終章
『―ということで、そちらに技術開発部隊の者が一名出向になったので、よろしくお願いします。』
携帯電話越しに聞こえてくる楓のその言葉を聞いて、涼花は何を企んでるのと訊いていた。
『何って、あなたたちの戦力不足の補強のために最適な人材を派遣したまでですが、何か問題でも?』
「正直、今までだって人を送り込みすぎなくらいだ。あの戦争を機に人間と関わらないことで人間との衝突を避けてきたっていうのに、ここのところこっちに関わりすぎてる。人間に存在を明らかにするメリットはないのに、これだけ干渉して更に技術提供なんて。しかも敵になるかもしれない相手の戦力強化なんて保守的な龍籠で可決されるとは思えない。」
『あら、自分がわたしたちの敵になる可能性を考慮していたなんて驚きです。』
「何言ってるの。龍籠の敵の認識は明確。国の内にいるか外にいるか。手をとりあっていたとしても、外にいる者は全て敵の想定内。攻撃してくる可能性を考慮してもしもに備え常に準備してるのが当たり前。完全に気を許すなんてありえないし、弱小だからと軽んじることもありえない。最低でも情報司令部隊は成得が健在で、お前もいるのに平和ぼけとかありえないでしょ。あいつはお人好しの甘ちゃんだけど、だからこそ国内の平和を維持するために平時こそ気を抜かない。情報司令部隊が通常運転してるのに外に対する警戒が薄れるなんてありえない。」
『まったく、うちの内情を知っているということは面倒ですね。あなた方の扱いはいろいろ込み入っていて厄介なんですよ。そもそも、あなたは本当にただ人間社会の情報を得るための出張所として我々がそこを機能させていると思っていますか?そして、本当にあなた達を我々が集めて、何かある度に出しゃばって裏工作をしていると思っているんですか?』
そんな楓の問いに、涼花は嫌なものを感じ眉根を寄せた。
「お前等が工作してないならだれが工作したっていうの?そもそもあんな規模の記憶改竄ができるのなんて高英の精神支配の能力以外ありえないでしょ。」
『そうですね。青木行徳が亡くなっている現在、個人でアレだけの規模の記憶改竄ができるのは青木高英ただ一人でしょう。靑木行徳の魂は地上の神の夢の中。彼の魂を継いだ能力者が現れる事もないですし。ですが、多忙な司令官があなた達のために青木沙依へのストーカー行為と彼女を護るため以外あまり使いたがらない自身の能力をホイホイ使用して工作するとでも?彼はそんなお人好しではないですよ。青木沙依に頼みこまれでもしたらどうかしりませんが。彼が能力を使って大規模な工作したのは、わたしの知る限り清水に対する案件の時だけです。後は、正蔵磁生に頼まれて篠崎祥子の精神を護るために彼女の記憶を改竄したくらいでしょうか。そちらで起きたことがそちらでどんな騒ぎになってもわたし達には関係ありませんから、わたし達がわざわざ出しゃばるわけがない。そうは思いませんか?』
そんないつもと変わらない淡々とした調子で発せられる楓の言葉を聞いて涼花は背筋が寒くなった。
「じゃあ、誰がどうやって・・・?」
『さぁ?人間は脆い。個人の記憶改竄くらいは精神侵食系統の術式が扱えるものなら可能でしょうから、人間であってもできるものはいるかもしれませんね。しかし、司令官並の規模で精神侵食ができるとなると、個人ではおそらく不可能でしょう。大規模な組織、それも人間の領域を越えた者達が関わっているとみてまず間違いない。それが敵であるならば我々にとってもかなりの脅威となりえます。今回そちらに行く人物は、かつて我々ターチェを滅ぼすために力を与えられ利用された人間と同じ存在。人間でありながら不老長寿の肉体を持ち、本来人間が扱える領域以上の奇跡体現がおこなえる者。人間の扱う術や道具の構造に関しては我々よりはるかに詳しい。彼をそちらに送るのは、そちらにいる脅威を解明をするに当たって適任だからという事もあるます。そして、今は帰化し龍籠の国民ですが、彼は我々が恨んでも恨みきれない憎い敵と同じモノですから、捨て駒としても丁度良いんですよ。まぁ、同盟に当たっての技術提供係という名目で我が国に来た人質を本人の希望で国民として受け入れた挙げ句、監視から外して人間社会に解き放つなんて笑い話ですが。』
「つまり、元々わたし達はその脅威をおびき出すための餌だったって訳ね。」
『多分、相手にとっても我々をおびき出す餌として利用されているでしょうね。相手が何を目的として活動しているのかが不明ですので、あくまで我々の目的は脅威になる可能性のある存在の全容の把握ですが。隠れているだけで身を守ることができる相手とはとても考えられませんので、リスクを承知で出張っているんですよ。場合によっては実際の脅威になる前に秘密裏に殲滅しなくてはいけませんし、最悪戦争ということもありえますから。』
楓のその言葉を聞いて涼花は考え込んだ。これはどう考えても自分達に手が追えるような案件じゃない。訳がわからないまま、二つの組織の戦争に巻き込まれて最悪の事態ということもありえる。でもだからといって逃げ出すこともできない。いや、自分はきっと龍籠に帰化するという選択をすれば逃げられる。でも、他の面々は・・・。
『清水は氷山の一角です。呉喜三郎の手記によれば、清水はあくまで研究開発が主体でその結果を実際に使用していたのは清水の後ろにいる大きな存在。あなた方のいるその国を後ろで牛耳っている何かですから。現在、我々とにらめっこしてる何かは十中八九それでしょうね。』
「呉喜三郎?」
『偽名だった清原勢三郎の方ならわかりますか?あなたの今の身体の元になった人物の父親。あなたと関わりがあるところで言うと、あなたが通っていた高校の教師で実家である清水家に楯突いたせいで殺された清水潔孝の元になった人物。術師の血脈に生まれ、清水の実験台にされてその身に人ならざるモノを取り込まされて化け物にされた挙げ句、首輪を付けられ一族を皆殺しにした敵の飼い犬として働かされ続け、最後はその飼い主に殺された哀れな人間ですよ。』
「あぁ、沙衣の死んだ夫か。」
『そうです。つまり、面倒な事に我々とも因縁が深いんですよ、清水の裏にいた者達は。今回の件でどうも田中隆生の何かにも火が付いてしまったようですしね。彼は普段はどちらかというとストッパー役ですが、暴走すると手が付けられないのもあのタイプです。それでなくてもそれに関係のある面々はどれも実力者ばかりで、何かをきっかけにそれに対して動かれるととても面倒臭い。個々人が動き出して厄介なことになる前にけりを付けたいというのが、本音です。あくまでこれはわたしの個人的な話しですが。』
「つまり珍しくお前も個人的に動いてるって事か。」
『さぁ。しかし、大事になる前に処理できるのなら処理しておきたいというのは我々の通常でしょ。例えわたしが個人で動いていたとしても、今の段階では特段問題になるようなことはしていませんよ。ただ、この件に関しては珍しくうちの隊長とわたしで意見の食い違いをみせる可能性があるとだけは伝えておきます。あの人は譲らない線は絶対に譲りませんから。』
その楓の言葉を聞いて涼花は驚いて息を呑んだ。
「お前が成得に従わない可能性があるって・・・。」
『わたしは隊長を敬愛していますが彼の僕ではありませんので、意見が食い違うこともあれば反発することもあるのは当たり前でしょ。わたしはあくまでわたしと隊長の意見が食い違い、彼はそれに関して譲歩しないだろうということを伝えているだけです。勘違いしないで下さい。わたしがあなた達の助けになるとは限りません。わたしはあくまでわたしですから。わたしがどんな者か、あなたは良く知っているでしょ?』
そう言われて涼花は少し考え、解ったと言うと定例文のような挨拶を交わして通話を切った。事は思っていた以上に複雑かもな。そう思うとなんとも言えない感情に支配される。大切なものから逃げないでと言った沙依の言葉が脳裏に蘇って、何故か胸が苦しくなる。大切なものから逃げないで、か。煩わしいことからずっと逃げ続けてまともに何かと向き合ってこなかった自分には重い言葉だな。沙依がそう言うって事は、それがなんか重要なんだろうけど。そんなことを考えて、涼花は溜め息を吐いた。
特殊犯罪対策課に戻り、龍籠から技術提供で人が来る旨を課長の木村浩文に伝える。
「そうか、それは助かるな。これでお前の負担が少しは軽くなれば良いんだが。」
そう言う浩文の顔を見ると涼花は少し胸が痛くなった。ここに来る人物がただの助っ人ではなく戦争の準備をするための人材なんて、とても口にすることはできない。状況を把握していても自分にできる事なんて何もない。そう思うと自分の無力さが嫌になる。いっそのこと全て投げ出して、その後のことが解らないほど遠く、自分を知っている者が誰もいないようなほど遠くへ逃げてしまおうか。長兄に他の姉弟が殺されていく現場から逃げ出したときのように、海を渡って、今度は言葉すら違う異国の地まで。そんなことを考えてみて、そんなこともうできないなと思って涼花は小さく笑った。
「自分にできる事なんてなくても立ち向かうなんてバカな真似わたしはしない質だったのに、浩文さんがバカだからわたしまでバカが移っちゃったじゃないですか。どう責任とってくれるんですか?」
軽い調子でそう突っかかってみると浩文が不機嫌そうに顔を顰めて、涼花は笑った。
「うちのバカ代表は俺じゃなくて香澄だろ。」
「浩文さんも変わらないですよ。あと案外、俊樹も。本当、みんなお人好しのバカばっか。だから見て見ぬふりしたりとか、自分一人逃げ出したり安全圏からなにかするのが気が引けるんじゃないですか。で、らしくない事したせいで今回わたし窮地に陥ったんですからね。」
「それは俺たちのせいじゃないだろ。」
「いやいや、浩文さんのせいですよ。無謀にもわたしの命助けたの浩文さんでしょ。そのせいでわたしおかしくなったんですから。責任とってわたしがピンチの時は助けて下さいね。」
顔を覗き込みながらそう言って笑いかけると、浩文が嫌そうに顔を顰めながら、助けられるときはなと言ってきて、涼花は目を細めた。
「なんかお前のせいで妙に女に対する耐性が付いて、女に幻想抱かなくなった気がする。」
そう言って浩文があからさまな溜め息を吐くのを見て、涼花はクスクス笑った。
「そういえば。今日、藤原君の初出勤ですね。そろそろ来るだろうから、俊樹と香澄ちゃん呼んどきましょうか?」
「そうだな。初日ぐらいちゃんと顔合わせしておくか。頼む。」
そう言われて、涼花は二人に課に戻ってくるように連絡を入れた。
部屋に集まった面々が和やかに談笑する様子を眺めて、涼花はなんともいえない感情が胸に広がって、それをごまかすようにコーヒーに口を付けた。これが自分の日常。今の自分の大切な日常。この日常を護るために自分に何ができるんだろう。今解っているのは、どんな未来が待っていてもここから逃げてはいけないないということだけ。ここにいて、ここにいる皆と不条理に抗うこと。例え無謀で勝ち目のない賭けでも立ち向かうことが、自分にできる唯一のこと。そんなことを考えて皆の声に耳を傾けながらコーヒーをすする。
「やっぱり香澄ちゃんの淹れたコーヒーはおいしいね。」
そう呟くと香澄が自慢げに、高校生の時に散々練習しましたからと胸を張ってきて涼花は笑った。
「お兄ちゃんと浩文さんはコーヒーの好み一緒だし、涼花さんも濃いめのブラック平気だからいいですけど。皆の好みに合わせるとわたしは苦くて飲めないんですよね。だいぶ牛乳入れたのにまだ苦いや、もうちょっと牛乳入れてこようかな。」
そう言って立ち上がる香澄に俊樹が、それ以上牛乳入れたらもうそれコーヒーじゃなくてコーヒー風味の牛乳だろなんて言って、香澄がお兄ちゃんには牛乳入れないとコーヒー飲めない人の気持ちは解らないんだよなんて唇を尖らせて抗議して、
「そうそう、コーヒーって砂糖入れても苦みは減らないから牛乳足すしかないんだよね。俺もコーヒー苦手でよく牛乳まみれにしてどん引きされるから、その気持ち良く解るわ。」
と、軽い調子の知らない声が後ろからして、香澄は驚いて振り向いた。
「どうも。今日からここでバイトさせてもらう藤原元晴っす。よろしくお願いします。」
そう挨拶した元晴が振り向いた香澄を見て目を見開く。
「うわっ、ちょーかわいい子が目の前に。って、まじタイプ。好みの直球ど真ん中なんだけど。君、だれ?彼氏いる?彼氏いないなら、俺と付き合わない?」
勢いよくそう言って、その勢いに呑まれてきょとんとした香澄に彼氏いるからと断られて、元晴は大げさに顔を覆って撃沈した。
「マジでか。ってか、そんだけかわいかったら彼氏いるよね普通に。うわっ、これでまた失恋記録が・・・。」
そんなことを言って膝をついて嘆く元晴に、邪魔だからどいてくださいと冷ややかな声が降り注いだ。
「あ、祥子ちゃん。今、皆でコーヒー飲んでたんだけど、祥子ちゃんも飲む?」
「頂きます。って言うか、扉の前で嘆いてるこの邪魔な人誰ですか?」
「あぁ、今日からここでバイトすることになった藤原君。今、自己紹介してそうそうに香澄ちゃんナンパしてフラれて撃沈してたとこ。」
そんな適当な涼花の紹介を、そうですかと興味なさげに聞き流して、祥子が元晴に軽蔑したような視線を向ける。
「よくもまぁ、恥ずかしげもなくそんなことできましたね。しかも、お兄さんと彼氏の目の前で。」
「え?お兄さんと彼氏の目の前?ってことは、俊樹の彼女?」
「違いますよ。俊樹さんは香澄さんのお兄さん。香澄さんの彼氏は課長の木村さんです。」
そんな祥子の答えに元晴が固まる。
「え?うそ。そのおっさんが彼氏?マジで?」
「悪かったなおっさんで。」
元晴の言葉に不機嫌そうに浩文が返して、元晴は反射的にごめんなさいと呟いた。
「でも、そんなモテそうな感じしないのに。こんなかわいい彼女いるとかマジ羨ましい。いや、かなりがたいい良いし。こういうタイプはこういうタイプで需要あるのか?俺も鍛えればモテるかな・・・。」
「お前、考えてること全部口から出てるぞ。」
自分をジロジロ眺めながらぶつぶつ言っている元晴に浩文は呆れたようにそう言って、溜め息を吐いた。
「悪い、篠崎。こいつに仕事教えてやってくれ。」
「わたしですか?嫌ですよこの人の相手とか。」
「そう言わずに頼む。」
浩文にそう言われ、納得がいかない様子で顔を顰めつつ、祥子はふて腐れたように解りましたと呟いた。
「とりあえず、皆揃ったことだし。コーヒー淹れ直してくる。」
そう言って香澄が給湯室に向かう。
「香澄。俺は仕事に戻るからいい。」
「え?お兄ちゃん飲んでかないの?」
「休憩なら充分した。お前もあんまりだらだらしてないで仕事に戻れよ。」
そう言って俊樹が去って行く。
「にしても、ここ美人ばっかだな。」
そんな元晴の呟きを聞いて、祥子は部屋の中に視線を向け、香澄さんも涼花さんも本当綺麗ですよねとどこか卑屈な様子で呟いた。それを聞いて、え?君も充分美人だよねと言う元晴の声を聞いて、祥子は思わず彼を見上げる。
「祥子ちゃん?だっけ。君も普通に美人だと思うよ。うん。美人。美人だけど。服装が壊滅的にダサいな。ってか、その格好どこの田舎の公務員だよ。町役場とかで受付してそう。」
「どうせわたしは田舎娘ですよ。」
「いや、服装どうにかして少し化粧したらかなり・・・。髪も少し明るい色にしてさ、肩ぐらいで切って軽くウェーブかけたら似合いそう。試しにちょっとやってみない?ってか、今度、一緒に出掛けない?君に合う服とか選んであげる。絶対、今よりマシにする自信はある。」
「お断りです。」
「うわっ。本日二回目の撃沈。俺もう耐えられない。」
そう嘆く元晴に心底軽蔑したような視線を向けてから祥子は浩文に抗議の視線を向けた。
「課長。やっぱりわたしこの人の教育係とか嫌です。課長やってください。」
「俺はこれでもバイトに任せられない類いの書類仕事があんだよ。バイト同士仲良くしろとは言わないが、仕事は協力してやれ。」
「書類整理ならわたし一人で充分です。それにわたしこういう人嫌いです。関わりたくない。」
心底嫌そうにそう言う祥子を見て浩文が溜め息を吐く。
「篠崎。この少人数の部署で好き嫌いでどうこう言ってたら仕事にならないからな。普段の雑用も協力してできないのに、有事にどうやって強力できるっていうんだよ。それに、お前と藤原組ませるのは何もバイト組だからなだけじゃないからな。藤原はこれでも術師だ。お前自身藤原から学べることも多いだろ。それに自分だけ現場出れないってふて腐れてただろ。現場出たかったら、現場に出れるだけの実力付けろ。好き嫌い言ってないで多少は馴れ合う努力しろ。」
浩文にそう諫められて祥子が顔を顰めて黙り込む。
「ってわけで、よろしく。祥子ちゃん。」
浩文の言葉に便乗してそう言うと祥子に睨まれて元晴はとりあえず笑ってみた。
「気安く名前で呼ばないで下さい。」
「そんなこと言わずに仲良くしようよ。俺、色々教えるから。とりあえず、まずはアドレスとか?祥子ちゃんのも教えて。」
「嫌です。」
「じゃあ、とりあえずここの仕事教えてよ。俺何すれば良いの?」
軽い調子でそう言って、不機嫌そうに祥子に黙り込まれて、元晴は苦笑した。
「あー、とりあえずちょっと席外してくるからさ。気分転換でもしてさ。戻ってきたら仕事教えてよ。」
そう言って部屋を後にしようとして、元晴は香澄に呼び止められた。
「コーヒー淹れたけど飲む?」
「いや、ちょっと外行ってくるから俺はいいや。せっかく淹れてくれたのにごめん。」
「じゃぁ、ポットに入れとくから、良かったら後で飲んで。冷蔵庫に牛乳あるから。」
そう香澄に笑顔を向けられて元晴は、マジありがとう、マジ癒やされると呟いて部屋を後にした。
バルコニーに出てそこにあったベンチに座って、元晴は大きく息を吐いた。疲れた。マジで。本当しんどい。そんなことを考えて空を仰ぐ。
「大丈夫?」
そう声を掛けられ、声のした方に視線を向けて、元晴は涼花ちゃんかと呟いた。
「はいこれ。ファミレスでもコーラ飲んでたし、こういう方がいいでしょ?」
そう言って炭酸飲料の缶を差し出され、元晴はお礼を言って受け取った。缶を開け、口を付けて一口飲み込む。
「変な味する?」
「いや。多分普通だと思う。あまり旨くは感じないけど。こういう飲み物好きだったはずなんだけど、味覚まで変わるんだな。」
しみじみとそう言って、元晴は困ったように笑った。
「特殊犯罪対策課って超常現象みたいなの相手にするとこだって聞いてたから、涼花ちゃんや俺みたいなのばっかなのかと思ったら、普通の人間ばっかなんだね。」
「そうだね。藤原君だけだよ、わたしと同じで人間の領域外にいってしまってるのは。」
「で?人でない俺たちは道具として利用されて酷使されるわけ?」
「藤原君は、ここの人達がそういうことをする人だと思う?」
「解らない。解らないからさ、涼花ちゃんの頭の中覗いても良い?」
そう言って、どこか狂気じみた視線を元晴が向けてきて涼花は苦笑した。
「正直、わたしは隠し事の多い人間だからあまり頭の中覗かれたくないな。それに、わたしの中身覗くのはお勧めしないよ。情報量が多すぎてきっと藤原君には耐えられない。いくら今の藤原君が人間とは呼べないモノになってしまっていても。」
そう言って涼花は元晴に笑いかけた。
「それでも、少しだけなら覗いてもいいよ。それで藤原君が安心できるなら。」
そう言われて、元晴は辛そうに笑って、俯いて頭を抱えた。
「隆生からもらった数珠はどうしたの?」
「壊れた。」
「そう。今の状態は?」
「良くない。マジで。ちょっとでも気抜くとなんか頭ん中がごちゃごちゃして意識が持ってかれそうになる。でも、最初に比べたらだいぶマシにはなった。もう少しすればこれにも慣れると思う。」
そう言って、元晴は怖いんだと呟いた。
「なんだろうな。多分、こいつが相当辛い思いしてきたんだと思うんだけどさ。すげー怖くて。信じてたはずの奴のことも疑いだして。どうしようもなくなる。それで、全部壊したくなるんだ。どうしたら、こういうこいつの不安マシにしてやれるんだろ。こうして一緒になったのにさ。孤独感が全然拭えない。いや、一緒になったから、孤独になったのかも。もう俺たちは一つだから、一つのモノだから。俺たちに境目がないから。自分自身じゃ自分の孤独は癒やせないからさ。」
「本当、藤原君って相変わらずのお人好しだね。本当、バカ。」
「正直、ここなら似たような奴がいて、こういうのとの折り合いの付け方とか、そういうの?なんかコツみたいなの教われるんじゃないかとか期待してたんだけど。そう上手くはいかないもんだね。」
「そういうことは教えられないけど、もし藤原君があっちに堕ちるなら、その時はわたしが殺してあげる。」
「正直、今なら俺、涼花ちゃんより強いと思うけど。」
「どうかな。良い勝負できると思うけど。それに殺すだけが目的なら一瞬あれば充分。なんなら一緒にマグマの中に空間転移でもして心中してあげるよ。独りぼっちは寂しいでしょ?」
そう言っていたずらっぽく笑う涼花を見て、元晴も笑った。
「何?涼花ちゃん俺と心中してくれるの?」
「化け物は化け物同士仲良くしましょ。もし藤原君があなたの中の魔物と上手く折り合い付けて狂わずいられたなら、きっとあなたはわたしと同じくらい長生きする。人より丈夫な身体で、人には扱えない領域の奇跡を起こし、人より老いるのが遅く、人の倍以上の時を生きる。皆がいなくなってもわたし達は変わらない。わたし達は置いてけぼりにされる運命なんだよ。」
「何、その表現。すげー悲しいんだけど。」
「だからさ、わたし達一緒にいない?彼女にするのわたしにしときなよ。他の子じゃなくてさ。わたし達ならお互いに支えられる。」
涼花のその言葉を聞いて元晴は驚いて彼女を見た。存外真剣な瞳と目があって、少し考えて、元晴は前を見て小さく笑う。
「やめとくよ。」
「なんで?彼女欲しいんじゃないの?それともわたしじゃ不満?」
「いや。彼女欲しいし、涼花ちゃんみたいな美人と付き合えるとかマジで夢みたいだけどさ。でも、涼花ちゃん、別に好きな奴がいるだろ?」
そう言われて涼花は息を呑んだ。
「ごめん。覗くつもりじゃなかったんだけど、涼花ちゃんの目みたら視えちゃってさ。こいつの力の使いかたってか、制御の仕方も覚えないとな。」
そう言って元晴はヘラヘラ笑ってみせた。
「涼花ちゃんが真剣に提案してくれたってことも解ってる。でもさ、そういう打算とか、妥協みたいなので一緒にいるのは、二人で置いてけぼりくらった後で良いんじゃないかなって思うよ。俺も、何つうか燃え上がる恋?みたいなの一回ぐらい体験してみたいし。燃え上がんなくてもいいから普通に恋して、普通のさ。まだ俺たち若いし。若いときにしかできないような恋をさ、やっぱしてみたいじゃん。打算とか妥協でする恋愛はもっと年取ってからで良いと思うよ。今はまだ、俺たちもそんなに人からズレたとこにはいないんだし。」
照れたように笑いながらそんなことを言う元晴を見て、涼花は吹き出し、声を立てて笑った。
「うわっ。笑うとか、涼花ちゃん酷い。」
「ごめんごめん。でも、だってさ。」
そう言いながら笑い続け、出てきた涙を拭いて、涼花は元晴に微笑んだ。
「じゃあ、二人で置いてけぼりくらったときは、その時よろしく。」
「あぁ。その前に俺が暴走したら、ごめんね。」
「そうならないように頑張って。そうならないようにわたしも手をかすから。」
「じゃあさ、ちょっと今手かして。」
そう言って元晴に手を取られ、涼花は驚いた。でも、自分の手を握ったその手が震えているのを知って、もう一つの手もその手に添えてそっと握る。
「涼花ちゃん。俺がおなしな事しそうになったら、その時は頼んだ。心中してくれなくて良い。でも、俺のことを止めて。あと、俺が不安なとき、こうして手握らせてもらえると助かるかも。こうやって誰かと繋がってれば、自分がちゃんとここにいるって実感できるから。」
そう言う元晴の声は静かだった。静かで、それでいて確かな意思と覚悟を持った言葉。それを聞いて涼花は、優しい声で解ったと答えた。千年妖狐と対峙する前、沙依に耳打ちされた言葉が脳裏に蘇る。
「彼は危うい。ここを乗り越えても決して目を離しちゃダメだよ、絶対に。一歩間違えれば彼が最大の脅威になる。」
解ってる。だから、絶対警戒を怠らない。彼を脅威になんて変えさせない。ここの皆を護るために必要なことならなんだってして、わたしはわたしの大切な日常を護りきってみせる。そう覚悟を決めて、涼花はそっと目を閉じた。