参
「俺が、一緒にいてやればよかったんだ」
三階に続く階段の一段目に座った千秋は、独り言ちる。拾った懐中電灯は、まだほんのりと温かかった。
幽霊なんて、信じていない。だが、英美理と康太は、忽然と消えてしまった。委員長達に担がれているのかもしれないが、千秋は康太のあんな顔を初めて見たのだ。生々しい痛みを演技で表現できるほど、康太は器用ではない。今すぐ一階の扉を蹴破って外に出たとしても、この違和感が齎す胸の痛みは、簡単には引かない気がした。
「……千秋くん。私、友達が全然いないんだ」
隣に座った知佳が、おもむろに囁いた。千秋が胡乱な目を向けると、淡い笑みが返ってきた。
「だから、千秋くんが英美理ちゃんを探しに行った時、いいなぁって羨ましかったんだ。一緒に帰ろうとしてくれる人がいて」
「くだらない悩みだな」
千秋は一蹴した。この旧校舎に入る前に、怪談を語った康太へそうしたように。
「知佳も、俺と一緒に帰るだろ。二人一組のルールだから」
吐き捨てるように付け足すと、知佳は目を瞬いてから、明るく穏やかな笑顔になった。知佳でもこんな表情ができるのだ。意外なものを見たことで千秋は普段の調子を取り戻し、ふと気になったことを質問した。
「さっきの怪談で〝学校童〟は寂しがり屋だって聞いたけど、この怪異は学校から出られないのか?」
知佳は怪談に詳しそうだという予想は当たり、「出られても、校門前までが限度」と断言してくれた。
「旧校舎に棲む〝学校童〟は、幼い子供にしか見えない怪異で、子供達と楽しく遊んでいたの。でも小学校が廃校になって、生徒が建物に立ち入る機会がなくなった。夏には中学生達が肝試しで遊びに来るけれど、〝学校童〟は幼い子供にしか見えない存在。いつしか〝学校童〟には〝カシマさん〟という名前が当て嵌められて、元の名前で呼んでくれる者がいなくなったの」
落ち着いたトーンで語った知佳は、物憂げに息をついた。
「本当は、いつでも旧校舎を出られるのかもしれないよね。でも、夏になると皆が会いに来てくれるから、それが楽しみで出て行かないんじゃないかな。一人ぼっちは寂しいから。でも、いつの間にか間違った名前で恐れられて、すごく寂しいと思うの」
「……それを謝ったら、その怪異は、康太達を返してくれる?」
*
最後のスタンプを押した教室には、月明りが満ちていた。埃で煤けた窓からは満天の星空と山々の連なりが一望できて、千秋は知佳とたった二人、ここが怪談の舞台だということも忘れて、がらんどうの教室でしばし見入った。
「千秋くん」
窓際に立った知佳が、不意に言った。
「私の名前は?」
その問いかけは、茶番以外の何ものでもなくて、今日の肝試しと同じくらいに馬鹿馬鹿しいと、ここに来る前の千秋なら思ったかもしれない。今でもそう思っている。
それでも、相手がたとえ実体を持たない噂話の存在であれ、他者に寄り添おうとする姿勢は、今の千秋には心地よく響いたから、その茶番に乗ることにした。幸い暗記は得意なので、さらさらと呪文を口にできた。
「仮面のカ、死人のシ、悪魔のマ」
凛、とどこかで鈴が鳴った気がした。知佳が安らいだ笑みを見せたから、千秋も少しだけ笑みを返せた。
「帰るぞ」
「うん」
「これで、康太達の代わりに答えたことになればいいけど」
「きっと、気持ちは届いてるよ」
そう言い合って、二人で一年一組の教室を後にした。月明りが煌々と夜の旧校舎を照らし出し、懐中電灯がなければ歩けないような暗闇は、いつの間にか薄れていた。
そしてついに、昇降口の扉まで戻り、すんなりと外に出た瞬間――千秋は、驚くことになる。
グラウンドには、一年一組の全員が勢揃いしていたのだ。しかも何人かはフェンスの隅の芝生に寝転がり、勝俣先生や委員長達に介抱されている。その中には康太と英美理の姿もあり、千秋は急いで駆け寄った。
「康太、大丈夫か?」
「ああ、千秋か? 英美理が肝試し中にパニック起こしてさ、宥めてるうちに俺も何だか気分が悪くなって……おえ、絶対この学校、呪われてるぜ」
「あんたがスタンプに拘って、なかなか引き返さないのが悪いんでしょ!」
額に缶ジュースを当てていた英美理が、目を吊り上げて康太に噛みついた。千秋は、狐につままれた気分になりながら、英美理に訊ねた。
「英美理。旧校舎で、誰かと口論になったって聞いたけど」
「口論? あたしが? なんで?」
英美理はぎろりと千秋を睨むと、くだらない会話で体力を使わせるなと言わんばかりに、ごろりと芝生に横になった。さらなる質問を重ねる前に、委員長達から「元気な人は、こっちに来て手伝って!」と救護班に駆り出されたので、謎の追及どころではなくなってしまった。
騒ぎの理由は、一部の生徒が肝試し中にパニックを起こし、恐慌状態が周りの生徒にも伝染したというものだった。
帰り際に、知佳がもの言いたげに千秋を見ていたが、康太に肩を貸して帰らなければならなかったので、「おつかれ」とだけ言い残して、その日は別れた。