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第32話 やっぱり這いよる玲奈さん

 放心状態の僕に、彼女がぽつりぽつりと語り出す。


「あなたとの、確かな繋がりが欲しかったの。結婚という儀式だけじゃなくて、目に見える強い絆が、どうしても欲しかったの。そうすれば、もう絶対にあなたは私を手放そうとしないと思うから」


 それはプロポーズをしてすらどうにか無かったことにできないかと考える、僕の覚悟と自信の無さに対する痛烈な皮肉だった。


「そのために君は、無垢な命まで脅迫材料に使うっていうのかい……」


 僕の精一杯の反撃に、彼女がビクリとするのが分かった。

 それでも震える声でなおも僕に訴え掛けてくる。


「そんな酷いこと……言わないで。私は、不安なのよ。結婚した今でも、何かあればあなたは勝手に身を引いちゃいそうな気がするんだもの。ならやっぱり、私はこうするしかなかったじゃない」


 なんだい、僕が悪いって言うのかい?

 ああそうさ、全部全部僕が悪いんだろうさ。


「でもだからって、していいことと悪いことがあるだろ。君は僕を裏切っただけじゃない。生まれてくる赤ん坊は、人殺しの子供という烙印を一生背負って生きていくことになるんだぞ」


「違うわ! そうじゃない! この子は私の命の恩人の子よ。意識の無い運転手さんを助け出して戸惑うお婆さんや青年に避難を促した人の子供よ。そしてこれから救急医療で人の命を救い続ける人の子供なのよ!!」


 彼女の思わぬ剣幕に僕は気圧けおされた。

 とっさに何も言い返せない僕に、彼女が重い口調で告げる。


「それでもあなたがどうしても嫌だっていうなら、この子はあきらめる。あなたが、決めてちょうだい」


 だけどそれは、卑怯な押し付けだった。


「そんな決定が、僕にできるはずないだろ。君は僕に……、また人殺しになれっていうのかい」


 僕は、そう言うしかなかった。それしか僕には言えなかった。


「…………ごめんなさい。ズルい私で、本当に……ごめんなさい」


 彼女が今にも消え入りそうな様子で頭を下げる。

 それでもその言葉は、結局は僕を罠に嵌めてまんまと事後承諾を取り付けた、彼女の勝利宣言に他ならなかった。


「好きにすればいいだろ!」


 そう言い捨てた僕の背中に彼女がすがりつく。


「悪かったわあなた! でもどうか許して欲しいの。こうしないと私は、不安で不安で仕方ないのよ。

 それにあなたにも、この子のために前を向いて自分の人生を歩いて欲しいと思ってる。私だけだとあなたはいつも遠慮しちゃうから、もうこの方法しか残ってないのよ!」


 彼女の悲痛な叫びが僕のかたくなな心を激しく揺さぶる。

 分かってる。

 僕が憎くてしたことじゃないのは、よく分かってる。

 それでも僕は彼女のウソと、突然突き付けられた重過ぎる責任とに怒りを押し殺せないでいた。


「だから……、好きにすればいいって言ったじゃないか」


 彼女を振り払うように身をよじる僕に、彼女はなおもすがりついてくる。


「お願いだからそんな風に言わないで。私を、嫌いにならないでよ……」


 そう言うとそのまま嗚咽おえつを漏らし始めた。

 背中の濡れた感触に、僕はやっと自分の負けを実感した。

 結局のところ、僕に彼女を突き放せるはずがなかった。僕は彼女のおかげで立ち直り、新たな目標を見つけることができたのだ。

 そしてそんな彼女の優しさに甘えてばかりの、10年の幸せな恋人関係まで体験させてもらえた。遂には結婚という消えない傷まで彼女に負わせてしまっていた。

 それに対して僕は未だに彼女を不安にさせることしかできていない。そんな僕が底無しの不安にさいなまされる彼女の必死な抵抗と、その女性らしい願望に対してどうして文句を言えると言うのか。

 だからこれはただの八つ当たりだ。不甲斐ない自分に苛立つ僕が、理不尽な八つ当たりで彼女を泣かせているだけなのだ。


「もう…………いいよ。すぐには無理だけど……。僕もちゃんと考えていくように、するからさ」


 それを聞いた彼女の嗚咽おえつがゆっくりと止まる。

 そうして恐る恐る聞いてきた。


「産んでも、いいの?」


「……………………僕から反対は、しない」


 今の僕にはそこまでが精一杯だ。


「私を、嫌いにならない?」


「そんなの無理だって、君はよく知ってるだろ……」


 それを聞いた彼女が息を呑むのが分かった。


「ありがとうあなた。本当に愛してるわ」


 感極まった彼女が僕の背中にギュッと抱き着く。

 そんな彼女に、僕は小さな声でそっと答えた。


「…………僕もだよ」






 どれほどそうしていただろうか、不意に彼女が顔を上げて僕から体を離すのが分かった。


「あなた、実はもう1つお願いがあるんだけど」


 これ以上の問題はもう勘弁して欲しいと思いながらも、仕方なく僕は彼女に聞いてみた。


「なんだい」


 すると彼女は思いがけないことを口にした。


「酷いウソをついた私を、あなたに罰して欲しいの」


「……どういうこと?」


 僕はベッドの上の彼女に向き直る。

 そんな僕に彼女は嬉しそうに微笑みながら言った。


「私の全てを、あなたに捧げます」


 そしてネグリジェに包まれた豊かな胸の上に両手をゆっくりと当てる。


「私のオッパイも、お口も、あそこは……安定するまではちょっと遠慮して欲しいんだけど。代わりにお尻の方でよければ、あなたの好きなように扱ってくれて構わない。私の中を、全部あなたで一杯にして下さい」


 僕はブッと噴き出した。


「そ、そんなことできるわけないじゃないか!」


 とんでもない申し出に動揺する僕を安心させるように彼女が笑う。


「大丈夫。この話をする前にトイレで薬剤を使ってお手入れはしておいたから、一応キレイになってるはずよ。それに滑りを良くする奴もネットでもう入手済みだから」


 彼女がベッドの片隅から小さなボトル取り出した。それはなんというか、いわゆるローションという奴ではなかろうか。


「それでも汚いと思うなら、後で私が責任をもってあなたのものを清めさせていただきます」


 そう言いながら彼女はベッドの上で三つ指ついて深々と僕に頭を下げた。

 彼女のその間違った覚悟に僕は唖然あぜんとした。


「そ、そういう意味じゃない! そんな酷いことを君にするわけにはいかないと僕は言ってるんだ!」


 顔を上げた彼女が静かに首を振る。


「ううん。お願いだから私はあなたに酷いことをして欲しいの。じゃないと私は、いつまでも自分を許せない。そしてこの子を、安心して産めないじゃない」


「だ、だからって…」


 うろたえる僕に、だけど彼女は意外な言葉でその反論を封じる。


「それにね、罰というのは愛情の裏返しでもあるのよ」


「……え?」


「私が一番怖いのは、あなたが私に心を閉ざして無関心になってしまうこと。そうして放っておかれること。

 それに比べれば罰というのはまだ私に興味がある証拠でしょ。私がいとしいから怒って、罰を与えてくれる。

 いいえ、たとえそれが恨みや情欲からだとしても私は構わない。あなたが私の体を求めてくれる限り、私はあなたを感じていられるんだから」


 僕は彼女の覚悟と愛情の深さにちょっと怖くなった。

 僕はこれほどの愛を彼女と、それから生まれてくる子供に果たしてそそげるだろうか。

 そんな僕の気後れを察したように彼女が苦笑する。


「いいの。あなたはそんなに気にしないで。これは私がしたくてお願いしてることなんだから。

 それにあなたはもう十分に私のことを大切に考えてくれているわ。だからこれ以上はあまり悩まないで欲しいの。あなたはただ私を感じていてくれるだけでいいのよ」


 そうして彼女が足元の方から僕ににじり寄ってくる。


「ちょ、ちょっと玲奈さん? 一体、何をするつもりかな」


「何って、既に言ったでしょ。これからあなたに私の全てでご奉仕するのよ」


「ご、ご奉仕って、確か僕が君に罰を与えるって話だったよね? それなら君が落ち着くまで、放置プレイって奴をちょっと試してみたいんだけど」


「ダ~メ。放っておかれるのは嫌だって言ったでしょ。それにあなたが罰を与えてくれるのを待っていたら夜が明けちゃうわ。だからまずは、私の方からご奉仕させてもらいます」


 ついに彼女は僕をベッドの枕元へと追い詰める。これ以上はヘッドボードがあって後退できない。


「私がいとしいと思うなら、許してもいいと思うなら、お願いだから私から逃げないで。そして黙って私の謝罪を受け入れてちょうだい」


 彼女の手がとうとう僕のパンツに掛かる。

 彼女からあふれ出る圧倒的な母性と切羽せっぱ詰まった愛情を前に、男のパンツをはしたなく下ろしていく女の手を僕は拒めない。

 大切な彼女がみだらに汚れていこうとするのを、僕は止めることができなかった。


「それに、あなたのここは私に罰を与える気マンマンみたいよ」


 その指摘に、僕は自分の子供より先に己の息子を叱りたい気持ちになった。

 早くも親心?が芽生えてひるむ僕自身に、ゆっくりと彼女がおおかぶさっていく。


「それじゃあ、いただきます」


 甘い声で彼女はその開始を告げた。




 だけど奉仕も終盤になると、さすがに初めての感覚に彼女が苦しげな声であえぎだす。

 それでも結局、どこか嬉しそうに彼女は最後までやり遂げた。

 そうして僕の上で息も絶え絶えになった彼女が満足そうに言う。


「こ、これで私の体の中で、あなたの印がついていない場所は、なくなったわね」


 そんな彼女を黙って抱き寄せると、僕はその頭を繰り返し撫でた。

 彼女は安心したように体の力を抜き、僕の腕の中で深い眠りに落ちていった。







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