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コインゲーム

作者: ゆずりは

11月の、かなり寒い日だった。

僕はいつも通り蛍光灯で照らされた薄暗い階段を下って、このバーのこの席に座った。

その日の仕事の疲れをここの酒で忘れるのが、僕の日課だった。


といっても、ここの酒は仕事の疲れが吹き飛ぶ程美味いわけじゃない。

酔って何もかも分からなくなる。その分からなくなる事の内に仕事の事が含まれていれば、それで良いんだ。


席に座って、いつ買ったかも忘れたコートを背もたれにかけてバーボンを頼んだ。

見慣れた店主の顔と座り慣れた椅子の感覚にうんざりする。


この店で酒を飲むと、僕は気づいたら眠っている。

次に起きると大概はこの店の同じ席で起きる。

運が良かったら家のベッドで起きる事もある。

つまり、どっちみち酒で記憶を飛ばしながら寝ている訳だ。


その日は少し面白い事があった。

僕が一杯目のバーボンを口に運んだ時だった。

突然後ろから声をかけられた。


今までもそんな事が無かった訳ではないが、元気な兄ちゃんか面倒なおっさんの二択だった。


だか、今日は少し違った。

若い、女だった。


「あなた、私とゲームをしない?」

いきなり声をかけてきて、いきなりゲームをしよう等と何を言っているんだろうと思いながらも、僕は少しこの女に興味が湧いた。


ここは女のいるような酒場じゃないし、いるにしてもあまりに若い。

20も行っていないようにも見える。

見た目も、決して悪くない。どころか、美人だった。

どうしてこんな掃き溜めのような場所にいるのかわからない女だった。


「ゲーム?ゲームって、なんのゲームだ。」

気になった僕は、少し乗ってみることにした。


「簡単なゲーム、私がこのコインを今から投げる。それをキャッチして表か裏をあなたが当てるの。」

そう言って女は、一つコインを見せてきた。

日本の硬貨じゃない。見慣れないコインだった。


「へぇ、当てたら何かあるのかい。」

「ええ、何でも一つあなたが何でも願って良いわ。」

「ふぅん、つまり君は、僕の願いを叶えてくれるのかい。」

「ええ。」


中々面白いジョークだななんて僕は思いながら、それなら外したらどうなるのかと聞いた。


「外しても何も無いわ。ハズレという結果、それだけが残るだけ。」

「それじゃあ負けるリスクの無いゲームだが、それで良いのか。もっとも僕は、その方が気楽で良いがね。」


などと都合の良い話を二杯目のバーボンとともに飲んだ。


「乗った。1ゲームやろう。」


このまま飲んでいても退屈なだけだ。酒の肴とここは一つ、僕はゲームに乗ることにした。


「オーケー。それじゃあ行くよ。」


そう言って彼女はコインを右手の親指で軽く弾いた。

コインは宙に舞ってバーの微妙な明かりをキラキラと反射させながら彼女の手の中にスッと入った。


「はい、当ててね。」


彼女はコインを隠した左手の甲の上に乗せた右手を左手とともに僕に見せてきた。


それなりにしっかり観察していたつもりだが、コインの表裏を肉眼で視認する事など無理だった。

つまりこのゲームは、完全な勝率50%のゲームだ。

もちろん、彼女が不正をしなければの話だが。


「それじゃあ、表で。」


僕は分からなくなって適当に言った。


「それで良いの。」

彼女が僕に聞いてくる。


「あぁ。それで良い」

それを聞いて、彼女はコインを隠した右手をそっとどけた。


そこには模様のついたコインが左手の手の甲に乗っていた。

そのコインを持って彼女はコインの裏を見せてくる。


「このコインのこっち側には模様が無いわ、でもこっちにはある。つまり、このコインの表はこっち。あなたの勝ちよ。」


彼女は僕に勝利を告げた。


「へぇ、それじゃあ僕は何でも一つ、願い事を言っても良いんだったかな。」

「ええ。何でも一つ。」


僕は考えた。

考える程、今の自分に悩みや不満が無いという意味ではない。

逆だ。ありすぎて、分からなくなっている。


考えに考えた末に、僕は一つ願い事をした。


「じゃあ僕は、この生活から抜け出したいね。会社で扱き使われて、終われば覚束ない足取りでこのバーに入って美味くもない酒を浴びる。そんな生活から抜け出したい。こんな願いでも良いのかい。」


「何でも一つ、と言ったはずよ。言葉通り、何でも。」

「つまり、この願いでもオーケーと。」

「そう。」

「じゃあ明日から、この生活が変わってる事を願うよ。」


それを聞いて彼女は、いつの間にか座っていた僕の隣の席から降りて言った。


「あなたの願いはそれね、オーケー。じゃあまた。またゲームしましょうね。」


とだけ言ってくるりと背中を向けてバーから出て行った。


変な女だったなあと思いながら、三杯目のバーボンを喉に注いだ。

「同じやつを、もう一つ。」


店主にそんな事を言って彼女の置いていったコインを眺める。

表に薔薇の模様のついた、綺麗なコインだった。


気づけば僕は、眠気に襲われていた。

追加で頼んだバーボンを飲んだかも分からないまま、重くなる瞼に任せて眠りについた。


次起きたのは、バーの同じ席だった。

あぁ、またバーで寝たかと思いながらコートをとって会計を済ませて店を出ようとする。


「おっと、これじゃ無かったな。」

そんな事を言いながら、会計で間違って出した変なコインを財布の中に入れ直す。

こんなコイン、持っていたかなぁ。

財布から再び取り出した薔薇の模様のついたコインを眺めて、まだ登り切ってない朝日を浴びながら、起き始めた町に出た。


あぁ、クソ。頭が痛ぇ。最悪の気分だ。

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