ドーナツと虎と下心の話
クロワッサンドーナツ。これを考えた人は天才だと思う。クロワッサンとドーナツを掛け合せたら美味しいって、どうやって考えついたんだろう。もしかしたら美味しいと思っているのは私だけかもしれない。実際に思いついた人は、そこまで美味しいとは思っていないのかもしれない。ググっていないのでよく分からない。憶測で語るのは良くないのかなぁ。良くはないだろうなぁ。…ともかく何事も、他人からの評価と自分自身からの評価って結構ちがうと思う。
私はよく絵を描く。むしろそっちの方が得意だ。文章より何倍も。上手くいかなかったなぁと感じる絵を友人にのぞき込まれて大絶賛されたり、これは伸びるだろうと思ってTwitterに載せた絵が実は5いいねくらいしかされなかったりする。後者はかなり残念、できるだけ前者を望むが、世界はそんなに都合よく出来てない。
中島敦の著作『山月記』をご存知だろうか。詩人になりたかった男が虎になってしまう話。彼の名は李徴という。李徴の友人、袁傪が早朝の山道で出くわした虎が実は彼で、次第に“虎としての本能“に喰われていく“詩人李徴“は、友人に自らが生んだ詩を紙に記録するように頼む。彼の詩を聞いた袁傪は、李徴の詩が売れるためには、どこか微妙な点において何かが足りない、と感じるのだが、現代文の教師はその何かを
「きっと、売れようとして書いた詩だから、売れなかったのよ。他意のない詩なら李徴は成功していたと思うの。」
と解釈していた。確かになぁ、と思った。実際この後、李徴は異種の者となった自らの想いを即興の詩に込めるのだが、そこで袁傪たち一行がひどく同情する描写があった。
なにも表現の世界の話だけじゃない。普段の生活にだってこの現象は起きる。例えば恋愛。自分のことを好いて欲しいと思う男子からはどうとも思われず、予想だにしないクラスメイトから突然の告白をされたことがある。もちろん丁重にお断りした。
私はこう考えた。
芸術とか恋愛とかって、変に意識しない方が成功するんじゃないか?
でも、そんなのよく考えたらおかしな話だ。意識しないように意識する。それってバリバリ意識してるってことじゃん、矛盾してるじゃん、私のばか。意識はした方がいい。完全に無意識でまともに行動するなんて難しいんだから。だけど、他人からの評価を想像しながら起こす行動は大体失敗する。虎になった詩人も、モテようとした私も、結局一緒である。
つまり、自分のやりたいように、気楽にやればいいんだ。
だから私は今も、帰ったら向けられるであろう親の冷たい視線を気にせず絵を描き、カロリーの過剰摂取による肥満を気にせずクロワッサンドーナツを食べている。ちなみに3つ目である。




