞳。
そこには俺の知らないショウちゃんがいた。
俺がしらない間にこんなにもショウちゃんは成長していた。
想定外なことが起きすぎて完全に頭がフリーズしてしまう。
俺が呆然とショウちゃんの顔を眺めている間にもショウちゃんの顔の距離が小さくなっていく。
そのプルッとした唇が、俺の唇に重なろうとして―――
『聖花ちゃんはあんたのこと大好きだから』その言葉を思い出した。
据え膳食わぬは男の恥。そんな言葉があるくらいだ。
ここはもういっそ手を出す場面なのだろう。
だけど、俺はまだプロポーズをしていない。
俺はショウちゃんと幸せになりたい。だから、まだ俺はショウちゃんに手を出す権利を持っていない。
ここで手を出したら終わりだ政道!!
「ストップ!ショウちゃん!」
俺は溶けかけていた理性を総動員してショウちゃんの両肩を掴み、起き上がった。
「ショウちゃん。一体どうしたんだよ? こんなことして………」
俺はショウちゃんの目を見ながらそう問いかけた。
ショウちゃんの顔は羞恥と困惑とが混ざったような顔をしていた。
「………どうしてって。政道くんが言ったんじゃん」
「え?」
「『先、シャワー浴びてこいよ』って」
「……………うーん?」
ちょっと待てよ。俺、そんなこと言ったっけ?
すっかり冷静になった頭で思い出してみる。
…………あ。言ってたわ。
あのときは緊張しすぎて何言ったかなんて自分でもわからなかったからな。
ていうか、『先、シャワー浴びてこいよ』ってそういうことをする前に男が言う常套句じゃなかったけ?
じゃあ俺は、意図しないでショウちゃんを誘ったことになってるのか!?
「…………政道くん?」
「ごめん。ショウちゃん。俺の言ったことで誤解をさせちゃったみたいだ」
「………え? 誤解? じゃあ私は………」
俺の膝の上に乗った状態でショウちゃんの目から涙が溢れてくる。
幸せにする誓ったのに、俺のせいで泣かせてしまった。
でも、ショウちゃんは好きな人でもない限り絶対にこんなことをする人ではない。
こんなことまでされたのだ。
臆病な俺でもショウちゃんの気持ちはわかる。
もう俺に怖いものはなくなった。
後は、言うだけだ。
「ショウちゃん」
「………うぅっ……ヒッㇰ……」
俺はこぼれ出る涙を拭っているショウちゃんの手を掴んでそっと下ろす。
そして、まっすぐ目を見て言った。
「聖花。俺と結婚してくれ」
泣いてしまっているショウちゃんの目の前に指輪を持ってくる。
派手な装飾は一切ないが、今この瞬間。世界で最も輝いている婚約指輪。
ショウちゃんはあまりにも驚いているのか、さっきまで流れていた涙は止まっていた。
そして、弱々しく指輪の箱を受け取る。
「………え? 政道くんこれは……?」
「ハハッ。ショウちゃんは可愛いな」
そう言うと、ボッと火のついたようにショウちゃんの顔が赤くなった。
プロポーズをしてから俺の中で何かが変わったような気がする。
前よりも、自分に素直になれた気がした。
指輪をジーッと見つめていたショウちゃんの目から、再び涙がこぼれ始める。
「……ううぅ…政道くんのばかぁ……私のこと…女の子として見てないって……あんなにアピールしてたのにぃ……」
「………ごめんな」
どうやら、随分な時間待たせてしまったようだ。
だけど俺は、その時間の分も愛すと決めたんだ。
「……もっと早く渡せよぉ……うぅ、ひぐっ……うれしいよぉ………」
「ショウちゃん」
俺は指輪を受け取ってまた泣いてしまったショウちゃんを強く抱きしめた。
これからはもうショウちゃんとは「幼馴染」という関係ではない。
だけど、今はそれよももっと強いもので結ばれた気がする。
これまでは待たせてしまってごめん。だけど待ってくれてありがとう。
そして、これからもよろしく。
【完】
面白いと感じた方は評価とブクマの方よろしくお願いします。それではまた、次の物語で。