弓士は王女を射止めるか
「剣士ユージン、魔導士コニー、弓使いテア。そして癒しの巫女であり我が娘ジョゼット。面を上げよ。此度の戦果、まことに大義であった。そなた達に勇者の称号を与えよう」
目が眩む程の金箔や宝石で彩られた大広間。規則正しく配置されたピカピカの鎧の騎士達。
その中で一際輝く椅子に座った国王——イレストア国エイブラハム王が、旅装束に身を包んだ四人の少年少女達を見下ろした。
「一生遊んで暮らせる金でも、爵位でも、領地でも……とはいえ領地は魔物の侵攻により当主が亡命し今現在宙に浮いているものに限るが、我が支配が及ぶものであれば何でも叶えよう」
まるで現実ではないようだ。
三月前に実父だと判明した国王を見上げながら、ジョゼットは今自分が、いや、自分達がここにいることにいまだ実感を持てずにいた。
「さあ、遠慮なく申すが良い。剣士ユージン、そなたは何を望む」
謂わばここは終着点。三年に渡る魔王を倒す旅がついに終わったのだ。
明日からはもうこの四人で魔物を倒すことも、野営をすることも、思ったより高く売れたドロップアイテムのお金で酒場で飲み明かすこともない。
「故郷の再建のための人員と物資を」
王に名指しされ、ユージンが答えた。
三年前に魔族の四天王の一人に故郷を滅ぼされたユージンの悲願であり、この旅の動機。
その強い意志にジョゼットも動かされた。魔王を倒すなどという無謀な旅を続けてこられたのは、彼のその決して折れない心が皆を引っ張っていたからだ。
「魔導士コニー」
「王宮にある魔法に関する蔵書を自由に閲覧できる権利が欲しいわ。禁書と呼ばれるものも含めて」
面白そうだからという理由だけで旅についてくることになった、知識欲と好奇心の塊であるコニー。
コニーならばそう答えるだろうとジョゼットも思っていた。きっとしばらくは王宮の書庫に入り浸りになるのだろう。街の宿屋の一室で二人で魔法の理論について語り明かしたのがもう遠い昔のようである。
「弓使いテア」
「……陛下の支配が及ぶ範囲なら、なんでも?」
「いかにも。さあ、申せ」
一生働かずに暮らせるお金だろうな。
ついさっきまで感傷に浸っていたジョゼットが、ふっと誰にもバレない程度に苦笑した。
弓使いテア。最後まで掴めない男であった。
まだユージンとコニーとジョゼットの三人旅だった頃、国一番の弓の名手の噂を聞き、仲間に誘えないかと会いに行った時のこと。それが自分達とそう変わらない年齢の少年だったことにも驚いたが、弓を極めた理由が“弓なら剣と違って動かなくて済むから”だったことに一同空いた口が塞がらなかったものだ。
旅の最中も事あるごとに手を抜き——抜いても問題ない場面を的確に見極めてくるから逆に腹立つ——、徒歩での移動が続くと真っ先に音を上げ、二言目には「動きたくない」とこぼす。
なんで旅についてきたのだろう。今更ながら謎である。いや、テアの弓が無ければ乗り越えられなかった局面は多々あるので、ついてきてもらえて良かったけども。
「ジョゼットを」
「……何と?」
疲れたからとテアが食事すら面倒くさがった時は、ジョゼットが無理矢理その口にパンを押し込みスープを流し込んだものだ。
「陛下の愛娘である彼女を」
そんなテアが一生働かずに済むお金を手に入れたとしたら、きっと朝から晩まで動かず家で毎日寝て過ごすだろう。
「生まれたばかりの頃に何者かに攫われ十七年、三月前、陛下と謁見した際に生きていたと判明した、悲劇と奇跡の王女」
そうなったら大変だ。たまには日光浴や軽い運動をさせなければならない。ちゃんと食事をとってるかの確認も。
これはしばらくは自分がこまめに通ってやる必要がありそうだ。本当に世話が焼ける。旅が終わってもなお離れられないとは。
仕方がない、一度拾ったペットは最期まで面倒を見るのが飼い主の役割である。
ならば己が今王もとい父へと答えるべき望む褒美は、王女として迎えられた後も気軽にテアのいる街まで行き来できる自由か——と、ジョゼットが考えていたところで。
「ジョゼット・イレストアとの婚姻を望みます」
「…………え?」
ようやくそのテアの述べた望みが予想と大幅に違っていることに気づき、ジョゼットは己の耳とここが現実かを疑った。
◆◆◆
「はっ、夢か……」
ベッドの中で目を覚まし、ジョゼットは直前までの出来事が夢であることを悟った。
ただどこからどこまでが夢だったのかわからない。ベッドに入った記憶がないのだ。というかこんな豪華なベッドも記憶にない。この部屋自体も記憶にない。見渡す限り見知らぬ天井、見知らぬ壁である。
「ここはどこ……私はジョゼット……」
幸い自分のことはわかった。お約束の記憶喪失ではないことにとりあえず安心する。
「おはようジョゼ。やっと起きた?」
「コニー!」
不意にパッとベッドの天蓋がめくられた。
そこには“持ち出し厳禁”と札の貼られた本を小脇に抱えた、知識欲と好奇心の魔導士コニーの姿が。
「おはよう。ごめんなさい、コニーが運んでくれたの?」
良かった。きちんと仲間達のこともわかる。
どうやら失ってるのは寝る直前の記憶だけのようだ。
ベッドに入った記憶がないということは、もしかしたら他の場所で眠ってしまったところをコニーが浮遊魔法で運んでくれたのかもしれない。
「いいや、俺だ」
続いて少々乱暴に天蓋の布が振り払われた。
「寝起きのところすまない。けどまだ返事をもらってないんだ、ジョゼット」
「!テ、テア。おはよう。貴方が先に起きてるなんて珍しいわね」
そこから現れた人物の姿を捉え、ジョゼットの息が一瞬止まる。
いつもであればレディの寝室に勝手に入るなとお説教しているところだが、とても恥ずかしい夢を見てしまった直後のため平静を保つので精一杯であった。
「ああ。そもそも眠れなかったからな」
「嘘でしょ!?今眠れなかったって言ったの!?何か病気!?」
平静が吹っ飛んだ。
あのテアが夢の中での出来事以上にあり得ないことを言ったせいで。魔王との決戦前夜ですら秒で熟睡していたあのテアが眠れないなんて言うから。
「そうだな病気だ。治してくれるかジョゼット」
「ええ勿論、私の治癒術が及ぶ範囲でしょうね?病名はわかる?」
「恋の病」
「は?」
ベッドに片膝を立てて乗り上げてきたテアの額に手を当てながら、ジョゼットは気の抜けた声を上げた。
「初めて会った日から、君に恋をしている。旅が終わってもずっと一緒にいたい。俺と結婚してくれ。陛下からは君の返事次第だと言われてるんだ」
なるほどまだ夢の続きだったらしい。
これが二段オチか、と我が夢ながら気合いの入った構成に一周回って感心するしかなかった。
◆◆◆
と、思ったら現実だった。
起きる度に同じことが繰り返されてはさすがのジョゼットも夢か現かの区別もつく。
「ということはテアは……わ、私を好きになったから旅についてきたっていうこと……?」
「んーそうなんじゃないー?」
「でも全然そんな態度見せなかったじゃない?いつも何でもどうでもよさげだしすぐ疲れたとか眠たいとか文句言うし、普通好きな女の子の前ならもっと強がるとか格好つけるものでしょう?」
「あー、うんうん」
「ま、まあそりゃあ格好つかないことばかりだったわけじゃないけど……本当に強い魔物相手の時は頼りになったし……あの矢で形勢逆転したことも一度や二度じゃないし」
「わかるわかるー」
今日も今日とてジョゼットは、旅の仲間であり一番の親友であるコニーとお茶会をしながら、同じく旅の仲間であるテアの突然の変貌について相談していた。
「……コニーにもわかるの?」
「うん?……あ、そうだね、旅ではみんな頼りになったし格好良かったよねって意味だよ。テアだけじゃないしそもそも私の好みのタイプはああいうモヤシよりもっと実験しがいのある筋肉質で活動的でついでに見た目も中身も明るい男だし」
「そ、そう、それならいいのよ」
残念ながらテアはコニーの好みのタイプの真逆を行くようだ。彼が求婚したのがコニーでなくて幸いであった。
しかしコニーが何故か小声で「めんどくせー」と呟いたのは聞かなかったことにする。
「それで?返事はしないの?もうあれから一週間も経つのに」
「だって……そんな急に言われても信じられないし……テアのことだから何か企んでるかもしれないし……」
あの衝撃の告白から一週間。テアには会う度に返事を急かされるが、ジョゼットはすぐに首を縦に振る気にはなれなかった。
「それにもしかしてただ身の回りの世話をしてくれる人が欲しかっただけかもしれないじゃない?」
「ならフツーにお金貰って家政婦雇った方が早いじゃん。それをわざわざ断るくらいだから、よっぽどジョゼが欲しかったんでしょ」
「わ、私は物じゃないわ」
「嬉しそうな顔してよく言う」
「してないわよ!何を言ってるの!」
現在、旅が終われば王宮で暮らすことになっていたジョゼットだけでなく、秘伝の蔵書を読み切るためにコニーも、ジョゼットからの返事が欲しいテアも、王が招集した専門家達と村の再建計画を練っているユージンも王宮に留まっている。
旅が終われば皆離れ離れになってしまうと思っていたジョゼットにとってこれは嬉しい誤算であった。特に王都から遠く離れた住処に引きこもってしまうと思っていたテアがまだここにいることが。勿論恋愛感情からではなく、わざわざお世話をしに通わなくてよくなったという安心感からである。
「ところで、明々後日の魔王討伐祝いのパーティは結局誰にエスコートしてもらうことにしたの?国中の貴族令息達から申し込みの手紙が届いてるんでしょ?まあ私にもそれなりに来てるけど」
「そうねぇ、どうしようかしら」
「……ああ、まーだやってるのね」
コニーが魔術書から顔を上げ、呆れたように呟いた、ちょうどその時。
「ジョゼット。ここに居たんだな」
二人がお茶会をしていた庭園のガゼボに近づいて来る人影があった。
深海のように暗く青みがかったグレーの髪。その髪を更に濃くしたような色の瞳。普段は気怠げに細められているその三白眼が、今は弓に矢をつがえた時のようにしっかり見開かれている。
「三日後のパーティで、世界一美しい姫君の手を引く権利を、どうか俺に」
後ろ手に何かを隠したままジョゼットの椅子の隣まで近づき、サッと膝をついたテアが差し出したのは一本の矢……ではなく一輪の赤い薔薇。
「あら、随分キザなことをするわね」
「君が言ったんだろう。パーティでは白馬の王子様のような人にエスコートされたいと」
「小道具とセリフだけ真似ても意味ないと思うけど?」
言っては悪いが全く似合わない。
こんなことは金髪に青い目のきらきらしい王子様がやるから様になるのであって、王子と言うより死神と呼ばれることの多いテアがやっても似合わない。今にも差し出した薔薇が枯れそうである。
「じゃあどうすればいい?今から陛下に頼んで養子にして貰えばいいか?肩書きだけでも王子になる」
「それだと姉弟になって結婚できなくなるけどいいの?」
「……よくない……」
がっくりと肩を落としたテアがすごすごと引き下がった。また来る、の一言とジョゼットの手元の薔薇だけ残して。
「ふふ、こんなことまでするなんて思いもよらなかったわ。あの捻くれ者で我の強いテアが……ふ、ふふ、ふふふふふ」
国王から祝勝パーティの開催の旨を告げられてから、テアの猛攻が留まるところを知らない。よっぽどジョゼットをエスコートしたいのだろう、毎日あの手この手で申し込んでくる。
「……ねぇジョゼ。テアの得意技、忘れたわけじゃないよね?」
「え?なあにコニー、急に。仲間の得意技くらい覚えているわよ。ライトアロー、追尾の矢、闇撃ち、スピードショット、心眼の一閃……」
「あらら。忘れてるんだね、私知ーらないっと」
「……?」
肩をすくめて意味深なことを言うコニーに、ジョゼットは棘の抜かれた薔薇を抱きしめながら首を傾げた。
◆◆◆
「くっ、このままじゃ……!」
鉄壁の羽根で身を守る巨大な鷲の魔物。とても用心深く、常に片方の翼で身を覆い、もう片方の翼と鉤爪で攻撃をしてくる。
「駄目、あの羽根、爆破魔法も弾かれちゃう!」
コニーの最大火力の爆破魔法ですらその鉄壁を壊すに至らなかった。ジョゼットの聖なる祈りも、ユージンの剣もテアの弓も同じく。
頓着状態が続いたまま疲労と怪我ばかり溜まっていき、ジョゼットの治癒も追いつかなくなってきた。対して敵はこちらの力量を計るように動きながら、余裕の表情を浮かべている。
「っ、ブレス来るぞ!皆伏せろ!」
ユージンの号令に一斉に皆が地に伏せる。頭上に熱風を感じると同時に大剣が宙を切り裂く音が重く響いた。
魔物からの炎のブレスをユージンが剣舞で散らしたのである。しかし、戦いが始まった時からと比べて、弾き切れずに降り掛かる火の粉の量が多くなってきている。
「ブレスが強くなってる……?」
「いいや。少しずつ近くなってるんだ。あの鳥のブレスを吐く時の位置が」
器用に片翼だけで舞い、もう片翼で身を守る魔鳥。唯一ブレスを吐くときだけその両の翼を広げるが、こちらの攻撃が届くより遥か上空からしかそれをしてこない。
しかし、最初はとにかく高く飛び上がってから仕掛けてきたブレスを、ジョゼット達全員の攻撃射程距離を見極めた結果、もっと近くで打って問題ないと判断したらしい。
「くそっ、次にもっと近い距離で来たら危ないぞ!」
ユージンの剣舞と同時にジョゼットも伏せながらも癒しのベールを展開しているが、この二つを合わせても今のブレスを防ぐので精一杯であった。これ以上は防御が保たない。
『キィ、キィ、キィーッキキキッ!』
そんなジョゼット達の焦りを嘲笑うかのように魔鳥が鳴き、片翼で飛び上がった。
今度は先程よりもずっと近く、しかしそれでいて誰の攻撃も届かないギリギリの距離から、もう片方の翼も大きく広げてブレスの体勢に——。
『キィ……ギィイイイィイイーーッ!!』
その瞬間。一陣の風がジョゼットの髪を掠めた。
「今だ!!」
皮を切るようなテアの叫びに、一瞬何が起こったかわからず呆けていた皆が一斉に我に返る。
ブレスを吐く時にのみ晒していた真っ白な胸を真っ赤に染め、墜落した魔鳥。そこにユージンが剣を、コニーが爆破魔法を、ジョゼットが聖術を次々と重ねた。
胸に突き刺さった光の矢が邪魔をし、中々その身を覆いきれず、飛べもしない魔鳥は最早先程までの脅威から程遠かった。
「って、ちょっと!何もう休憩してるのよ!まだトドメ刺してないのよ!」
「一番の大仕事はしただろうが。後は任せた」
後はもう煮るなり焼くなり焼き鳥にするなり、ジョゼット達の勝利で確定だったのだが、テアだけその作業に参加せず大岩に腰を下ろして足を投げ出していた。
協調性も何も無いが、その通り最大の功労者なので何も言えない。
しかしユージンもコニーももう慣れたとばかりに気にしないので、ジョゼットが毎回注意しているのだ。聞き届けられたことは一度も無いが。
「でもまさか、ピンチで今まで以上の力が覚醒するなんて本当にあるのね。都市伝説だと思ってたわ」
しばらくしてユージンの最後の一撃で敵を倒し切ったことを確認し、ジョゼットが再びテアを振り返る。
「はあ?そんな一か八かの力に頼るかよ。あの鳥がこっちの射程距離を測ってたのは最初にわかったんだ。ワザと届かないフリして見誤らせただけだ」
「ええ!?」
なんとまあ、あの緊迫した戦いの中最初から手を抜いていたとは。
「わかってたなら、言ってくれれば……」
「全員手を抜いたらバレるだろう。必死さも出しておかないと」
その作戦のおかげで勝てたわけではあるが、なんだか釈然としない。本当に手を抜くところの見極めが上手い男である。
「はあ……まあ、いいわ。それにしてもあの鳥、一撃受けただけで驚く程弱ったわよね。まだ攻撃する体力は残ってたはずなのに」
「守りが硬い奴程少しでもヒビが入ったら弱いもんだ。自分が絶対優位だと思ってたら尚更な」
だから優位だと思い込ませたのか。鳥の方から射程距離にのこのこ入ってくるように。
「ま、所詮は鳥の浅知恵だったってことだ」
人間様に敵うまいよと得意げに笑う彼に、ではそれに翻弄された自分達は鳥以下かとジョゼットは反論しようとしたものの、普通に肯定されそうだと思ったのでやめた。
◆◆◆
そんなことを言っていた男が、今や己の前で傅いて懇願してくるのである。
「なあジョゼット、頼む頷いてくれ。貴族達からの申し込みは全部断ったんだろう?俺は期待していいんじゃないのか?」
こんなに楽しいことが……いや珍しいことが今まであっただろうか。いや無い。どうして祝勝パーティまでの期間が一週間しかないのだ。既にパーティ前日、もうこれ以上引き伸ばせないではないか。
「断ったのは本当だけど……貴方の申し込みを受けるためではないわ」
「じゃあどうして」
「知らない人ばかりだったからよ。顔も知らない人の申し込みを受けて、当日に誰の腕を掴んでいいかわからなくなったらどうするの」
これでも毎日悩んでいたのである。顔も知らない、名前も申し込みの手紙で初めて知った人相手に失礼なく一晩過ごせるか。
かと言ってプロポーズを受けると決めていないのに、テアのエスコートを受けていいものか。
どっちに対しても失礼になってしまう。だから中々受けられなかった。
決してテアに何度も申し込まれるのが嬉しかったとかそういうわけではない。
「なるほど。なら、俺の顔なら知ってるから大丈夫だな?」
「知ってる顔ならユージンもいるけど」
「ユージンにはコニーと出るよう話をつけてある」
「あっ話を聞いたじゃなくてつけたなのね」
とはいえ、貴族達の申し込みは断った以上、もう選択肢がユージンかテアしか残っていなかったのは確かである。そしてその一方の選択肢もテアによりいつのまにか潰されていたようだ。
「じゃあ、仕方ないわね。パーティで貴方を一人にするわけにもいかないし、受けてあげる」
そう、これはテアのためでもある。放っておいたらとんだマナー違反をしでかしそうな男を会場で一人になんてさせられない。他の女性の相手をさせるなど以ての外。
「光栄だ。俺の姫君」
しかしジョゼットがそう答えるや否や、テアがすかさずジョゼットの手を取りその甲にキスをした。
「っ!ま、まだ貴方のじゃないわ!」
まさかジョゼットが戯れに言った『王子様のような人にエスコートされたい』をまだ忠実にこなそうとしてるのか。
似合わない。似合わないったらない。似合わな過ぎて顔から火が出そうである!
「残念。手厳しいな」
だからはっきりと否定してやったのに、手の甲から顔を上げたテアは、台詞とは裏腹に何故か薄らと笑っていた。
◆◆◆
「ジョゼット!久しぶりだな」
「ユージン。久しぶりって、二日会ってなかっただけでしょう」
「旅の間は毎日みんな一緒なのが当たり前だったろ?」
「ふふ、それもそうね」
部屋の前でテアと別れた後。ジョゼットは火照った身体を冷ますためにバルコニーに出ていた。
そのバルコニーから見た下の道に偶然ユージンが通りかかり、ジョゼットが手を振ると、ユージンも気づいて手を振り返し、その腰に差していた大剣を背中に回し、城壁に手をかけスルスルと登ってきた。
「いえ何自然な流れで壁を登ってきてるの。私じゃなかったら通報しているところよ」
「いやあ、こっちの方が早いからさ」
バルコニーの横の壁にヤモリのように張り付き、朗らかに笑うユージン。あまりに普通に登ってくるのでうっかり何の疑問もなく迎え入れてしまいそうになる。
「そんなことより聞いたぞジョゼット。やっとテアのプロポーズを受けたんだって?」
「なっ……受けてないわよ!明日のパーティのエスコートを受けただけ!」
「なんだ。さっきテアから“やっと受けて貰えた”って聞いたからてっきりプロポーズの方かと」
ぴょんっと壁を斜めに蹴り、ユージンがバルコニーの柵に足をかけ、ジョゼットの隣に華麗に着地した。
「まあエスコートもプロポーズも同じようなものだし間違ってないか」
「間違いあり過ぎよ!いっときのパートナーと一生のパートナーじゃ全然違うわ!」
「まあまあ、細かいこと気にすんなよ」
そんな明るく言われるとまるでこっちが神経質だったような気がしてくる。皆の先導と仲介役、頼りになるリーダーであるユージンだが、テアとは違った意味で己を曲げない男だ。
「俺は二人は結婚するもんだと思ってたぜ?ジョゼット、旅が終わったらテアのところに通い妻する気だったんだろ?」
「通っ……!?」
ユージンの衝撃的な発言にジョゼットが固まる。通い妻。通い妻とは。通い妻って!いったい誰がいつそんなことを。
「これからもずっと私が面倒を見なきゃいけないわねとか、三日に一度は様子を見に行かないととか、いっそ毎日生存確認しなくちゃとか言ってたじゃないか。テアも断らねーし俺はてっきり」
「それは……!そういう意味じゃなくて……!テアが放っておいたらすぐ不健康な生活をするから、長生きのためにも!」
「ああ、夫が早死にしたら寂しいもんな」
「ちっがーう!!」
わかってるわかってる、とあっけらかんとユージンは言うが、全然わかっていない。しかし一度決めたら梃子でも曲げないのがユージンの長所かつ短所。今は思いっきり短所となって現れているが。
「っと、そうだとしたらもうすぐ夜になるのに人妻とバルコニーで密会なんて間男みたいなことしちゃあ駄目だな。親しき仲にも礼儀ありだ。つーわけで俺はこのまま帰るぜ!」
「あっ、待って、さっきより暗くなってるから壁伝いは危な……待ちなさい本当に間男みたいな退散の仕方するんじゃなーーい!」
ジョゼットの叫びも虚しく。
夕闇が迫り視界が悪くなっているにも関わらず、ユージンは来た時と同じように壁に飛び移ってスルスルと降りていった。
まるで人妻と不倫中に夫が急に帰ってきて、慌てて窓から逃げる間男のように……。
◆◆◆
次の日。
「ふ、ふーん。馬子にも衣装じゃない。着る工程の多い服は嫌だって言ってお手伝いさん達を困らせなかったでしょうね?」
「まさか。目一杯格好良くしてくれと頼んださ。世界一綺麗なお姫様の手を引くんだからな、少しでも釣り合うようにしないと」
「……そう、我が儘言ってないならいいわ」
パーティ当日。部屋の前まで迎えに来たテアを見て、ジョゼットは思わず顔を背けた。
テアのことだ。似合う似合わないも気にせず、用意して貰った衣装の中で一番着やすいものを選ぶだろうと思っていた。髪型だって無造作に手で梳いただけの普段通りで来ると思ってたのに。
紺を基調にグレーの差し色の入った、きっちりとした正装。アシンメトリーに片側を一部上げ、ただの無造作ではなく敢えてそうなってるとわかる髪型。
似合っている。心の準備無しに直視できなかったくらいに似合っている。
「ジョゼットも、若草色の髪と明るい黄の瞳がグレーのドレスに映えてとても綺麗だ。テーマは春の兆しか?君が着ることで完成するドレスだな」
こんなキザな台詞も様になるくらい似合ってしまっている。
「ありがとう。ああ、そうだわせっかくきちんとした服なんだから汚しちゃ駄目よ。ソースのかかったものを食べる時は気をつけて。取り分ける時は服の袖が他の料理につかないようにね。髪もいつもの癖でかきあげないように」
「なんだ、ムードがないな。ここはうっとりした顔で俺の腕に手を置くところだろう」
「はいはい。ここにいるのが王子様だったらそうしてるところよ」
あてが外れたとばかりにテアが不満そうな顔をしたが、ジョゼットはそれどころではなかった。
その格好で甘いムードを作られたら危ないのである。こんなところで陥落するわけにはいかない。
口ではなんとでも言える。ただでさえ演技の上手いテアのことだ。本気なのかどうか見極めるためにも、もっと引っ張らなければならないのだ。まだしばらくはこちらが優位なままでいたい。
「君だけの王子になろう。それじゃあ駄目か?」
「そうねぇ、あだ名が“死神の弓使い”から“天使の弓使い”になったらそれもアリね」
「染めるか。髪と弓を金色に」
「冗談よ」
本当に染めてきたら本気がわかるかもしれなかったが、正直それはタイプじゃないのでジョゼットは即行で前言撤回をした。
◆◆◆
「王女様!この度は御目通り叶いましたこと誠に光栄に存じます」
「ジョゼット殿下のお噂はかねがね……是非魔王を討伐した時のお話をお聞かせいただければ」
「姫君、宜しければどうか一曲私と」
このパーティの趣旨は魔王を討伐した勇者一行を讃えるものである。
よって、ジョゼットも己が主役の一人だという自覚はあった。
「王女殿下の美しさは噂では聞いておりましたが、いやはや噂は当てにならないものですな。噂以上にずっと美しい」
「殿下、覚えていらっしゃいますか?殿下は旅の途中、一度我が領地に訪れてくださったことがあるんですよ」
「それを言うなら私も」
「いいやうちにも」
しかしまさかこんな身動きも取れない程大勢に囲まれ続けるとは思ってなかった。
「喉が渇きませんか?飲み物を取って参りましょう」
「では私は軽食を。王女殿下は料理は何がお好みで?」
招待客の二十人以上からのエスコートの申し込みにお断りを入れた手前、少なくとも彼らからは距離を取られるかと思っていたのに。むしろその逆である。
「せっかくですからテーブルまで一緒に参りましょう。さあ私の腕に手を」
「あ、ええと……」
距離を取られるどころかぐいぐい詰められる。しかもジョゼットとの距離を詰めようとするあまり、隣に立つテアすら視界に入っていないような輩が後を絶たない。
「失礼。今彼女の手は塞がってますので」
ついに強引に割って入って来ようとした男の腕をテアが右腕で遮る。
テアの言う通り、ジョゼットの両手はテアの左腕をしっかり掴んでいたため塞がっていた。
「申し訳ない。私としたことが王女殿下の眩いばかりの美しさに周りが見えていなかったようで」
口では謝りながら、腕を押し返された男が挑発的な視線でテアを見た。
「風の噂で聞きましたが、王女殿下の理想の男性像は『王子様のような人』だとか。当然今日のエスコート役はその理想に一番近い男が選ばれるのだろうと思っていたので、貴殿が隣にいたことに気付きませんでしたよ」
何故それを。
一週間前に王宮内で、それも仲間相手にしか言ってなかったことがこんな名前も知らない男にまで筒抜けになっていたことを知り、ジョゼットは驚いた。
そして気付いた。ジョゼットの周りを取り囲んでる男達が揃いも揃って白地に金の飾りに赤マントという、いかにもお伽話の王子様のような格好をしている理由に。
「王女殿下。貴女様をエスコートする栄誉をどうか私にも授けていただけませんか?」
てっきりそういう流行だと思っていた。偶然にしては被りすぎなので、そんなファッションリーダーでもいたのかと。
「自分で言うのもなんですが……実は私の祖母は隣国の王女でして。この見た目と相まって、社交界ではご令嬢方に“王子”と呼ばれているのですよ」
なるほどつまり、自分はジョゼットの理想の男性像にぴったりだろうと言いたいのだろう。この名前も知らない金髪の王子は。
「……!本当に王子だったのか……」
「テア?」
王子様が理想だというのは嘘だと白状してしまったら、では何故そんな嘘をついたかという話になってしまう。どう断ろうかとジョゼットが答えあぐねていると、不意にテアが低い声で言った。
「……ジョゼット。もし俺に遠慮しているだけなら気にしなくていい」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「もう顔も知らない人でもない。まさか本当にこの国に王子に値する男がいたとは……ただ口先と格好だけ真似た弓士じゃ足元にも及ぶまいよ」
「え?え?」
テアは何を言っているのだろう。その言い方ではまるで、ジョゼットのことは諦めて目の前の男に譲ろうとしてるかのような。
「これはこれは弓士殿、申し訳ない。まさか貴殿も……いやはや悪気はなかったのですが、少々残酷なことをしてしまったようだ」
ジョゼットの両手からテアの腕がするりと抜ける。
「テア?ちょっと、テア!」
何故、どうして急に、そんなあっさり、そう言いたくてもショックのあまり続く言葉が出てこない。
「それではジョゼット殿下。私を貴女だけの王子にしていただけますか?」
さっきは遮ってくれた、ジョゼットに伸ばされる腕を、もうテアは見ようともしなかった。そのまま無言で背を向けてこの場から遠ざかっていく。
「え……」
まるで氷水をかけられたかのように、ジョゼットの顔からさーっと血の気が引いた。
「私の姫よ。さあこの手を」
「ごめんなさい!」
立ち尽くしている場合ではない。
行手を遮る王子様の手を振り払い、ジョゼットは弾かれたように駆け出した。
「テア!」
——自業自得だ。己が散々王子様のような人がいいと言って、テアの本気を試そうとしたから。
血筋も見た目も台詞も格好も、本当に王子様のような人が現れてしまった結果、ついにテアがジョゼットを諦めてしまったのだ。
「……すみません!通して!」
一歩遠ざかるごとに他の招待客に紛れ、テアの姿が覆い隠されていく。
このままでは完全に見えなくなってしまう。
「待って、違う!違うの!王子様が理想だなんて言ったのは嘘よ、お願い待って!」
テアは待ってくれない。会場の端から追いかけて、もう中央まで来てしまった。
「テア!待ってよ、テア……っ」
言葉で待ってくれないなら身体で止めるしかない。ジョゼットは勢いよく床を蹴り上げ、テアの背中に抱きついて叫んだ。
「テア、好き、貴方が好き!私の理想も王子様も全部テアのことなの、だから私と結婚して!」
さすがのテアもジョゼットを背中に張り付けたまま進もうとは思わなかったらしい。ようやく足を止めてくれた。
「……本当に?」
「ええ、本当よ、貴方しかいないの、信じてくれる?」
「ああ、信じよう。ありがとうジョゼット」
「テア……!……テア?」
ようやく振り返ってくれたテアの顔を見て、ジョゼットが安心して涙ぐみ……かけて固まった。
「女性からこんなに情熱的にプロポーズされちゃあ、男として断るわけにはいかない」
覚えがある。この顔は。テアがこの顔をする時は。
「このテア・マキオン、喜んで王女殿下の申し出を受けましょう」
一番印象深い時だとそう、あの鉄壁の魔鳥を倒した時。
優位を確信しまんまと射程距離内で弱点を晒したあの魔鳥を、その弓で撃ち落とした時の顔だった。
◆◆◆
「だーから言ったじゃん。あいつの得意技を忘れたのって。相手に優位を確信させてからの騙し討ち。旅の途中も散々見たでしょ?」
「忘れてないわ……忘れるわけないじゃない……そんなところも好きなんだもの……」
「反省するのか惚気るのかどっちかにして」
十七年前に何者かに攫われ、しかし今になってその生存が判明した、悲劇と奇跡の王女ジョゼット。
その大公開プロポーズは瞬く間に世間へと広まった。
今やジョゼットの二つ名は愛の奇跡の王女である。なんだそれは。若干前の二つ名に被せるんじゃあない。
「ま、自業自得だね。最初っからちゃんと受けてればジョゼが優位のままだったのに」
「うう〜!」
ジョゼットにあまり自覚は無かったが、魔王討伐の功績を持ち、癒しの力があり、王女と判明したばかりのジョゼットは、貴族令息達の中で最優良の嫁候補として認識されていたらしい。
市井育ちであるという難点も、まだ十代ならばこれから教育できるし、むしろ子爵家や男爵家など本来王女の降嫁先として考えられないような家でも手が届きやすくなると。
と、そんな評判も、婿候補達が集まる中、旅の仲間にプロポーズをしてしまったことでひっくり返った。さすがに目の前で他の男にプロポーズした女に求婚しようとする猛者はいない。
「コニーもなんで言ってくれなかったの……」
「ヒントは出したじゃーん。あんたが浮かれ過ぎて気付けなかっただけでしょ」
コニーの言う通りである。今振り返れば当時のジョゼットはめちゃくちゃ浮かれていた。普段であればもう少し持っていたはずの警戒心もゼロになるくらい。
最初のあの時素直にプロポーズを受けていれば、貴族令息達から引く手数多の中テアを選んであげたのだとして、今でもジョゼットがずっと優位のはずだったのに!
「ここに居たか、ジョゼット」
「テア!」
王宮の庭園にてそんな反省会をしていた時。ジョゼットとコニーの二人がいるガゼボの中に誰かの影が差した。
「用がある。ちょっと来い。コニー、ジョゼットを借りるぞ」
「はーい。貸すっていうか、返すって感じだけど」
「それもそうだな」
ガゼボの端に立ち、そっちから来て当然だとばかりに軽く手招きする憎らしい人。
同じ場所で少し前は向こうからジョゼットの隣まで来て、跪いて薔薇を差し出してきたというのにこの変わりようである!
「時を……時を戻したい……!」
「いいから早く来いって」
完全に優劣が逆転してしまった。二人の認識的にも世間的にもジョゼットがプロポーズした側、テアが受け入れた側。
いやテアの方が先だったのだと主張しようにも、大勢の前で泣いてプロポーズしたジョゼットの方がやっぱり分が悪すぎる。
「はい、来たわよ!それで用って何?……あら?」
自棄になってズンズンと足音を立て、ジョゼットが指定の場所まで歩いていく。
しかしその目の前まで来て、テアが片腕を背に回して何かを隠していることに気づいた。
「婚約指輪だ。陛下に用意される前に、これは俺から」
「えっ」
ジョゼットの目の前に、小箱のクッションに鎮座した指輪が差し出される。
「プロポーズも指輪の用意も女側になっちゃあ、男が廃るだろう?」
「あ、あくまでプロポーズは私からってことにする気ね!?」
「証人の数が桁違いだ。諦めろ」
こんな高価なもの一日二日で用意できるはずがない。つまりあのパーティの随分前から準備をしていたということ。
「ほら、大人しく左手を出せ」
——はめられた。
左手の薬指に輝くリングを受けながら、ジョゼットは己が最初からこの愛しい人の手のひらの上だったことを悟ったのだった。
美少女にイケメンの手を振り払って陰キャに駆け寄ってほしい…そんな思いを込めて書きました。
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