第33話 エピローグ ~頭上にまたたく死兆星~
「終身刑って言ったのに、どうして突然死んじゃうのよ……。あんた、本当は私のこと嫌いだったんじゃないの?」
玲奈がそうなじっても、相手はもう返事をしなかった。
「それとも、私といた20年はあんたも幸せだったのかな。そうだと嬉しいんだけど」
結局あの事故に遭遇したことで、日下部遼一の早逝はどうしようもなく運命付けられていたのかもしれない。むしろよく生きたというべきなのか。
それでも自分と出会ったことで、少しは彼が浮かばれたと玲奈は信じたかった。
事故で自暴自棄になっていた彼を励まし、新たに見つけた目標に向かって彼を支え続けたという思いが玲奈にはあった。
現に遼一は医師となり、救急医療にがむしゃらに携わって多くの人間の命を救った。その代わりに、自分の命を縮めるほどに……。
そしてささやかながら家庭を持つこともできた。
人嫌いをこじらせた彼なら、もしあの事故がなくて普通に過ごしても、一生独身だったのではないかという気が玲奈はしていた。
もっとも、その傾向を助長したのは小学校時代の玲奈自身なのだが。
「あれはあれで、付き合ってみると結構面白い人間なんだけどね。
まあでも、ちょっと色々とめんどくさいところもあるかしら」
遼一との様々な騒動を思い出して玲奈はクスリとした。
「だからもっと、私はあんたと一緒にいたかったわ。あの子もまだ小さいし」
新婚旅行の夜に今日は大丈夫だからと強引に二人の絆を設けたのに。それすら遼一を繋ぎ止める十分な重しにならなかったのは、玲奈にとって痛い誤算だった。
墓前でひとしきり愚痴ると、玲奈は少し離れたところで不貞腐れている娘の方に振り返る。
そこには玲奈に面差しのよく似た綺麗な女の子が、墓のそばの低いブロック塀の上に腰掛けて足をブラブラとさせていた。
「遼奈、そんなところにいないであんたもパパに挨拶なさい」
「私はいい。だって好きで来たんじゃないし」
「もう、そんなこと言うとパパも寂しがるわよ」
「……ウソ。パパは私のことなんか好きじゃないもの」
「こら! まったくどうしてこの子はそんなことを」
玲奈は思わず天を仰いだ。
不器用で自分の幸せに前向きになりきれず、救急医療にのめり込まざるを得ない事情を抱えた遼一の負の側面が、娘のこの態度に現れていた。
(あんたは医師としての生涯に一片の悔いもなかったかもしれないけど。せめてもう少し生きていてくれたら、私が二人のことを何とかできたかもしれないのに)
返す返すも遼一の早過ぎる死が恨めしい玲奈だった。
「それと、命日でもないのになんでパパのお墓参りなの? そもそも私は、この日に毎年知らない人のお墓参りをしてるのも気に入らないんだけど」
どうやら娘は、ここに来る前にいつもの墓に寄ったことがずっとお気に召さなかったようだ。
玲奈は嘆息した。
「それは、前に説明したでしょ。今日は20年前のバス事故で唯一の犠牲者になった人の命日なのよ。何かが少しでも違ったら、ママがそうなってても全然おかしくなかったんだからね」
「そしてもしそうなったら私は生まれてない、でしょ。それもう聞き飽きたわ。
でもやっぱり、それとパパの墓参りとは関係ない。それにその人が死んじゃったのはママのせいでもなんでもないんだから、なんで今も参らなくちゃいけないのよ。どうしてもっていうならママだけで来ればいいじゃない」
関係ないどころか、そのことが遼一とそして玲奈自身の運命を大きく変えたことを娘はまだ知らない。
だから玲奈は困り顔になった。
「あんたはもう、口ばっかり達者になって」
一体誰に似たのだろうかと玲奈は思った。
(……両方かもしれないわね)
二人の昔の暗闘と擦れ違いにまつわる口論の数々を思い出して玲奈はガクリとうなだれた。
しかしそんな娘ももう小学校の高学年になっていた。自分が遼一と因縁の出会いをしたのと同じ年にもうすぐなろうとしている。
もしかしたら娘にもそんな人生の出会いがすぐにあるかもしれない。
そう考えると、玲奈は何だか急にそわそわとした気持ちになる。
(まだ早いと思ってたけど、そろそろ本当のことを話そうかしら)
そうすれば父子のわだかまりも少しは解けるだろう。
父親から名前に一字をもらい、不器用ながらも愛されていたのだと知れば、変な意地を張らずに素直になるべき時を誤らずに済むかもしれない。
自分たちはそれでちょっと遠回りをしてしまったのではないかという思いが玲奈にはあった。
それに、一人で秘密を抱えるのもしんどかった。
今ならば罪悪感に孤独に押しつぶされそうとしていた遼一の苦しみが、少しは分かるような気がした。
やはり、秘密を分かち合える存在が玲奈は欲しかった。
遼一の心の闇を感じる娘ならば、きっと自分の不安を理解してくれることだろう。そして、あの時のプロポーズの酷さも……。
思えばファーストキスの時からしてグダグダだった。そんな遼一のこれまでのダメさ加減を女同士で語り合うのもまた楽しそうだ。
そんなことを考えていると、玲奈の顔から自然と笑みがこぼれた。
「ママったら、何を笑ってるの?」
娘が不思議そうに聞いてくる。
「ううん、何でもない。それより、帰ったらパパのことを話してあげるわ」
「私、別に聞きたくない」
「まあそう言わないの。聞けば絶対あんたは驚くから」
「パパがオタクのダメ人間だってことならもう知ってる」
なかなかに容赦のない娘だった。
「そ、それもあるけど。どちらかといえばそんなパパとの馴れ初めの方よ」
「それは……、私も前から不思議に思ってた。だって明らかにママとは不釣り合いだもの」
「そこにはね、衝撃の真実が隠されてるのよ。当時のマスコミがこぞって追い求めて、ついに暴けなかった真実にまつわる恋の逃避行がね」
「えー、何だかこないだテレビでしてたローマの休日みたい。ますますパパとはかけ離れてくるんだけど」
(確かに……。ローマの休日なら、あんな死神のノートを巡るような心理戦は繰り広げないわよね)
「ロ、ローマの休日とはいかないけど。それなりにスリルとショックとサスペンスに満ちたお話だから」
「それほんとに、ちゃんとした恋の話なの?」
娘のジト目に思わず玲奈の目が泳ぐ。
なぜなら、どこもちゃんとしてなどいないからだ。
「も、もちろんよ? あ、あんたの好きな名探偵ドイル君でも、昔そう歌ってたじゃない。
それにほら、そんな出来事でもなきゃママがあんなオタクで人間嫌いの偏屈な人と結婚するわけないでしょ」
「ママ……、それを聞いて私はますます自分という存在が不安になってくるんだけど」
「え? や、やあね。それでもママはちゃんとパパを愛してるわよ?」
「変人なのに?」
「ちょ、ちょっと人とは変わってるだけよ」
「やっぱりまともな話になりそうな気がしない。私、ストーカーの泣き落としとか、弱みを握られて最初はしぶしぶとかいう話なら聞きたくないんだけど」
(す、鋭いわね。遼奈……恐ろしい子!)
真実という弱みを盾に恋人面して付きまとい、渋る相手が弱ったところにつけ込んで篭絡しようとした、そんな己の行状を見抜かれた気がして玲奈は我が子に戦慄する。
思えば初めてホテルに行った時も、あれはほとんど泣き落としだった。
「そ、そそそそんなんじゃないから。お、お願いだからママの話を聞いて。じゃないともう耐えられないのよ~」
(この子は多分あいつがそんなことをしたと思ってるから。だから私はウソを付いてないわよね!?)
「分かったから! 話を聞くからその胸で私を窒息させないで、ママ……」
「そ、そう? 良かった。それでこそ私の娘。じゃあ早速帰ってお話しましょ。
最初はいかにあいつが変人になっていったかよね。そう、あれは私がまだ遼奈と同じような年の頃にね…」
そうして、母と娘の話は続いていく。
話は夜まで及び、翌日には再び墓前で、今度は仲良く手を合わせる母子の姿があった。
自分の存在が彼女を底なしの闇へ引きずり込んでしまうのではないかという遼一の懸念は、なんとか杞憂に終わりそうである。
そして彼女が見ている恋という名の幻覚は、まだなかなか醒めそうにない。




