第28話 嘘と沈黙と思わぬ落とし穴
「どうして違う病院なのよ!」
僕が勤務先となる病院の名称を告げると、案の定彼女はそう食って掛かってきた。
「私が勤務する病院だって採用はあったはずよね」
看護学部なので僕より2年早く卒業した彼女は、前から同じ病院に来るよう僕に言っていた。
「お、同じ病院だと、色々と不都合があるだろ」
「一体どんな不都合があるっていうのよ」
「病院は人の命を扱う場所なんだ。最初から変な慣れあいが出るのは、良くない」
彼女がわずかにひるむ。
「それは、そうだけど……」
「それに、君には僕との関係を隠すつもりがないだろ?」
これまでも彼女は僕との仲を公言していたし、むしろ周囲に見せつけるようにベタベタとしてきた。
「それだとやっかみや嫉妬で、人間関係がスムーズにいかなくなる可能性がある。もしそうなると、新米医師に過ぎない僕が実地で経験を積んでいくのに支障もでかねない」
学生時代ですら激しい嫉妬を周囲の人間から様々な形でぶつけられることがあった。もちろんそれは、彼女の献身に比べればどうということはない。
だけど、病院という閉じた巨塔の中でそれがどんな化学反応を起こすのかはまた別の問題だった。
それに今度はいわば実戦だ。もしテレビドラマのようなドロドロとした騒動が現実になれば、背中にも気を付けねばならず厄介この上ない。
ついに彼女が黙り込んだ。何やら思い当たるフシがあるようだ。
「ああもう、分かったわよ! フンだ。勝手にすればいいでしょ」
どうやら納得してくれたみたいだ。
おかげで、一番重要な理由を言わずに済んだ。
(いい加減、僕みたいな人間のことなんか見捨てて、君は誰かいい人と幸せになるべきなんだ)
彼女ほどの女性ならモーションを掛けてくる相手には事欠かないに違いない。
だけど僕が同じ病院にいたら、その妨げにしかならないことは明白だ。それだけはなんとしても避けねばならなかった。
「でもこのマンションで、一緒には住めるんでしょ?」
僕は首を振った。
「いや、僕の勤務する病院はここからだと遠い。だから実家から通うよ」
「そんな……」
ショックで彼女がよろめく。
「わ、私が一体何のためにここにこんな部屋を借りたと思ってるの? あんたが卒業したら一緒に住めるようになのよ!?」
(分かってる。だから僕は、やはり君と同じ病院に勤めるわけにはいかないんだ)
「引越し代や、敷金礼金とかのことなら僕が出すよ。すぐには無理だけど、実家でそんなにお金を使うこともないだろうから。しばらく待ってくれれば必ず何とかする」
「そういうことを私は言ってるんじゃないの! どうしてあんたはそんな大事なことを勝手に決めちゃうのよ!」
「今回のことは、黙って決めて済まないとは思ってる。だけど事前に言えば、君はまた色々と無茶をするだろう?」
今の病院を辞めて僕の病院に勤務しようとしてみたり、ハードワークにもかかわらず僕の家の近くから遠距離通勤しかねない。それでは意味が無かった。
「そ、それは……」
「それに、離れてるといっても隣町じゃないか。週末にはちゃんと会えるよ」
もっとも、忙しい二人のシフトが合えばの話である。
「本当に、会いに来てくれる? 私といる時間を、ちゃんと作ってくれるの?」
「約束する。僕はただ、新人として仕事を頑張りたいだけなんだ」
それもウソではない。
僕は何としても実績を積み、一刻も早く救急医療班に入る必要があった。そしてあの時に助けられなかった命をこの手で救うのだ。
それがたとえ、酷い偽善に過ぎないとしても……。
だから僕の顔は、ちゃんと真剣に見えたはずだ。
はたして、彼女は仕方なさそうに頷いた。
「……分かった。その言葉、忘れないから」
彼女の攻勢をどうにかしのいだ僕は、ホッとして思わず安堵の息をつく。これでお互い、やっとあるべき道に進むことができそうだ。
だけどそれは、うかつな油断に過ぎなかった。
「なら今夜は、もちろん泊まっていけるわよね?」
「え…」
「私といる時間を、作ってくれるんでしょ?」
彼女の有無を言わせぬ笑顔に、僕は「はい」と頷くしかなかった。
そうして僕は、彼女がもたらす安らぎと快楽にまた溺れていく。




