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藤原元晴

 祖父が折った折り紙が独りでに動く様子を見て、元晴(もとはる)はじーちゃんそれどうやってやるの?と聞いた。

 「お父さん達に見つかると怒られるから内緒だぞ。」

 そう言っていたずらっぽく笑って祖父はまるで手遊びをするように、元晴に術師としての基礎を教え込んだ。どうして父達に見つかると怒られるのか解らなかったが、父が祖父に対しあまりいい感情をもっていないことを感じていたので、祖父から教わる全てを元晴は親に内緒にしていた。

 元晴は祖父と過ごすことが好きだった。祖父から教わる不思議な技術を身につけていくことが楽しくてしかたがなかった。父があまり祖父に近づくのを良く思っていないことを解っていたが、それでも元晴はよく祖父の元へ行き、祖父から色々と教わった。

祖父から教わるそれがただの手品かなんかだと思っていたのに、本当は自分の命を削って起こされる奇跡体現だと知ったのは小学生の頃だった。祖父から口酸っぱく注意を受けていたのに、幼かった元晴は人にはできないことが自分にできる事が嬉しくて、自慢したくて、内緒で友達に見せびらかして、凄いとか、もっと見せてとか言われて調子に乗ってやりすぎて、倒れて救急車で運ばれた。そして祖父が住む町とは遠く離れた場所に引っ越しをし、元晴は祖父と没交渉になった。

 「いいか元晴。お前が藤原(ふじわら)の後継者だ。現代社会で術師なんて職業はまともになりたたんが、それでも我々の技術は失ってはいけない物だとわたしは思っている。お前は持って生まれた霊力もとても強く才能に溢れている。きっとわたしでは再現できない藤原の技術も再現できるようになるだろう。生業にはせずともいいから、藤原の技術を後世までちゃんと残してくれ。」

 祖父から引き離された元晴はそんな祖父の言葉を度々思い出し、祖父から言われたことをしっかりと胸に刻んで、祖父から教えられた事を復唱し、今度は間違えないように慎重に、両親にバレないように隠れて技術を磨き続けた。そんなことをして何になるか解らないが、きっと何か大事なことなんだろう、そう思って。大好きだった祖父との思い出を無くさないように、表向き普通の生活を送りながらずっと修練を怠らなかった。

 「じーちゃん。あの中には何があるの?」

 祖父の家の裏の蔵を指してそう言う元晴に、祖父は昔の人が作った呪具が収めてるんだよと答えた。

 「呪具とは、術者が霊力を込めて作った魔物を退治したり封じたりするのに使う道具だ。それを使えば自分の命を削らなくても奇跡体現ができる。そのうちお前にも使い方を教えてやろう。魔物の力を封じて作られたような触るだけで危険なモノもあるから、もう少し大きくなったらな。」

 そんなことを言われて、早くその呪具という物を使ってみたいと元晴は思った。魔法のアイテムを使って化け物退治をするなんてゲームの主人公にでもなったみたいで格好いいじゃんなんて幼い頃は思っていた。でも、結局はその道具を見ることも使うことも無く祖父から引き離され、術師としての技術も知識も教わらないまま大学生になった現在。元晴は自分が人には言えない秘密を抱え密かに化け物と戦うヒーローとかそんな中二病みたいなごっこ遊びするのはそろそろ止めようかなと思っていた。ちょっと人と違うことができても、それをすると寿命が削られるとか使うメリットないし。そもそも大昔は本当にいたのかもしれないけど、術師が相手にするような化け物なんか実際に遭遇した事無いし、いたとして誰に感謝されるわけでもなく命かけてまで戦うなんてバカみたいだし。使う予定もない技術なんか磨き続ける意味なんかなくね。そんな修練に時間割くくらいなら、他のことに時間割いて思いっきり学生生活エンジョイした方がいいだろ。俺、なにバカみたいにずっとそんなことしてたんだろ。気付くの遅すぎ。もっと早く気付いてれば、もっとさ・・・。そんなことを考えて、大学生活は普通に普通の奴みたいに遊んでバカして満喫してやると元晴は誓っていた。

 「うー。連戦連敗。俺の何がいけないの?夏休みまでには彼女作って、そんでもって夏休みは彼女と色々満喫したかったのに。」

 そうぼやいて、お前のそのがっついてるとこが女子から引かれるんだろと冷静に友達に突っ込まれて元晴はうなだれた。

 「こうなったらナンパだ。夏休みになったら一緒に海に行ってナンパしようぜ。」

 「ムリ。俺、彼女いるから。」

 「いつの間に?この裏切り者め。」

 そう言ってハッとして、お前の彼女の友達とか紹介してくれないかなと言って、ムリと即答され、元晴は酷いとまたうなだれた。

 「いや、お前女子なら誰でもいい感が半端なさ過ぎてお前に誰か紹介するとかムリだから。お前なんか紹介したら俺が女子から切られる。」

 そう追い打ちをかけられてさらにうなだれる。どっかに俺と付き合ってくれるかわいい子いないかな。イケメンはいいよな。何もしなくても女子の方から寄ってくるし。そんなことを考えながら元晴は夏休みどうしようと思った。本当にナンパチャレンジしてみるか。

 「ナンパするときどう声かけたら女の子引っかけられると思う?」

 「お前、マジで懲りないな。まずはせめてもう少し的絞れよ。」

 そう突っ込まれて、彼女いる奴に彼女いない歴=年齢の俺の気持ちは解んないんだよとぶー腐れて、え?お前マジで彼女いたことないのとどん引きされて、元晴はうっせーなと呟いた。そんなくだらないやりとりで時間を潰して、気が付くと結構遅い時間になっていて元晴は帰路についた。

 友達とゲームをしたりくだらないやりとりをしてただ自堕落に時間を潰すのも悪くないと思う。大学生活が充実していないのかと言われたら、充分充実してるし楽しい。でも、なんかな。何か物足りない。あー、やっぱ彼女欲しいな。そんなことを思って元晴は溜め息を吐いた。

 家に帰り、一人部屋で日課になっている瞑想をしていると母親に呼ばれ、元晴は面倒くさそうに一階に下りた。

 「亡くなったお祖父ちゃんの家の片付けしにあんた、夏休み中行ってきて。」

 母のその言葉を聞いて元晴は一瞬言われた意味が解らなくて固まった。

 「ほら、あんたが小さい頃懐いてた。お父さんの方のお祖父ちゃんの家。」

 そう言われて、ようやく認識が追いついてくる。ずっと交渉があった母方の祖父は二年前になくなった。ずっと没交渉だった父方の祖父のことは忘れたことはないが、家族の中で話題に上がることがなかったので、母から父方の祖父の話が出ることに違和感が拭えなかった。

 「葬式はいつ?」

 「何言ってんの。もうとっくに終わったでしょ。」

 父方の祖父が亡くなったことすら聞かされていなかったのに、まるで葬儀をしたのを自分が知っているかのように話す母の言葉を聞いて元晴はカチンときた。

 「俺がガキの頃倒れたのじーちゃんのせいにしてずっと会わせなかっただろ。葬式にも出させず、全部終わったあとでそういうこと伝えてくるとかなんだよそれ。」

 そう言った自分の声が思った以上に荒くて、元晴は気まずい思いがした。

 「葬儀、あんたが出ないって言ったんじゃなかったの?そんなに怒られても、あんたをお祖父ちゃんの家の片付けに行かせるってお父さんが決めたことだし、お母さんは知らないわよ。」

 そうふて腐れたように母が言って、元晴は心の中で溜め息を吐いた。

 「お祖父ちゃんの遺言書に遺留分を除いて全部あんたに相続させるって書いてあったんだって。古い家だしそもそも相続したいなんて人がいないみたいで、そういうことだからうちで処理しろって連絡が来たのよ。あんたが相続したものだし、あんたにどうにかさせろってお父さんも言うし、どうせあんた夏休みヒマでしょ。夏休みになったらお祖父ちゃんの家に行って片付けしてきて。あと、遺言書の原本届いてるから確認しなさいね。解んないことがあったらお父さんに聞いて。」

 そんな母の言葉を聞いて元晴はなんでこう感に触る言い方してくるかなと思って苛ついて、解ったとだけ答えた。ここで色々言ってもどうせお父さんと話ししろと言われて、ストレスが溜まるだけなことは学習している。

 自室に戻ってベットに仰向けになって天井を仰ぐ。

 「じーちゃん。本当に俺を藤原の後継者にしてたんだな。」

 そんなことをぼやいて、幼い頃に思いを馳せた。じーちゃん家か、久しぶりだな。片付けするってことはあの蔵の中見れるのか。そんなことを思いながら元晴はなんとも言えない気持ちになって、布団を被ってそれを握りしめた。


            ○                        ○


 久しぶりに訪れた祖父の家の前に立って、元晴はこの家こんな小さかったっけと思った。幼い頃はとても広く大きく見えていたのに、今見るとそんなに広くも大きくもなくて不思議な気分になる。預かった鍵で中に入り、舞った埃に咽せて元晴は眉根を寄せた。いったいいつからここ掃除してないんだよ。母さんの奴詳しいことは言葉濁しやがったけど、そもそもじーちゃんが亡くなったのっていつの話しだよ。そんなことを思いながら、元晴は家中の戸を開けて空気の入れ換えをした。

 縁側に座って、よくここでじーちゃんに奇跡体現見せてもらったななんて思い出して懐かしくなる。自分の命を削らないこつはいかに自然の気脈を上手く利用するかだ。自然の気脈に流れる気が地形や何かの作用で溜まっている場所を気穴だとか霊穴だという。そこに溜まった気を自分の中に取り込むことで、霊力を回復させたり一時的に強大な力を得ることができるが、人間の身体に取り込める気の量には限界がある。取り込みすぎると身体が持たず死に至る場合もあるから気をつけろ。そんなこと言ってたっけ。そんなことを思い出しながら、この家の気脈の流れを視て、元晴はこの家の気脈は人工的に加工されてるのかと思って、その流れを追って蔵の前に辿り着いた。なるほど、気脈の流れをここに繋げて、この蔵にかけてる術が永続的に続くように細工してあるのか。よく解らないけどなんか凄い結界が何重にも張り巡らされてることだけは解る。これじゃ重機でも壊せない。この蔵は藤原の後継者である術師でないと開けられないって訳ね。こんな厳重に管理してこの中にはいったい何が入ってるんだろう。それが気になって、元晴は祖父の遺言書に普通の人間には読むことができない方法で記されていた鍵となる呪印を組んで、鍵を開けた。

 「元晴。おかえり。」

 蔵の扉を開けようとした時、背後からそんな女の子の声が聞こえて誰かに抱きしめられて元晴は固まった。背中に当たるこの感触。これって、この柔らかい感触って、絶対女の子の胸だよね。マジで?俺、今もしかして女の子に抱きつかれてる?そんなことを考えて軽くパニックになる。

 「どうしたの元晴?固まっちゃって。」

 そう言って声の主が背中から離れて顔を覗き込んでくる。うわっ、かわいい。いきなりこんなかわいい子のドアップとか俺には耐えられないから。耐性がないから。もう少し、もう少し離れた所からでお願いします。まじで、徐々に慣らす感じでさ。まずは普通の距離で話すところからにして。そんなことを思いながら頭から湯気がでそうなほど顔が熱くなって、元晴は顔を背けた。

 「元晴、顔が真っ赤。かわいい。元晴がそんな反応をしてくれてわたし嬉しい。」

 そんなことを言いながら女の子が抱きついてきて元晴は石化した。これは何だ?誰これ?俺の名前知ってるし何?なんかのドッキリ?そんな名前連呼して顔すりすりしてこないで。ムリ。マジでムリ。俺には刺激が強すぎでマジでムリだから。心の中でそう叫んで、もうムリと呟いて元晴は意識を手放した。

ふと目を覚ますとあたまに柔らかい感触がして、元晴は気持ちいいななんて思いながら寝返りをうって、顔が何か柔らないものにぶつかって、これなんだろうとふにふにそれを触って頭上から、これくすぐったいからやめろと声がして、一気に目が覚めた。視線を上に向けると、近い距離に女の子の顔があって、目が覚めた?なんて聞かれて一気に顔が熱くなる。

 「元晴。わたしは大人になったぞ。元晴がいない間、力を蓄え充分お前の戦力となる実力も身につけた。姿だってほら、元晴の好きな娘そっくりでしょ?元晴の中には女が二人いたが、一人は姉だと言っていたから、元晴に似てない方のこっちがお前の好いていた娘だと思ったんだ。元晴はそういうのじゃないって言っていたけど、その反応を見るとやはり想い人だったんでしょ。わたしに隠し事しても無駄だぞ。全部お見通しだぞ。」

 そう言って笑う女の子を見て、あぁこの子は人間じゃないのかと元晴は思った。そんでもって俺と同じ名前の誰かと俺を勘違いしてる。まぁ、勘違いされてる誰かに思い当たる節がないわけでもないけど。そんなことを考えて妙に冷静な気持ちになる。

 「ずっと元晴が帰ってくるのを待ってた。元晴が望むのならなんだってしてあげる。だから、今度こそわたしを元晴のものして。」

 そう言われて、元晴はムリと答えた。それを聞いた女の子の顔が泣きそうに歪むのを視て、少し胸が痛む。

 「なんで?何が不満なの?わたしは元晴のものになりたくてずっと頑張ってたのに。何が不満だというの。元晴のものにしてくれないならなんで魔物の子のわたしに優しくしてくれたの。なんで普通の子供のように扱ってくれたの。わしも他の皆のように元晴の力になりたいのに、どうして?どうしてわしはダメなの。元晴。お願いだから、わしにも名を与えて、わしを元晴のものにしてよ。わたしもちゃんと皆の仲間にして。そうすればきっとみんなも受け入れてくれる。わたしはただ、母様やお姉ちゃんがいたときみたいに、みんなと、元晴と一緒にいたいだけなの。だからお願い、元晴のものにして。」

 そう懇願する女の子に元晴は俺は君の知ってる人じゃないからと答えた。

 「君が俺を誰と勘違いしてるか解らないけど、俺はその人じゃないから。君とは初対面だし、そんなこと言われても困る。」

 「嘘だ。だってあの蔵を開けられた。それに、お前から元晴の臭いがする。わたしが間違えるはずがない。大好きな元晴をわしが間違えるはずなんかない。」

 そう言って女の子が目を覗き込んできて、元晴はなんとも言えない不快感を覚えて背筋に寒気が走った。

 「そんな。嘘だ。本当にお前は元晴ではないのか?じゃあ元晴は?元晴はどこにいったの?」

 自分から視線を外し呆けた様子でそう言う女の子を見て、元晴はなんともいえない気持ちになった。多分、この子が言っている元晴とは自分のご先祖様なんだと思う。術師の家系だった藤原家は大昔、魔物の群れに襲われた村を救うべく一族総出で戦いに挑み、その際に一族のほとんどが亡くなり断絶しかけたという。そしてその戦いで唯一生き残り藤原家を再興させたご先祖様の名が藤原元晴。自分の名前はその人からとって付けたと祖父が言っていたのを元晴は覚えている。冷静に彼女の気を見れば彼女が本人の言うとおり人間でない事は解る。彼女が魔物で見た目とは違い随分と長い年月を生きているのなら、彼女の言う元晴とはご先祖様の事に違いないと元晴は思った。

 「人間はそんなに長く生きられないからさ。」

 その呟きを聞き、女の子がハッとした顔をして元晴を見下ろした。

 「元晴は死んじゃったってこと?もういないの?」

 そう言うと、女の子はそっと元晴の頭を自分の膝から下ろして立ち上がった。

 「皆の所から逃げ出しちゃって、それから、戻ってきたときには元晴いなかった。皆もいなかった。ツクモのおじちゃんだけがいて、もうここには来ちゃいけないって言われた。でも、わたしずっと元晴の帰りを待ってた。この家の傍でずっと、元晴が帰ってくるのを待ってたのに。強くなれば、役に立つようになれば、元晴が帰ってきたとき褒めてくれると思って、それでわたしも元晴の魔物にしてくれるって思って、それで頑張ったのに・・・。」

 寂しそうにそう呟くと女の子はその姿を消した。

 女の子が消えた場所を暫くぼけーっと眺めて、そして、元晴は悶絶した。マジで心臓に悪い。魔物って奴に初めて遭ったけど、何あれ。全然化け物じゃないじゃん。超かわいい女の子だったじゃん。いきなり消えたし、何かよく解らないけど俺の頭の中読まれてた気もするし、実質化け物かもしれないけど。あんなかわいい子に抱きつかれて膝枕されて、マジで死ぬかと思った。ドキドキが治まんないどうしよう。マジやばい。そんなことを考えて蹲って暫く悶絶し続けて、元晴は仰向けに大の字になった。

 「魔物相手にこんな気を乱してるとか、俺、術師失格だな。」

 昔祖父から教わったことを思い出して元晴はそう呟いて、でもあんなかわいい子前にして冷静でいろとか俺にはムリと心の中で呟いて頭を抑えた。あんなかわいい子にあんな風に言い寄られるって、ご先祖様マジで羨ましすぎるだろ。いや、あの子の言ってたことからして、あの子はご先祖様の好きだった人に化けてるだけなんだろうけど。でも、あの感触、どう考えても本物としか思えないし。本物がどうだか知らないけど。化けてるだけでも本物と遜色ないなら別に良くない?人間じゃなくてもいいから彼女になってくれないかな。ご先祖様のフリしといた方が良かったか?なんか凄く寂しそうだったし、酷いことしちゃったかな。ムリとか言わずもっと話しきいてあげて、ご先祖様の代わりに受け入れてあげるとかさ、そういうことも可能だったんじゃない?俺にもっと女の子耐性と誑しスキルがあればあんな悲しそうな顔させないで済んだかも。そんなことを考えて、そんなこと言ったらじーちゃんに怒られるなと思って元晴は笑った。

 起き上がり、気を取り直して片付けに取り掛かる。母屋の方はほとんど何もなくなっていて、持って行けるもんは全部誰かが持ってったんだろうななんて考えて元晴は少し嫌な気分になった。好意的に考えれば自分が来る前に誰かが片付けてくれたってことだろうけど、それでもな、その後なにもせず放置しっぱなしってどうよ。こんな埃溜まってさ。じーちゃんの位牌は誰が持ってったんだろ。ちゃんと供養してくれればいいけどさ、放置されてたらたまったもんじゃないな。そんなことを考えながら元晴は掃除をした。

 親戚の間でも変わり者でちょっとおかしい人扱いされて避けられていた祖父。でも、自分は祖父が好きだった。だからきっと自分の不用意さから祖父と会えなくなった後、術師としての技術を磨くことを怠らなかった。会えなくなったからこそずっと。祖父が望んだように自分が藤原の後継者として術師になることに執着していた。そんなことを考えて、元晴は蔵の前に立った。扉を開けて中に入り、始めて見る蔵の中の様子に息を呑む。

 「すげー。何これ。美術館かよ。」

 思わずそう呟いて、手近な所にあった筒を手に取ってみる。いったい何に使う物かはわからないが、それに込められた霊力を感じ、これが呪具という物かと元晴は思った。ここにある物全部が呪具。祖父から使い方を教わり損ねてしまった破魔の道具達。どこかに取説とかないのかな、なんて思いながら蔵の中を見回して、そういえば蔵の中は妙に綺麗だなと思った。母屋はあんなに埃まみれだったのに、ここは塵一つ積もっていない。

 「これこれ坊主。そこらにあるモノを勝手に触ってはいかん。」

 どこからかそんな声が聞こえて元晴は驚いて周囲を見回した。

 「どこを見とる。こっちだ。こっち。」

 その声を頼りに視線を棚に向け、そこになにやら手を振っている小さな人の姿を見付けて元晴はこれが声の主かと思った。

 「定治(さだはる)が藤原は自分の代でお終いかもしれないと言っていたが、なんとか後継者に恵まれたか。良かった、良かった。」

 小さな人はそんなことを言うと元晴の肩に飛び乗った。

 「わたしはこの蔵の番人をしているツクモと申す。坊の名は?」

 「俺?俺は元晴だけど。」

 そう答え、ツクモに棒で頭を叩かれて元晴は何すんだよと文句を言った。

 「馬鹿者。魔物に名を聞かれて素直に答える奴がどこにいる。相手に問われ自分の名を告げるということは、相手が自分に干渉することを許すということだ。先に名を告げることは相手に自分を知らしめると言うこと。何にせよ名を知られるというのはとっかかりを作ること。未熟なうちは魔物なんぞに名を明かさん方が身のためだ。」

 偉そうにそう説教されてあからさまな溜め息を吐かれて、元晴は何なんだよと思った。

 「しかし元晴か。我々と契約した初代と同じ名。はたして坊にそれだけの器があるのかどうか。見る限り素養は充分なようだが、坊は年の割にかなりの未熟者に見えるし、気の荒い奴も多いから少々やっかいかもな。」

 考え込むようなツクモのその言葉を聞いて、元晴はどうして自分が初代と同じ名だとやっかいなんだと疑問を口にした。

 「藤原を継ぐと言うことは、初代が契約した我々藤原の魔物との契約を継ぐということだ。我々は主から名を与えられ、主の名の下に縛られている。主の名は代替わりの度に変わってきたが、やはり我らが最初に契約した主の名というのは我々にとっては特別なのだ。代襲で藤原に使えているのは、ただ最初の主から頼まれているからに他ならない。新しい主が気にくわなければ従わない。最初の主が特別だからこそ、その名で他の人間に縛られるのに拒否感を覚えるものもいるだろう。それが未熟者となればなおさらな。」

 「あんたはそうじゃないのか?」

 「わたしは諍い事は好まん質だしな。ここの番人として、ずっと一番近くで藤原の者達を見守ってきたわたしにとって、藤原の子は皆自分の子や孫のようなものだ。名がなんであろうと、未熟であろうとなんだろうと、藤原の子は皆等しく愛しい。坊のことも知っているぞ。定治は久しぶりに生まれた高い素養を持った子だと酷く喜んでいたんだがな、取り上げられてしまって酷く落ち込んでいた。自分が至らなかったから坊を危険な目に遭わせてしまったのだと後悔もしていた。坊の父親には厳しく修練を付けて術師に対する憎しみのような感情を植え付けてしまったから、坊にはそうなって欲しくなくてまるで手遊びのような気安さで教えてしまったのが悪かったと、もっと厳しく術を使う危険性を教えておくべきだったと言っていた。坊がこうして藤原を継ぐべく戻ってきてくれて、わたしは嬉しい。」

 そんなツクモの話しを聞いて、元晴は少し温かい気持ちになった。

 「坊は警戒心が足りないな。わたしも魔物。人間にとって危険な者に変わりは無い。そうやすやす心を許すものではない。初代との契約で人間をすすんで襲うことはできないが、それでもその縛りも永遠に続くものではないのだ。実際のところ我らを縛っているのは情だ。代々我らと情を育んできたから我々もそれに縛られている。情が薄れれば絆も薄れる。絆が薄れればいずれ我々を縛る契約も無効になる。我々もいつ牙をむくとも限らん。」

 「ツクモは優しいな。正直、魔物って奴に会うの自体今日が初めてで全然状況についてけてないんだけどさ。全然、化け物って感じしないし。普通に友達になれるんじゃね。」

 軽い調子でそう言う元晴の言葉を聞いてツクモは呆れたように笑った。

 「呑気なものだ。坊は魔物が怖くないのか?」

 「今のところ怖くないな。すっげーかわいい女の子に頭の中覗かれた時はちょっと背筋が寒くなったけど。知りたいことがあったから覗いただけで、別に悪いことしようってわけじゃないだろうし。」

 「全く、害意がないと言って害がないわけではないのに。坊は術師の癖に簡単に魔物に取り込まれそうだな。」

 そう言うとツクモはしかたがないと言って、元晴の頭に飛び乗った。

 「わたしは元々あの大黒柱になっている欅の精だった。神木として人々から祀られ村を護っている気でいた。実際に様々な厄災をわたしは払っていたはずだった。人々の成長を見守ることがわたしの幸せだったはずだった。なのにな、わたしは気が付いたら人を害するモノになっていた。わたしはあの欅から引き離され、わたしの魂は穢されていた。人々を護っていたはずなのに、いつしかわたしはあの欅だけを護っていた。欅を護ることしか考えられなくなっていた。欅に近づくモノ全てをわたしは薙ぎ払い、滅していた。そんなわたしを元晴が救ってくれたのだ。手荒い手段ではあったが元晴がわたしの目を覚まさせ、そして新しい役割を与えてくれた。大黒柱だけではない。この蔵を支える大事な柱の何本かにわたしの欅を使用し、わたしをここの守護者として置いてくれた。わたしは元々守護者なのだ。だから、わたしがこの命をかけて坊を護ってやろう。坊は危なっかしいからな。」

 ツクモのその言葉と同時に自分の中に何かが流れ込んでくるような感覚がして元晴は驚いて思わず声を上げていた。

 「気を乱すな。何もわたしの全てを坊に同化させるわけではない。ここから離れられないわたしがいつでも坊を守れるように、坊の中にわたしを写すだけだ。でも気を付けるのだよ。わたしは坊を害する気は無いが、こうして魔物を受け入れると言うことは自分自身が魔物に身を堕とす危険性を孕んでいる。魔物はよく人を陥れ人を喰らい人の霊力を自分の物にする。人もまた、力を欲し己の中に魔物を取り込み人ならざる高見まで昇る者もいる。魔物は人を殺し霊力を奪えるが、人は魔物を殺しても魔物から力を奪い蓄えておく程の器がない。だから人は魔物を殺さずその身に取り込んで同化するしか魔物の力を奪う方法がない。しかし、身も精神も魔物と同化するということは、自分自身が魔物となるのと同じだ。人の形を保っていても、もう人とは呼べない存在になると言うことだ。魔物と同化し力を得てまともな最後を迎えたモノをわたしは知らない。術者は精神の戦いの連続だ。術者なら心を強く持たなくてはいけないよ。心を強く持ってさえいれば、そうそう己を失うことにはならん。わたしを写す程度のことならば大した影響はでないだろう。しかし、気を抜けばその限りではないことを忘れるな。」

 酷く優しい声音でそう言って、ツクモは棚に飛び移って元晴と向き合った。

 「坊。お前、千年妖狐の娘っ子に魅入られたな。狐には気をつけろ。あれは人を化かし狂わせる。人ならざる力を持った者を人は善し悪しに関わらず魔物と呼ぶが、中でも人を害する魔物には大きく二種類ある。わたしのようにかつて精霊だとか神と言われたモノが穢され堕とされたモノ、そして獣が何かしらの理由で強大な力を身につけたモノだ。獣は本能の赴くままに行動する。狐は賢いが、それでも獣。獣に理屈は通用しない。見た目に騙されて魂を奪われるような事が無いようにな。」

 ツクモに厳しい口調でそう諫められ、元晴は考え込んだ。

 「あの子。初代の関係者じゃないの?そんな邪険に扱っていいわけ?」

 「そうだな。アレは元晴にとって娘のような存在だったが。でも坊は元晴ではないから気を許して良い相手ではないのだ。それにアレはただの狐ではない。今の坊ではとても手におえる相手ではない。それにアレの母親を討伐したのが元晴なのだ。それがいつ仇になるとも解らん。近づかない方が身のためだ。」

 ツクモのその言葉を聞いて元晴は意味が解らないと呟いた。じゃあ、自分の母親を殺した奴をあの子はあんなに慕ってたってことか?それに初代も自分で母親殺しといてその子供を自分の娘のように扱ってたとか訳がわかんない。元晴がそんなことを考えていると、ツクモに呼ばれ、元晴は促されるままに蔵の奥について行った。

 「坊、そこの箱の中にある巻物を出せ。」

 そう指示され言われたとおりに巻物を取り出す。

 「これが我々藤原の魔物と藤原の後継者との契約書だ。この末尾に坊の名を坊の血に霊力を込めて記せ。」

 「え?血で書くの?」

 「当たり前だろ。我々も皆そうして名を記してある。血と気を合わせてそこに繋がりを持つのだ。そんな常識も知らんとは、坊には色々教え込まないといけないようだな。ほれ、さっさと指先をちっとばかし切って記さんか。」

 「急にそんなこと言われても心の準備ができてないから。ちょっと待って。自分で自分切るとか怖くない?」

 「全く情けない。文字を記すくらい大した傷もいらんだろうが。」

 「いやいや、大した傷にならなくても結構な勇気よ。」

 「ほれ、自分でできんのならわたしが切ってやる。」

 その言葉と同時に指先にスッと何かが走ってじわりと血がにじみ出てきて元晴は青ざめた。

 「これで書けるだろ。さっさと書かんと傷口が塞がるぞ。塞がったらもう一度切らんとならなくなるからな。」

 そうせっつかれて、慌てて自分の名前をそこに記す。血で文字書くとかちょーこえー。これ全部血で書かれてるとかただのホラーだろ。そんなことを考えているとツクモが満足そうにこれでいいと頷いていて、元晴はどっと疲れた気分になった。

 「これで正式に坊が新しい藤原の当主になった。つまりはここに記された全ての魔物が坊の名の下に縛られたということだ。しかし、言うことを聞くかどうかは坊次第だから精々頑張るんだな。」

 「頑張るったってどうすればいいんだよ。」

 「どうしたら認めてくれるのかなんて、そんなもの本人に聞け。わたしは自分のことしか解らん。」

 「本人に聞くってどうやって。」

 「呼び出すだけなら簡単だ。坊の名の下にここに記されたモノの名を呼んで来いと言えばいいだけだ。わたしのように役割を持って場所に縛られているモノは呼び出されてもその場には行けんが、会話ぐらいはできる。あと、言うことを聞かせられなくても動きを抑える程度なら可能だ。危ないと思ったら、止まれと命令しろ。」

 そう言われて、元晴は巻物を広げ中を見て眉根を寄せた。

 「あのさ、この名前が黒ずんでるのって何?あ、消えた。今度はこっちの名前が黒ずんできたけど・・・。」

 元晴のその言葉を聞いてツクモが驚いて巻物を覗き込む。

 「何と言うことだ。いったい何が起きている?坊、今すぐそいつをここに呼び出せ。」

 焦った様子のツクモのその言葉を聞いて、元晴は言われた通りそこに記された名前を読み上げ来いと叫んだ。すると目の前に何か印のような模様が現れ、そこに血まみれの男が現れ元晴は息を呑んだ。

 「坊。何ぼやっとしてる。早く手当だ。これはかなりの深手だ。扉のすぐ近く、扉を背にして右側の棚の下から二段目に薬箱がある、持ってこい。」

 そう言うツクモの怒声に動かされ、元晴は言われるがままに走った。そして指示されるままに術を使って手当てをし、一通り処置が終わる頃にはどっと疲れていた。

 「すまない。こんな死に損ないのために寿命を使わせるようなことをして。」

 息も絶え絶えに男がそう言ってきて、元晴は気にすんなと言っていた。

 「俺は生命力に溢れてるんだから、ちょっとやそっと寿命縮んだところでたいしたことないって、多分。それより大丈夫か?」

 よくわからずそんな適当なことを言って自分の心配をしてくる元晴の姿を見て男は微笑んだ。

 「今度の主は随分と軽い調子の奴だな。」

 そう言うと男は意識を失いかけ、どうにか目を開けたかと思うと、朦朧とした様子で元晴の頬を撫で、元晴と呟いた。

 「すまない。俺はもうお前に頼まれたことを果たせそうにない。じきアレが目覚めるぞ。覚悟を決めろ。俺たちは皆、どこまでもお前について行く。残ったモノの命を使って、今度こそアレを仕留めろ。でないと今度は本当に・・・。」

 譫言のようにそう言って、男は事切れた。

 「おい。しっかりしろ。アレって何だよ。残った奴の命使って止めろってなんだ?今度は本当に何が起こるって言うんだよ。おい。」

 そう声を掛けながら男を揺さぶる元晴に、ツクモが無駄だと声を掛けた。

 「もう死んだ。すまないな、坊。無駄に命を消費させ。」

 そう言ってツクモは何か深く考え込むように腕を組んで黙り込んだ。

 「いったい何が起きてるって言うんだ。」

 そう呟く元晴を見上げツクモが口を開いた。

 「坊。今日は休め。」

 「こんな時に休んでられるか。巻物からこいつの名前が消えた。ってことは、死ぬとこっから名前が消えるんだろ。この不自然な空白は本当は名前があったんだろ。名前が黒ずんでぼやけてくのはそいつが死にかけてるって事なんだな。何が起きてるのかよく解らないけど、今こいつら何か危ない目に遭ってんだろ。そんな時に一人おちおち休んでられるか。」

 そう叫んで元晴はめまいがして膝をついた。

 「坊。魔物を呼び出すだけでも霊力は使う。治る見込みのない傷の手当てまでさせてしまった。休まなくては坊が持たない。」

 そう言うとツクモは元晴の肩に飛び乗った。

 「坊。ありがとう。しかし、今の坊にできる事などなにもない。わたしの霊力を分けてあげよう。これで少しは回復するだろう。」

 ツクモがそう言うと元晴は暖かい光に包まれて身体がすっと楽になった。

 「坊。わたしたち藤原の魔物を助けたいと思ってくれるのなら尚更、ちゃんと休まなくてはいけない。気力を充分に満たし、万全の状態でなくては我々の力を十二分に発揮させることもできないのだから。そして坊。坊は実戦で戦うにはあまりにも未熟すぎる。勉強なさい。ここ、蔵の奥には藤原の蔵書が収められている。わたしも教えられることは教えよう。まずは術師として成熟することだ。」

 そう言ってツクモは小さな手で元晴の頭を撫でた。

 「ツクモ。ツクモは守護者なんだよな?」

 「あぁ、そうだ。」

 「この蔵を護ってるんだよな?」

 「そうだ。」

 「この蔵の中のモノなら何でも護り通せるか?」

 「もちろんだ。この命に代えてでも護りきってみせる。」

 それを聞いて元晴はそうかと言って巻物を掴んで立ち上がった。

 「藤原元晴の名の下に命じる。全員今すぐここに来い。」

そう叫んでその場にへばりこんで、元晴は次々と呪印が現れ無事な姿の魔物達が現れるのを目にしながら小さく笑った。

 「ツクモ。後は頼む。」

 どうにかそれだけ言って、完全に床に突っ伏して元晴は目を閉じた。そういえば藤原の魔物ってどんだけいるんだろ。めちゃくちゃでかい奴とかいたらこの蔵に入りきらないんじゃない?遠のく意識の中でそんなことを考えながら元晴は、もうやっちゃたもんはどうしようもないしどうにかなるだろなんて考えながらその意識を完全に手放した。

 「何という無茶を。」

 そう呟いてツクモは意識を失った元晴の顔を愛おしそうに撫で、何かを考えるように目を閉じた。その周りに呼び出された魔物達が集まってくる。

 「今度の主は随分と危うい奴だな。」

 「脆い人間でありながら我らを同じモノのように想うとは・・・。」

 「この子は我らを道具ではなく同じ人として扱うのだな。」

 それぞれがそんなことを言って、誰かがこの子は元晴によく似てると呟いた。それを聞いて、ツクモは何かを決心したように目を開いた。

 「今のこの時に、元晴と同じ名を持ち元晴と遜色ない素養を持った坊が我らの元に現れたのは何かの因縁かもしれないな。」

 そうぼやいて、ツクモはその場にいる面々に向き直った。

 「今、千年妖狐が目覚めようとしている。自らを柱として封印を護っていた何体かがもう殺られた。それらを護っていた者もだ。アレが目覚めれば今度こそこの国は火の海に呑まれるだろう。奴を止める覚悟を皆に決めて欲しい。」

 そんなツクモの言葉をその場にいた全員が神妙な面持ちで聞いていた。そんな面々を見渡して、ツクモははたしてこの面子でなんとかなるだろうかと思った。より強く力のあるモノは皆封印の柱かそれを護るために配置されている。そんな者達が次々と殺られている現状で、それらに劣るこの面々と未熟な主であの厄災と戦うのか。そんなことを思ってツクモは目を伏せた。

 「解っている。元晴に助けられたあの時からいざという時はこの命をあいつに捧げる覚悟はできている。我らの命を動力にすれば、かつて葛霧(くずきり)で魔物退治のために使用されようとした大規模な術も発動できるだろう。今の主にその術を発動させるための力量があればだが。」

 「それができたとして、それでなんとかなれば良いが・・・。」

 そう呟いてツクモは眠っている元晴の顔をちらりと見て溜め息を吐いた。

 「何にせよ、坊には強くなってもらわなければ。封印があとどれだけ保つか解らないが、今のままの坊ではアレに太刀打ちはできない。我らの手で坊を術師として育て上げる。坊には我らを使い戦ってもらわねばならないのだから。坊がダメなときはその時で、全てを捨てる覚悟を決めねばな。何をしてでもアレだけは我々の手で止める。例え、元晴との誓いを護ることができなくなっても、もう二度と自我を取り戻せなくなっても、アレだけは止めねばならない。」

 皆にそう告げて、ツクモは葛霧の鬼がいてくれればという考えが頭に浮かび、自分達が最初に契った藤原元晴の友人だった男の姿を思い描いた。魔物でありながら人間の娘と祝言を挙げた男。妻亡き後、まだ幼かった息子を連れて姿を消した男。元晴はあの男に影響を受け、魔物との共存の道を目指したのだと言っていた。元晴に戦い方を教え、その思想に深く影響を与えた人物。彼は葛霧の国に巣くった魔物を退治した。強い霊力と高い破魔の技術で葛霧の国を治めていた葛宮(くずのみや)家の術者を退けるほどの力を持った魔物を、人間の手ではもう葛霧の全ての生命を人柱に強大な術を発動させ国もろとも消し去るしか手がないと言われたほど強大な魔物を、彼はいともたやすく葬った。そんな彼なら千年妖狐もたやすく葬ることができるかもしれない。しかし、あやつは元晴と契りを結んだ魔物ではないから呼び出すことはできない。そもそも妻であった葛宮の巫女姫の力で自我を保っていたあやつが、今もまだ正気を保っているのかさえ解らない。彼の嵌めている数珠に葛宮の巫女姫の霊力が込められているとはいえ、霊力を込めた本人が亡くなって久しい現在もその効力が続いているとは限らないから、もしかしたらとうの昔に自我を失い完全なる鬼となってどこかで討伐されてしまっているかもしれない。魔物とは、正気を保っていてもいつ魔に堕ちるか解らない危うい存在なのだから。それは自分達藤原の魔物も同じ。自分達藤原の魔物が正気を保ち人を襲わずにすんでいるのも元晴と契りを交わし、盟約により力を抑えられ穢れが広がることを防がれているからだ。正気を保てるところまで汚れを祓い、人と契ることで穢れに浸食されるのを防いでくれているからこうしていられる。元晴との盟約が彼の血脈と共に後の代まで続いているのは、何も藤原の道具となるべくして縛られたのではない。藤原の魔物達が元晴亡き後もずっと正気のままいられるように、穢れに魂が蝕まれ望まぬ破壊をしなくてもすむように縛られたのだ。それが解っているから、藤原の魔物達は新しい主が気にくわなくて言うことを聞かないことはあっても藤原との盟約を外れようとは思わないし、主の言うことを聞かないことはあっても今まで主を護ってきた。それが自分達を護ることでもあり、助けてくれた元晴への恩返しでもあったから。そんなことを考えてツクモは遠い過去に思いを馳せた。

 千年妖狐もまた、かつては藤原の魔物の一つだった。それがどうして厄災に堕ちてしまったのか。それをどうして伐たなくてはいけないのか。それを考えるとツクモは胸が苦しくなった。坊にどこまで事実を伝えるべきだろうか。事実は何も教えず、ただ倒すべき厄災としての側面のみを教え込みアレを伐たせるべきか。しかし坊はアレの娘と会っている。今、藤原の魔物を狩っているのは多分あやつ。ならば娘もまた伐つべきなのだろう。娘と縁ができてしまった坊にそれをさせるというのは酷なことかもしれんな。そんなことを考えて、ツクモは最初の主人の姿を思い浮かべた。元晴。盟約で縛らずとも人間と魔物が手を取り合えることを望んでいたおぬしの希望は、今まさに厄災を解き放たんとしているぞ。あの時、わたしはどうするべきだったのだろうか。逃がすのではなく、殺すべきだったのだろうか。あやつに真実を伝えるべきだったのだろうか。まだ幼かった娘に真実を伝えることと、一人追い出すこと、どちらが酷だったのだろうか。それでもいずれ大きくなったら解ってくれると、あやつも元晴の想いを受け取って、苦難を乗り越え真っ直ぐ育ってくれると期待していたのだ。そんなことを考えて、今更過ぎたことをどうこう言ってもしかたがないなと思い、ツクモは大きな溜め息を吐いた。


            ○                        ○


 「ほれ、坊。しっかりせんか。まずはこの家を拠点にするために、蔵の結界の範疇を家全体に移さねばどうにもならん。皆を蔵に押し込めておくわけにもいかぬし、坊の修練も付けねばならんのだからな。この程度でへばっているようでは、脅威になぞ対応できんぞ。」

 ツクモにそう叱責され、指示を受けながら元晴はせっせと蔵の中の物を動かしていた。ツクモによる守護の範疇を蔵から家の敷地内に広げるため、蔵に嵌められている要となる物を移動させなくてはいけないとのことで、それを取り出すために朝からずっと動き詰めで元晴はもうへとへとだった。そもそも三日も眠ってたっていうのに、ようやく目が覚めたその日にこんなに働かされるとかマジでキツい。もっと労ってくれてもいいんじゃないの?そんなことを考えて元晴は荷物の上に突っ伏した。

 「マジ、ムリ。俺、体育会系じゃないから。もう動けないって。ってかさ、荷物動かすのとか他の連中も手伝ってくれても良いんじゃないの?なんで俺一人がこんなことしなきゃいけないのさ。」

 そんな文句を言って、ツクモに頭を棒でぺしっと叩かれて、元晴はいてっと言って顔を顰めた。

 「坊がわたしに皆を護れと言ったのだろうが。ならば、おぬしがまず動かんか。言うだけ言って、あとは他人任せなど許されると思っているのか?わたしに皆を護らせたいのなら、坊ができる事は全部坊がやれ。他力本願など許さんぞ。」

 ツクモにそんなことを言われ、他の連中に今度の主は非力な奴だなとか、この程度でへばるとは情けないとかヤジを飛ばされ、元晴はふて腐れた。俺は引っ越し屋でも大工でもないっての。物どかして、そこにあるから床外せだの壁剥がせだの言われて、手つきが悪いだの、そんなやり方したら元に戻せなくなるだろなんて言われても知るかそんなもん。要になる物を取り出そうとしたらぎりぎりまで外すな馬鹿者なんて言われるし。マジで割に合わねー。もうヤダ。あの時は何かノリって言うか、流れって言うかでやっちまったけど、そもそもこいつらのために俺がこんなことする義理ないんじゃね。少しは感謝してくれればあれだけど、バカにされて怒られてばっかなのにこいつらのために何かしようとかお人好しすぎるだろ。もう止めようかな。元晴が荷物に突っ伏したままそんなことを考えていると、頭の上でツクモがあからさまな溜め息を吐いたのが解った。

 「坊。術師は気力だけ備えていれば良い物ではない。気力、体力、そして何より強い精神力がなければ術師は勤まらん。この程度でへばってふて腐れているようではどうにもならんぞ。」

 そう言ってツクモは元晴の目の前に飛び降りた。

 「坊。わたし達をおいて今から坊の日常に逃げ帰るか?それとも、我らと一緒に今我らを襲っている脅威と戦うのか?」

 そう問われて元晴は三日前の出来事を思い出した。目の前で人が死んだ。実際は人間ではなく魔物だが、そんなことは関係ない。血まみれで現れて、自分に初代を重ねて、約束を守れずすまないと言って死んでいった。巻物に記された名前が次々と黒ずんで消えていくのを見て、酷い焦燥感にかられて何かしなくてはと思った。自分とは昨日今日会ったばかりでも、彼らと藤原家には深い繋がりがあって、その繋がりはきっと自分の中にもある。だから、不思議なくらい初めてのはずのこの非現実的な現状をすんなり受け入れることができて、人間でない彼らに恐怖も何も感じず、むしろ親近感のようなものを感じるんだと思う。まるで昔から知ってたみたいに、昔からずっと傍にいたみたいに、彼らがここにいるのが当たり前に感じる。

 「ツクモ。いったい今何が起きてるのか教えてよ。お前達を襲ってる脅威っていったい何なの?」

 元晴がそう問うとツクモは少し困ったような顔をした。

 「坊。覚悟がないなら踏み込むべき事ではない。我らと共に行くのなら、坊自身、坊が目にしたあやつのようになることも覚悟しなくてはいけない。それでなくても人間が術を使えば命は削られる。術師の戦いは自らの命を削り行われるものだ。術師は長く生きられんのが常。わたしは坊に早死にして欲しいわけではない。だからこそ、術師として我らと共に行くのであれば、坊には心身共に成長し術師として成熟してもらわねば困るのだ。わたしは坊に早死にも無駄死にもさせたくない。坊にとっては意味のないことのように感じるかもしれないが、今要を取り出す作業を一人でさせているのも、厳しいことを言うのも全ては坊のためだ。坊が怖じけ付いて逃げ出すというならそれでも良い。」

 そう言ってツクモは小さな手で元晴の頭をそっと撫でた。

 「俺が逃げ出したら、お前等はどうすんだよ。」

 「我らにできる限りのことをするまでだ。」

 「できる限りの事って何すんの?」

 「それは坊が知る必要は無いことだ。」

 そう言われて元晴は黙り込んだ。

 「坊。とっさの時に人は本性が現れる。坊はあの時とっさに我らを護ろうと全力を尽くしてくれた。わたしは坊のその気持ちが嬉しかった。しかしな、何も考えずにあんな無茶ばかりすれば坊はすぐ死んでしまう。坊の気持ちが嬉しかったからこそ、坊にあんな無茶をさせたくないと思うのだ。我らと共に行くのであれば腹を決めてちゃんとした術師になれ。そうでないなら今すぐこの地から離れ、二度と我らと関わるな。坊がちゃんと腹を決めて、術師として脅威に対応できるほど成熟したら、その時に今の脅威が何か教えてやろう。」

 そう言われ、少し休んで気晴らしに散歩でもしてこいと言われて、元晴は促されるまま蔵を出た。

 飯でも食べに行くかなんて考えて家を出て、元晴はぶらぶら歩き出した。小さい頃は俺もこの辺に住んでたんだよな。色々変わってるとこもあるけど、変わってないとこも在って、変わってないところは全部自分の記憶より酷く小さく思えて、元晴は不思議な気分になった。父さんはじーちゃんと仲悪かったけど、俺が倒れるまではここに住んでたんだよな。嫌な顔はしてたけど、俺がじーちゃんとこ行くのを止めはしなかったし、俺を迎えに来る名目でじーちゃん家にも来てた。きっと父さんはじーちゃんのこと心から嫌ってたわけじゃないんだ。俺が倒れて引っ越して二度と俺をここに近づけさせないようにしてたのも、じーちゃんが嫌いだったからじゃないんだと思う。父さんは術師の修行を受けてた。つまりそのリスクも知ってた。だからきっと俺を術師にしたくなかったんだと思う。俺を術師にしたくない父さんと藤原の技術を残したいじーちゃんで喧嘩になってたのかもしれない。それで、父さんに内緒でじーちゃんが俺に術師の修練付けてたから、それで俺が気軽に術なんか使って倒れたりなんかしたから、父さんはじーちゃんが許せなくなったのかもしれないな。ずっと父さんの事嫌ってたけど、そう考えると俺酷い息子なのかもしれない。好きだったじーちゃんに酷い態度とってる父さんが嫌いで、好きだったじーちゃんから引き離されてふて腐れて、父さんの話しまともに聞こうとすらしたことがなかった。そんなことしてる内に父さんとの間に完全に距離ができて、会話どころかまともに顔会わせることもなくなって、今じゃお互い母親を介してでしかやりとりしてない気がする。母さんが何かにつけて父さんと話ししろって言うのは、なんか理由付けして父さんと関わり持たせようとしてたのかもな、そんなことを考えて、わたしは坊に早死にも無駄死にもさせたくないと言うツクモの言葉を思い出して、厳しいことを言うのも全ては坊のためだというツクモの言葉が頭をよぎって、父さんは父さんなりに俺のことを大切にしてて色々考えてたのかもななんて思って、元晴はなんとも言えない気持ちになった。

 元晴はファミレスに入って適当に注文をした。ふと携帯電話を見て、母からメールが入ってるのを確認して、少し考えてから暫くこっちに滞在するという旨のメールを返信した。何かな、あいつら見捨てて帰るって言うのも後味悪いし、かといって命かける覚悟しろって言われてもそんなの急にできないし。確かにさ、ちょっと憧れてたよ。特殊能力使って強大な敵と戦う主人公になるのさ。でもそれは妄想の話しでさ。しかもそんな妄想するのそろそろやめようと思った矢先なのに。これでかわいいヒロインとかいてくれたらまた違うのかもしれないけど、蔵に出てきたのおっさんばっかじゃん。蔵の前で会ったあの子は藤原の魔物じゃないらしいし。あーあ、せめてあの子がいてくれたらな。一緒に脅威を排除して、種族の垣根を越えて愛が芽生えてハッピーエンドとかすげー良くね。そもそも俺主人公って柄じゃないし。物語の主人公ってさ、どんな奴でも大抵女の子にモテモテじゃん。俺、頑張ってもモテる予定なさそうだし、本当割に合わない。それに主人公になる奴はイケメンって相場が決まってんだよ。コーラを飲みながらそんなことを考えていると入り口のドアが開く音がして、入って来た客を見て、元晴はそうそう主人公ってああいうイケメンがなるもんだろとぼんやり考えながら視線を自分の座ってる座席の机に戻して一口コーラを飲んで、ドアの方を二度見した。うわっ、嫌みなくらいのイケメンがいる。長身だし、細身だけどひょろくないし、こいつ見た目だけでそうとうモテるだろ。しかもちょー美人連れてるし。こんだけ見た目良くて、あんな美人の彼女までいるとかマジ羨ましい。羨ましいけど、これだけイケメンだと自分と次元が違いすぎてもうなんかすげーとしか感想が湧いてこないな。俺じゃあんな美人と並べないし。そんなことを考えながら思わずずっと眺めていたら、視線に気が付いたイケメンと目があって元晴は慌てて視線を逸らした。

 注文した食事が運ばれてきて、それを食べながら元晴は聞くつもりもなく美男美女カップルの会話を聞いていた。変な時間で客が他にいないから、だから聞こえてきてしまうだけで別に盗み聞きしてるわけじゃないなんて心の中で言い訳をしながら、やっぱあれだけの美形カップルがどんな会話してるのか気になるなんて思って元晴は耳を傾けていた。

 「これからどうする?」

 「どうしよっか。現地に来ればネットに引っかからない情報があるかとも思ったけど、図書館や郷土資料館で調べられることは香澄(かすみ)ちゃんが調べたことと変わりないし。話しを聞こうにも亡くなってる人には話は聞けないしね。」

 「伝承系は大抵地元に根付くから、本人が活躍した場所に来れば詳しいことが解るかもしれないと思ったが、何も手がかりはなし。術師が自分の使役してる魔物を総動員してようやく封じることに成功した魔物がいるなんて、そんな事実があったら確実に何かしらの伝承になっててもおかしくないのに、そんな話が昔話程度でさえ出てこないなんて、そんな事実はないんじゃないのか?」

 「それか、本当にヤバい何かが起きて隠蔽されたか。」

 「お前はどっちだと思う?」

 「わたしは隠蔽されたんじゃないかと思う。勘だけど。」

 「でも手がかりが亡くなってる奴に夢枕に立たれてこんなこと言われたって情報だけじゃな。公の資料が無いなら、個人の資料が残されてるのにかけるか。でも、術師なんて職業もう廃れてるんだろ?その藤原元晴って奴の家系もとっくに廃業してるって話しだし、あったとしてもちゃんと保管されてるかどうか。ここに住んでた直系子孫も亡くなってるしな。地元に残ってない奴に期待してもしかたがない気がするが、なんか話しぐらい伝え聞いてるかもしれないし、まぁ、当たって見るだけ当たってみるか。藤原元晴の子孫がどこにいるのかちょっと香澄に調べさせてみる。」

 そんな会話を耳にして元晴は思わず二人の方を見てしまった。目があって、怪訝そうな顔をされて笑ってごまかしてみる。

 「お前、もしかして藤原元晴を知ってるのか?」

 「わたし達、大学のサークルで伝承研究してるんだけど。サークル内の一人が、藤原元晴って術師に夢枕に立たれて、昔自分が使役してた魔物と一緒に強大な魔物を封じたって言われたって言い出してさ。それで夏休みだし遊び半分で本当にそんなことがあったのかって研究テーマで調べてるの。もし何か知ってるなら教えてくれないかな?」

 二人からそう言われて元晴は固まった。

 「いや、俺は。俺の名前が藤原元晴だから、自分の名前が出てきて吃驚しただけ。」

 そう返すと何故か二人が自分のいた席に移ってきて、元晴はどぎまぎした。俺、もしかして変な人達に絡まれてんの?何?この状況?なんで彼女の方が俺の隣来てるの?ムリ。こんな美人に横につかれるとか本当ムリ。

 「へー。あなた藤原元晴って言うんだ。今わたし達が調べてる人と同じ名前なんて奇遇ね。わたしは杉村(すぎむら)(すず)()。そっちは村上(むらかみ)俊樹(としき)ね。藤原君って地元の人なの?」

 「いや。小さい頃はこっち住んでたけど、親の転勤で引っ越して以来だからそんなこっちのことは詳しくない。夏休みでヒマしてたら、空き家になってる親戚の家片付けてこいって親に言われて大掃除に来ただけだから。全然地元じゃないし。何も知らないから。」

 「お前、それ、何か知ってるって言ってるように聞こえるぞ。」

 「知らない。本当何も知らない。マジで知らない。知らないから。俺、ご先祖様が何してたとか何も知らないから・・・。」

 元晴がそんなことを口にして、あ、と固まると同時に俊樹の携帯が鳴って、画面を確認した彼が視線を上げて、お前が藤原元晴の子孫かと言った。

 「なんだ、そうならそうと早く言ってくれればいいのに。ちょっと話聞かせてよ。」

 そう言う涼花に顔を覗き込まれて元晴は顔が熱くなって撃沈した。

 「こいつ女に免疫ないのか?」

 呆れたような俊樹の声が聞こえて、元晴はうっせーなと思った。そりゃ、あんたみたいなイケメンなら女の子に近づかれるのも慣れたもんだろうけど、美人だって見慣れてるかもしれないけど、俺はそうじゃないから。ましてこんな美人とかテレビとか雑誌の中の存在でこんな近くで見るようなものじゃないから。身近にいたとしても絶対お近づきになれるような存在じゃないから。お前なんかにはモテない男の気持ちはわかんねーんだよ。心の中でそんな悪態を吐いてちょっと心を落ち着けてみる。

 「俺の名前が術師として活躍してたご先祖様からとったってことは知ってるけど、本当に何も知らないんだって。じーちゃんは何か知ってたかもしれないけど、じーちゃん死んじゃったし。親父とじーちゃんが仲悪くて没交渉で、俺もそんな話し知らないし。じーちゃん変人で親戚連中から避けられてたから、誰も何も知らないんじゃない。」

 「ねぇ、もしかして藤原君が片付けしてる家っておじいさんの家?ならさ、おじいさんの家見せてくれないかな。もしかしたら何か資料が残ってるかもしれないし。」

 「何もないよ。俺が来た時には家の中もぬけの殻だったし。もうとっくに誰かが全部処分したんだろ。」

 自分が祖父の家に着いたときのことを思い出して吐き捨てるようにそう言ってしまって、元晴はハッとしてごめんと呟いた。

 「とりあえず。俺は何も知らないし、家にも何もないから。」

 そう言うと元晴は立ち上がり伝票をとって涼花にどいてくれると声を掛けてその場を去った。

 なんなんだよ全く。そんなあいつらの最初の主人の藤原元晴って有名人なの?そんな、大学のサークルで話題に上がって研究対象になっちゃうような凄い人だったの?そんなことを考えて元晴は、そういえば俺その人のこと何も知らないなと思った。あいつらがやたら慕ってるのは知ってる。あの子も慕ってたし、魔物からなんか慕われる人だったんだろう。何か凄い術師だったって事は知ってる。それでじーちゃんが俺にその人の名前付けたってそれは知ってる。でも、本当にそれだけだ。それしか知らない。そう思って元晴は踵を返しファミレスに戻った。

 「なぁ。あんた達、藤原元晴について調べてるんだろ?」

 そう声を掛けて、驚いたような顔をする二人の席に自分も着く。

 「俺は本当に何も知らないけど。何も知らないから。教えてくれないか。その藤原元晴って奴がどんな奴なのか。自分の名前の由来になったご先祖様がどんな奴だったのかちょっと知りたいと思って。」

 そう言って元晴は少し迷うように視線を泳がせて口を開いた。

 「藤原家は昔は優秀な術師の家系だったらしい。今のご時世、術師なんて眉唾もんで胡散臭い職業で、まず術師が相手にしてたって言う魔物の存在自体がありえない話しだろ。だから、藤原家も術師を生業にすることはとっくの昔に辞めてた。なのに、じーちゃんは藤原の技術は残していかなきゃいけないものだって言って、何か知んないけど俺にその才能があるって期待してご先祖様の名前なんか付けて、それで親父と対立して。親父だけじゃない、親戚からも白い目で見られて孤立してて。でも、小さい頃しか一緒にいなかったけど、俺はじーちゃんが好きだった。笑える話しだけど、人には言えない秘密抱えて魔物と戦うヒーローとか格好いいなとか思って、術師になりたいとか思ってた時期もあった。でも、本当に何も知らないんだ。だから、俺は俺の名前の由来になったその人のことが知りたい。俺よりあんた達の方が余程詳しそうだからさ。」

 嘘じゃない。嘘は言ってない。ただ、知りたいと思った理由に、ツクモ達藤原の魔物という奴らのことが含まれてることを言わなかっただけ。今何かが起きてて、でもそれに対して自分は置いてけぼりをされてるから、あいつらが慕ってる藤原元晴を知ってそれで少しでもあいつらに近づきたいと思ったなんて言ったら笑われるかな。そんなことを考えて元晴はそういうことかと妙に納得した気持ちになった。そっか、俺はあいつらに疎外されてるのが気にくわなかったのか。何も教えてもらえず、なんか大事なことあいつらが隠してるって感じたから。俺が全然頼りにされてないから、ガキ扱いされてるって思うから、だから腹が立ってるんだ。

 「藤原元晴について一番有名な話しはやっぱり和葉姫伝説(かずのはのひめでんせつ)だと思う。伝説の中で、魔物退治の術を探す旅に出た姫は彼と出会って彼の下で修練を積んで術師としての才能を開花させた。姫はその技術を持って鬼を調伏し使役し、葛霧の国に巣くった魔物を退治する。物語の上で藤原元晴は重要な人物だよね。」

 そう涼花が話を始めて、元晴は彼女の方を見た。

 「和葉姫の生家の葛宮(くずのみや)家は今でも霊能とかで有名でテレビとかにも出てるような家系だけど、姫の師に当たる藤原家は全然知られてないよね。ご先祖様の選択が何か違ってたら、藤原君も葛宮家の人みたいに霊媒師として有名になってたかもよ。」

 いたずらっぽい笑みを浮かべた涼花にそう言われて、元晴は顔を伏せた。別に有名とかにはならなくていい。霊媒師として有名になっても絶対やらせだの何だの言われてバカにされるかからかわれるだけだだろうし。信じて近づいてくる奴なんてろくなのいなさそうだし。自分の知っている生前の祖父を思い出してそんなことを考えて、元晴はなんとも言えない気持ちになった。

 「藤原君はそういう家に生まれてどう思う?異能なんてありえない話しだって思う?異能なんて信じないし、そんなもの信じてる人は頭おかしいとか思っちゃう?」

 「あんたらはどうなんだよ。大学のサークルで伝承研究してるとか言ってたけど、もしかしてオカルト研究会とかそんなのなの?オカルトに過剰な期待とか好奇心持つのはどうかと思うぞ。」

 二人からはそんな雰囲気は感じないが人は見かけによらないって言うし、自分から話聞かせてくれって言っときながらこの二人がそういう類いの人種で熱く語られても面倒臭いな、なんて元晴は思い始めて、戻ってきたのまずかったかななんて思った。

 「オカルトなんて、そういうものに本当に遭遇したことない人からしたら妄想だもんね。昔話だとそんな非現実が当たり前に日常に出てくるのに、どうして現代ではそれは当たり前じゃないんだろうって、それがわたしの研究テーマなの。広く語られるというには何かしらそれに類似した事実があるわけで、どうしてそう言う物語が生まれたのか、どうしてその物語が廃れたのか、その背景を探ることで歴史を紐解くことができる。そういう研究してるとちょこちょこわたし達の常識じゃ理解できない不思議なことがあるって教授が言ってた。ありえないなんて決めつけてたら研究なんてできないって。どんな可能性も思考の範疇にいれないと正しい答えにはたどり着けないし、自分に見えてるものだけが正しいわけじゃないって。思考の柔軟性ってやつを身につけろって普段から口酸っぱくして言われてるからさ、夢で見たなんてバカみたいな話しが元でもテーマにして研究しちゃうわけ。笑っちゃうでしょ。」

 涼花がおかしそうに笑いながらそう言って、俊樹なんて頭でっかちだからいつも教授に怒られっぱなしなんだからなんてからかうように言って、お前な、と不機嫌そうに俊樹が顔を顰めているのを見て、元晴は力が抜けた。

 「ごめんね。こんな遊びみたいなものだから、わたしたちも話せることはそんなになくて、今調べてる真っ最中なの。ご先祖様のことが知りたいなら、藤原君も一緒に調べてみる?」

 そんな提案をされて元晴は少し考えて断った。

 「残念。藤原君も一緒にやってくれたら楽しそうだったのに。」

 そう言う涼花に名刺を差し出されて元晴はそれを受け取った。

 「もし気が変わったら連絡してよ。あと、もし何か資料が見つかったり親戚で何か知ってる人がいたら連絡してくれると嬉しいな。」

 微笑んだ涼花に目を真っ直ぐ見つめられながらそう言われて元晴は顔が熱くなって思わずうんうん頷いていた。ヤバい、思いもがけずこんな美人の連絡先を入手してしまった。そんなことを思いながら名刺を眺め、そこに書いてあった大学名を見て元晴はうわっと思った。マジで?この大学通ってるとかこいつらどんだけハイスッペクなんだよ。スタイル良し、顔良し、頭良しって。何か欠点とかないの?特に男の方。こういう奴が一人で沢山もってちゃうからさ・・・。

 「村上俊樹とか言ったっけ、あんた何か欠点ってないの?背高くて顔も良くて頭いいとか、マジでハイスペック過ぎだろ。絶対あんたモテまくりだろ。マジ羨ましい。本当、何か欠点とかないの?実は運動神経ぷっつんしてて腹がぷよぷよとかさ。ギャルゲーにド嵌まりしてて三次元に興味がないオタクとか。なんか俺を慰められる情報ないの?」

 元晴のそんな嘆きを耳にして、涼花が思わず少し吹き出して口元に手を当て俯いて笑いを堪え、俊樹は酷く不快そうな顔をして元晴を睨み付けた。

 「残念なことに俊樹運動神経いいし、オタクでもないよ。超シスコンだけど。」

 「シスコンじゃない。」

 「妹に何かあったら何をおいても妹を優先させるくせに。そういうところがシスコンって言うんだよ。だから彼女できてもすぐフラれるって自覚したら?」

 そんな二人のやりとりを聞いていて元晴は疑問符を浮かべた。

 「あんた達付き合ってるんじゃないの?」

 「誰がこんな性悪女と付き合うか。」

 元晴の問い反射的にそう返した俊樹の言葉を聞いて、涼花がうわっ酷いと言って大げさな動作で嘆くように手で顔を覆った。

 「藤原君。藤原君から見てわたしってそんな絶対付き合いたくないって言われるほど悪い女に見える?もし良いなって思ってくれるなら、本気でわたしのこと狙ってみない?わたしフリーだよ。」

 顔から手をどけた涼花がいたずらっぽく笑いながらそう言ってきて、元晴は頭から火を噴いた。

 「涼花。お前マジで性格悪いな。こいつと付き合う気もないのにそういうこと言ってからかうなよ。」

 どうでも良さそうにそう言う俊樹の言葉を聞いて元晴は、いや、さすがに最初からからかわれてるだけだって解ってたからさと思った。こんなハイスペック超美人と自分が付き合えるとか勘違いするわけないだろ。そもそも狙ってみるって言われただけで付き合ってみるって言われたわけでもないし、さすがに俺もそれだけで舞い上がるほどアホじゃないから。まぁ、少しドキッとはしたけど。いや、かなりドキドキしたけど。マジ心臓に悪い。普通にモテたことも、っていうか普通レベルの女の子にさえまともに相手にされた事ないのに急にこんなレベルの女の子とどうこうとか考えられるわけないじゃん。本気で狙うとかマジ無理ゲーだから。そんなことを考えて元晴は心の中で大きな溜め息を吐いた。

 二人と暫く他愛もない会話をして、ファミレスで別れ元晴は帰路についた。二人との会話は本当に中身のないものだったのにちょっと気分が晴れていた。ある意味でツクモに言われた通り気分転換にはなったななんて思いながら藤原の魔物達のことを考えて、元晴は少し目を閉じて心を決めた。

 祖父の家に戻り、蔵の前で深呼吸をする。扉を開けて、中に入り、真っ直ぐ奥に向かって元晴はツクモの前に立った。

 「おかえり、坊。少しは休めたか?」

 そう問われて、あぁと返す。

 「ツクモ。俺に術師としてのノウハウを教えてくれ。基礎はじーちゃんから教わった。じーちゃんと離れた後もずっと修練は続けてた。だから基礎はできてる。俺にお前等と一緒に戦えるだけの技術を身につけさせて欲しい。藤原の当主として、俺はお前等と一緒に脅威と戦う。」

 ツクモを真っ直ぐ見据えながらそう言うと、ツクモがそうかと言って小さく笑って、元晴も笑った。

 「坊。これは厳しい戦いになるぞ。」

 「目の前で人が死んだんだ。遊び半分の軽い気持ちで言ってんじゃない。」

 「坊。術を使うのに命を削ることは解っているな。より強力な術を使うために、坊には自分の命だけでなく我らの命を使う覚悟を決めてもらわなければならん。術者である坊は一番最後だ。戦えぬ者、役に立たぬ者から順に、坊は我らの命を使い捨てなくてはならない。我らは命を捧げる覚悟ができている。しかし、坊にその覚悟があるか?」

 そう問われ、元晴は躊躇って言葉を失った。

 「今はその覚悟がなくても良い。だがな坊。我らと共に戦うとはそういうことだ。それを躊躇っていては、全てを失うことになるぞ。だから、戦場に出るまでにはその覚悟を持ってもらわなければならない。いざという時に躊躇われては困る。だから修練の最後、戦場に出る前には我らのいくらかは先に坊の動力に変えてもらうぞ。」

 そう言われ、元晴は俯きぐっと拳を握って解ったと答えた。

 「坊は元晴のように幼い頃から術師としての教育を受け戦場に出ていたわけではないのだ。そんなすぐに覚悟などできるものではあるまい。実際に戦場に出る前なら途中で逃げ出しても構わない。わたしは共に戦ってくれると言った坊のその気持ちだけで嬉しい。藤原の後継者が我らを大切に想ってくれている、それだけで我らの大義の糧になる。元晴との約束があるからだけではない、坊のその想いが今のこの時の藤原の当主たる坊のためにもと思わせてくれる。それは命をかける上で、その覚悟を持つ上でとても重要なことだ。坊はその役割を十二分に果たしてくれている。だから、それだけでも充分だ。坊。戦場に出てしまえば逃げることは許されない。我らもそれを許さない。だから、覚悟を決められないのならその前に逃げなさい。坊には我らと自分自身の命をかける覚悟と、他者の命を奪う覚悟が必要なのだから。」

 そう言ってツクモは続けて何かを言いかけて、言葉を飲み込んで、優しく笑った。

 「さて、坊が戦うと決めたからには急いで準備をしなくては。この屋敷全体に結界を移さないことには坊の修練もまともに付けられん。ほら、坊。作業の続きをするぞ。ちゃっちゃと働け。」

 さっきまでの優しげな雰囲気を一変させ、そんなことを言いながらツクモが棒でペシペシ叩いてきて、元晴は顔を顰めた。

 「解った。解ったから、叩くなよ。ちゃっちゃと作業始めれば良いんだろ?次はなにすればいいの。」

 そんな文句を言いながら指示通り作業を始める元晴を眺め、ツクモはどこか辛そうな困ったような顔を藤原の魔物達に向けた。そこにいる面々と視線で意思を確かめ合い、ツクモは視線を元晴に戻すと、彼に本心を気付かれないように叱責を飛ばしながら溜め息を吐いた。


            ○                        ○


 「涼花。藤原家への潜入は俺じゃちょっと難しいかもしれない。」

 俊樹のその言葉を聞いて涼花は疑問符を浮かべた。

 「第六感がここはヤバいって警鐘鳴らしてた。香澄に調べてもらったがあの家にたいしたセキュリティーはない。中に入って調べ物するくらい大した難易度じゃないはずなんだ。なのに、俺の勘が入るなって言ってる。俺は自分の勘を信じてる。自分の勘が何に反応してるのか解らないのに侵入はできない。」

 真剣な顔でそう言う俊樹に、涼花はじゃあわたしが行ってこようかと言った。

 「わたしなら何かあっても対応できるし。一瞬で逃げられるしね。」

 「悪い。頼む。」

 そう言われて、涼花は任せといてと言って笑った。そう、空間転移の能力を持つ自分なら潜入も逃走も簡単にできる。もし何かと戦闘になったとしても、この身体に生まれる前の事とはいえ軍事訓練を受けたことがあり、その記憶を元に実際に訓練を積んだ自分なら対応できる。相手が人間じゃなかったとしてもわたしなら・・・。そう考えて、涼花は少し胸が苦しくなった。自分の身体には半分ターチェの血が混ざってる。そして自分の魂は、地上の神と人間の間に生まれたターチェの始祖となった六人兄弟の四番目のもの。その魂は神により近く、同じ魂を継いだ全ての生の記憶を持ち、父から継いだ神の力を持っている。ターチェと違って不老ではなくても、普通の人間よりはるかに丈夫な肉体を持ち、きっとずいぶんと長生きをする。同じ条件だった前の身体は四百年以上生きた。この身体の元になった人物も二百年は生きた。だから、今の自分も人間としてはありえないくらい長生きするんだろうと思う。そんなに長生きをして、人間にはできないような事もできて、わたしは人間って言えるのかな。一応は人間だし人間社会で生きると言ったものの、ターチェの国である龍籠(りゅうしょう)に行くべきだったのかもしれない。でも、あそこにいればあそこにいたで自分だけ年をとっていく現状に辛くなるんだ。ターチェの父と人間の母を持ち、母が亡くなった後は父の故郷である龍籠で暮らしていた前の時がそうだった。人間社会で生きても、ターチェの社会に行っても、どっちにしても自分は異端。自分はなんなんだろうな。そんなことを考えて、ふと目に入った俊樹の手を握りたいと思って、涼花は自分の胸の痛みの正体を認識した。自分が何者なのかどうとか本当は関係ないのだ。彼への想いを諦めるための言い訳を自分は探してる、それだけだ。

 「大丈夫か?」

 そう声を掛けられて、涼花は俊樹を見上げた。

 「何が?」

 「別に。問題ないならいい。」

 そう言われて、本当素っ気ないななんて思って涼花は笑った。昔はこうやって深く詮索してこないことが楽で良いとか思ってたのに、今は少しだけこの素っ気なさに距離を感じて辛くなる。もう少しだけ。もう少しだけ突っ込んで聞いてくれたってなんて、そんなことされたら余計辛くなるか。そう思って自分に対して呆れたような気持ちになる。

 「正直、現状お前に頼り切ってるけど一人で無茶しようとか考えるなよ。俺にできることは何でもする。一緒に任務についてんだから俺のこともちゃんと頼れよ。」

 全く表情を変えず当たり前のことを伝えるようにそう言う俊樹を見て、涼花は少しだけ小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 「何?わたし一人じゃ頼りないとか思ってるの?」

 「お前こそ俺のことお荷物だとか思ってんじゃないよな?」

 そう言って俊樹は暫く考え込むように黙り込んでからまた口を開いた。

 「お前、偵察だけしてこい。潜入は俺がする。家捜しは俺の方が得意だ。家捜しした後、住人に気付かれないように元に戻すのもな。」

 「何それ。」

 「お前一人に何かさせんの嫌なんだよ。実際俺たちが頼りないの解ってるけど、お前、俺たちにできる事さえ危険なことは自分だけでしようとするだろ。危険な橋渡るのは俺も慣れっこなんだよ。戦闘はできなくても逃走は得意だ。清水の件の時みたいなことはごめんだ。あん時、俺がどんだけお前に苛々したか解ってるか?一人で抱え込んで格好付けやがって、ふざけんなよ。あの時はまだアレだけど、今はもうチームだろ。独断専行は許さない。」

 「何言ってんの。俊樹、下っ端じゃん。わたしの方が上官でしょ。」

 「上官って、階級一緒だろ。高卒で入ったお前より大学行ってから入った俺の方が後輩なのはそうだけど、そんなもん関係あるか。上司ぶるなら自分が動く前に部下を動かせよ。」

 酷く不機嫌そうに俊樹にそう言われて、涼花は本当俊樹は変わらないなと思って不思議な気分になった。

 「じゃあ、とりあえず偵察してくるから一緒に潜入する?俊樹が家捜ししてる間わたしが周囲の警戒してるよ。わたし香澄ちゃんみたいなサポート要員じゃないから、現場にいたほうがすぐ対処できるし。」

 「わかった、それでいこう。」

 そう話しが纏まって、涼花は心の中で溜め息を吐いた。泥棒稼業をしていたときに磨かれた俊樹の勘は良く当たる。その俊樹の勘が警鐘を鳴らしていたと言うことは、藤原家には何かあるんだろう。そして藤原家が調査中の術師の家だと言うことは、それが普通の人では対応できないものの可能性が高い。だから俊樹は普段以上に警戒し、自分に釘を刺してきたことはわかるが、わかるけど。普通の人間相手なら特殊犯罪対策課の他の面々も対応できることはわかっている。でも、相手が人間でなかったら、人間でも人ならざる力を使えるような相手だったら、対応できるのはやはり自分だけだ。清水の件の時、浩文(ひろふみ)さんが特殊能力を持っているであろう人物を倒したのだってあれは不意打ちだったからなんとかなっただけであって、まともに相手してたら相手にすらならない。なら、やっぱり自分が前線に立って戦うしかないじゃん。一人では限界があることはわかってる。でも、だからってじゃあどうしたら良いの。素養がある祥子(しょうこ)ちゃんや香澄ちゃんに術式を教える?神に近い魂と器を持った自分と違って、二人は術式を使えば命が削られるとわかってるのに?それに普通の女の子がちょっと術式を覚えたところで戦闘じゃ役に立たないのに。中途半端に戦える術を教える方が危険じゃん。特に香澄ちゃんみたいな無鉄砲なタイプには教えられない。そんなことを考えていると視線を感じて、どこか責めるような視線を自分に向けている俊樹と目が合って、涼花は目を逸らした。

 「じゃあ、ちょっと行ってくる。」

 そう言って俊樹の視線から逃げるように涼花はその場を後にした。

 藤原家の前に立って涼花はなるほどなと思った。さすが術師の家。色々と術式が張り巡されている。正しい手順で入らなければ術が発動する仕組み。これじゃ不法侵入したら一発でバレるし、組まれた術の種類によっては危ないな。コンピューターのセキュリティーじゃないから香澄ちゃんじゃ解除できないし。ある意味この家のセキュリティーは俊樹の天敵だな。そんなことを考えて涼花はおかしくなって笑った。

 「あれ?涼花ちゃん?」

 そう声を掛けられて、涼花は声のした方を見て、藤原君と呟いた。

 「家の前に突っ立って、どうかしたの?」

 「いや、ここが藤原家かって思ってなんか感慨深くて眺めちゃった。藤原君はこの家の片付けしてるんだっけ?まだしばらくこっちいるの?」

 「どうせヒマだし、こっち来るの久しぶりだから、暫く滞在してようかと思って。」

 「そうなんだ。ねぇ、ちょっと中入ってもいい?」

 そう聞くと元晴が少し考えるような素振りをしてからどうぞと言って中に案内してきて、涼花はからかうように笑った。

 「何?実はまだ全然片付けが済んでなくて見せるのが嫌とか?」

 「いや、ここはじーちゃん家って気持ちが強いから、勝手に人入れていいのかなとか思って。どうせ今俺しかいないし、じーちゃん死んでるから関係ないんだけどなんとなくさ。友達の家遊びに行って、ちょっと留守番させられてたら客が来て上がらせてもらってもいいなんて言われたみたいな気分?そんな感じ。」

 そう言いながら家の中に案内する元晴に何か違和感を感じて、涼花は藤原君なんか変わった?と声を掛けた。

 「いやー。実は肉体改造中でして。ほら、こっちって山の中で坂とか多いじゃん。同じランニングするでも地元戻ってやるよりここの方が運動になりそうだし、夏休み中鍛えて夏休み明けモテモテ計画を画策中なんつって。」

 「藤原君。もしかして本当は術師だったりとかしないよね?」

 そう訊いた瞬間、元晴が一瞬強張ったのを確認して涼花はいたずらっぽく笑った。

 「わたしも実は超能力者なんだって言ったら信じる?」

 「またまた、そんなこと言って。」

 「でも、もし自分が他の人と違うことができたら藤原君は自慢したいと思う?それとも隠したいと思う?」

 「両方?思いっきり自慢したい気もするし、人に言ったらバカにされそうだし隠しときたい気もするし。どうだろ。結局、黙っとくのかな。その方がかっこよさそうだし。」

 「でもさ、もし自分が他の人と違っていたとして。それを隠しておいたとしたって。自分が人と違うって事実は変わらないんだよね。打ち明けて受け入れてもらったとしても自分が人と違うって事は変わらないわけで、結局何も変わらない。藤原君のご先祖様が本当に奇跡体現を行ってたとしたら、実は面々と引き継がれてておじいさんが本当にその技術をつかえたんだとしたら、それを受け入れられない現代社会に生きるって事は、あなたのおじいさんにとってどんなだったんだろうね。」

 そんな話をしながら涼花は促されるまま居間に座って、出されたお茶を一口飲み、家の中に視線を巡らせて、綺麗に片付いてるねと呟いた。

 「片付いてるっていうか、本当に何もないっしょ。俺が来た時にはこんなだった。金になりそうな物は全部売り払って、それ以外は全部捨てちまったんじゃね。」

 「ならなんで藤原君が片付けに来たの?」

 「じーちゃんが遺言で何でか俺が相続人にしてたらしくて、それで。」

 「なのに、藤原君が来た時にはもうこれだけ綺麗さっぱりだったんだ。」

 「そう。マジでありえないだろ。誰がやったか知らないけど、マジで腹立つ。少しぐらい遺品残しといてくれてもいいのに。これじゃ思い出浸るもなにもあったもんじゃないから。何もないおかげで掃除は楽だったけど。」

 そう憤る元晴に涼花は適当に相づちを打ちながら、それにしても何もなさ過ぎるなと思った。索敵用の術式を使用して屋内の隅々まで調べて見るが、屋根裏や床下にも何もなかった。いや、屋根裏や床下なんて元々何もなくて当たり前なんだけどさ。にしてもよく作られた家だなと思う。風水的な位置取りだけでなく、気脈の流れを人工的に整えてあり、そこに住む人が健康にすごせるようにしてある。そんなことを考えながら気脈の流れを辿って涼花は蔵を見付けた。家の周りの比じゃない、何重にも術式が張り巡らされ、それが機能し続けるように自然の気脈から動力を常にとれるように細工がしてある。これは術者がいなくなっても余程の何かがなければ永続的に発動し続けるだろうな。全く中の様子が窺えない。下手に入ろうとしたら何が起こるかわからない。そんなことを考えて、何かあるならこの蔵の中だなと涼花は思った。その瞬間、何かの気配を感じ涼花はハッとした。

 「藤原君、この家って本当に藤原君一人?」

 「そうだけど。どうかした?」

 「いや、なんか誰かに見られてる気がして。」

 そう、何かに見られてる。確かに自分に敵意を持った何者かの気配を感じるのにその正体がわからない。もしかしてこの家の敷地内に自分達が探している何かが封じられている場所があって、出てこようとしているそれが封印の中から外をうかがってる?そんなことを考えながら注意深く気配を辿って、それが元晴に繋がっているのを認識して涼花は背筋が寒くなった。藤原君の中に何かいる。何かがわたしを警戒してる。藤原君は何も気付いてないみたいだけど、藤原君の中の何かはわたしが家の中を探ってたのに気が付いて敵意を持ってわたしの次の動きを観察している。

 「誰かに見られてるって。何それ怖いな。俺、ここで寝泊まりしてんだけど。」

 「いやいやごめん。藤原君の視線だった。藤原君わたしのこと見てたでしょ?」

 そう言うと元晴が飲もうとしたお茶を吹き出しそうになってむせ込んだ。

 「ご、ごめん。やっぱ凄い美人だなって。涼花ちゃんほどの美人なんてそうそういないし、つい目が行っちゃうと言うか、なんというか・・・。」

 顔を赤くして焦ったようにそう言う元晴を見て涼花は声を立てて笑った。笑われて、どうせ俺は女子に免疫ないよとふて腐れたように呟く元晴を見て、涼花は目を細めた。瞬間、涼花の頬を何かが掠めて通り過ぎそこから一筋の血が流れた。それを見て驚いたような顔をする元晴を見て、涼花は彼は本当に何もわかってないのかと思った。彼にかすかな殺気を向けたら、牽制するように攻撃された。なら。今度はあからさまな殺気を向けて見ると同時に、先ほどの攻撃とは比べものにならない疾風が巻き起こり、涼花はそれを術式を使用して防いで庭に退避し、そこにある気配の多さに分の悪さを感じて、空間移動で完全に撤退した。


 「お前、何してきたの?ただの下見のはずだろ。」

 戻った先で俊樹にそう言われて涼花は笑った。

 「藤原君に会ったついでにちょっと中見させてもらったら、あの家に住み着いてる何かに見つかっちゃってさ。」

 「で、怪我して戻ってくるとかバカじゃないの。」

 そう言いながら、見せてみろと言って怪我の手当をしてくる俊樹に、涼花は軽い口調で心配した?と訊ねた。それに対し俊樹が何も返してこないのを確認して、涼花は少し胸が苦しくなった。

 「俊樹。わたしには半分人間じゃない血が混ざってる。わたしは、ずいぶんと長生きするよ。年をとるのも皆よりずっと遅い。わたし達同い年なのに、俊樹がお爺ちゃんになる頃わたしはたぶんまだ今とさほど変わらない見た目をしてると思う。それでも、ずっと友達でいてくれる?」

 そうぼやくと、何言ってんだと呆れたように言われて、涼花はなにか諦めたように小さく笑った。

 「当たり前だろ、そんなの。」

 続けて言われたその言葉に、驚いて顔を上げる。

 「お前、俺以外にまともに友達いないくせに、また変な理由付けてぼっちになるつもりか?ぼっちでいたいならいたいで好きにすれば良いけど。」

 そう言われて笑いが込み上げてくる。なんだよと不機嫌そうに顔を顰める俊樹に、じゃあ友達でいてあげると言って、本気で苛つく俊樹を見て涼花は声を立てて笑った。

 「わたしは友達じゃなくて恋人でもいいんだけどな。」

 「お前のその性格直さない限り絶対ありえない。」

 そう言われて、涼花は心の中でわかってると答えた。わたしと付き合うつもりはないって、わかってる。それがわたしが半分人間じゃないからじゃなくて、わたしの性格が嫌だからだってことも。

 「俊樹。俊樹は戻って隆生(たかなり)よこして。俊樹は邪魔にしかならないから。」

 「下調べでなんか解ったのか?」

 「具体的には何も。ただ、藤原君が藤原家の何かを引き継いでるって事だけは確かだと思う。本人が自覚してるのかはわからないけど。彼が何も知らなくても、彼を護ってる奴を捕まえて吐かせれば何かわかると思う。」

 そう言う涼花をじっと見つめて、俊樹は解ったと答えた。

 空間転移で俊樹を特殊犯罪対策課の事務所に転移させようとすると名前を呼ばれ、涼花は彼を見上げた。

 「無茶すんなよ。」

 そう言われ、俊樹を空間転移で送り出し、彼が居た場所を見つめて涼花は小さく笑った。無茶するな、か。釘刺されてるのは解るけど、でもね。そう思って涼花は元晴の姿を思い浮かべた。彼には何かが憑いている。それを本人が自覚してるのかしてないのかは解らないが、それが良いことではないことだけは確かだった。憑いている者に害意はなくても、憑かれてる本人にとっては良くないことだ。確実に何かしらの影響は受ける。元晴に再会したときの違和感を思い出して、涼花は早めに手を打っておかないと取り返しがつかなくなるかもなと思った。でも、自分がしゃしゃり出ることじゃない。でも、このまま見過ごすのもなんだか後ろめたい気持ちになる。いつから自分はこんなお人好しになったんだろうな。そんなことを考えて、涼花は特殊犯罪対策課の仲間達を思い浮かべた。皆がいい人過ぎて、何かを見過ごすことが、見捨てることが後ろめたいなんて、わたしもすっかり毒されたな。そんなことを思って涼花は動き出した。


            ○                        ○


 元晴は蔵でツクモに詰め寄っていた。涼花と話していたときに起きた疾風。それを防いで姿を消した涼花。理解できないことだらけだった。

 「あれなんだよ。なんで急に鎌鼬みたいなのが起きて涼花ちゃんのほっぺ切れるわ、突風吹くわ意味分かんないんだけど。あれ、ツクモがやったの?」

 そう問われ、ツクモは呆れたように大きな溜め息を吐いた。

 「わたしが坊を護ると言っただろ。あの女が坊に殺気を向けたから、坊の身体を通してわたしがあの女を撃退したのだ。全く、警戒心が薄いにも程があるぞ。それでは先が思いやられる。」

 そう言われ、元晴は渋い顔をした。警戒心が薄いって言われたって、生まれてこの方そんな警戒が必要な事態に陥ったことないし。この平和な現代で生きてて警戒心バリバリの方がおかしいだろ。そう思うが、そんなことを言ったらまた棒で叩かれそうなので元晴は口に出さなかった。

 「なぁ。涼花ちゃんも人間じゃないの?それとも俺と同じ術師?」

 「解らん。人間の様でもあるが、人間でない様にも思える。ただ、ただ者でない事だけは確かだろ。」

 「もしかして涼花ちゃんが、お前達を襲ってる犯人だって事はあるのか?」

 「それはない。しかし、元晴のことを嗅ぎ回って坊にも接近してきた以上、警戒はしておいたほうがいい。もしかするとこの蔵の呪具が目当てかもしれんしな。」

 腕を組んで渋い顔をしてそう言うツクモを見て、元晴は疑問符を浮かべた。

 「ここにある呪具の多くは、生前元晴が間違った者の手に渡らぬように集め保管した物だ。これらを集めるために元晴は自分と同じ人間とも戦ってきた。元晴には人間の敵も多かった。」

 そう言って、ツクモは元晴に呪具とはどうやってできる物か知っているか、と問いかけた。

 「呪具とは、術者が自身の霊力を込めて作り出すものだ。つまり、術者の命を削って作られる。かつて葛霧の巫女姫は鬼が二度と過ちを犯さずすむようにと願って自身の霊力を七宝に溜め込み、それを加工して元晴が鬼の邪気を浄化する呪具を作った。鬼が心穏やかでいられるようにと願い呪具の材料を精製した巫女姫は、三十を迎える前に亡くなった。事故や病気でもなく、何者かに殺されたわけでもなく、命を削って呪具の材料を精製したために姫は若くして亡くなったのだ。かつて強い霊力をもって葛霧の国を護り続けていた葛宮家の中でもより強力な霊力を持って生まれた彼女でさえも、呪具一つ精製するだけでその寿命のほとんどを失った。呪具を作るというのはそれこそ命がけなのだ。その呪具が強力であればあるほど、それだけの霊力が込められている。そしてそれは葛霧の巫女姫のように自ら望み願って精製した結果とも限らん。より強力な呪具を作成するために、多くの術師が捕らえられ、命を捧げさせられた事実もある。ある術師の血脈はより強力な道具を生成するための実験に使われ滅ぼされたという噂もあるくらい、呪具を作るために人間は非情なことをしてきた。そしてそれを使うのは命を削った者ではない。そして、それらは我々魔物と戦うためだけでなく人間同士の争いのために使われていった。強大な力は人を狂わせる。それに、長らく人の手で人の欲にまみれて使われた呪具はそれ自体が穢れを纏ってしまっていることも多かった。穢れは移りそれを持つ者を蝕む。本来人を護るために開発されたはずの呪具はその名の通り、呪われた道具になってしまった。元晴はそんな呪具を集め、穢れを浄化していた。浄化できないものは、人が触れないようにこの蔵の奥に封じられている。ここにはそんな風に集められた数々の強力な呪具が治められている。」

 そう言ってツクモは元晴を見上げた。

 「強力な呪具は術師にとって至宝だ。自身の命を削ることなく奇跡体現が行えるのだからな。術師でなくてもそれを知っている者にとっては非常に価値のあるモノだ。この蔵の中身を狙う者は多い。だからこそ元晴はわたしをこの蔵の番人としておいたのだ。昔は蔵に押し入ろうとする輩が多かった。最近はほとんんどなくなっていたが、定治が亡くなった時、久しぶりに蔵を破ろうとする輩がいて追い払った。あの女はもしかすると、そういう連中の一味なのかもしれない。だから気を許さぬ事だ。」

 「それはどっちの台詞だろうね。」

 ツクモの言葉に被せるように涼花の声がしてツクモが大きく目を見開いて、元晴は固まった。

 「動かない方がいいよ。じゃないと、大切なご主人様の首が飛ぶ。」

 聞いたこともない底冷えのする冷たい声がして、首筋に冷たい刃物が突きつけられている感触がして、元晴は息を呑んだ。いつの間にか現れた涼花に拘束され首筋にナイフを突きつけられていた。

 「この状況でパニクらないって、藤原君ただ者じゃないんだね。」

 耳元で聞こえる涼花の声が知らない人物の声に聞こえる。これは本当にあの和気藹々と話してた涼花ちゃんなのか?

 「ねぇ、首ってそんな簡単に飛ぶの?」

 「こんな短刀じゃ無理だろうね。でも確実に命は奪える。」

 「本気で言ってる?」

 その問いをスルーされ耳元で涼花が笑う気配を感じて、元晴は背筋が凍った。

 「いくつか訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 「君はいったい何者なんだ?」

 「わたし?大学生っていうのは嘘だけど、実際はただの公務員だよ。」

 「うわっ、この状況でそれってすげー胡散臭い。」

 「この状況でそれって、藤原君はずいぶんと肝が据わってるね。」

 そう言いながら涼花が元晴を抱えたまま向きを変え、目の前で刃物の刃先がぴたっと止まって元晴はひっと小さな悲鳴を上げた。

 「ご主人様の命が惜しければ動くなって言ったのに、何してるの?本当に殺すよ。」

 ドスのきいた涼花の声と、それを聞いて顔を強張らせて武器を下ろす魔物の姿を見て、元晴は本当に涼花ちゃんは何者なんだと思った。

 「小娘。どうやってこの蔵に入った?」

 いつになく強張ったツクモの声がして、元晴はこの状況マジでやばいんだなと思った。

 「あなたが藤原君の中にいた人だね。人間に憑くなんてなにを考えてるの?」

 「わたしは坊を護ってるだけだ。」

 「藤原君。あなたは自分の状態を理解した上で受け入れているの?この人があなたに害意を持っていなくても、この人を内に忍ばせるということは確実にあなたを蝕む。最初会ったときと今じゃ気の質が全然違う。気の質が変わるって事は、認識や感覚が変わってくるってことだ。このままじゃあなたの感覚はどんどん人間から遠ざかっていく。それに、人の器で自分以外の魂を受け入れるなんて、器が壊れてもおかしくない。器が耐えきれなければ、あなたは死ぬ。彼があなたを護ってるつもりでも、それがかえってあなたを死の淵へ招き入れることになることだってある。術師なら魔物の言葉に耳を傾けてはいけないって教わらなかった?相手がこっちに害意を持ってるかどうかは関係ない。自分とは違う領域で生きている者だって認識を怠ってはいけない。人と同じように接し心を許し受け入れることは、とても危険なことだ。」

 静かにそう言う涼花の声を聞いて元晴が口を開く前にツクモが口を開いた。

 「承知している。それでも、今、坊を護るためにはこうするしか他ないのだ。坊は魔物に魅入られた。坊を魔物から護るためにはこうするしか他ない。それに、今我々が直面している危機から坊を護るためにも。坊は我らと共に戦ってくれると言った。坊がこれから相対する危機に比べれば少し人から離れてしまうぐらい大したことはない。それに、できる限り影響を及ぼさないように、また坊の器を壊さぬようちゃんと配慮し調整している。」

 そう言ったツクモの殺気が膨らんで涼花はとっさに術式を組んで攻撃に備えた。このまま藤原君を連れ去って一度撤退するか。いや、藤原君にはすでに奴が巣くっている。このまま藤原君を人質に話しを聞き出すか。いや、もう既に自分に彼を殺す気がないことがバレている。自分だけで逃げる?いや、それではここまで来た意味がない。涼花の頭の中をそんな思考がめまぐるしく駆け巡る間にツクモが攻撃を放つ。

 「甘く見るなよ小娘が。わたしをそこら辺の魔物と同じに思うな。」

 ツクモのその叫びと同時に元晴を防護壁が包み、涼花はそれに弾かれバランスを崩した所を鎌鼬に襲われた。術式で防御したものの吹っ飛ばされて、壁に衝突する前に空間転移で移動し体制を立て直した目の前に、殺気だった魔物達の姿を見て、涼花は苦笑した。

 「さて、どうする小娘?」

 「これは、一時撤退するしかないのかな?藤原君。わたしと来ない?事情はよく解らないけど、魔物のことに深入りするべきじゃない。普通の人でありたいならこっちに来て。事情を話してくれるなら、きっと協力もできる。」

 「黙れ!坊を誑かすな。坊は全て承知の上で我らと共に在ると決めたのだ。何を企んでいるのか知らんが、坊をお前には渡しはしない。さっさとここから立ち去れ。」

 そして涼花とツクモが無言の鬩ぎ合いになった。何か口を挟もうとすると、ツクモに坊は黙ってると怒鳴れられて、元晴は一瞬言葉を飲み込んだ。

 「あのさ、ちょっとぐらい涼花ちゃんの話しきいてもいいんじゃない?ここで聞くだけなら別にいいじゃん。」

「坊。小娘の言う通り魔物の言葉に耳を傾けるものではないが、人間の言葉もまた同じ。信用できん者の言葉にむやみやたらに耳を傾けるものじゃない。」

 そうツクモに一蹴されて元晴がムッとして何か言い返そうとすると、蔵の扉が開く音がして場がどよめく。

 「葛霧の・・・。どうやって扉を開けた?」

 そうツクモが呟いて、

 「隆生。」

 そう涼花が扉の前に立っていた人物の名前を呼んだ。

 「お前、今どういう状況だよ。」

 ツクモの疑問を無視して隆生が涼花に目を向ける。

 「えっと、打つ手間違えてピンチかな。」

 呑気な隆生の問いに涼花がそう答え、それを聞いた隆生が大笑いをした。

 「お前が手を間違えてピンチとかマジ笑える。慎重で小賢くて堅実な手しか打たないお前が、どうしたらそんなことになんだよ。」

 「うるさいな。というか、そんな呑気に大笑いしてるとこかよ。」

 そう突っ込む涼花に隆生は目を細めて、別に知り合いばっかだから問題ないだろと言った。

 「知らない奴もいるけど、ほとんど知り合いだ。お前も会ったことあるだろ。特に今険悪な雰囲気漂わせてるツクモなんか、お前ガキの頃に遊んでもらってただろ。」

 そう言われて、涼花はいつの話しだよと呟いた。

 「俺が父さんと龍籠戻ったの五歳の時だよ?しかも何百年前の話してんの。覚えてないよそんなん。」

 そう言う涼花にツクモが不思議そうな視線を向けた。

 「葛霧の鬼の子供?いや、子供は息子ではなかったか?母親似で娘子のような愛らしい顔つきはしていたが。そうだ。確かに男の子だった。小太郎(こたろう)という名の男の子だったはずだ。」

 ツクモのその言葉を聞いて元晴が、え?涼花ちゃんって男だったのと呟いて涼花を見た。

 「確かに胸はそんなにないけど、でも全くないわけじゃないし。いや、詰め物とか?すでに手術済みとか・・・。」

 「藤原君。本気で考えないで。っていうか、人の胸ジロジロ見ないで。わたし正真正銘女だから。」

 そう涼花が不機嫌そうに言って、元晴は焦って平謝りした。

 「いや、でもさっき俺って。え?どういうこと?あの人のこと名前で呼んだり、父さんって言ったり。何百年前って、涼花ちゃんってやっぱ人間じゃないの?」

 本気でわけがわからないといった様子で頭の上に沢山疑問符を浮かべる元晴を見て、涼花は大きな溜め息を吐いて、少し困ったような顔をしてごめんと謝った。

 「信じられないような話しだろうけど、わたし、前世の記憶を持ってるの。しかも、自分の魂が最初に生を受けてからこれまでの全部の記憶。今は杉村涼花っていう女性として生きてるけど、古い知り合いにあったりするとどうしても昔の記憶に引っ張られるのよ。」

 元晴にそう言うと涼花は視線を隆生に向けた。

 「彼は、田中隆生(たなかたかなり)。ちょっと複雑なんだけど。この身体に生まれる一つ前は、わたしあの人の息子だった。そして、そのもう一つ前は彼の上官だった。だから彼に対しては上官だった時の記憶と息子だった時の記憶がごちゃごちゃになって、変な風になっちゃうの。」

 そう言われて元晴は、解ったような解らないようななんとも複雑な心境になった。色々とついて行けない。涼花ちゃんとツクモの戦闘とか。アレが術師や魔物の戦いなんだろうな。自分もあんなことしなきゃいけないのか。マジ、できる気しねー。そんなことを考えながら、元晴は軽い調子で笑いながら話す隆生と、そのテンポにつられてどこか和やかな雰囲気で話す面々を眺めていた。これが初代藤原元晴が出てくる和葉姫伝説に出てくる葛霧の鬼か。伝説だと鬼とご先祖様に接点なかったけど知り合いだったのか?あーそういえばツクモが知ってるようなこと言ってたっけ。鬼っていうくらいだからもっとこう恐いの想像してたけど、なんて言うか人懐っこそうな奴だな。角も生えてないし。ってか、俊樹とタイプ違うけどこいつも長身イケメンだよな。絶対モテそう。そんなことを考えて少し気分が塞ぐ。

 「で?結局、涼花ちゃん達はなんなの?ツクモの知り合いって事は敵じゃないんでしょ。」

 どうでも良さそうにそう元晴は呟いた。

 「あぁ、そうだった。元晴に助けてくれって夢枕に立たれたんだが、なんか変わったことないか?何でも、なんか大昔に封印したヤバいのが出てきそうだとかなんとか。」

 隆生のその言葉を聞いてツクモの顔が陰る。そんなツクモにちらりと見られて、元晴は疑問符を浮かべた。

 「なんだよ。俺に話しにくい事かよ。俺にも関係あることだろ。」

 「そうだな。いや、葛霧の鬼が来てくれたのならもう坊に無理をさせなくても良いかもしれん。」

 「なんだよそれ。ここまで来て俺は除け者かよ。」

 「坊を実戦に出すにはまだ不安があるし、それに実戦に出せば坊を危険にさらしてしまう。坊の命を削らせてしまうことにもなる。坊にそんなことをさせずにすむなら、その方が良いだろ。」

 「なんだよ。強い奴が来たら俺は厄介者かよ。ここまで必死に修練つんだっつーのに。結局、お前等が抱えてる問題も教えてもらえなくて、安全なとこにいろって。ふざけんなよ。」

 「しかしな。」

 「しかしもくそもあるか。俺が今の藤原の当主だ。藤原の問題は俺の問題だろ。お前等の問題は俺の問題だろ。よそ者頼って俺は蚊帳の外かよ。俺にも教えろ。今更蚊帳の外はなしだ。最後まで俺はお前等と行く。俺にも戦わせろ。」

 少し語気を荒げてそういう元晴をツクモはじっと見つめた。そして暫く視線を交わしあい、元晴が舌打ちをして蔵を出て行く。

 小さくなっていく元晴の後ろ姿を眺めて、隆生が良いのかとツクモに視線を向けた。

 「あの通り、坊はまだ若く未熟だ。才覚は認めるところではあるが、とても実戦に出せる状態じゃない。戦わせずにすむならそれに越したことはない。」

 どこか悲しげにツクモはそう言って、それに坊に何かあればすぐ解るようにわたしが憑いている、少し一人にさせておいてもいいだろと続けた。

 「葛霧の鬼よ。お前がここを去った後の話だからお前はしらんだろうが、大昔この国を火の海に沈め滅ぼしかけた強大な魔物がいた。それが此度の脅威、千年妖狐だ。奴はもともと我らと同じ藤原の魔物だった。それが狂い、暴れだし、元晴は我々の総力を持って封じたのだ。それがいま出てこようとしている。あやつが蘇れば間違いなく今度こそこの国は本当に火の海に飲まれ全てを燃やし尽くされるだろう。」

 「藤原の魔物って事は、元晴に術で縛られてたんだろ?それがどうしてそうなった。」

 当然の隆生の疑問にツクモは辛そうに顔を顰め俯いた。

 「娘を救うために、あやつは理性を捨て完全なる獣になったのだ。そして制御が効かなくなり、暴走した。」

 そう言ってツクモは昔話を語り始めた。

 「千年妖狐はわたしも知らぬほど遠い昔に、天帝の一人に付き従って地上に降りてきたという狐の末裔で、それは美しく愛情深い魔物だった。獣でありながら理知的で人に叡智を授ける存在だった。しかし、我らが時代、魔物という者はその存在の善し悪しに関わらず淘汰されるのが常の時代。千年妖狐もまた人に追われ、人に化け人の中に身を隠しながら過ごしていた。しかしどれだけ上手く人に化けようと、その妖力の強さから完全に人に混ざる事はできず、見つかり追い詰められ、そんな時に元晴と出会った。千年妖狐は穢れを持たぬ魔物だったが、人から護るために元晴は彼女と契約した。首輪が付けられていると明確にすることで人に害を成さないと証明させたのだ。彼女はそれはそれは元晴の力となってくれた。彼女の力添えがあってこそ、あの頃の我らは元晴の元で安定し安心して過ごしていた。あれは美しく幸せな時期だった。戦いに明け暮れた元晴の人生の中で一番穏やかな時だった。千年妖狐には娘が二匹いた。あの頃はまだ子狐で、とても可愛らしい娘達だった。娘達は我らの希望だった。いずれは人間と魔物の間を取り持つ橋渡しとなるべく、人の中で人の子と同じように育てられた、術に縛られずとも人と絆を結ぶことができのだと証明する希望だった。」

 そう言ってツクモは本当に懐かしそうに目を細め、そして一度目を瞑り、何かを噛みしめるように胸に手をやって、ゆっくり目を開いた。

 「我ら魔物と共存しようなどという元晴には敵が多かった。元晴は常に狙われていた。そして元晴の力である我らも、淘汰されるためでなく利用するために狙われていた。あるとき、ついに奴らが動き出した。一番の狙いは千年の時を生き膨大な知識と力を持った千年妖狐だった。奴らは、やんちゃ盛りで度々我らの目をかいくぐり化け術を使って村を抜け出し街に遊びに出ていた子狐達を攫った。そして一匹が死なない程度にボロボロにされ、伝令役として戻ってきた。それを見た千年妖狐は発狂し、もう一匹を取り戻すために飛び出して行き、そして奴らの手に堕ちた。我らはどうにもできなかった。何が起きたかは知らない。我らが千年妖狐の居場所を突きとめたのは、彼女が暴走し、元晴との契約を強制的に破った時だった。術を破られた余波で元晴が負傷し、術が破られた形跡を辿って居場所がわかったといった方が正しい。我らがそこに辿り着いたときには、もう我らが知っている彼女はいなかった。子供の死骸をまるで護るかのように自分の内に起き、瓦礫の山の中で人を食い荒らす獣がいた。そして獣の咆哮と同時に辺りは一瞬で火の海と化した。もう誰の声も彼女には届かなかった。穢れを持たなかった彼女の魂はすっかり穢れに塗れ、穢れに塗れた彼女の怒りは世界を滅ぼさんとしていた。我らでは彼女を倒すことは敵わず。我らの中でも強力だった何体かの命を犠牲に、更に十八体をを柱に立て、元晴自身命のほとんどを削って彼女を封じた。穢れに堕ち狂った彼女を救う術はない。だから、決して封印が解かれぬようにそれを護り続けるのが我らに役目になった。柱となった者を護るために、その数だけ守護者を置き、元晴亡き後もずっと封印を護り続けて来た。それがいま破られ、千年妖狐が復活しようとしている。長きにわたる封印で消耗しているであろう今の彼女相手なら我らでも勝機があるかもしれないと、そんな希望だけを胸に我らは無謀な戦いに挑もうとしていた。それに坊を巻き込もうなどと、坊の優しさにつけ込んで、坊の才覚に賭けてみようなどと思っていた。坊を我らと共に共倒れさせようとしていたのだ。勝算が生まれた今、坊にそんな無茶をさせる必要は無い。」

 「つまり、あいつがもし熟練した術師だったとしても太刀打ちできない様な相手だから戦わせたくないってことか。過保護だな。」

 そう呟いて、隆生はツクモを見下ろし、それであいつが納得するかねと言葉を投げた。

 「あの様子じゃ、戦闘になった後に割ってくる可能性もあるぞ。そうしたら色々厄介だ。呼び戻してちゃんと説明してよく話し合えよ。それでも一緒に戦うって言うなら、連れて行くべきだろ。あいつの命はあいつのもんだ、自分の命の使い方ぐらい本人に決めさせろ。あいつも右も左も解らねーような全くのガキじゃねーだろ。昔ならとっくに成人して一人前になってる年だ。あんまり甘やかすな。」

 そんな隆生の言葉を聞いてツクモは渋い顔をした。

 「なんだよ。他になんか気がかりがあんのか?」

 「千年妖狐の封印を解くために我ら藤原の魔物を襲っているのは、多分、生き残った方の娘っ子なのだ。そして、坊はそやつと会って縁ができてしまっている。千年妖狐との戦いには、娘っ子との戦いも必然。優しい坊の初陣に縁のできた者と殺しあえなどと・・・。」

 「でも、それをさせようとしてたんだろ。中途半端に隠すからこうなる。最初から全部説明してやれよ、そういうことは。」

 そう言って、隆生は面倒臭そうに頭を掻いた。

 「とりあえず、封印の十八柱の位置を教えろ。狙いがそこならそこで待ち伏せすれば、封印解こうとしてる小娘とっ捕まえられるだろ。どうせその様子だと小娘の方にもろくに説明してないんだろ、自分の母親がどうなっちまったのかとか。他にもなんかありそうだけど。まったく、めんどくせぇ。」

 そう吐き捨てて隆生は封印の位置を確認すると、これ借りるぞと言って呪具の弓矢を手にし、動き出した。

 「そうだ。状況次第だが、どんな理由があろうと俺は容赦なく小娘も母親も殺すからな。もしお前のとこの坊主が邪魔しようってんなら、坊主も殺す。俺に坊主殺されたくなきゃ、ちゃんとしろよ。」

 蔵を後にする前に一度立ち止まり、ツクモを振り返ってそう言い残し隆生は去って行った。それを見送って、ツクモを一瞥し、涼花が口を開く。

 「わたし、藤原君を探してくる。ああやって出て行った藤原君があなたの言葉をまともに聞くとも思えないし。」

 その言葉を聞いて、ツクモがハッとした顔をして涼花を見上げる。

 「あぁ、そうだな。坊のことを頼む。」

 そんなツクモの言葉を聞いて涼花も蔵を後にした。

 蔵を出て、涼花は空を見上げた。自分より先に出ていった隆生を思い浮かべ、視線を落とす。皆が皆お前みたいにはなれない。自分に後ろ暗いと思うことがあれば隠したいと思うし、自分が傷つきたくないから知られたくないとか、相手に傷ついて欲しくないから知って欲しくないとか、現実と願望と、願いと真実と、そんなものの間にはさまれて色々人の感情は複雑で、皆が皆お前みたいに単純じゃないんだよ。言ってることは正しいと思うが、割り切れないものだってある。お前みたいに強くあれる奴の方が少ない。考えてもせんのないことを考えるのを放棄したってお前は簡単に言うけど、そうは思っても考えずにはいられないのが人の性で、それに足をとられて立ち止まったり、間違った選択をしてしまうのも人の性で、それを考えずにすむっていうのは結構すごいことなんだって、お前には解んないんだろうな。そんなことを考えて涼花は一つ溜め息を吐いた。

 「さて、藤原君にどう話を切り出そうかな。」

 そう声に出して、一つ伸びをして、涼花は術式を展開させて元晴の気配を追った。


            ○                        ○


 「ねぇ、なんで邪魔するの?わたしはただ母様に会いたいだけなのに。なんで皆意地悪するの?」

 少女は血まみれで横たわる死体の傍らにしゃがみ込んでそれにそう問いかけた。

 「昔は仲良しだったのに。なんで?なんで皆わたしを除け者にするの?どうして母様はまだ出てこれないの?もうアレから沢山時間が経ったよ。母様だってもう怒ってないよ。だって、もうわたし達に酷い事した人達もとっくに死んじゃったし。母様だってきっとわたしに会いたいって思ってくれてるはずだよ。なのに、なんで邪魔するの?わたしのこと嫌いになっちゃったの?母様のこと嫌いになっちゃったの?わたしが何かしたの?母様が何かしたの?どうして。どうして、皆仲良しだったのに・・・。」

 そう言う少女の目から涙が溢れてきて、それは止めどなく溢れてきて流れ落ちた。

 「どうして。どうして。帰りたいよ。どうして。元晴。元晴。わたし、皆の所に帰りたい。帰りたいだけだったのに。皆と一緒にいたかっただけなのに。また皆と昔みたいに仲良くしたいだけなのに。どうして皆酷いことするの?なんで母様に会っちゃダメっていうの?なんで、母様と会うの邪魔するの?」

 そう声を上げながら少女は泣き続け、そして幽鬼のように危うい雰囲気を漂わせ立ち上がると虚ろな足取りで歩き出した。

 「そうだよね。あと少しで、母様に会える。母様。待っててね。母様なら。母様なら、きっとわたしのこと受け止めてくれるよね。おかえりって、優しく撫でてくれるよね。昔みたいに。もう言いつけ破って勝手に遠くに遊びに行ったりしないから。ちゃんと良い子にするから。母様。母様。母様に会いたいよ。みんなが意地悪するの。意地悪なこと言うの。母様が厄災なんて嘘だよね。母様に酷いことする皆なんか全部やっつけて、わたしが今出してあげる。そしたらまた、一緒に暮らせるよね。母様。」

 譫言のようにそんなことを言いながら少女は次の場所へと歩き出した。

 子供の頃は幸せだった。皆仲良しで。皆優しくしてくれて。母様も、元晴も、皆、皆笑ってたのに。どうしてこうなっちゃったんだろう。そんなことを考えて、母と引き離されたときのことを思い出す。ふと目を覚ますと外が騒がしかった。皆大怪我を負っていて、その真ん中で元晴が倒れてた。どうかしたのって声を掛けて、それで・・・。

 『お前の母親のせいだろ!』

 そんな怒鳴り声が頭の中に蘇って少女はハッとした。そして、また目から涙が溢れてくる。

 『大丈夫。お前達のせいじゃない。お前だけでも無事で良かった。』

 そう言って優しく頭を撫でてくれた元晴を思い出して、少女はその場にしゃがみ込んで、膝に顔を埋めて声を立てて泣いた。

 「元晴。わたしも元晴の魔物にして。」

 『すまない。もう俺にはそれだけの力は残ってない。』

 「元晴。わたし、元晴の家族になりたい。」

 『術で縛り合わなくても、お前は俺の家族だよ。俺たちの希望だ。どうか、真っ直ぐ育ってくれ。』

 「元晴。家族なら、どうしてわたしは皆と一緒にいられないの。お姉ちゃんは死んじゃったって。母様はそのせいで怒って暴れちゃったんでしょ?怒りがおさまったら、また出てくるって、また一緒に暮らせるって言ってたのに。なのに。嘘つき。元晴。どうして傍にいてくれなかったの。寂しかったよ。怖かったよ。あの時、皆が怖くて、わたし逃げちゃったんだけど。だけど、どうして追いかけてきてくれなかったの。どうしていなくなっちゃったの。どうしてわたしを藤原の魔物にしてくれなかったの。してくれれば、わたし一人にならないですんだのに。元晴。元晴なんて大っ嫌いだ。大っ嫌い。元晴がいなくなっちゃたから皆おかしくなったんだ。優しかった皆が怖い人になって意地悪するようになったんだ。それでわたし皆といられなかったんだ。全部、元晴が悪いんだ。元晴、戻ってきてよ。わたし、皆の所に帰りたい。母様みたいに強くなって役に立つようになったらまた一緒にいられるかと思ったのに。なんで。どうしてダメなの。どうして。どうして死んじゃったの。わたしが戻ってきたときには元晴いなくなったんじゃなくて死んじゃってたの?どうして。皆優しかったのに。どうして皆わたしをあんな目で見るの。どうして皆酷いこと言って意地悪するの。どうして母様に会わせてくれないの?わたしの家族はもう母様だけなのに。なんで・・・。」

 思い出と会話しながら、少女はずっと泣いていた。そして後ろでガザガザ草をかき分ける音が聞こえて、顔を上げてその方を見た。

 「元晴?」

 そこに現れた人物を見て少女は呟いた。

 「君は・・・。」

 そう呟く彼を見て、そうだこれは元晴じゃないと思う。臭いも形もよく似てる。でも元晴じゃない。元晴の血を継いだ、ただのそっくりさん。

 「血まみれだけど、大丈夫?どっか怪我したの?」

 そんなことを言いながら駆け寄ってくる姿が自分の知ってる元晴と重なって、また涙が出てきた。

 「え?そんな痛むの?ちょっと待って。なんか傷塞ぐものとかあったっけ・・・。」

 焦りながらそんなことを言う彼が、自分の知ってる人と違うと思うのに酷く懐かしく感じて抱きつく。

 「わたしは怪我してない。皆が意地悪するから、だから。わたしは母様に会いたいだけなのに。皆が会わせてくれないで、意地悪するから、だから・・・。」

 「殺した?」

 さっきまでの優しい雰囲気と打って変わって、恐怖に強張った声でそういう彼の声を聞いて、少女は顔を上げた。

 「うん。邪魔する人は皆、殺しちゃった。」

 視線を合わせた彼の目に恐怖の色を見て少女は、どうしてさっきまで心配してくれてたのに怖がってるんだろうと思う。

 「もしかして、藤原の魔物を襲ってる犯人って・・・。」

 「藤原の魔物?もしかして、元晴が使役してた皆のこと?そうだよ。昔は皆優しかったのに、酷いこと言ってわたしが母様に会うの邪魔するから、だから邪魔してきた人はわたしが皆殺したよ。」

 「じゃあ、封じられてる凶悪な魔物って・・・。」

 その元晴の言葉に反応して、少女の怒気が膨らんだ。

 「母様は凶悪な魔物なんかじゃない!」

 その叫び声と共に元晴は吹き飛ばされた。

 「母様は優しくて、頭が良くて、とても強くて。母様は人を傷つけたことなんかない。いつだってわたし達を追い詰めるのは人間の方だ。なのに。そんなこと言うなんて、お前はやっぱ元晴じゃない。元晴はそんなこと言わない。」

 怒りに身体を震わせそう睨み付けてくる少女を目にして、元晴はちょっと待ってと手を前に出した。

 「俺はそう聞いたからそう言っただけで、別に君のお母さんが悪い奴だって言ってないから。思ってないから。ってか、君のお母さん知らないし。」

 場にそぐわない軽い調子でそう言う元晴を見て、少女がきょとんとした顔をした。

 「俺、何も解らないからさ、話聞かせてよ。もしかしたら力になれるかもしれないし。」

 「わたしの力になってくれるの?」

 「力になれるか解らないけど。でも、お母さんに会いたいだけなんでしょ。ダメって言われたからって、相手殺すなんて物騒だって。もしかしたら話し合いでなんとかなるかもしれないし。一応、俺、今の藤原の当主だから、俺が間に入ればなんとかなるかもしれないだろ?藤原の魔物相手なら強制力も効くし、名前が解ればだけど。もし物騒な事になっても俺が抑えれば殺し合いになんてならないじゃん。その方が良くない?」

 「どうして?お前は元晴じゃないのに。なんで優しくしてくれるの?」

 「え?だって、君、その俺の名前の元になった方の元晴って奴の魔物になりたかったて言ってたし、敵じゃないんでしょ?うちの連中とも知り合いみたいだし。それがなんでこんな壮大な喧嘩になってるのか解らないけど、なんかすれ違ってるだけなら、和解して皆仲良くできた方が良いじゃん。いや、こんだけして仲良くできるのかわかんないけど。魔物同士の喧嘩ってこんな感じなの?ちょっと、俺には理解できない。理解できないけど、理解できないからさ。解りたいと思って。」

 そういう元晴から恐怖の色が消えていて少女は首を傾げた。心配したり、怯えたり、今度は何?この人は何を考えてるの?そう思って、彼の思考を読み取るために彼の目を覗き込んで、少女は疾風に吹き飛ばされた。

 「ツクモのおじちゃん。」

 忌々しげに少女がそう口にする。

 「騙したの?力になってくれるって騙して。わたしを殺そうとした。」

 「違う。」

 「じゃあ、なんでツクモのおじちゃんでわたしを攻撃したの?」

 「俺がしたんじゃない。」

 「信じない。やっぱりお前は敵だ。お前もわたしの邪魔をする敵なんだ。やっぱり、わたしにはもう母様しかいないんだ。母様に会う邪魔をしないで。」

 そう言う少女から殺気がにじみ出て元晴は息を呑んだ。ヤバい。ヤバいのは解る。でも、どうしたら・・・。

 「俺が、君の元晴の代わりに君を受け入れる。初代元晴の代わりに俺が君を藤原の魔物に受け入れるから。ツクモは俺を護ろうとしてるだけで、君が危害を加えないって解ればなにもしない。だから、俺のとこにきてよ。それで、一緒に考えよう。皆が納得して、こんなことしなくてもお母さんと会う方法をさ。」

 「嘘だ。そうやってまた騙すんだ。もう、わたし騙されない。皆嘘吐きだ。皆、大っ嫌いだ。」

 そう叫ぶ少女の目から涙が飛び散って、元晴は胸が痛くなった。この子は本当にお母さんに会いたいだけなんだ。なのに、どうしてこんなことになってるんだろう。どうして。

 「嘘じゃない。俺が力になる。他の奴がなんて言っても俺は君の味方になるから。だから、話しを聞いてくれ。こんなこと止めてこっち来て。こんなことしたって、皆との溝が広がるだけで良いことないって。だからさ・・・。」

 「うるさい!」

 少女の叫び声と同時に爆風に襲われて元晴は、これは俺死んだなと思った。案外、自分が死ぬ瞬間って冷静って言うか、あっけない・・・。

 「って、俺生きてる?」

 「間一髪だけどね。藤原君って、バカなの。未熟でも一応は術師でしょ。少しは応戦するなりなんなり対処しなよ。」

 呆れたような涼花の声が聞こえて、元晴は声のした方を見上げた。

 「これ、どういう状況?涼花ちゃんがスカートだったらばっちり中丸見えだけど、どうしたらこういう状態で俺寝っ転がってるの?」

 緊張感のない元晴の言葉に涼花があからさまな溜め息を吐く。

 「あの子が攻撃仕掛けてきたのとわたしが藤原君見付けて藤原君の傍に空間転移で現れたのがほぼ同時だったから、とっさに術式展開させて防御しつつ藤原君の事足蹴にして空間転移で逃げたらこうなってたの。」

 そう言われてお礼を言う。

 「俺、行かないと。」

 「何処に?」

 「あの子止めに。」

 「どうやって?」

 「解んないけど。でも、きっとなんか誤解があるだけで、本当はこんなことしなくてもすむはずなんだよ。だから、これ以上あの子がうちの連中殺す前に止めないと。」

 「さっき殺されかけたのに?」

 「それは、ちょっと勘違いでカッとしちゃっただけでさ。ほら、悪気があった訳じゃないし。」

 「悪気がなければ自分殺そうとしたのも許すの?藤原君ってお人好しにも程があるんじゃない。」

 心底呆れたという風な涼花の言葉を聞いて元晴は笑った。

 「だって、相手は人間じゃないからさ。俺たちの常識とは違う常識で生きてる訳じゃん。どうしてそうしてるのか解らないままただ危険だから殺すってんじゃ、共存なんてできない。なんかよく解らないけど、藤原家って魔物との共存を目指してた術師の家系みたいだからさ、藤原の当主なら一緒にいられる道をぎりぎりまで模索するべきかなって。それに、あの子泣いてたから。かわいい子か泣いてたら、やっぱ男としてほっとけないじゃん。」

 軽い口調でそういう元晴を見て、涼花は心の底から深い溜め息を吐いた。

 「藤原君って、本当バカ。」

 「褒め言葉って受け取っておく。」

 そう言う元晴を涼花は目を細めて見た。

 「藤原君は案外大物かもね。」

 そう言って、涼花が目を伏せる。

 「状況はかなり悪い。正直、あなたにはどうにもできないと思うよ。っていうか、もう終わってるかも。」

 そう言って、涼花は蔵で聞いた話しを元晴に話した。邪魔をするなら元晴のことも殺すと言った隆生の言葉も、そう言うからには本当に彼は容赦しないだろうということも。

 「あの子のあの姿、隆生の奥さんそっくりなんだ。敵と認識してる魔物が奥さんの姿をして目の前に現れたら、自分を躊躇わせるためにわざとそんな姿で現れたって思ってかっとなるんじゃないかな。隆生はきっと最後の柱で待ち伏せしてるだろうし、時間の経過を考えてもう交戦になっててもおかしくない。そうなってたら確実にもうあの子はやられてる。隆生、強いから。」

 そう静かに話す涼花の言葉を聞いて、元晴はじゃあすぐ行かないとと立ち上がった。

 「だらだらしてる余裕ないじゃん。さっさと行こう。」

 「何?わたしも付き合うの前提なの?」

 「だって、涼花ちゃんの空間転移がないとどう考えても追いつかないし。」

 そう言って笑う元晴を見て、涼花も小さく笑った。

 「しかたがないから付き合ってあげる。」

 そう言って、元晴の手を取る。本当バカ。でも、いつだって何かを変えるのはバカみたいな奴なんだよな。そんなことを考えて、涼花は自分が今所属する特殊犯罪対策課の課長の顔を思い浮かべた。まったく、勝率の低い賭けに賭けるのは趣味じゃないのに、浩文(ひろふみ)さんのせいでわたしバカに賭けてみたくなっちゃったじゃないですか。わたしが窮地に立たされてたとき、貴方がバカみたいに真っ直ぐわたしを助けに来てくれたから。それでわたしは命を救われてしまったから。だから、藤原君にもヒーローになるチャンスくらいあげたって良いですよね。本当、こんなのわたしらしくない。本当、わたしすっかり皆に感化されちゃったんだな。そんなことを考えて、特殊犯罪対策課の仲間達の顔が頭をよぎって、涼花は蔵で見た十八柱の位置を思い出し、空間転移する座標を何処にするか考えた。

 「出た先がどうなってるか解らないから、どんな状況でも対処できるように準備しておいて。送りはするけど、その後は助けないから。」

 そんなことを言って、そんなことを言いつつ今の自分は何かあったら彼を助けそうだなんて考えて涼花はおかしくなった。

 「解った。頼むよ。」

 そう言う元晴の言葉を聞いて、涼花は自身の能力を発動させた。そして空間転移で出た先で涼花は疑問符を浮かべた。

 「涼花ちゃん。場所、ここであってる?」

 そう問われ、間違いないはずだけどと曖昧な返事をする。何もない静かな森の中。術式で自分の位置を確認しても、確かに最後の柱がある場所に立っている。蔵で確認した地図の座標を間違えた?そんなことを考えて、涼花はハッと自分の思い違いに気が付いた。

 「藤原君。場所は間違ってない。ただ、ここはもう誰かの術の中だ。」

 そう、静かすぎる。この静けさは外部からの干渉を制限する結界ないしはそれに類似する術式が展開されているとき独特のものだ。本来外部から干渉できないようにされているはずの場所であっても、神の力である涼花の空間転移での侵入は防げない。だから侵入できた。

 「この系統の術式が展開されてるって事は戦闘中?にしても静かすぎる。戦闘が繰り広げられてる気配がしない。そもそも生き物の気配さえしない。」

 涼花がそう呟いて、二人に緊張が走る。

 「そんなに強張らなくても大丈夫だよ。何もないから。」

 そう場違いで脳天気な声が聞こえてきて、涼花が怪訝な顔をした。

 「沙依(さより)?」

 「久しぶり。元気そうだね。」

 そう言ってそこに現れたのはターチェの国である龍籠の第二部特殊部隊隊長、青木沙依(あおきさより)だった。

 「内緒で来てるから、わたしが来たって言わないでね。まぁ、ナルやコーエーにはばればれだろうけどさ。現在進行形で隆生の邪魔してるから、バレたら帰ってから隆生に怒られそうだし。隆生に怒られるの嫌だし。一応気付かれないように、隆生には狐の仕業に見せかけて、狐には隆生の仕業にみせかけて二人の邪魔してるんだけどね。つまるところただの時間稼ぎなんだけどさ。ちょっと話がしたくて。」

 どうでも良さそうにそう言うと沙依は元晴に視線を向けた。

 「正直迷ったんだ。隆生は送り込んだし、わたしが出しゃばるかどうか。でも、やっぱり君と話ししといた方が良いかと思って。これからのためにもね。」

 そう言う沙依に全てを見透かされそうなほど綺麗に澄んだ黒い瞳で真っ直ぐ見つめられ、元晴は背筋が寒くなった。何、この現実離れした美人。普通に会ったら、すげー綺麗な子だなで終わりそうなのに、この目が怖い。あの子に覗き込まれたときは自分の中に入り込まれた感じがして気持ち悪かったけど、この子のは違う。見られてるだけで全部見透かされてるみたいな感じがする。絶対的な何か。目だけじゃない。この子の存在自体が怖い。そんなことを考えて元晴が何も言えないで固まっていると、涼花が口を開いた。

 「お前の行動いつも意味が解んないんだけど。今回は何が目的なの?」

 「なんかその言いよう非難されてるように聞こえるんだけど。酷いな。わたしはいつだって皆の幸せを一番に考えてるのにさ。」

 「無自覚トラブルメーカーが何言ってんだよ。」

 「本当、わたし信用ないな。悪い事なんて何もしてないつもりなんだけどね。」

 そう言って沙依は一つ溜め息を吐くと、視線を明後日の方に向けた。

 「わたしには解らない。何が正しいのか。どうすることが一番良いのか。だから、聞きに来たの。貴方はどうしたいのか。その先に何があっても、それでもそれを成したいのか。」

 独白のようにそう呟いて、沙依はまた元晴を真っ直ぐ見つめた。

 「貴方が願いを叶えようとすれば、貴方は人間を辞めることになるよ。その覚悟が貴方にはあるの?」

 静かに響くその声が真っ直ぐ耳の奥に入ってきて、元晴は目を見開いた。

 「好きなようにすればいい。それは貴方が選ぶことだから。でも、覚えておいて。人間を辞めてもなお貴方が貴方のままでいるためには、決して主導権を譲ってはいけない。どんな時も決して、自分が自分であることを譲ってはいけない。自分という認識を手放してはいけない。自分という認識を他者に譲ったら最後、貴方は二度と貴方には戻れない。例えその記憶が継続されても、今の貴方という存在はこの世界からいなくなる。」

 そう言って、沙依は困ったように笑った。

 「本当に、わたしには何が良いことなのか解らないんだ。だからここまで来たけど今もまだ迷ってる。だから貴方が決めてよ。どうしたいのか。それ次第でどうするのか決めるから。」

 そう決断を迫られて、元晴は心を決めた。

 「俺はあの子を止めに行く。これ以上あの子に殺しをさせないし。あの子を誰にも殺させない。」

 「言うほど簡単じゃないよ。」

 「それでも、ここで行かなきゃ絶対後悔するから。そんなもん背負って俺はこれからの人生を生きていきたくない。」

 その元晴の言葉を聞いて、沙依は笑った。

 「じゃあ、隆生との戦い方を教えてあげる。」

 沙依のその言葉を聞いて涼花が怪訝そうに顔を顰めた。

 「隆生の能力の正体は空気の消滅。真空状態を作ってそれを利用して色々してるんだよ。どれくらいの範囲で能力の行使が可能なのかとか細かいことは知らないけど、あいつと戦うなら空気の流れを常に作っておかないと、ふと気が付いたら身体が裂けたなんてことになりかねないから気をつけて。でも隆生はさ、能力使わなくったって本気出せばわたしと同等かそれ以上の実力があるから、部が悪いことには変わりないけどね。本当、本当は強いのにさ、なのに近接戦は得意じゃないとか言いながらいつも手加減してきてさ。訓練所でまともに相手してきたことないし。いつもわたしばっか本気で突っかかってバカみたいじゃん。まぁ、その後甘味奢ってくれるし、甘味食べてるうちにそれに腹立ててたのどうでも良くなるんだけど。でもさ、いいかげん手加減なしで相手してくれても良いと思うんだ。あ、なんかこの話してたらムカついてきた。やっぱがっつり出しゃばってわたしが隆生の相手するか。」

 「おい。話それてるし、そんな事したら帰った後たいへんな事になるぞ。そもそも隆生の能力とかホイホイ外の奴に教えて良かったのか?その時点でお前締め上げられるだろ。」

 涼花のその言葉を聞いて沙依が固まった。

 「隆生は能力の正体バラされたって気にしないと思うけど。でも。帰ったらナルに怒られるな。自分で隆生の事送り込んどいて邪魔したら、隆生も怒るよね。下手したらコーエーにも怒られるかも。今の時点で始末書とナルの説教は確実でしょ。ナル、しつこいんだよ。ごめんって言っても許してくれないし。ナルの説教が終わった後、ユウちゃんや(かえで)さん辺りに追い打ち掛けられそうだし。どうしよう。」

 そんなことを言いながら頭を抱える沙依を冷めた目で見下ろして、涼花は自業自得でしょと呟いた。

 「まぁ、やっちゃったものはしかたがないよね。それに教えとかないと、貴方たちが死んじゃうしさ。わたし悪いことしてない。うん。してない。」

 「自分の国に対して損害起こしてるけどね。」

 「涼花さんは身内みたいなものだし。」

 「わたし龍籠に戻るの拒否してるし、その理屈通らないと思うけど。」

 「特殊犯罪対策課はうちの出張所みたいなもんだし。」

 「表向きにはそうなってないでしょ。正式な出張所なら、龍籠から応援よこすのに手間かからないでしょ。」

 「う。言い訳するの諦めて平謝りしてくる。」

 「どうせ謝ったってお前反省なんかしないでしょ。中身の伴わない上辺だけの謝罪とかほんと腹立つだけだから。」

 「うー。涼花さんがナルみたいなこと言ってくる。」

 そんなどうでもいいやりとりをして、気落ちしたフリをして、そして沙依は急に真顔に戻った。

 「まぁ、その話しは置いといてさ。十八柱中十七柱を失った封印はその効力をほとんど失っている。封じられてる人と抑えてる人に実力差がありすぎて、柱が壊されなくてもこの封印はもう持たない。中の人が封印を破って出てくる。それが貴方が願いを叶えるための勝機。貴方の武運を祈ってる。」

 元晴に向けたその言葉を聞いて涼花は、もしかして沙依はそのタイミングを計って無駄話をしてたのかと思った。本当にこいつは掴み所がない。何を考えてるのか解らない。そんなことを思って苦い思いがする。涼花がそんなことを考えていると沙依が近づいてきて耳打ちをされた。その言葉を受けて沙依を見返すと笑みを返されて、涼花はぼうっと彼女を見つめていた。

 「三兄様(さんにいさま)。わたしは今でも本当に皆のことが大好きだよ。だから今でも皆の力になりたいって思ってる。皆に幸せでいて欲しいと思う。でも、もうわたしはわたし達が兄妹だった頃の、何も解ってなかった子供の末姫(すえひめ)じゃないから。全部が全部上手くいくことなんてないって解ってる。それでも、欲張れるなら欲張りたい。それが大切な誰かを傷つけることになるって解ってても。一歩間違えば全てが最悪の結果になると解っていても。それでも、可能性があるのならそれに賭けたいと思う。」

 そう言って沙依はくるりと身を翻した。

 「三兄様。例え生きる場所も時間も何もかも違ってしまっても、それでも一度繋いだ絆はちゃんと繋がってるって、これからもずっと想い合えるって信じてる。だから、手を離さないで。離れていかないで。大切なものから逃げないで。」

 そう言って涼花を見つめると沙依はその姿を消した。

 「涼花ちゃん。空間が戻る。」

 沙依の居た場所を呆然と眺めていた涼花の耳に元晴の声が響き、涼花は意識をその場に戻した。

 「ツクモ、いるんだろ。話しは聞いてたな。なら、勝手に動かないで俺の言うことを聞け。お前の力、俺に全部かせ。俺が使う。」

 『まったく、急に偉そうになったな坊。』

 元晴の頭の中で呆れたようなツクモの声が響く。

 『坊。わたしの力は人には過ぎる力だ。使い方には気を付けろ。』

 「解ってる。」

 『坊。すまなかった。』

 ツクモのその言葉を聞いて元晴は笑った。

 「良いって。ツクモが俺を大切にしてくれてるって事だけは嫌って程解るからさ。なんだろな。もしかして俺、子供の頃お前と会ったことあるのか?お前といると凄い懐かしいて言うか、凄い安心する。俺はお前を信じてる。だから、全力で俺の力になってくれよ。」

 『あぁ、もちろんだ。』

 そんな会話をしているうちに空間が歪み、今居た場所に今なかったものが姿を現していく。

 「なんだお前。どうしてお前はそんな姿をしてる?」

 怒気を含んだ隆生の声が聞こえて元晴はまだハッキリしない視界の中、少女の方へ走った。

 「和葉(かずは)の姿でそんな濃く血の臭い漂わせて、殺気振りまいてんじゃねぇ!」

 そう隆生が咆哮し、膨らんだ怒気が殺気となって爆発する。間一髪、元晴はツクモの力を使い周囲に旋風を巻き起こして少女を護るように間に立った。正直、使ったこと無かったし不安だったけどできるじゃん。俺すげー。でも、なんか目の前の人さっき会ったのと別人みたいにこえー顔してるし、なんか後ろからも殺気感じるんだけど。もしかして俺、ピンチじゃね。格好付けて出てきたけど、この状況ヤバくない?そんなことを考えて元晴は背中に冷や汗をかいた。瞬間、背中に爆風のようなものを感じ、元晴は前方に吹き飛ばされ、隆生に受け止められる。

 「お前、何がしたいんだよ。」

 心底意味が解らないといった様子のその声に、元晴は笑って、ちょっと説得を試みようかとと返して溜め息を吐かれた。

 「お前が邪魔するから、ガキ仕留める前に面倒くせーことになったじゃねーか。」

 そう言いながら隆生が視線を向ける先に元晴も視線を向け、あぁ出てきたんだなと思った。

 「母様?」

 少女の声が聞こえる。

 「母様。わたし。わたしだよ。」

 譫言のようにそう言いながらそこにいる存在に近づいて行く少女を見て、隆生は視線を元晴に落とした。

 「お前はアレを助けに来たんじゃねーのか?なら、止めねーと殺されるぞ。」

 隆生のその言葉に元晴が疑問符を浮かべた瞬間、獣の咆哮が響き熱風に襲われる。

 「母様。まだ怒ってるの?もう大丈夫だよ。もう、悪い人はいないよ。ねぇ、母様。また一緒に暮らそう。もう人間なんて信じない。どっか遠くで。二人で、一緒に。」

 熱風に吹き飛ばされ、起き上がり、泣きそうな声でそう言いながら少女はよろよろと母の元へ向かう。

 「母様。ずっと会いたかった。お帰りなさい。」

 少女はかつて母だった獣の首に抱きついて、そして嬉しそうに目を閉じた。

 「これって、もしかして、大丈夫なパターンじゃ・・・。」

 「な、訳あるか。」

 脳天気な元晴の言葉に隆生がそう突っ込んだ瞬間、少女が獣の尾に薙ぎ払われ吹き飛ばされる。

 「魂が完全に穢れに呑まれて染まり切ってる。あれに自我なんか残ってねーよ。もうあれはただの化け物だ。」

 隆生は忌々しげにそう言って獣の攻撃を弓で払った。咆哮と共に放たれる熱風で周囲の草木が焼かれる。

 「なんつーか。アレは俺と相性が悪いな。時間掛けてる余裕はなさそうなのに面倒くせぇ。」

 舌打ちして隆生はそう言いながら弓の状態を確認する。

 「人間が作ったにしちゃ、丈夫で良い武器だ。これならなんとかなるか。」

 そう呟いて隆生が弓を構えて弦に矢をかける。そこにボロボロの状態の少女が飛び出してきて、隆生は視線だけでそれを牽制した。それを見てとっさに少女の前に立って隆生に能力を使わせないようにする元晴を見て、隆生は邪魔させるなよとだけ呟いた。

 「止めて。母様を殺さないで。」

 そう叫びながら隆生に飛びかかろうとする少女を元晴は羽交い締めにして抑え付けた。

 「離して。」

 そう叫んで、少女が爆風を起こすが、それをツクモの力で防ぎ、元晴は術式を展開させて少女の動きを封じた。

 「離して。母様。母様。」

 少女の悲痛な叫びを聞きながら元晴は苦しくなった。

 「アレはもう、君のお母さんじゃない。」

 「嘘だ。アレは母様だ。わたしの母様だ。」

 「解るだろ。君のお母さんはもう・・・。」

 絞り出した元晴の言葉に、少女が泣き叫んだ。隆生に言われなくてもそれを見た瞬間、元晴には解っていた。そこにいた獣がもうただの厄災であると。でも、それを母親だと思い、母親との再会を喜ぶ彼女を見て淡い期待をした。親子の絆なんってそんなものが奇跡を起こすんじゃないかって。厄災となり果てた母親が自我を取り戻すんじゃないかって。でも、獣の穢れは薄れすらしなかった。封印から放たれたばかりで、動きがまだ鈍いだけ。すぐ次に動けずただ力の回復を待っていたから動かなかっただけ。そう本当は解ってた。解ってたけど、それでも、母親との再会を喜ぶ彼女を見て、俺は。俺は、母親の幻想を胸に抱いたまま死んだ方が彼女は幸せなんじゃないかなんて思ったんだ。

 「ごめん。君の力になるって言ったのに。ごめん。本当に。俺、何もできなくて。」

 そう言う元晴の言葉を聞いて少女が不思議そうな顔をして彼を見上げた。

 「どうしてお前が泣くの?」

 少女がそう呟いたと同時に、獣の断末魔が響き渡った。呆然とそちらの方に顔を向けて、眉間に深々と矢が刺さりゆっくりと崩れ落ちる獣の姿を見て、少女の両目が大きく見開かれる。

 「母様。母様!」

 少女の叫び声を聞いて元晴は思わず術を解いて手を離していた。

 「母様、嫌だよ。おいてかないで。わたしを独りにしないで。」

 母だった獣に駆け寄って、母だった獣の死骸に縋り付いて泣きわめく少女を呆然と眺め、元晴は彼女の方へ歩いて行った。

 「どうして。どうして。母様。どうして、こんなことになったの。どうして。母様。わたし、これからどうしたら良いの。嫌だよ。おいてかないで。」

 そう泣き続ける少女に、元晴は俺のとこにおいでよと声を掛けた。顔を上げた少女と目が合う。

 「言ったろ?俺が君を受け入れる。君に名前を付けて、君を藤原の魔物として迎え入れるよ。だから、俺のとこに来てくれないかな?俺、まだ未熟者だけど頑張るからさ。」

 そう笑いかけ、自分で自分はなに言ってるんだろうと思う。こんなことがあって、手を取り合うなんて無理な話だろと思う。でも、でもさ、すれ違いがあってこうなっちゃっただけで、そうじゃなかったらきっと、最初から仲良くなれたはずなんだ。きっと。本当、自分は脳天気だな。そんなことを考えながら、元晴は自分の本心を解ってもらうために少女が自分の精神に入り込んでくるのをされるがままに受け入れていた。

 「本気なんだね。」

 そう言う少女の声が耳の中で不気味に響いて元晴はハッとした。

 「元晴は、わたしのもの。ずっと、わたしと一緒。」

 そんな言葉と同時に、思考を読み取られている時とは比べものにならないくらいの異物が自分の中に入ってくるような不快感が全身を襲い、元晴は息が詰まった。

 『人間は脆い。どんなに頑張って長生きしても、いずれわたしを置いて逝く。でも、こうすればずっと一緒。ずっと。永遠に・・・。』

頭の中で少女の声が響く。

 『元晴。全部わたしに任せて。わたしと同化しよう。脆い人間の器は捨てて。わたしと一つになろう。わたしの知識も力も全部元晴にあげる。だから、元晴の全部をわたしに頂戴。』

 妙に優しく響くその声に意識を奪われ、元晴は自分の全てを彼女に差し出しそうになった。

 「自分の主導権は絶対に手放しちゃダメだよ。」

 完全に自我を手放そうとした瞬間、そう言う沙依の声がハッキリと聞こえ、元晴は一気に意識を取り戻した。

 『どうしたの元晴?わたしを受け入れてくれるんじゃないの?』

 「受け入れる。受け入れるさ。でも、俺が君の一部になるんじゃない。君が俺の一部になるんだ。俺の身体に居座るのはいいけど、主人は俺だ。この身体は俺のものだ。」

 そう叫んで、元晴の意識は完全に現実に戻ってきた。ハッとして顔を上げ、心配そうに顔を覗き込んでくる涼花と目が合う。

 「涼花ちゃん?俺・・・。」

 「藤原君。だよね?」

 そう訊かれ、俺だけどと間抜けな返事をして、それを聞いた涼花が心底ほっとした顔をするのを見て、元晴は疑問符を浮かべた。そしてふと、涼花の隣に険しい表情で自分を見下ろす隆生の姿を見付けて、背筋が凍る。

 「よく解んないんだけど。もしかして、俺、かなりヤバい状況だった?」

 「えっと。あと少しで隆生に殺されそうになってたかな。」

 そう言われ、さっと血の気が引く。マジで?俺殺されるとこだったの?そう思うが、それと同時にそうだよなとも思う。自分の手に視線を落として、元晴はそれをしげしげと眺めながら握ったり開いたりを繰り返してみた。何処も変わってない。これは俺の身体だ。そう思う。でも、そう思うのに、これはもう元の身体ではない。そうも思う。

 「俺の中にツクモの気配がないんだけど。」

 そんなどうでも良いことを呟いて。自分の中にツクモではない別の存在を認識する。

 『元晴。わたしはずっとここにいる。ずっとわたしが護ってあげる。いつか生きることが嫌になったら、わたしが代わりに生きてあげる。いつか自分の無力さが嫌になったら、わたしが代わりに戦ってあげる。いつだって、わたしが代わってあげるから・・・・。』

 「いいよ。俺はずっと俺のまま。代わりに生きて欲しいとも戦って欲しいとも思わない。だから、ずっと俺と一緒にいてさ、俺の力になってよ。俺が死んだら、その時は好きにしていいから。」

 『お前はわがままだな。お前が死ねばわたしも死ぬのに、死んだら好きにしていいなんて。でも、お前のそういうところ嫌いじゃないよ。しかたがないから暫くの間はお前の陰に隠れておいてあげる。でも、隠れてるのに飽きたら、その時は・・・。』

 頭の中で楽しそうに笑いながら響く少女の声が薄れ遠ざかっていく。それと同時に、自分の中に自分の知らない思い出が溢れてくる。楽しかった。幸せだった。暖かな思い出。そして。

『術で縛り合わなくても、お前は俺の家族だよ。俺たちの希望だ。どうか、真っ直ぐ育ってくれ。』

 自分によく似た男がそう言って手を伸ばしてくる。その大きな手で優しく頭を撫でられて、元晴は何故か泣きたくなった。

 『これから辛いことが沢山あるだろう。人を恨みたくなるときもあるだろう。でも、忘れないでいて欲しい。俺はお前達と共に在ろうとしたことを誇りに思ってる。こうして絆を結べたことを誇りに思っている。人間にもこうしてお前達と共に生きようとした者がいたのだと、生きようと思う者がいるのだと。術で縛り合わなくてもちゃんと絆を結ぶことはできるのだと。どうか、忘れないで。いつか普通に共に過ごすことができる時代が来ることを願ってる。』

 力ない、でも確かな意思と暖かさを感じる笑顔を向けられて、元晴は男の想いを受け取った。聞いた本人は幼すぎてきっと理解できなかったであろう想い。自分の名前の由来になった男のその想いの存在を自分の中に確認して、元晴は心の中で解ったよと呟いた。あんたのことは知らないけど。同じ名前のよしみで少しだけあんたの想いは継いでやる。そう思う。

 「お前、人間じゃなくなっちまったな。」

 そんな隆生の声が聞こえて元晴はハッとした。

 「これやる。つけとけ。」

 そう言って、隆生が自分の腕に嵌めていた数珠を外して渡してきて、元晴は疑問符を浮かべた。

 「それには穢れを払う効果がある。昔、俺が鬼に堕ちちまってた頃。俺が完全に自我を失って完全な鬼にならないように、和葉と元晴が協力して作ってくれたものだ。俺はそれに随分と助けられた。でも、俺にはもう必要がないから、お前が持っとけ。きっとお前の人間の部分を失わないための助けになってくれる。」

 そう言われて、元晴は礼を言って数珠を腕に嵌めた。それだけで不思議な暖かさに包まれて、心が軽くなった気がする。

 「大切なものじゃないんですか?」

 「大切なものだよ。だから、無くすなよ。」

 そう言って笑うと隆生が、すっと目を細めて自分を見てきて、元晴はなんとも居心地が悪い思いがした。

 「見た目はよく似てるくせに、全然似てねーなあいつと。」

 そう言いながら隆生が頭をがしがし撫でてきて元晴は顔を顰めた。

 「じゃあ、用事も済んだし俺は帰るわ。」

 そう言って立ち去ろうとする後ろ姿を涼花が呼び止めた。

 「色々、ありがとう。」

 涼花がそう伝えると、振り返った隆生が一瞬驚いたような顔をして、おう、と言って笑ってから去って行った。

 「わたし達も帰ろうか。」

 そう言われて、元晴はそうだねと言って歩き出そうとして、めまいに襲われて倒れこんだ。


            ○                        ○


 「元晴。おい。元晴、起きてるか?」

 そう友達の声がして元晴はハッとした。

 「もう講義終わったぞ。まだ夏休み気分が抜けてないんじゃね。ちゃんと講義聞いてたか?その調子だと単位落とすぞ。」

 そう言われて苦笑する。まぁ単位落としまくって大学卒業できなくても就職先困らないしな。特にしたいことないなら大学中退してもいい気がする。そんなことを考えて、元晴は夏休み中にあったことを思い返した。なんか色々あったな。現実的じゃないことが。そう思う。封印から放たれた千年妖狐を隆生が瞬殺し、その娘を自分の中に受け入れた。そのせいで自分はもう人間じゃない。見た目は何も変わんないけどもう俺は人間と呼べるものじゃない。全部が終わって帰ろうとした時、気を失って倒れた。目が覚めたら蔵にいて、ツクモに散々怒られた。

 『坊。自分がいったい何をしたのか解ってるのか。魔物と完全に同化するなど。自分自身が魔物になるようなモノだぞ。なんというバカな事を。そのように力を求めてまともな最後を迎えた者など今まで一人たりともいない。そのようにその身に魔物を宿した誰も彼も、最後には身に宿した魔物に呑まれ、魂は蝕まれ、調和がとれなくなった肉体は破壊され、悲惨な最後を迎えてきた。何故そのような無謀なことをしたのだ、坊。』

 人のことを棒でぺしぺし叩きながらそんなことを延々と言い続けるツクモは酷く辛そうな顔をしていて、元晴は申し訳ないと思った。でも、でもさ。今まで一人もまともにすんだ奴はいなくても、俺がまともなままいられた最初の一号になるかもしれないじゃん。そしたら、俺すげーかっこよくね。そんなことを返して、更に棒で叩かれまくったな。そんなことを思い出して笑いがこみ上げてきて、それを見た友人に怪訝そうな顔をされる。

 「思い出し笑いとかきもいな。何ニヤついてんだよ。夏休み中、ナンパに成功してついに彼女でもできたか?」

 からかうようにそう言われて、元晴はそうだ夏休みにナンパに挑戦して彼女作ろうって画策してたの忘れてたと思った。それどころじゃなかったからな。魔物と同化した影響であの後しばらくまともに動けなくて、ツクモ達の手を借りながら夏休みのほとんどをリハビリと修練に費やして。そう考えると、俺の夏休みってなんだったんだろと空しくなってくる。

 「ナンパし忘れたし、彼女はできなかったけど、美人に縁のある夏休みだったな。」

 そう口に出して、彼女はできなかったけどあんだけ色んな美人と縁ができたってことはそれなりに充実してたんじゃね、と考えて自分を慰めてみる。めっちゃかわいい子に抱きつかれたり膝枕してもらったり、けっこーラッキーな展開があった気がする。相手、人間じゃないけど。しかも取り憑かれて大変なことになってるけど。どう考えてもこれ以上の展開には発展しないけど。涼花ちゃんみたいな超絶美人とも知り合えたし。涼花ちゃん自身はダメでも、涼花ちゃん経由で友達とか紹介してもらえる可能性もないかな。あ、でも、あの時会った涼花ちゃんの知り合いの子は、すげー綺麗な子だったけど人形みたいっつーか、存在に現実感がなくて怖かったな。涼花ちゃんとは普通に話してたけど、それもなんか嘘っぽいって言うか、中身がない言葉をただ発してるだけみたいな感じで、感情が見えなくて怖かった。いくら美人でもああいう子はちょっと勘弁だな。そう考えると涼花ちゃんの知り合いに期待するのは無理かも。正直、関わった中で一番タイプだったのが今自分の中にいる人外ってどういうことだろ。どっかに俺のこと好きになってくれるかわいい子いないかな。人外でも良いけど、できれば取り憑いてくるんじゃなくて普通にお付き合いできる感じの。そんなことを考えて元晴は一つ溜め息を吐いた。

 「夏休み中は何もなかったけどさ。知り合ったうち一人の美人のアドレスをゲットしたし、その子の職場でバイトすることになったし。もしかしたらそこで出会いがあるかもしれないよな。それに期待するか。」

 「うわっ、胡散臭。それ新手の美人局なんじゃねーの。バイトのつもりで行ったら逆に金巻き上げられる感じの。」

 「いや、ないない。警察署内の雑用だし。そんなとこで犯罪は起きないっしょ。」

 そう、あの一件を機に、涼花や俊樹が勤める特殊犯罪対策課でアルバイトをすることになった。そして大学を卒業したらそのままそこに就職決定。就活をしなくて済むって考えるとラッキーかもしれない。まだ出勤したことはないが、今回自分が関わったような超常現象を相手取った特殊な組織だと言うのだから、胡散臭いといったら胡散臭い。だから、元晴は友達に本当のことは何も言わなかった。

 元晴が家に帰ると珍しく父親がいて、いつもなら話しかけず自室に向かうのに、少し考えて、立ち止まって、ただいまと声を掛けた。新聞を見ていた父親が顔を上げて、おかえりと返してきて不思議な気分がする。こうしてちゃんと顔を合わせて言葉を交わすなんていったいいつぶりだろう、そう思う。

 「あのさ、夏休みにじーちゃん家片付けに行ってきた。」

 「知ってる。」

 「夏休みいっぱいじーちゃん家で過ごしてみたんだけどさ。あそこ、あのままにしといていい?なんていうか残しときたいなって。たまに行ってちゃんと掃除するから。」

 「お前が継いだんだから好きにしろ。」

 素っ気ない父の返しを聞きながら、元晴は一つ呼吸をおいて、決心をして口を開いた。

 「俺、人間じゃなくなった。もしかしたらそのうち迷惑掛けるかも。」

 そう告げると、父が別段驚いた様子もなくそうかと呟いて、元晴は驚かないんだなと思ってなんとも言えない気持ちになった。その先をどう続ければいいのか、それとも何も続けず立ち去るべきか解らず元晴がその場に立ちすくんでいると、父が新聞をたたんで机に置き真っ直ぐ元晴を見つめた。

 「元晴。お前が隠れて修練を続けていたことも、術師に憧れていた事も知っていた。俺は家業から逃げた身だが、お前がその道を行くというなら止めはしない。お前がしていたことを知っていて好きにさせていた時点で、その先でお前がどんな末路を辿ってもそれを受け止める覚悟はできている。母さんも。」

 静かにそう話す父親の声を聞いて、自分を真っ直ぐ見つめるその瞳を見て、元晴は苦しくなった。そっか、解ってなかったのは俺の方だったのか。一方的に怒って拒絶して、まともに話そうとしてこなかった。話す前から、何言ったってどうせきかないと決めつけて、ほとんど顔も合わせないようにして、父さんと話す機会を俺が奪ってきた。そう思う。

 「なんだよそれ。全部解ってて黙ってたってか。俺は、あんたが術師の修練受けてたとか、じーちゃん家で魔物に話聞くまで知らなかったんだけど。それで、勝手に俺が悲惨な最期遂げる心づもりだけ作ってたって、俺のこと最初から見捨てる気かよ。なら、じーちゃんから離さず、じーちゃんの元で修練受けさせときゃ良かっただろ。」

 そう口に出して、どうしてこんなことを言ってるんだろうと思って、自分が嫌になる。

 「無理矢理止めようとしたところでお前は言うことを聞かないだろ。止めようとして反発心から余計頑なになってもと思っていた。それで、親父に相談しながらお前が力の使い方を間違えて、また命を落としかける様な事態が起きないようにだけ気をつけていた。」

 父のその言葉を聞いて元晴は驚いた。

 「じーちゃんと、連絡を取ってたのか?」

 「途中で逃げ出した俺じゃ、何かあっても対処できないからな。お前が修練を続けるに当たって俺も随分と勉強した。」

 「なんで・・・。」

 「お前が術師になることに俺は反対だったが、お前が藤原を継ぐことに期待していた親父も親父で、お前に家業を継がせるかどうか迷ってた。お前が修練を続けているのを知って、親父と相談して、ただ憧れや好奇心だけでなくお前がちゃんと覚悟を持って家業を継ぐか決められる年になるまで様子を見ることにした。途中で飽きて止めればそれで良し。普通の生活を送りながら色々と現実を見て、それでも時代錯誤で非現実的な家業を継ぐことを諦めないなら、その時はちゃんとした修練を受けさせようと決めていた。お前が二十歳になったら親父の所に連れて行って色々ちゃんと話すつもりでいた。その前に親父があんなことになって、それでその機会はなくなったけどな。親父が死んだとき、正直、これで藤原の技術は廃れるし、お前が術師になることはないと思ってホッとしていたんだが。まさか魔物の存在が現実でそれらから技術を教わるとは夢にも思っていなかった。お前を親父の家の掃除に行かせたのも、それで少しでもお前が気持ちの整理を付けられればと思ってのことなだけだったんだけどな・・・。」

 そう言う父が苦しそうで、元晴は胸が詰まった。

 「元晴。黙っていたが、親父は殺されたんだ。」

 そんな予想外の父の言葉に元晴は目を見開いた。

 「親父も技術は残しておかなくてはとは考えてても術師なんてもう廃れた過去の遺物だと思ってたみたいだけどな、どうやら現代でもそう思ってない連中がいるらしい。親父が亡くなる少し前の話だ。親父は胡散臭い連中に仲間に誘われてそれを断ったと言っていた。そして、親父は殺され、家の中はもぬけの殻になってた。でも、親父の死は病死として処理され、家の中は親父の死後遺族が業者を頼んで綺麗にしたことになっていた。知らない間に葬儀も行われていたことになっていて、親父の遺体が何処に行ったのかも解らない。」

 「それってどういう・・・。」

 「解らない。ただ、皆の記憶までもがそうなっている。母さんが出席していない葬儀の話しを普通に話してきた時、背筋に寒気が走った。そして騒ぎ立てるのは得策ではないと考えて話を合わせておかしいことに気が付いていないフリをし、今までずっと口を噤んでいた。そのうちお前の所にも親父の所に来た連中が現れるかもしれない。いったいそれが何者なのか、どういったものなのかも解らないが、危険だと言うことは確かだ。お前も気をつけろ。」

 そんな父の言葉を聞いて、元晴は真っ先に涼花の姿が頭をよぎった。まさか、まさかね。そう思う。もし、涼花のいる組織が藤原の技術を狙いじーちゃんを殺したものならば、自分はもう完全に取り込まれてる。それなら、涼花達は本当は最初から全部知ってたのに、知らないふりして俺に近づいて、助けるフリして信頼させて、それで自分達の仲間に取り込んだことになる。そう考えて元晴は背筋が寒くなった。でも、ツクモの知り合いだし。いや、そもそもツクモも信用できるのか?あいつと知り合ったのだってつい最近の話しで、なんで俺そんなに簡単に信用してたのか解んないくらい簡単に信用してたけど。それって、実はかなり危険なんじゃ・・・。

 『信じられないなら、覗けば良いよ。』

 頭の中で声がする。

 『頭の中を書き換えられる前に、先にこっちが書き換えちゃえば良い。記憶も、感情も、全部、元晴の都合の良いように書き換えちゃえば怖いものなんてないよ。』

 頭の中の声が何か恐ろしいことを言ってくる。

 「そんなことが・・・。」

 『できるよ。人間なんて脆いから。』

 頭の中の声がそう言って嗤う。人間は脆いから、人間の記憶なんて簡単に覗けるし書き換えられる。自分の都合良く書き換えてしまえば、怖いものなんて何もない。全部、自分の思うまま。じゃあ、自分は?今、この自分はどうなんだ?本当に俺は俺なのか?俺が俺のままだなんてそれこそそう思い込まされてるだけで、俺自身がもう本当はこの世にいないんじゃ。俺自身操られてない保証なんて、記憶を書き換えられてない保証なんてどこにもない。そう考えた瞬間、視界がぐにゃりと歪んで意識が遠のきそうになって、左腕が熱くなって元晴はハッとした。そこにある数珠に目を向けて意識がハッキリする。

 「大丈夫か、元晴?」

 心配そうな父の声が聞こえて、元晴は嗤った。

 「あぁ。大丈夫だよ。もし、じーちゃん殺した連中が接触してきたら、俺が敵とってやる。」

 そう言う元晴を父は、辛そうな顔をして見つめていた。

 「父さんこそ気をつけろよ。狙われるのが俺だけとは限らないし。」

 そう言って元晴はその場を後にした。

自室に入って、元晴はその場にへたり込んだ。何故か笑いがこみ上げて来て、笑って、声を立てて笑って、顔を押さえ、涙が溢れてきた。

 「なんだよこれ。」

 頭がごちゃごちゃする。自分の感情も想いも、訳がわからなくなる。どれが自分で、どれが自分じゃないのか解らなくなる。本当の自分がどうだったのか解らなくなる。そもそも本当の自分ってなんだ。そんなことを考えて、また意識が揺らぎそうになって、左手が熱くなって・・・。

 ピキッと数珠の玉にひびが入って、繋いでいた糸が切れてバラバラになって床に散らばった。

 あっと声が漏れて、散らばった玉を拾い集める。大切なものだから無くすなと言った隆生の顔が頭に浮かんで、魔物と同化した後意識を取り戻した自分を見下ろしていた彼の恐ろしい顔が蘇って、元晴は、あの時、殺されなかったってことは、俺はまだ大丈夫だってことだと思った。

 「なくしてはないけど、そうそうに壊しちゃったな。もうお守りないじゃん。」

 そんなことを呟いて小さく笑う。

 夏休み中の修練の日々を思い出す。本当に真剣に自分を想って修練を付けてくれたツクモの姿を。そして、幼い頃の祖父との思い出も蘇って、元晴は自分の迷いがどうでも良くなった。

 小さい頃のようにもう間違えない。術師として生きていくためには、魔物を取り込んでなお生きて行くためには、心を強く持たなくては。迷ったら、惑わされる。揺らいだら、つけいられる。俺は俺だ。自分自身が自分をおかしいと思っても、今、この時の俺が俺で、それが自分のものでなくても自分の感じるもの全てが、自分に浮かぶ想いが、自分の中にある記憶の全てが自分自身の全て。自分の中にいる魔物の記憶も想いも感情も全部が自分自身。例えそれが偽りでも、それでいい。そう決心する。

 元晴は目を閉じて深呼吸した。

 「ツクモに叩かれないように、真面目に修練するか。」

 目を開けて、そう口に出して、自分の在り方を決める。敵が何者でも良い。誰が敵でも良い。自分が生きていくために、自分らしく生き続けていくために、なんだって利用して生きていく。これからも好きなように生きていく。そう考えて、元晴は日課の基礎修練に入った。


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