第21話 プロデューサーさんも楽じゃない
「恩人……か」
その白々しい響きに思わずフフッと苦笑を漏らすと、僕は彼女の言葉を肯定してやった。
「まあ、そう言えなくも、ないのかな。僕が君を、あのバスから外に連れ出したことには、違いないんだから」
(もっとも、その過程で人一人を見殺しにしてだけどね)
僕はそう自嘲するものの、彼女の方は当然まだその事実に気付いていない。恩人などと、悠長なことを言っているのが酷く滑稽だった。
だけど早晩、その事実は明るみに出ることになるだろう。通報の不手際や、時間のかかり過ぎた救助のことは隠しようがないからだ。
おまけになぜ事故現場のバスの中で彼女のブラジャーが外されていたのかを警察に追求されれば、盗撮までしていたことを自白するのにそう長い時間はかからない。
僕がそんなことを考えていると、不意に彼女のかすれた声が聞こえてきた。
「ご、ごめんな、さい……」
僕はとっさに何を言われたのか分からなかった。
だから思わず、「は?」という言葉が漏れた。
それをどう受け取ったのか、彼女が申し訳なさそうに続ける。
「わ、私はあんたに……い、命を助けてもらったっていうのに。それなのに、あんたの言うことを真に受けて……、最低だって言って二度も引っぱたいたりした。あんたが目立つことが嫌いなことくらい、私は十分知っていたはずなのに……」
だけどそこで彼女は突然勢いづく。
「ううんそれだけじゃないわ。再会した時だって悪ノリした私はあんたに暴行未遂の濡れ衣を着せて好きに使ってきた。そうよ小学校の時だって私が余計なことを言ったせいであんたは!」
そう言うと、今度は感極まったように黙り込んでしまう。
その様子を眺めながら、彼女にも意外と純情なところが残ってるじゃないかと僕はニヤついた。
それとも、偽りのお嬢様キャラを演じ続けるうちに自分の本性まで見失ってしまったのだろうか。
(だけどそれも、真実を知るまでだ。それを知った時に君は、自分を辱めて出し抜こうとした僕に怒り狂うのか、それともやっぱり最低な奴だと軽蔑するのかな)
どちらにしても、今の殊勝な態度がどう転ぶか見物だった。
そして自分のあられもない写真を見た瞬間に、彼女がどんな顔をしてくれるのかを想像するだけで僕はゾクゾクとした。
それを特等席で眺めるチャンスは今しかない。二人きりでじっくり話をできる機会など、これを逃せばもう永遠に訪れないだろう。
(そうだな。彼女にだって、自分がどうやって助けられたかを知る権利があるじゃないか)
それにもう、一人で秘密を抱えるのは限界だった。
このままでは気がおかしくなりそうだ。誰かに真実をぶちまけたかった。王様の耳は、やはりロバの耳なのだと。
その相手が彼女だというのはまさに因縁にして必然、最悪でいて最上というものだろう。死なばもろともでこの地獄に引きずり込む相手として、僕には彼女以上の存在など考えられない。
僕は仮面の笑みを貼り付けながら、うなだれる彼女に向かって静かにささやいた。
「そんなことより。僕があのバスの中にいたという……、証拠の写真が実はあるんだ」
とうとう言ってしまった。これでもう、後戻りはできない。
彼女が「え?」と驚いた顔をするのを見て、僕は密かにほくそ笑んだ。
「ウソじゃない。僕のスマホの中に、それがちゃんと入ってる」
そう言われた彼女は、目尻を袖で拭うとあわててスカートのポケットから僕のスマホを引っ張り出す。
「写真アプリを起動させたら、すぐに表示される奴がそれだよ」
彼女は僕のスマホをあたふたと操作しながら、何とかその写真を表示しようとする。
絶望しか詰まっていないパンドラの箱を一生懸命に開けようとしている姿が滑稽で、僕は思わず噴き出しそうになった。
前に僕から聞き出したパスワードでセキュリティを突破し、遂に彼女がその写真を目にする。
「な、何よ…………これ」
彼女は写真を見つめたまま、呆然とその場に立ち尽くす。
そんな彼女に、僕は悠然と告げた。
「何って、証拠の写真じゃあないか。僕が人一人、見殺しにしたっていう証拠の、ね」
彼女が酷く動揺した顔で僕を見る。
「わ、私……、あんたが何を言ってるのか、分からない。これは何かの……、冗談なのよね?」
僕はニヤリと笑ってそれに答えた。
「もちろん、冗談なんかじゃないさ。
ああ、でもそうか。その写真だけじゃよく分からないよな。分かった。ちゃんと説明するよ」
そうして丁寧に彼女に教えてやった。
僕のせいで通報が遅れたこと。バスの中に倒れている彼女の姿を見て、我を忘れて喚き散らそうとしたこと。救出よりも応急処置を優先するというミスを犯したこと。暴行未遂容疑に対抗するために事故現場で盗撮したこと。外の人間の助けを借りることを思いつかなかったこと。
そして最後に、気持ち的には奥の男性の方を先に救出したかったけれど、距離と体重のせいで仕方なく彼女の方を先にしたことを付け足すのももちろん忘れなかった。
「だからさ。僕さえバカなことをしなけりゃ、誰も死なずに済んだんだよ」
そう締めくくって彼女の様子をうかがうと、どうやらショックのあまり声も出ないようだ。
僕は立ち上がり、そんな彼女に近づくと優しい声で言った。
「ああそうだ。君は確か、『あの人』にお礼を言いたいんだったっけ? それならせっかくの機会だから、思う存分言うといいよ。
ただしそいつが、暴行未遂犯のアニメオタクで、人殺しでも良かったらだけど、ね」
そして僕は、「アハハハハハッ!」と狂ったように笑った。
それでも彼女は、僕を罵ろうとも軽蔑しようともしなかった。
もう目の焦点が合っていない。完全に呆然自失の状態だ。
ひとしきり笑い終えた僕は、彼女のそのあまりの反応の無さに拍子抜けした。
せっかく一世一代の告白をしたのだから、ここはぜひとも彼女らしい劇的な反応が欲しいところだ。
だというのに、現状はなんだか弱い者いじめをしているような罪悪感すらただよう。僕を幾度も罠に嵌めて苦しめた、あの悪辣な小湊玲奈はどこにいったのだろうか。
(これじゃあまるで、ただの小娘じゃないか)
事前に期待していただけに、何の反応も示そうとしない彼女に対する僕の落胆は大きかった。顔をしかめて、やれやれと僕は首を振る。
「もういい。そのスマホを持って、警察でもマスコミでも好きな方に駆け込んだらいいだろ。それでテレビカメラの前で、お約束のセリフを涙ながらに言えばいいんだ。まさかあの人がそんなことをするなんて、まったく思いもしませんでしたってね」
それでも彼女は動き出そうとしなかった。
謎のヒーローが実は同じクラスの同級生でおまけに殺人犯とくれば、またまたセンセーショナルな騒ぎになって彼女への注目と同情はうなぎ登りになるはずなのだが、一体何が不満だと言うのだろうか。
もし清純派アイドル路線で通したかったというのであれば、その巨乳でハニートラップまで仕掛けてきたビッチのくせに今更それはおこがましいというものだろう。
パンチラ写真の1つや2つ、それを新たな魅力に昇華して更なる高みを目指して欲しいものである。
駆け出しアイドルのプロデューサー目線で彼女の売り出し方について思案していた僕は、だけどそこであることに気付いて苦笑した。
「ああそうか。これは気が利かなかった。そうだよな。このままじゃあ駆け込めるわけないよな。世間知らずな同級生を煽動するのとは訳が違うんだから」
僕は悪い悪いと言いながら彼女の正面に回ると、血に濡れていない左手を持ち上げて彼女の胸に押し当てた。
「ほら、これでいいだろ?」
「…………え?」
ようやく何をされたのかに気付いた彼女が胸元をかばようにして後ずさる。そして怯えた目で僕を見た。
その反応に、ようやくちょっとした満足感を覚えることができた。
「さあ、これで僕は正真正銘の暴行未遂犯だ。だから安心して警察の事情聴取でも何でも受ければいい。そんな奴なら、事故現場で悠長に変態行為に及んでても何も不思議じゃあない。君が悪者になる可能性は、これで消えた」
僕がもし暴行未遂の件を持ち出して濡れ衣だと騒ぎだせば、それが犯人暴走の元凶として一緒に非難されかねないという彼女の懸念は、これで和らぐことだろう。
まあ、元より向こうは女友達という証人を押さえているのだから、仮にそうなったとしても疑惑は一蹴できるわけで余計なお世話かもしれない。
(だけどあれだけ苦汁をなめさせられたんだから、これぐらいの意趣返しは許してもらわないとな)
そう一人ごちると、僕は意気揚々と美術準備室を後にした。




