繰り返し見るあの夢は
繰り返し見る夢がある。
いつから見るようになったのか、分かってはいるのだが、深く考えてはいけないと心が叫ぶ。
その度私は考えるのを放棄する事を選択する。
もう何度そんな事を繰り返したのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は産まれた頃から大変身体が弱い子だった。
十月を待たずに母の腹から産まれた私の体調はなかなか安定せず、物心つく頃には月の半分は熱を出し、咳き込み、寝込んでいたように思う。
病気を持ち込まないように接触できる人もかなり限定されていて、家族ともあまり会えなかった。
成長するにつれて少しずつ良くなってはきたものの、まだまだ病弱だった私を療養に専念させよとの事で、生家のある王都から、隣の領地へと移されたのは私が8歳になった年の春だった。
同い年の双子と、その3つ下の弟。
そして彼らの従兄弟に囲まれた生活は、とても新鮮だった。
双子はとても顔立ちのよく似た兄と妹。
ベッドの上が生活の基盤で、腫れ物扱いになりつつあった私に、1番最初に近づき出したのは妹のイリスだった。
彼女は私のベッドの横に椅子を持って来るとそこに座り、戸惑う私に図書室から取ってきたのだと言う本を差し出し共に読み、家庭教師から習ったのだと言う事を話しだした。
そういった事を繰り返し、夏に差し掛かる頃、彼女は弟のリオンを連れて来た。
最初はイリス越しだった会話のやり取りだったが、徐々にリオンと直接かわすようになり、常にイリスと2人で訪れていたのが時折リオン1人で訪れたりするようにもなった。
暑い、でも王都よりは過ごしやすい夏が過ぎると、彼女は兄のイシュカと従兄弟のオリバーを連れて来た。
彼らはとても仲がいい様だった。イリスに連れられやって来て会話は交わしたものの、彼らは私の部屋の常連とはならなかった。
健康な彼らは、部屋の中で静かに過ごすよりも庭を駆け回り、剣を振り回す方がよほど楽しかったのだろう。枕元にある窓の外からは、天気のよい日はほぼ毎日楽しげな声がよく聞こえてきていた。
そんな声を聞きながら、私はあいも変わらずベッドの上の住人で、イリスはそんな私の隣にいた。
冬になると、外では遊べなくなった為かイシュカとオリバーも時折部屋へとやってくるようになった。
彼らの話はとても興味深く、とても新鮮で楽しかった。剣の話、いたずらの話、冒険の話。同年代の同性ならではの話に私は夢中になった。彼らとの話にのめり込み、イリスが蚊帳の外になってしまう事もしばしばだった。そんな時彼女は機嫌を悪くするでもなく、刺繍や編み物をしながらほほえんでいるのであった。
次の春が巡ってくる頃、私は少しずつ部屋の外へと出れるようになった。とは言ってもまだ油断は禁物で、長年ベッドの上の住人だった私にとっては、部屋と図書室の行き来がちょうど良いリハビリだった。
外で遊べるようになったイシュカとオリバーはまたそちらに夢中になったが、イリスは相変わらず私の隣にいた。
夏が過ぎ、秋が過ぎ、私の隣にはやっぱりイリスがいて、変わらぬ日々を過ごす。時折リオンが来たりして、冬になるとまたイシュカとオリバーが加わる。そしてまた春が来て、彼らは外へと飛び出す。
月日を重ねる度に、私の行動範囲は少しずつ広くなり、まだ時折熱が出たりするものの、寝込むことは少なくなって来た。
駆け回りは出来ないが、外へもよく出るようになった。イシュカとオリバーの剣の修行を傍らで見つつ、リオンと基礎鍛錬をしたりするようになった。
今まで出来なかった、知らなかった事が出来る事が新鮮で嬉しくて楽しい。
イリスには悪いが、この頃の私は、彼女とおしゃべりするよりもイシュカやオリバーの仲間に加わりたくて仕方なかったのだ。
その日は、私が彼らの家で過ごした最後の日だった。
体調も大分安定してきたし、春から王都の学園に通う為に私は生家へと帰る事になった。
彼らと離れるのは少し寂しかったが、学園でまた会えるので楽しみでもあった。
オリバーはリオンを連れて少し前から彼の家に帰っており、彼らの父に連れられてイシュカとイリスと共に生家へと帰る途中だった。
それは突然だった。
私たちの乗っていた馬車は凄い衝撃に襲われ、なぎ倒される途中で放り出された私の手をイシュカが掴んだ所までは覚えている。
私の意識はそこで途切れ、気付いた時には私は懐かしい生家の私の部屋にいたのだった。
意識を戻した私の所に、彼らの父が子を連れて訪れた。話を聞くと私はあの日から2週間意識が戻らなかったらしい。
熱は出たものの、あとは意識が戻らなかっただけで、幸いにも他に大きな怪我はなかった私に比べて、彼らは結構な怪我だった。自分より重症な彼らに、怪我をさせてしまいすまないと謝られ、あの日の事を覚えているかと尋ねられた。
放り出されたところまでしか覚えていないと言った私に、そうかと頷いた彼らの父は子を指差し、これの名前は分かるかと問われた。
何を当たり前の事を、と思いながら、私は迷いなく答えた。
結局、学園の入学式には間に合わなかった。
しかし同じく遅れての入学となったイシュカとは同じクラスになれたし、初めての同年代の男女に囲まれての生活は新鮮だった。
人付き合いが不慣れな私のサポートや、たまに崩れそうになる体調の配慮はイシュカがさりげなくしてくれた。おかげで私には友人も出来、毎日が充実していた。
ただ一つ残念なのは、オリバーと疎遠になってしまった事だった。クラスが離れた為かと思っていたのだかが、学園で彼と初めて再開した時、彼は一言も喋る事なく、軽く頭を下げて私の横を通りすぎた。
隣で見ていたイシュカは、気にする事はないと言ってくれたが、どうも私は避けられているようでそれ以来学園でも彼をあまり見なくなった。
日々の学園生活の中で、様々な知識を得て、人間関係を学び友を得た。少しずつ父や兄の仕事を手伝いだし、有望な人材には積極的に声を掛けた。
気付けば卒業を翌月に控えた私の心残りは、イシュカの卒業後の進路だった。卒業後は家を継ぐ為領地に帰ると言い続けるイシュカと、一番の側近になってほしいと日々頼み込む私の攻防は卒業式の日まで続いた。
結局は私の泣き落としで、仕方なく頷いてくれたイシュカは、2年間だけだと期限付きではあったが私の一番の側近となってくれた。
イシュカは本当に有能だった。すぐさま仕事のノウハウを覚え、上司や他部署の人間とも仲良くなった。
しかし、あくまでも私の補佐だと言い張るイシュカは、決して自分が主体になるような仕事はしなかったし、あまり表舞台には出ようとしなかった。私はそれが少々不満だったが、強引に引き留めた負い目があって無理には頼めなかったし、この件に関しては父も兄もイシュカの意見を尊重しているようだった。
徐々に私個人に任せられる仕事も増えてきて、それをこなす事により周りから信頼されだしたのは、イシュカとの約束の2年もあと3ヶ月を残すだけとなった頃だった。
イシュカは仕事をきっちりこなす傍らで後任の育成もしっかり行っていたようで、その有能さが少々恨めしい。
どんなに頼んでも、イシュカはもう首を縦には振ってくれなかった。イシュカには継ぐべき家があるのは分かっているのだが、私もイシュカが欲しかったのだ。
引き継ぎを終え挨拶まわりをしたイシュカが領地に帰る日、彼の父が迎えにやって来た。久々に会った彼の父は、少し老けたものの事故による後遺症はなさそうで少し安心した。今までの礼を述べ、我儘を言ってイシュカを引き留めたことを詫びた。彼の父は笑って、私が立派になられて嬉しいと、その手伝いを自分の子が出来たのならよかったと言ってくれた。それがとてもありがたかった。
馬車に乗りこむイシュカに、私は3通手紙を渡した。
一つはイシュカに、
一つは彼の家族に、
そして一つは、かつての友人オリバーに。
返事はいらない、出来れば帰ってから読んで欲しいと言い、今までありがとうと告げた。イシュカはこちらこそ、と微笑んで馬車に乗り帰って行った。馬車が見えなくなるまで見送っていると、喪失感が私を襲う。
8歳から一緒だったのだ。
いつもいつも、私の隣にいてくれた。
だがもういい加減、解放せねばなるまい。私も1人で立たなくてはいけないのだと、強く自分に言い聞かせる。私はもう、弱かったあの頃の私ではないのだ。
イシュカに成長した私を見せたい。
そうしていつか、笑って彼に会えるだろうか。
イシュカがいなくなって、私は仕事にのめり込んだ。私がそうと知らずにされていた細やかな心配りがなくなった事で、より一層イシュカがもういない事を実感する。
あの日、手紙を読んだだろうか。私の事をどう思っただろうか。幻滅したのかもしれない、いや、するのだろう。それだけの事を私はしてしまったのだから。
考えたくなくて、尚更仕事にのめり込む。
イシュカとも、彼の家族とも、あの日から連絡一つ取らないままだった。
懐かしい顔を見たのは、イシュカがいなくなった事に慣れ始めた頃だった。
失われていた、海をはさんだ隣国とのパイプを復活させて、同盟を結ぶその土台まで成し遂げた彼らの功績に見合った褒美を与えるため、望むものを直接問うその場に私はいた。
父に問われたオリバーは、ちらりとこちらを見た。そして、自分には何も望まないが、代わりに名を無くした娘に本来の立場と名を取り戻して頂きたいと答えた。
父が、了承したところまでしか覚えていない。
気付けば、私とオリバーしか残っていなかった。
手紙を読んだと彼は言った。
あの日からずっと、僕は君が許せなかった。僕の従兄弟達を2人とも奪った君の事を。ただ、手紙を読んでそろそろ歩みよろうかと思った。君の為ではなく、イリスの為に、と。
最初は本当に、分からなかったのだ。
ただ、あの日から何度も見る夢があった。
夢の中で私を抱え込んだイシュカは、だんだん冷たくなっていって、私は血だまりの中でただ泣き叫ぶ事しか出来ない。
飛び起きて隣にイシュカがいるのを確認して、やっと私は落ち着くのだ。
そういった日々を過ごしていくと、ふと気付く事が出てきた。
最初は彼の剣だった。事故の後遺症で以前のようには握れなくなったと言っていたが、それにしても動きに重みがなくなった。
次は取れたボタンだった。私の制服のほつれたボタンを物の見事に直してくれた。彼は裁縫は得意ではなかったはずだが、ボタンは綺麗についていた。
一向に学園に来ない同い年の彼の妹、
低くならない声、
あまり伸びない身長、
相当本を読んでいないと知らない知識。
そういった事に気付く度に、繰り返す夢は少しずつ長くなっていった。
冷たくなっていく友と彼の止まらない血。
泣き叫ぶ私の元に駆け付けた傷だらけのイリス。彼女は兄の状態を確認すると、ギュッと兄を抱きしめて彼を寝かせると、泣きすぎて呼吸のおかしな私をおぶって歩き出すのだ。
大丈夫、もう大丈夫だからと繰り返し私に言い聞かせながら、傷だらけの身体で、重いであろう私を背中に乗せ一生懸命歩くのだ。
私を彼らの父の所に運ぶと、足を折り動けない彼の代わりに近くの家まで走り、助けを呼んで来た。熱に浮かされた私と動けない彼らの父を、助けに来てくれた人達に頼むと傷だらけのイリスは元来た道へ走って行く。1人残されたままのイシュカを迎えに。
何年も何年も見ないふり、気付かないふりを続けてきたその夢は、そこから先を教えてくれない。
これではダメだと、ようやく自分を奮い立たせて執事から教えてもらった話では、生家に運び込まれ、医者の手当てを受けた私は、何度も何度もイシュカを呼んだらしい。
熱に浮かされ、夢うつつの状態で、イリスの顔を見てはイシュカの名前を呼び、落ち着いてまた眠ってを繰り返したそうだ。
きちんと覚醒する頃には、私はちょっとおかしくなっていた。
そんな私に、イリスとその家族は寄り添ってくれたのだ。訂正するでもなく、非難するでもなく、ただそっと隣にいてくれたのだ。彼女ではなく、彼として。彼女と、彼女の人生を捻じ曲げてまで。
オリバーは、それはもう怒り狂ったのだそうだ。
大事な従兄弟を1人亡くしただけでなく、もう1人の従姉妹も名と立場を変えられて。怒鳴って何度も何度も説得したが、イリスは決して頷かなかったらしい。
私がきちんと立てるまで、自分はイシュカの名を借りて生きるのだと。どれだけかかるか分からないが、その結果イリスの名と立場と、存在を失っても後悔はしないと。
頑ななイリスの態度にオリバーは仕方なく折れたそうだ。
代わりに1つ、彼女と彼らの父と正式な約束をしたらしい。もしこの先10年経ってもイリスの状況が変わらなかったら、自分がイリスと結婚する事を。
リオンもいるので、イリスに嫁に来てもらっても良いし、自分が婿養子に入っても良いがとにかく貰い受けると。そう約束したらしい。
その10年が、あと半年後だと教えてくれた。
お前はどうする?とオリバーは聞いた。
このまま1人で自立していくなら、僕は止めない。
僕らは互いに恋愛感情はないけれど、イリスは僕が幸せにしてあげるから心配しなくていいよと彼は言った。
本当は教えてやる気はなかったけれど、ちゃんとイシュカを解放して、自分の選択を恥じて反省し、自立しようと努力しているかつての友人に、ささやかなプレゼントだよと彼は笑った。
私は、私はーーー
急ぎの仕事を片付けて、残った仕事は部下に指示を出して割り振った後、父と兄の元へ行き、今までの事を詫びた。突然の事に驚く彼らに詰め寄り、休みをもぎとると私は馬車に飛び乗った。
前触れもなく訪れた私を、彼らの父は苦笑しながら受け入れてくれた。
手紙では伝えたが、直接顔をみて伝えなかった事をまず謝罪した。彼と彼女に、本当に本当に、申し訳ない事をしてしまったと。オリバーから話を聞いて、最後にチャンスを貰えた事を話した。
私は未だ身体は丈夫とは言えないし、決して許されない事をしてしまった。けれど、私には彼女が、イリスがどうしても必要なんです。頑張って自立して彼女の幸せを願おうと思っていたけれど、喪失感が堪らないんです。誰かと幸せになってくれとは言えないんです。と、頭を下げた。
どうか私にイリスを頂けないでしょうかと。本当に、こんな事言える立場ではない事は承知しているんです。だけど私には彼女が必要なんですと、何度も繰り返した。
ねぇ、顔を見せて
言われて顔をあげると、そこには彼らの父ではなくイリスがいた。気付けば私は泣いていて、私の頬を両手で触りながら実は泣き虫さんよね、困った人ねと、彼女は笑う。
私は、君に、イリスに申し訳ない事をしてしまった。でも私にはイリスが必要なんです
どうか隣にいてくれませんか。と泣きながら彼女に問う。
私はもうイシュカにはなれないけれど、私もイシュカもずっとあなたの隣にいるわ。
泣き虫さんなリュカの隣に。
彼女は笑ってそう言った。
私はそれはそれはもう号泣してしまって、ちょっぴり呼吸がおかしくなりかけてしまった事は2人だけの秘密だ。
後日訪れたオリバーに事の次第を説明し、チャンスをくれた事に対するお礼と、婚約者を奪ってしまった事に対する謝罪をした。
彼は、おかえり僕らの親友、と私を受け入れてくれて、イリスだから婚約しても良かっただけで、公にはしていなかったし、もともと結婚願望があった訳ではなかったので気にしなくて良いと言ってくれた。
私はここでもちょっぴり泣いた。
オリバーは笑っていた。
何度も何度も繰り返し見るあの夢は、その日はいつもと違っていた。
小さなイシュカは、大きな大人の私を抱きしめながら、待ってろ、すぐにイリスが来るからな、大丈夫だからなと私に語りかけるのだ。
私はそんな彼に振り返って、
ごめん、本当にごめん。ありがとう、守ってくれて。おかげで私は助かったと伝える。
彼は満足そうにほほえんで、当たり前だろ、俺とイリスが付いてたんだからと言うのだ。
目が醒めると私は泣いていた。
ありがとう、イシュカと呟く。
私がイリスと結婚式を挙げたのは、
私と彼女と彼らが出会ってから13年後の春の事。
何度も繰り返し見たあの夢は、今ではもう見ない。