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本の箱庭  作者: 白藤結
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ヒーロー出ません。

 静謐な空間に溢れるインクの匂い。床は高級な絨毯のためか足音は立たず、音といえば(ページ)を捲る音だけです。余計な音を削ぎ落とした空間は、私にとってはまさに理想郷。

 私ことエレイナは、今こそ身分は平民ですが、数年前までは子爵令嬢でした。父も身分にしてはそれなりの官職についており、一人っ子のため両親や親戚の多大な愛情を一身に浴び、すくすくと成長してました。

 その当時からこの王宮図書館によく来てました。私にとって本はまさに宝箱。貴族の令嬢方が読む恋愛小説も好きですが、あまり開かれることのない実用書も私は好きです。知識は多くあって困るものではありません。あまり周りからはいい顔されませんが、その理由は大抵妻として夫を立てないといけないから夫より知識を持ってはならない、ということだったので、ちゃんと妻として夫を立て、尚且つ社交にでしゃばらず、むしろ知識のおかげで円滑に進める具体例を上げると皆黙りました。逆によくそこに気づいたと褒めてくれた方もいます。

 話は逸れましたが、私は小さな頃から本が好きで、読書が好きで、この王宮図書館が大好きでした。

 そして今、私はここ一年入ることのできなかった王宮図書館に足を踏み入れようとしてます。


 ──清掃員として。


 これには深い深い事情があるのです。そう、まず転機はあの時でした。






 ザアザアと雨が降っています。滅多にない豪雨に母やメイドたちは怯え、庭師さんは花が心配でうろちょろしていることでしょう。さすがにこの土砂降りの雨の中庭の様子を見に行く、などという命知らずなことはしないと思いたいです。あの庭師さんは技術はあるのですが、少々自分好みの花ばかり植える傾向にあるので、私たちのような庭にあまり関心を持たない家でしか雇ってもらえないんだとか。その為我が家の庭に対する愛情は深く、父様に許可を貰ってこの屋敷で暮らすほどです。この雨の中飛び出して行きかねません。

 私はそんな雨にも関わらず、いつも通り王宮図書館で借りた本を読んでました。本はとても貴重で、残念ながら我が家に本を何冊も買う金銭的な余裕はないため、王宮図書館で借りるのが常です。王宮図書館はその名の通り王宮にありますが、貴族なら私のような子供でも入れるので重宝してます。研究者たちが通うような図書館は未成年者はお断りなので。

 まあそんな雨の日、珍しく父が遅れて帰ってきました。いつもは夕食に間に合うように帰ってくるのですが、その日は私があと寝るだけ、という時刻に帰ってきました。


「お帰りなさい。今日は遅かったのね」


 母様がそう言って父様を出迎えます。父様の顔は青白く、雨に濡れてるせいかと思いましたが、あのくらい濡れただけでは丈夫なのが取り柄な父様が顔色を悪くすることはありません。私は笑顔で出迎えながら、内心首を傾げていました。


「……ああ、ただいま」


 か細い声です。これは本格的に何かあったのだと目を細めますが、どうやら母様は気づいていないらしく、メイドに父様の着替えを用意するよう伝えます。そういう所には気が回るのですから、何故父様などの他の人の異変には気づかないのでしょうか?


「用意しなくていい」


 父様がそう言ったことにより、メイドは動きを止めます。メイドたちも異変に気づいたのか、お互いに目を合わせてます。

 そんな中、父様の従者が見知らぬ御仁と共に入って来ました。その方はたいそう身なりが良く、服もあまり濡れていないようでした。その代わり従者がかなり濡れてますが。それ程に偉い方なのでしょうか?


「お邪魔します。カールレン子爵、あのことは話しましたか?」


「いや……」


「では早めにお願いします。私もあまり時間がないので」


 青白い父様と、にこやかな笑顔で話すこの御方はとても対照的でした。父様は私たちに向かって言います。


「実は、だな………」


 それから暫く、父様は何も言いませんでした。幾度も口を開きますが、声が出ないようで、その度に肩を落として黙り込みます。それ程までに伝え難い事なのでしょう。

 やがて従者が連れて来た御方がイラついたのか、足で床を突きます。トン、トンと最初はゆっくりでしたが、その音は次第に大きくなっていきます。正直うるさいですが、父様がなかなか話さないのは事実なので恨むことはできません。


「実は………領地を取られることになった」


 やっと父様が話した事実に、私は言葉も出ませんでした。母様は顔色をなくし、メイドたちも目を見張って、ただ父様を見つめています。


「後は……トルフィーラ伯爵が…」


「はい、ここからは私が。マルケン準男爵をご存じでしょうか?実は彼、借金をしてまして、こちらのカールレン子爵が連帯保証人だったのです。しかしマルケン準男爵は借金を返済できず夜逃げし、そしてカールレン子爵が払うことになったのですが、その量が膨大でして…。カールレン子爵が払えない返済額の半分を私が払うことになり、代わりに領地をいただこうということです」


 準男爵家は一代限りの家です。子爵家としてはそんな家と懇意にする必要はないのですが、父様はお人好しだから他の人が助けを差し伸べない中、連帯保証人となってしまったのでしょう。その様子がありありと目に浮かびます。そしてカールレン子爵家は没落、ということになるのでしょう。借金を返済するためにほぼ全財産を使い、しかも領地も取り上げられるとはそういうことです。

 母が崩れ落ち、父様とメイドが駆け寄りました。そんな中、私はトルフィーラ伯爵を見ます。

 トルフィーラ伯爵家は有名です。最近事業に成功し、領内に特産品ができたとか。おそらくこの先力を持つであろう貴族でしょう。


「トルフィーラ伯爵」


「ん?何かな?」


 トルフィーラ伯爵は笑顔で私を見たが、目が笑っていません。これはあれですよ。多分もうすぐ平民になるんだから貴族に話しかけるな、とでも思っているのでしょう。ある意味分かりやすい方です。

 そう思いながら、私は口を開きます。


「カールレン子爵家長女、エレイナと申します。まずは、わざわざこのような所まで足を運んでいただき、感謝します」


 淑女の礼をして、私は感謝の言葉を述べました。実際はそんなこと思ってないけど、ちゃんとした挨拶に満足したのか、トルフィーラ伯爵は機嫌良さそうにしました。下の者に敬われるのが好きなのでしょう。まさに貴族。


私共(わたくしども)はこれから平民になりますが、その際に折り入ってお願いがありまして……」


 私の言葉を聞いて、トルフィーラ伯爵がニイッと口元を歪めます。これは勘違いしてますね。私が愛人にでもなると思ってるのでしょうか。


一月(ひとつき)ほど、平民が職がなくても最低限の資金を援助してもらえないでしょうか?さびれた宿で暮らせるだけのお金で結構です。後でお返ししますので、どうぞお考えください。あと、メイドと料理人たちなのですが、これからトルフィーラ伯爵の管理する領地と屋敷は増えることになります。その為、元カールレン子爵家の別荘だった場所の管理人として、これから一時(いっとき)でもいいので雇っていただけないでしょうか」


 トルフィーラ伯爵は目をぱちくりして、そして怒りを瞳に滲ませます。ああ、女ごときが、とでも思っているのでしょうね。男尊女卑が根強く蔓延ってる貴族社会しか知らないトルフィーラ伯爵は、彼を立てない私に対して怒っているのでしょう。まあ私もこの貴族社会しか体験したことはありませんが、知識としては知っていますから。


「お、お嬢様……」


 メイドの一人が不安げに声を出す。さすがに親しくない男性に意見を申すのは、メイドから見ても危険なことだったようです。けれど止まりません。


「メイドたちに関しては仮契約で構いません。ただその間に彼女らが新たな就職口を探せばいいのですから。どうかお考えください。資金に関しても、利子をつけて数年かけて返すと誓います」


 仮契約の場合、本契約に比べて給料は半分ほどです。それでしばらくの間屋敷を管理することができ、しかも私たちに貸した金も利子をつけて返すと言っています。正直トルフィーラ伯爵に利益しかありません。

 そのことにトルフィーラ伯爵も思い至ったのか、ふむ、と頷きます。


「分かった。それでいい」


 この方、先ほどから敬語が外れています。どうせ平民になるんだと見下していますね。まあ仕方がないですが。


「ご好意感謝いたします。それでは、我が家はこれから今後について考えなければならない為、お帰り願いますでしょうか?屋敷を出るのはいつまでが宜しいでしょう?」


「一週間後で」


 早いな、と思いながら私は頷きます。貴族が領地を貰う際は、もう少し時間がかかると思っていたのですが。もしかしたらかなり前から手続きは始めていたものの、父様が私たちに言えなかっただけですかね。


「分かりました。わざわざお越しくださり、ありがとうございました」


 私はそう言って父の従者に目配せをする。従者は心得て、こちらへ、と言ってトルフィーラ伯爵を馬車までお送りしました。


「お嬢様…」


「さて、これからのことを話し合いましょうか」


 私はそう言います。父様が何故か私を見て首を傾げていました。

 そう、私はその時、あのこと(・・・・)に思い至っていなかったのです。だから冷静でした。いや、もしかしたら気付かないふりをしていたのでしょうかね。

 父様があのこと(・・・・)を口にします。


「エレイナは……これから平民になるんだが、王宮図書館に行けなくなってもいいのか?」


 目の前が真っ暗になりました。比喩ではなく現実に。「お嬢様ー!」などというメイドの声が聞こえましたが、果たして現実だったのでしょうか。






 そんなことがありまして、私たち一家は没落しました。付いてこようとしたメイドたちも居ましたが、それはこちらが拒否しました。彼女たちを雇うお金はありませんし、何よりこれから行くのは文字通りさびれた宿の予定なのですから。

 一週間のうちにメイドたちに平民の生活について手ほどきしていただき、幾つか物も売り、最後のお給料としてみんなに渡しました。メイドたちと料理人はこれからもしばらくは残り続けますし、父の従者と庭師は既に新しい雇用先を見つけたとか。そんな彼らと会うのは、いくら同じ王都と言えど、余程のことがない限り有り得ません。

 そして屋敷を出て、しばらくはさびれた宿で就職先を探しながら暮らしていました。父様は私と母様に働かなくて良いとおっしゃりましたが、父様ができるのは日雇いの仕事ばかり。なので自然と私たちも働き始めました。

 私はまだ若いためか、ちゃんとした売り子の仕事を得ました。王都の端の端にある宿から毎朝早くから通い、夜遅くに帰ります。さすがに夜は危ないので、父様が一緒に帰れる時は帰ります。

 そうして暮らして一年ほど経ちました。私もはや16歳。あのまま暮らしていれば社交界デビューをしていた年齢です。

 その時に出会ってしまったのです。


 私は週に一度の休日に、王宮まで行きます。もちろん平民のため中には入れません。ただ眺めるだけです。

 ただでさえ買うのが難しかった書物は、今では見ることすら敵いません。あの活字中毒と思われるほど本ばかり読んでいた私ですが、今のところ本を読めないならば死ぬ、というほど飢えてはいません。

 これは両親にとっても、私にとっても意外なことでした。けれど考えれば分かるのです。私は新しい知識を知ったり、別の人生を擬似的に体験するのが好きだったのです。私は貴族令嬢ではない自分になりたかったのです。

 そしてそれは今現在叶っています。平民となり、日々未知と遭遇しながら生活しています。だからそれ程飢えることはないのです。

 しかし一年近く経つとその生活にも順応し、あまり新しい発見はありません。そんな私は時々ここにやって来ます。そう、私は飢え始めているのです。

 そして王宮の壁の周りを歩いていると、チラシが目に入りました。と言っても文字しか書かれていませんが。この国の識字率は確か50%ほどで、なるほど、あまり大々的に公表することではないようです。王宮からのお達しは大抵は文字が読めない人のためにちゃんとお偉いさんが出てきて発表しますが、たまに小さなことはこのように壁に貼るのです。

 その内容はこうでした。


『王宮図書館専門の清掃員を募集しております。仕事は清掃と書物の手入れ。読み書きができ、手入れの方法を心得ている者が望ましい。募集期限は無期限。希望者は──』


 そこまで読んで、私は駆け出しました。向かう先は雇用主の自宅。休日ですがやって来た私に、雇用主は困惑してました。

 そして私は言います。


「すみませんが、別にやりたい仕事ができたので辞めてもいいでしょうか!?」


 その後はてんやわんやでしたが、その就職先の面接に受かれば辞め、落ちればそのまま雇ってもらえるとのことです。優しすぎます。私はその条件で頷き、その晩に両親に言って、翌日に王宮へ行きました。

 そして簡単な質問に答え、一週間後に合否が書かれた手紙が届くとのことです。おそらく私の身辺調査なのでしょう。さすがに平民をホイホイ王宮に入れるわけにはいきませんから。しかも王宮図書館には高位の官僚方も来られるのです。これで何事もなく即決められるとは思わないでしょう。

 けれど、おそらく合格でしょう。元貴族ですから経歴は簡単に洗い出せますし、何より、不合格ならここで拒否して、身辺調査などしないでしょうから。


 一週間後、私宛てに届いた手紙には合格の文字と、二日後に来て欲しいと書かれていました。私は飛び跳ねて喜び、すぐに両親に報告しました。その頃あまり元気のなかった母ですが、まるで我が事のように喜んでくれました。

 次に報告するのは雇用主です。今まで雇ってもらっていて感謝しかありません。私は申し訳ない、と伝えたが、彼らは喜んでくれました。


 そして今、私は一年ぶりに王宮図書館に入ろうとしてます。あの頃に戻ったみたいで気分が高揚しています。平民の格好で王宮の門を潜るのは違和感しかありませんでしたが、今後慣れるのでしょう。今の生活に慣れたように。

 私は頬を朱に染めて一歩、王宮図書館へ足を踏み入れました。

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